WinterGhost Frontline   作:琴町

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幕間に投げられた思い出話・その一 ①

 いつもより強いチューベローズの香りと、じんわりと温かく柔らかい気配に違和感を覚えた。

 ゆっくり目を開くと、空恐ろしいほどに整った女の顔が至近距離で微笑んでいる。

 透き通る橄欖石の双眸と、そこから滴る赤い涙が特徴的な副官――HK416が、ノアの隣で横になって、彼の顔を間近で覗き込んでいた。

 思わず跳び起きる。目を擦ってから視線を戻しても、横たわった彼女が投げかける意地悪な視線は変わらない。

 

(おかしい、昨日は一人で眠ったはずだ。お酒も飲んでない。

 眠っている間に薬物を服用させられた?いや、それなら事前に気付くはず。

 残る可能性は夢魔かスクブスが見せる夢――いや、この時代に連中はいないだろ)

 

 寝起きの頭を全速力で走らせて、昨夜の行動と現状が乖離している原因を探す。

 つい先日、ノアと416は同じベッドで朝を迎えたが、あのときノアは何もしなかった。しないでいられた。しかし自分の記憶に無いところで、あのときと同じ状況になってしまっていたとしたら。記憶に無いところで、自分は暴走してしまっていたのかもしれない。

 

「ふ‥‥ふふっ、ふふふっ!」

 

 溢れ出すような笑い声に顔を上げると、堪え切れないといった様子の416が口を押さえていた。

 

「何よ、そんなに思い詰めた顔しなくてもいいじゃない。

 安心して。夜中にお邪魔して、添い寝してただけだから」

 

 そんなに自分は酷い顔をしていたのだろうか、416は肩を震わせて笑い続けている。

 いや、そもそも添い寝する必要など無いはずだが。外見はともかくとしてノアは立派な大人の男であるし、一人で眠れないことなどない。

 その疑問を口にすると、416はいくらか真面目な表情に戻った。

 

「この間、副官室で一緒に眠ったとき、珍しく貴方の体調がよさそうだったから。

 睡眠中に貴方以外の熱源があれば、あの低体温症を引き起こさずに済むんじゃないかと思ったの」

 

 416はそう言い残して寝室を出た。いつものように、朝食の用意をしてくれるのだろう。

 自分はどうしようか、と思案する。416の推理通り、今のノアは普通の体温を保っている。これならシャワーを浴びなくても――

 ノアは寝巻のまま、彼女の後を追って寝室を飛び出した。

 

「416っ!」

「きゃっ!?な、何よ」

「僕、汗臭くなかった!?」

 

 二人の間を天使が通った。

 てきぱきとスクランブルエッグを炒める手は止めず、416が破顔する。

 

「全然。ゼラニウムみたいないい香りしかしなかったわ。

 シャンプーまで女性的な趣味してるのね」

「いや、アレは適当に安いのを買っただけで、香りとかは考えてないよ」

「は!?トリートメントは?」

「してないよ」

 

 訝しげな視線が、ノアの頭頂部と下ろした髪の毛先を往復する。

 

「それでその髪なの?腹立つわね‥‥」

 

 そんなこと言われても。

 どうしようもないので、部屋に撤退して着替えることにした。

 

 焦げ目の薄いパンを一口齧って、ノアは416を見た。416はノアの咀嚼の様子を眺めていたようで、特に何も言わなくとも視線が合った。

 

「何かしら」

「やっぱり、添い寝はいいよ。

 僕なんかのために色々してくれて本当に感謝してるけど、夜中にわざわざ起きてこっちに来てもらうなんて‥‥」

 

 416は嘆息した。「言うと思った」ジト目でこちらをねめつけてくる。

 自分は至極真っ当なことしか言っていないと思うのだが、そこまで呆れられるべきことだろうか。

 ノアは人差し指を立てて続ける。

 

「それに、やっぱり嫁入り前の女の子が男と同衾するのは不健全だよ。

 毎朝ご飯を作ってもらってる身分で、今更かもしれないけど」

「本当に今更ね。それに的外れよ。

 私は戦術人形よ?そんなことを気にしてどうするの」

 

 口調こそつっけんどんだが、その口の端はわずかに緩んでいる。

 変な笑い方をするなぁ、と思いながら、ノアはココアでパンの耳を流し込んだ。「価値観の相違かぁ」

 

「私は別に構わないのよ、そんなこと気にしてないから。

 それに‥‥」

「何?」

 

 416は目を細めて微笑んで、指でノアの鼻を突いた。

 

「貴方の可愛い寝顔を眺めてると楽しいしね?」

 

 ノアは息を呑んだ。自分が女顔であることとか、男らしさや野性味を欠いた言動をしていることは自覚しているが、そんなことより。

 そう言って歯を見せた副官の、意地悪そうな笑顔にドキリとしてしまったとは、とても言えない。

 

「可愛いとか言われたって、嬉しくないけどね‥‥!」

 

 咄嗟に出てきた言葉はそんな憎まれ口で、416はさらにその笑みを深くした。

 顔が赤くなっているのはもうどうしようもないから、マグカップの陰に避難する。

 カーテンの隙間から射す光は温く、春らしい気楽さを部屋に運んでいた。

 




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