「ごめんなさい指揮官、迷惑をかけるわ」
「気にしないでいいよ。
にしてもG11、余程キミのことが恋しかったんだ?ふふ」
少し声をひそめたノアは、目の前の光景に思わず微笑んだ。
416が書類を手に嘆息する。その白い太腿の上、G11が頭を乗せて寝息を立てていた。
G36が薄手のブランケットを持って来て、小さな体にそっと掛ける。
「ありがと、G36」
「Bitte Schoen. 仕事ですから」
G11がここへやって来たのはつい数分前のこと。情報収集の報告で執務室を訪ねたUMP45の後について来て、ソファで書類を捌いている416の姿を認めるや否や、何食わぬ顔で彼女を膝枕にして眠り始めたのだ。ちなみに45は、報告を済ませたらそそくさと去ってしまった。‥‥嫌われているのだろうか。
「本当に起こさなくていいの?私にとっては邪魔なんだけど」
「多少ペースが落ちたって構わないさ。最近は416のお陰でかなり業務にも余裕ができてるから。
それに、そうやってキミたちが親子みたいにしてるのを見ると癒されるんだ。
だからそれもお仕事の内さ」
「もう、指揮官まで私のことを母親扱いするの?」
「少なくともG11にとっては、母親に限りなく近い存在として認識されているでしょう」
「別に、好きでやってるわけじゃ‥‥」
不満そうに唇を突き出して、手を動かす416。けれど、その頬も耳もほんのり赤く染まっているのが、ノアにもG36にもしっかり見えている。
こんこん。
小さな――控えめというよりも寧ろただ非力なだけのノックが、辛うじて三人の耳に届いた。
416が「どうぞ。五月蠅くしないならね」と声を掛けると、ドアがゆっくりちょっぴり開く。
「失礼します。あの、G11を見ませんでしたか‥‥あ」
ノックの音で察しはついていた、リベロールが顔を覗かせた。
室内を見渡した視線が、G11の寝顔で止まる。その青白い顔が堪らなく嬉しそうに綻んで、ノアははっと息を呑んだ。
いい顔をするようになったものだと、胸の奥がじんわり温かくなる。娘の成長を見守る父親の気分は、こんな感じなのだろうか。
笑顔を浮かべて手招きする。
「はぁい、リベ。今日は少し体調がよさそうだね。
そこで一緒に寝たら?」
「いえ、私は‥‥」
「んん‥‥リベ?」
なんと、驚くべきことは立て続けに起こるものか。
一度眠りに就けば頑として起きないはずのG11が、リベロールのか細い声に反応して身を起こしたのだ。
416が驚愕の表情でこちらを見た。『どういうこと!?』と訊ねてくる視線に、首を振って苦笑する。
リベロールは申し訳なさそうに目を伏せた。
「ごめん、起こしちゃった‥‥?」
G11は一つ欠伸をして、それから眠たそうに首を振る。
「んーん、別に。
あ、そうだ、今日は暇?よかったら一緒に寝よ。
416の膝枕、半分貸してあげるから」
「ど う し て アンタが許可を出すわけ?」
416の指がG11の頬を抓る。みょーんと横に伸びた顔から、いひゃいいひゃいと鳴き声がする。
慌てるリベロールの顔が、今にも泣き出しそうに歪んだ。過剰な遠慮と困惑ゆえかとノアは思ったが、胸の前でぎゅっと握り締められた小さな手を見て、違うと気付いた。
(どんなに辛くても痛くても、絶対に泣かない子だもんね。キミは)
もっとも、彼女の口をついて出た言葉は遠慮のそれだったが。
「そんな‥‥悪いよ。416にも‥‥」
「ふぇー。ふぁめ?よんひひろふ」
G11が416に縋りつく。416が深い溜息と共に手を放すと、ゴムのようにぺちんと音を立てて頬が元に戻った。いや凄いなあのほっぺ。
「あのね、私だって暇じゃ――」
「いいから遊んできなよ、416」
しれっと放ったその一言に、ばっと振り返る416。透き通る視線には、「あまりコイツを甘やかすな」という叱責の色が滲んでいる。
リベロールも驚いたようで、眉尻を下げて何かを言おうとしている。いつもならゆっくりと彼女の言葉を待つところだが、今日はそうするわけにもいかない。
416の後ろに立っていたG36が片眉を上げる。これは、『人形の苦労を肩代わりするなと窘めたいが、馬鹿につける薬はないので諦めよう』という表情。
「今日の仕事はあと少しだし、ちょうど休憩してもらおうと思ってたんだ。
あとは僕に任せて、偶には仲間とゆっくりしてくるといいよ」
「流石指揮官。話が分かるねー」G11がぺちぺちと気の抜けた拍手をする。
「で、でも」
なお抵抗せんとする416は、人差し指を唇に当てて笑うノアのウィンクを見て、口を閉じた。
彼女だけが捉えた、ノアの瞬き信号。その内容は『リベ 友達 嬉しそう』。
嘆息した416が、書類を片付けながらぱちぱちっとウィンクしてくる。同じく瞬きで返ってきた信号は、『残せ 後で 手伝う』それから『バカ』。
無音でなされた二人のやり取りに、リベロールは首を傾げ、G36は苦笑い、そしてG11は気付かなかった。
「リベ」
416たちと連れ立って執務室を去る小さな背中に、声を投げる。
こちらを振り返った、自信が無さそうで血色の悪い顔。
ノアは笑顔で手を振った。
「良かったね」
「――はいっ」
そう答えて笑うリベロールの、なんと愛らしく誇らしいことか。
三人の背がドアの向こうに消えてすぐ、携帯端末が震えた。グループウェアのチャット通知で、相手は416。
『気付いてる?今の貴方、それ以上ないってくらい嬉しそうに笑ってるわよ』
顔を上げると、G36も珍しいものを見る目でこちらを見ている。
ノアは緩む口角を隠しもせずに呟いた。
「この一年間待ち望んでいた笑顔が見られたんだ。
こっちだって嬉しくなるに決まってるじゃん」