WinterGhost Frontline   作:琴町

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傍にいる理由・後篇④

 『話したいことがあるから来てほしい』と、ノアを中庭に呼び出した。

 自動販売機の横で突っ立つこと二分弱。ノアが姿を現した。いつも見るワインレッドの制服姿ではなく、裾のゆったりしたパーカーにジーンズという出で立ち。私服の趣味は似ているかもしれない。

 自販機の商品ディスプレーに張りついていた小さな蛾が、夜の闇に逃げ去った。高速で羽ばたくその影を一瞥して、ノアが顔を顰める。

 

「虫、嫌いなの?ふ、わぁぁあ‥‥」

「まぁ、好きじゃないかな。

 眠いなら、わざわざこんな時間じゃなくても良かったんじゃない?」

「大丈夫。私、いつも眠いから」

 

 あっは、とノアが笑った。今のは自分でも気の利いたジョークだと思ったので、通じてよかった。それにしても少女じみた笑顔だ。

 自販機に端末をかざして、ブラックコーヒーを二本買う。この場では眠らないという決意を込めて、プルタブを起こした。

 

「はい、今日のお詫び」

 

 もう一本の缶を突き出すと、ノアは目線を合わせて礼を言った。そのまま、ブロックに座り込む。G11と同じようにプルタブを開けて、一口煽る。

 普段はパッチリ開かれている猫目が、キュッと閉じられた。

 

「‥‥にが」

「え、指揮官コーヒーダメなの?ごめん、知らなくて」

「いやいやまさか僕だってそれなりに生きてるわけで、コーヒーも飲めないとか子供じゃあるまいし――」

「別に、折角貰ったんだから突き返せない、なんて遠慮しなくていいんだよ」

 

 そう言うと、ノアは苦笑して「ごめん」と呟いた。

 コーヒーを受け取る。きっと、二本飲めば二倍目が覚めるだろう。好都合だ。

 自分のお金でいちごオレを買うノアを見ていると、口元が緩んだ。

 

「人形に対して遠慮しいなんだね」

「まぁ、よく言われる。

 416にも、『人形に対して随分と紳士的なんですね』って言われたよ。

 そんなにおかしいかな?」

 

 どうやら、自分が少数派であることに自覚が無いらしい。ノアは首を傾げる。

 

「私が今まで見た人間の中では、一番優しいね。

 確かにおかしいけど、怖いよりはずっといいと思う」

 

 夜の帳と配慮に満ちた沈黙が、中庭を覆っていた。

 大きな常緑樹が、風に揺られて小さく音を立てる。

 

「ごめんなさい。今日、迷惑ばかりかけちゃって」

「いいよ、気にしてない」

 

 即答だった。

 月を見上げる横顔の、金色の目はどこかばつが悪そうに細められている。

 

「むしろ、謝るべきはこっちだよ」

 

 半ば独り言のように宙へ投げられた言葉。

 その真意を問う前に、ノアは続ける。

 

「キミたちと初めて会った日にね、キミたち全員をメンテしたんだ。

 キミには、明らかに昔のものと分かるメモリの損傷があった。

 その原因も、欠け方から大方想像できたよ」

 

 どこかよそよそしく、抑揚を抑えた声音。そうして彼が隠しているものが何なのか、G11は何となく察した。

 ほら、そんなに固く拳を握る理由は、怒り以外に何があるだろう。

 

「僕の腕では、完全に風化した損傷を修復することは不可能だった。

 もし僕がもっと勉強して技術を身に着けていたなら、キミの不自由を一つ殺せたかもしれないのに」

 

 最後にノアは、こちらを見て笑った。「だから、ごめんね」

 ――なるほど。もし416もこんな悲痛な笑顔を見せられたのなら、放っておけないのも頷ける。

 確かによくできた作り笑いだ。もしリベロールという戦術人形を通して彼の優しさを知っていなければ、自分はこの胸を引き裂くような心痛など抱かずに済んだだろう。

 前に見た映画に、こんなセリフがあった気がする。

 

