『話したいことがあるから来てほしい』と、ノアを中庭に呼び出した。
自動販売機の横で突っ立つこと二分弱。ノアが姿を現した。いつも見るワインレッドの制服姿ではなく、裾のゆったりしたパーカーにジーンズという出で立ち。私服の趣味は似ているかもしれない。
自販機の商品ディスプレーに張りついていた小さな蛾が、夜の闇に逃げ去った。高速で羽ばたくその影を一瞥して、ノアが顔を顰める。
「虫、嫌いなの?ふ、わぁぁあ‥‥」
「まぁ、好きじゃないかな。
眠いなら、わざわざこんな時間じゃなくても良かったんじゃない?」
「大丈夫。私、いつも眠いから」
あっは、とノアが笑った。今のは自分でも気の利いたジョークだと思ったので、通じてよかった。それにしても少女じみた笑顔だ。
自販機に端末をかざして、ブラックコーヒーを二本買う。この場では眠らないという決意を込めて、プルタブを起こした。
「はい、今日のお詫び」
もう一本の缶を突き出すと、ノアは目線を合わせて礼を言った。そのまま、ブロックに座り込む。G11と同じようにプルタブを開けて、一口煽る。
普段はパッチリ開かれている猫目が、キュッと閉じられた。
「‥‥にが」
「え、指揮官コーヒーダメなの?ごめん、知らなくて」
「いやいやまさか僕だってそれなりに生きてるわけで、コーヒーも飲めないとか子供じゃあるまいし――」
「別に、折角貰ったんだから突き返せない、なんて遠慮しなくていいんだよ」
そう言うと、ノアは苦笑して「ごめん」と呟いた。
コーヒーを受け取る。きっと、二本飲めば二倍目が覚めるだろう。好都合だ。
自分のお金でいちごオレを買うノアを見ていると、口元が緩んだ。
「人形に対して遠慮しいなんだね」
「まぁ、よく言われる。
416にも、『人形に対して随分と紳士的なんですね』って言われたよ。
そんなにおかしいかな?」
どうやら、自分が少数派であることに自覚が無いらしい。ノアは首を傾げる。
「私が今まで見た人間の中では、一番優しいね。
確かにおかしいけど、怖いよりはずっといいと思う」
夜の帳と配慮に満ちた沈黙が、中庭を覆っていた。
大きな常緑樹が、風に揺られて小さく音を立てる。
「ごめんなさい。今日、迷惑ばかりかけちゃって」
「いいよ、気にしてない」
即答だった。
月を見上げる横顔の、金色の目はどこかばつが悪そうに細められている。
「むしろ、謝るべきはこっちだよ」
半ば独り言のように宙へ投げられた言葉。
その真意を問う前に、ノアは続ける。
「キミたちと初めて会った日にね、キミたち全員をメンテしたんだ。
キミには、明らかに昔のものと分かるメモリの損傷があった。
その原因も、欠け方から大方想像できたよ」
どこかよそよそしく、抑揚を抑えた声音。そうして彼が隠しているものが何なのか、G11は何となく察した。
ほら、そんなに固く拳を握る理由は、怒り以外に何があるだろう。
「僕の腕では、完全に風化した損傷を修復することは不可能だった。
もし僕がもっと勉強して技術を身に着けていたなら、キミの不自由を一つ殺せたかもしれないのに」
最後にノアは、こちらを見て笑った。「だから、ごめんね」
――なるほど。もし416もこんな悲痛な笑顔を見せられたのなら、放っておけないのも頷ける。
確かによくできた作り笑いだ。もしリベロールという戦術人形を通して彼の優しさを知っていなければ、自分はこの胸を引き裂くような心痛など抱かずに済んだだろう。
前に見た映画に、こんなセリフがあった気がする。
「『見る者に安らぎを与えられない笑顔に意味は無い』。
いくら何でも、そんなことまで自分のせいにするなんてめちゃくちゃだよ。指揮官」
「‥‥あっは。いい映画だよね、ソレ」
痛々しい笑顔を横目にコーヒーを口に含むと、さっきよりも苦い気がした。
結局、「416を取られた」などというのは勘違い、我儘もいいところだったのだ。416は、G11よりも手のかかる相手を見つけてしまったから、そっちの世話で忙しいだけ。
つまりノアは、自分にとって妹のようなものなのではないか?いや違う、弟か。
G11はそんなことを思って、にへらと笑った。
しかしすぐに表情を戻す。もう一つ、言っておかなければならないことを思い出したのだ。
「その、私があんなことを頼んだ理由なんだけどさ」
その続きを口にする前に、ノアがひらひらと手を振って遮る。
「416と一緒にいたかったんでしょ?分かるよそのくらい」
「‥‥やっぱり?」
「当然でしょ。指揮官だからね。
普段の出撃を見ただけでも、キミたちがどれだけ信頼し合ってるかは十分理解できる」
確かに、自分は416のことを信じているけれど。416までそうかは、分からない。普段の出撃のことを思い返す限り、むしろその反対の結論しか出てこない気がする。
沈黙から不安を見抜かれたか、ノアが指を振る。ちっちっち。
「もし416がキミのことを信頼していないなら、キミに陣形の一翼を任せる今の編成に異議を唱えたはずだよ。彼女は実力のない人形には容赦がないからね。自分も含めて」
言われてみればその通り‥‥かもしれない。以前の416はグリフィンの人形と共闘するたび、味方の練度の低さを愚痴っていた。場合によっては本人を怒鳴りつけることもあったほどだ。傍で見ている側からしたらたまったものではない。相手の人形から「コイツなんとかしろ」という目で見つめられても、自分にできることなど無いのだから。
“猫の鼻”の人形は裏方に回っている者も含めて文句なしに優秀だから、最近はその光景も見られなくなったが。
ノアの目が真っ直ぐこちらを見据える。
「人形だって万能じゃない。向き不向きがある。
キミは、純粋な狙撃能力や射撃管制能力では416さえ凌いでる。その腕には僕だって助けられてるんだ。
この流れだから言っちゃうね。いつもお疲れ様」
人懐っこい笑みの隙間から、鋭い犬歯がちらりと見えた。猫が日向ぼっこでもしながら欠伸したらこんな感じだろうか。
ぼーっとその双眸を見返していると、ノアは少し慌てたように両手をパタパタ振った。
「とにかく、安心して。明日からも来ていいから。
416はもう怒ってないってさ」
その物言いに、G11は首を傾げる。昼の間に彼女を宥めてくれたのだろうか。
まぁ、この指揮官ならばそのくらいしていても意外ではないけれど。
「有難う。優しいね、指揮官」
「僕としては精一杯厳しくしてるつもりなんだけど」
流石にそれは冗談だろう。
あはは、と笑って凭れていた壁に別れを告げる。
「じゃあ、私は帰って寝るね。おやすみ」
「うん。おやすみ、いい夢を」
夢。
果たしてそれは、人形にかけるべき言葉なのだろうか。
人形に対する過剰なまでの親近感は、いつか彼の、指揮官としての人生を破綻させる気がしてならない。
もしそんな時が来たとしたら、416だけでなく自分も精一杯彼を支えよう。45は嫌がるかもしれないが、「私の弟」と言ってしまえば9も味方に付いてくれそうだ。
自分でも莫迦みたいな「もしも」を思い描きながら、G11は愛しきベッドのもとへと急いだ。
感想が欲しいです。なんなら好きな動物の鳴き声でもいいです