カーテンの隙間から差し込む朝日と、小鳥の鳴き声で目が覚めた。起き上がって、大きな欠伸を一つ。この時間でも大して寒くないあたり、いよいよ冬が終わったと考えてもよさそうだ。
そこで、違和感に気付いた。
416は普段、404小隊にあてがわれた宿舎の一室、二つある二段ベッドの下で眠っている。上ではG11が惰眠を貪っていて、毎朝起こすために上らねばならないのが大変面倒なのだ。
しかし今、自分は普通のシングルベッドで起床した。思えば、昨日は部屋に戻った覚えがない。
さらに、自分の装いが予想と違う。確か最近は水色の地に黒猫の顔がドット状にプリントされた寝巻を着ていたはずなのだが、今の416はKSKの名が入った制服を着ている。しかもボタンを外し、胸元をはだけさせた恰好。ミニスカートも脱いでいる。
まぁ、別に誰に見られているわけでもないし構わないか――と考えた、その瞬間。
寝息が聞こえた。
ばっと傍らを見る。そこには、ノアの可愛らしい寝顔があった。あってしまった。416同様寝間着姿ではなく、第一ボタンを外したブラウスとベルトを抜いたスラックスという恰好だ。
ノアの寝起き姿は毎朝見ているが、こんな服装ではなんとも煽情的で生唾を飲み込んでしまう――って。
「待っ‥‥て待って、待って。何で?」
まさか、やってしまったのか?
必死に昨夜の記憶を辿る。仕事を終えて、Springfieldのバーへ赴いた。グローザとコンテンダーからの誘いで、一緒に酒を飲みながら話をしたのだ。それから、それから――
何も思い出せない。メモリが一時的に機能を停止するなど、どれだけのアルコールを摂取したのだ自分。
状況を見るに、自分がノアと一線を越えてしまったのは間違い無いだろう。想像と違ってゴムが散乱していないのは、アレだ、生だったのだろう、うん。酔った勢いで襲ったわけだし、避妊なんてするわけない。
「最悪だわ‥‥!」
ノアとシたことが、ではない。別に416はノアに恋愛感情を抱いているわけではないが、行為を拒むほど嫌いなわけでももちろんないから。そうではなく、初めての交わりが酒の勢いによるもので、しかもその思い出が何も残っていないというのがこれ以上なく情けないのだ。
涙腺を駆け上がってくるものがあった。
とりあえず、彼が起きる前に部屋に戻って、シャワーを浴びて、身支度をして、それから――
「うぅん‥‥」
あれこれ416が悩んでいると、とうとうノアが起き上がってしまった。眠たそうに目を擦って、こちらを見る。
そして、琥珀色の視線がすぅっと逃げる。
「‥‥おはよ」
その態度で確信した。やはり自分はやってしまったのだ――!
「ごめんなさい指揮官すぐに出ていくから!!」
「待ってここキミの部屋だよ!?」
逃げ出そうとした腕をはっしと掴まれる。416はその手を振りほどこうと藻掻きながら叫んだ。
「私が悪かったから!お酒の勢いに任せてこんなことをしてしまうなんて!本当にごめんなさい!」
「落ち着いて416!多分ソレ勘違いだから!」
ぴたり。
416は目を瞬いて、ノアを見る。引き攣った苦笑いが返ってきた。
きっとノアは416の態度と周囲の状況から、自分が動揺している理由を察しているだろう。その上で「勘違い」と口にした。
つまり、自分たちは昨夜、特にアレやらナニやらはしていないということか?
そう訊ねると、ノアは手を放して胸を撫で下ろした。「分かってくれた‥‥」
すぐ傍に脱ぎ捨てたスカートが落ちていたので、履いておく。なるほど、ノアが目を背けたのはパンツを見ないためか。
彼の説明によると、自分はあの席で随分と酷く酔ったらしい。ここまでは416の予想通りである。しかし最悪の事態になる前にコンテンダーが自分を気絶させ、グローザがノアに連絡をとったのだ。
だから記憶が無かったのか。二人には感謝しなければなるまい。
「どうして貴方が呼ばれたの」
そう訊ねると、ノアは気まずそうに俯いた。心なしか、その顔は赤い。
416が重ねて訊ねて、ようやく口を開く。
「それは‥‥グローザ曰く、酔ったキミが僕の名前を連呼するもんだから――って大丈夫!?」
「え、えぇ‥‥平気よ」
思わずその場にくずおれてしまった。
この時点で416は五十回ほど死ねる恥ずかしさだが、話はまだこの部屋に至っていない。
先を促すと、ノアは躊躇いながらも続けた。
自分を受け取ったノアは、まず404小隊の部屋に運ぼうとした。しかし、バーから宿舎までは少し歩くし、女子のための建物に踏み込むのは躊躇われる。416が眠れる場所ならば、本棟にある副官室の方が近いので、そこへ連れて行った。おんぶで。
副官室のベッドに自分を寝かせたあと、ノアはすぐに部屋を辞そうとした。しかし、目を覚ました自分に捕まってそれも叶わず、仕方ないので一緒に寝ることにした――
「本当にごめんなさい‥‥とんだご迷惑をおかけしました‥‥」
416は真っ赤になった顔を両手で押さえ、謝罪の声を何とか絞り出した。
対するノアも多少赤面しているが、自分と比べたら幾分か落ち着いている。ノアは立ち上がって、ベルトを締めた。咳払いを一つ。
「まぁこの件はこれで終わりってことで。僕も気にしないから、416も気にしないで‥‥ね?
それより、お互いに一度戻ってシャワーとか着替えとか済ませてきた方がいい。
あと、ついでにG11を連れてきてくれる?」
「G11?どうして」
「彼女とリベからの頼みでね。簡単な仕事を任せることになったんだ」
何とも奇妙な話である。怠惰の罪を一身に背負う寝坊助が、自発的に仕事を求めるとは。
‥‥それにしても、自分が副官になるときは随分と渋っていた気がするのだが。
416は怪訝に思いながらも了承した。
二人揃って副官室を出る。この時間ならば大抵の人形は宿舎か食堂にいるはずなので、この状況を目撃されることは無い。
「それじゃ、また後で」
「えぇ」
ノアの背を見送って、416は首を傾げた。
「そういえば、何だか今朝は体調がよさそうね‥‥」
いつものノアは、一人では立つのも覚束ないほど朝に弱いのに。腕を握った手も、いつもと違って普通の温度だった。
「まぁ、快調なのはいいことよね」
さて、急いで部屋に戻り、身支度をしてG11を起こさなければ。UMP姉妹には何か言われるかも知れないが、その相手をする時間も惜しい。
416は頭を切り替えて、宿舎への道を急いだ。
***
自室に戻る道すがら。今朝の、そして昨夜のことが意識を占領する。
ノアは一つ嘘――というより、隠し事をした。「416に捕まったから一緒に寝た」というのは事実だが、どんな風に捕まったか、その詳細を意図的に伏せたのだ。
あのとき、416に背を向けた自分にかかる力は、大して強くなかった。
逃げようと思えば逃げられた。416の白い指先が、シャツの裾をちょこんと摘まんでいただけだったのだから。しかし、
『置いていかないで‥‥』
目尻に涙を浮かべてそう囁いた416の懇願に、どうして抗うことができようか。
AUGとのやりとりのせいで416のことを妙に意識していたこともあり、あそこで自分の中の狼を抑えるのは、本当に、本当に‥‥大変だった。
一晩経っても、思い出すだけで眩暈がする。
「落ち着けノア=クランプス、あの子が可愛いってことは初めから分かってただろ‥‥!」