WinterGhost Frontline   作:琴町

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アンバーズヒルの吸血鬼・前篇②

「何でついて来ておいて寝るわけ‥‥?何がしたいのよ」

 

 副官室にて。416はこめかみに青筋を浮かべて、ソファの上で丸くなっているG11の寝相を見下ろした。

 

「まぁまぁ、寝てる分には問題ないじゃん」

 

 Super-Shortyが苦笑を浮かべる。腰かけた椅子が少し高すぎたようで、足をプラプラさせている。

 連続殺人事件の捜査本部を設置するにあたり選抜された人形の一体だ。普段は潜入部隊で前衛(フロント)を担当している。その高い潜伏能力を活かし、今は闇市やオークションでの取引を密偵してもらっていた。

 大きな溜息を吐いて、416は自分たちが解決すべき事件、その始まりを思い返した。

 

***

 

 先日、ノアと一緒に貧民街を見回った帰りのこと。

 

「この街に、吸血鬼がいるの!」

 

 ノアに懐いているストリートチルドレンの一人であるエメが、必死の形相で訴える。

 ついこの間ノアから借りた小説で読んだ、その名称で指定される生物を想像する。牙があって、蝙蝠や霧に変じることができ、闇に紛れて人の生き血を啜る夜の狩猟者。魅了の魔眼や魔術を行使する。水場を渡ることができず、日光や大蒜(にんにく)に弱い。退廃的で背徳感のある恋愛小説における王子様役の典型であり、つまり――

 

「ファンタジーの存在じゃない」

「いやいや。昔、フリッツ・ハールマンって奴がいてだな‥‥」

「違うの!ほんとにいるの!」

 

 エメが叫んだ。

 

「見たの?」

 

 蘊蓄(うんちく)を遮られたノアがエメを正面から見据えて、真剣な面持ちで訊ねる。幼子の幻想に付き合ってあげるとは随分と優しいことだ、と416は内心で呆れた。もっともそういう男だからこそ、子供や小さな人形たちに好かれるのかもしれないが。

 

「ううん、でも、売れそうなものを拾いに、いつものところに行ったら‥‥」

 

 エメの声と手が震える。

 ノアはいつもの優しい笑顔を浮かべてエメの手を取る。「おいで」と近くの石段まで手を引き、座らせる。その隣に腰かけて、エメの顔を覗き込んだ。あまりに自然なエスコートに座るタイミングを見逃して、416は壁に背を預ける。

 

「いいかいエメ。目を閉じて、僕の声に集中してね」

 

 そう言いながら、こちらにちらりと目配せしてくる。そのアイコンタクトで「エメの話を憶えておいて」という指示を受け取って、416は頷いた。

 コクコクと頷いて目をキュッと閉じるエメが、ノアの手を掴む力を強める。

 

「まず確認ね。キミたちが行った場所と、その理由を教えて」

「ダヴィとダリオと一緒に、売れそうなものを拾いに行ったの。おねーちゃんも知ってるでしょ?おっきなゴミ捨て場‥‥」

 

 「ダリオ」はサンダリオの愛称だろう。「おっきなゴミ捨て場」というと廃棄場だが、この街には計七つの廃棄場がある。少年少女が日常的に通っていることを考えると、最寄りの“四番”だろうか。

 そして「おねーちゃん」と呼ばれる度に、ノアの整った眉がピクリと動く。

 

(気にしてるのね‥‥)

「はい、深呼吸して。それじゃあ、そのときの空気を思い出して。時間、天気、それから匂いも」

 

 ここまで二人の様子を見て、416はようやくノアの行為が何であるか思い至った。

 認知面接。とある心理学者が考案した、事件の目撃者から証言を引き出す技法だ。C-MSが作戦後の談笑時に語っていた気がする。PMCの戦術指揮官が扱うものではないと思うのだが‥‥。

 

「お空は晴れてたけど、まだ暗かったの。匂いは‥‥埃っぽくて臭かったの」

「いいよ、その調子。キミたちは何をしてた?」

「売り物を探してたの。携帯電話を三つ‥‥じゃなくて四つ拾えたけど、電源が点かなかったの。

 あと、いつもは色んな容れ物が落ちてるから、川で洗って売るんだけど‥‥」

「続けて」

「あの日は容れ物があんまり無くって、どうしようねって話をしたよ」

 

 ノアが少し眉を顰めた。何やら考える様子を見せたが、そこまで引っ掛かるところなのだろうか。

 

「いつも拾えるはずのものがなくて、どうしたの?」

「しょうがないから、私たちで運べるくらいなら重いものでも持って帰ろってダリオが言ったの。それで、色々探してたら、テレビを見つけたの。凄いんだよ、おっきくて、薄いの」

 

 液晶テレビのことを言っているのだろうと思われた。416はダヴィとサンダリオの体格を知らないが、最近のモデルなら小さな子供三人でも運搬できなくはない。危険だが。

 