「『見る者に安らぎを与えられない笑顔に意味は無い』。

 いくら何でも、そんなことまで自分のせいにするなんてめちゃくちゃだよ。指揮官」

「‥‥あっは。いい映画だよね、ソレ」

 

 痛々しい笑顔を横目にコーヒーを口に含むと、さっきよりも苦い気がした。

 結局、「416を取られた」などというのは勘違い、我儘もいいところだったのだ。416は、G11よりも手のかかる相手を見つけてしまったから、そっちの世話で忙しいだけ。

 つまりノアは、自分にとって妹のようなものなのではないか?いや違う、弟か。

 G11はそんなことを思って、にへらと笑った。

 しかしすぐに表情を戻す。もう一つ、言っておかなければならないことを思い出したのだ。

 

「その、私があんなことを頼んだ理由なんだけどさ」

 

 その続きを口にする前に、ノアがひらひらと手を振って遮る。

 

「416と一緒にいたかったんでしょ?分かるよそのくらい」

「‥‥やっぱり?」

「当然でしょ。指揮官だからね。

 普段の出撃を見ただけでも、キミたちがどれだけ信頼し合ってるかは十分理解できる」

 

 確かに、自分は416のことを信じているけれど。416までそうかは、分からない。普段の出撃のことを思い返す限り、むしろその反対の結論しか出てこない気がする。

 沈黙から不安を見抜かれたか、ノアが指を振る。ちっちっち。

 

「もし416がキミのことを信頼していないなら、キミに陣形の一翼を任せる今の編成に異議を唱えたはずだよ。彼女は実力のない人形には容赦がないからね。自分も含めて」

 

 言われてみればその通り‥‥かもしれない。以前の416はグリフィンの人形と共闘するたび、味方の練度の低さを愚痴っていた。場合によっては本人を怒鳴りつけることもあったほどだ。傍で見ている側からしたらたまったものではない。相手の人形から「コイツなんとかしろ」という目で見つめられても、自分にできることなど無いのだから。

 “猫の鼻”の人形は裏方に回っている者も含めて文句なしに優秀だから、最近はその光景も見られなくなったが。

 ノアの目が真っ直ぐこちらを見据える。

 

「人形だって万能じゃない。向き不向きがある。

 キミは、純粋な狙撃能力や射撃管制能力では416さえ凌いでる。その腕には僕だって助けられてるんだ。

 この流れだから言っちゃうね。いつもお疲れ様」

 

 人懐っこい笑みの隙間から、鋭い犬歯がちらりと見えた。猫が日向ぼっこでもしながら欠伸したらこんな感じだろうか。

 ぼーっとその双眸を見返していると、ノアは少し慌てたように両手をパタパタ振った。

 

「とにかく、安心して。明日からも来ていいから。

 416はもう怒ってないってさ」

 

 その物言いに、G11は首を傾げる。昼の間に彼女を宥めてくれたのだろうか。

 まぁ、この指揮官ならばそのくらいしていても意外ではないけれど。

 

「有難う。優しいね、指揮官」

「僕としては精一杯厳しくしてるつもりなんだけど」

 

 流石にそれは冗談だろう。

 あはは、と笑って凭れていた壁に別れを告げる。

 

「じゃあ、私は帰って寝るね。おやすみ」

「うん。おやすみ、いい夢を」

 

 夢。

 果たしてそれは、人形にかけるべき言葉なのだろうか。

 人形に対する過剰なまでの親近感は、いつか彼の、指揮官としての人生を破綻させる気がしてならない。

 もしそんな時が来たとしたら、416だけでなく自分も精一杯彼を支えよう。45は嫌がるかもしれないが、「私の弟」と言ってしまえば9も味方に付いてくれそうだ。

 自分でも莫迦みたいな「もしも」を思い描きながら、G11は愛しきベッドのもとへと急いだ。

 




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