ヴィーフリが膝をついて震えている。シノは眉一つ動かさない。416は、眉こそ顰めたがそこまでだった。
もちろんショックはある。最近はよく話すようになっていたし、捜査会議のついでにランチを共にしたこともある。
416が「仲良くしてもいい」と思う程度には優秀で、「仲良くしたい」と思わされる程度には愛嬌のあった彼女――Super-Shortyは、狭く暗い路地裏で
自分にとっては馴染みの無いことなので忘れがちだが、仲間が破壊されるなんて戦場ではよくあることだ。自分たちは銃を持っていて、命の模造品を賭して前線に立つのだから。
ヴィーフリもそんなことは分かっているだろうに立ち上がることができないのは、この事態を引き起こしたのが自分の怠慢だと思っているからだろう。
そして彼女の遺体をさらにショッキングにしているのが、夥しい量の血液だ。その小さな体には到底収まらないはずの赤色が、地面を塗り潰し壁を駆け上がっていた。
――そう、未だ回収されていない被害者たちの血液は、合計すればこのくらいではなかったか?
この考えが正しければ、これはあの連続殺人事件の延長線上にある。つまり、自分が担当しておきながら事件を早期解決できなかったばかりに、基地の人形にまで被害を及ぼしたことになる。
恐れていた結末が、想像より悪辣なカタチで416のコアを炙る。犯人に対する怒りよりも、自らの実力不足への怒りが臓腑を焼いた。
握りしめた拳がみしりと音を立てたとき、
「‥‥お待たせ」
反対側を捜索していたノアとUMP姉妹が戻ってきた。蹲るヴィーフリの肩がビクリと跳ねる。
明らかに真面ではない人形の破壊現場を目にして、9は口元を押さえた。その姉は平然とした顔で、ちらりとノアを窺うと肩を竦めた。
「ごめん指揮官っ、私があの時、ちゃんとShortyと一緒にいれば‥‥!」
「こんなことになるなんて、誰も予想できないよ。
キミに全く責任が無いとは言わないけれど、気にするほどじゃないさ」
しゃがんだノアが、しゃくりあげるヴィーフリの頭を撫でながら諭す。その表情はどこまでも柔らかく、凄惨な光景にはどうにも不釣り合いだ。
「責任を感じているなら、事態の収拾に尽力しよう。
さぁ、今すべきことは懺悔じゃないよ」
そしてヴィーフリの手を引いて立ち上がらせた。「どうします?」未だ流れ続ける涙をハンカチで拭ってやるノアに、シノが訊ねる。
「血のサンプルを採って、現場を清掃するよ。Shortyの遺体は回収。明日、新しいボディを用意してバックアップ済みのメンタルをダウンロードしよう。
六日前のになるけど‥‥」
この時間に起きてそうな子はー、と独り言ちながら携帯端末を弄っている。
シノが手招きするので、近づくと小瓶を渡された。
「コレにサンプルを入れましょう。消毒済みなので使えるはずです」
「なんでこんなモノ持ってるのよ」
「416さんはお持ちでないんですか?淑女の嗜みですよ」
そこで思い至る。恐らくこれは洗浄用のエタノールを入れるためのものだ。彼女は相棒たる狙撃銃のみならずナイフも扱うらしいので、そちらの消毒にも使うのだろう。こんな小洒落た容れ物を使う理由は分からないが、中の匂いを嗅いでみると確かにアルコールの匂いがしたので、「消毒してある」という発言は嘘ではない。
「
ごめんね。今度、街のキャンディ屋さんで季節の新作奢ってあげるから。
え、ラジオでお勧めされてた新作の化粧水?分かったから――」
道具を手配するノアの声を聞きながら、シノと手分けして血溜まりから三か所ほど選び、小瓶に詰める。
二人合わせて六つの赤黒い瓶が出来上がったところで、通話も終わったらしい。
「二人ともお疲れ様。それサンプル?ありがと」
「えぇ。瓶はもう使わないので、返してもらわなくても結構ですよ」
「うん。明日洗って返すね」
シノと会話のドッヂボールを繰り広げながら、ノアはShortyのボディに近付いていく。柔らかな金髪をそっとよけて、その体を検分し始めた。連山の眉が困ったように顰められる。
「血塗れのせいでよく分かんないな。これも狙いの一つか」
ぶつぶつと呟きながら、痣や傷の様子を探る。既に周囲は深い夜陰に包まれていた。これでは見づらいだろうと思い、416は愛銃から取り外したタクティカルライトでノアの手元を照らした。
(明るすぎやしないかしら‥‥)
肩を叩かれたので姿勢はそのまま振り返ると、45が口パクで「どう思う」と訊ねてきた。倣って無音で問い返す。
(どうって、何がよ)
(指揮官の様子。やっぱりおかしいよこの人。
さっき向こうを探してたとき、裸眼で夜間望遠してた。足も莫迦みたいに速かったし)
(こんな時までその話?
思うところはあるわよ。でも、アンタが望むような内容じゃないわ)
(どんなこと?)
(大切にしている人形が破壊されて辛いはずなのに、笑ってる。
明らかに無理してるわ)
45が溜息を吐いた。だから言ったのに。
疑心暗鬼サイドテールの向こうでは、その妹が落ち込むヴィーフリの背を撫でて慰めている。
わざとらしく嘆息して、9を顎で示した。
(少しは妹を見習ったらどうなのよ)
(天地がひっくり返っても、私はあんな風にはなれないと思うよ)
ドルル、という排気音を聴覚が捉えた。
ほどなくして、路地の入口に大型のバイクが駐まった。その持ち主であるAEK-999と、サイドカーで荷物を抱えていたアイリが下りて来る。
「お疲れ様」ノアが振り返って手を振った。「そろそろ寝るところだったのに悪いね」
アイリは頬を引き攣らせて、持ってきたモップやらバケツやらを置いた。
「いいよ、ご褒美約束してもらったし。
それよりも血塗れで笑わないでくれる?似合ってるけどめちゃ怖い」
「ワタシはアイリに足を頼まれただけだし、することも無かったから別に構わないぜ」
「AEKもありがとね。戻るついでに、二人でShortyのボディを持って帰ってくれる?
第二整備室に置いといて貰えると助かる。
他の皆はお掃除ね」
「任せな」「おっけー指揮官!」「はぁい」
そうして作業が始まる。
約三十分に渡る清掃の間、416は何度もノアの表情を窺った。しかし一瞬たりともその笑顔が消えることはなく。
声を掛けようにも他の人形たちの前で問い質すのは流石に躊躇われて、この日416はコアに暗雲を抱えながら眠りにつくことになった。