「リサイクル屋さんに持って行こうってダリオが言って、みんなで運ぼうとしたの。二人が端を持って、私が裏に回ろうとして‥‥」

 

 再び、エメの体が小刻みに震える。ノアは小さな手を包み撫でながら、子守唄でも歌うような声音で語りかける。

 これは自分も味わったことがある。あのときの自分は今のエメより重症だったが――と、416は自分の失態を思い出して、一人赤くなった顔を覆った。

 

「大丈夫。ゆっくりでいいからね」

 

 エメが深く息を吐く。あぐあぐと口籠って、その言葉を落っことす。

 

「男の人が、死んでたの。その‥‥ミイラみたいに、中身が無くなってたの」

「ごめんよ、でももう少し思い出して。そのとき、臭かった?虫が集ってたり、血が出てたりした?」

 

 握るノアの手を両手でぐっと掴んで「むむむ」と唸った後、ブンブン首を振る。

 

「ううん、近付くまで人が死んでるなんて思わなかったよ。ちょっと臭かったけど、あそこはいつも臭いからそこまで気にならなかったの。虫は‥‥うん、ぶーんぶーんって‥‥」

 

 その言葉に、何故かノアは胸を撫で下ろしているようだった。一体何を心配しているのか。

 

「最後に。死体やテレビを動かした?」

「テレビはそのままにしたの。男の人は、ダヴィが近くの棒でつついてた。ダリオは止めろって言ってたけど‥‥」

「有難うエメ。よく頑張ったね、偉いぞー!」

 

 うりうりと頭を撫でられて、エメが擽ったそうに目を細める。

 その光景だけ見れば、まるで年の離れた仲良し姉妹のようだ。

 「孤児院を作りたい」と彼は言っていた。――なるほど、PMCなどより余程彼に似合っている。

 そんなことを考えていると、ノアがこちらに水を向けてきた。

 

「今日から事件の解決まで、集められるだけの孤児たちを“猫の鼻”で預かる。

 あと、件の遺体を回収したいから手伝ってくれる?」

「分かったわ」

 

 「みんなをさっきのところに呼んでくれる?」という言葉を受けて、てってけ走り出したエメの背を追う。とはいっても駆け足ですらなく、ちょっとした早歩きだ。

 416は隣を行くノアへ、先ほど抱いた疑問をぶつけた。

 

「さっき、遺体の状況を聞いたときに安心してたわね。どうして?」

 

 ノアは困ったような顔で「どんだけ目がいいんだよ」と笑った。当然だ、副官としてノアが望むことを一早く察するために、416はいつだって目を凝らしているのだから。特にノアは嘘を吐くのがやたら巧いので、僅かな表情の機微も見逃せない。

 

「ゴミの陰からでは発見できなかったってことは現場での出血はなし。腐敗は最小限だけど防腐はされていない。蠅が産卵に来てて、尚且つカツオブシムシに食い荒らされていないってことは死後それほど時間が経っていないってこと。

 エメたちが遺体を発見した時点で、犯人がまだ近くにいた可能性もあったわけだ。実際、ダヴィとサンダリオは姿を消している。

 ‥‥エメが無事なのは幸運だった」

「だから子供たちを預かるのね」

「そう。エメ曰くダヴィが遺体に触ってる。殺人犯の中には遺棄場所を再訪する変態もいるから‥‥」

「遺体の変化に気付いた犯人が焦って、犠牲者が増える可能性を考えたわけ?」

 

 ノアは頷いた。

 もう一つ、気になることがある。エメの「吸血鬼」という単語を、ノアはやけに真面目に取り合っている気がした。

 

「ねぇ指揮官。本当に吸血鬼がいると思う?あの子の話を聞く限りはそれっぽくなくもないけれど。

 貴方に借りた小説なら、被害者は男じゃなくて美しい少女よね」

 

「あっは」ノアは笑った。少なくとも、416の視覚モジュールはその表情を“笑顔”と認識した。

 

「今を西暦何年だと思ってるのさ。十六世紀ならともかく、今の地球に吸血鬼なんていないさ。

 ――だからまぁ、犯人は間違いなく人間だよ」

 

 悪寒。近くの野良猫が駆け出し、通行人はすっ転び、電線上の雀が姿を消した。

 戦術人形が感じる悪寒とは、五感を司るモジュール全てが集めた膨大で雑多な情報を基に、無意識演算領域から最速で導き出される自己保存の危機感である。

 つまりは人間のソレと同じように、その原因が何なのか意識で理解するのは、数瞬遅れてのことが多い。

 思わず立ち止まってしまって、ノアの背が少し遠ざかる。

 416は呆然と、その感覚を言葉にした。

 

「貴方――怒っているの?」

 

 あまりに静かで、いつもと変わらない笑顔に見えたのに。

 胸の奥に染み込む毒水のような、冷たい恐怖が喉を震わせた。


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