WinterGhost Frontline   作:琴町

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幕間に投げられた思い出話・その一 ⑨

「416、起きて!」

 

 激しく体を揺すられて、スリープモードが強制的に解除される。

 瞼を開くと、狼狽した表情の9がこちらを覗き込んでいた。枕元の携帯端末を確認し、眉をひそめる。

 

「ん‥‥何なのよ9。まだ三時じゃない」

「45姉がいないの!」

 

 そう小声で叫ばれると同時、416のメインシステムが完全に再起動した。

 とりあえず身を起こして、自分の寝床の反対側、二段ベッドの下段を見やる。そこにアッシュブラウンの影は無く、どうやら9の言うことは確かなようだった。

 

「端末あるでしょ。連絡すればいいじゃない」

「そうだけど‥‥銃が無いの。もしかしたら連絡しちゃいけない状況かも」

「夜戦の緊急招集でも掛かったんじゃないの」

「416は呼ばれてないじゃん。それに、出撃なら45姉は手紙くらい置いてってくれるよ」

「じゃあ散歩とか?」

「そうかもだけど‥‥任務でもないのに、こんな時間に‥‥?」

 

 確かに、45がこのような深夜に出歩くとは考えづらい。考え事があって眠れなかったとしても、アイツは思案に耽るとき、体全体ではなく指先を動かすタイプだ。コンディションの調整に関しても、404小隊の中で最も真面目に自己管理をしている――いや自分の方がきちんとしているが。

 416の脳裏に、心当たりが一つ浮かぶ。そして、その内容にげんなりする。アイツ、そのために愛銃まで持ち出したのか?

 

「416、どうしよう‥‥45姉だし、心配ないとは思うんだけど‥‥」

 

 9が泣き出しそうな表情で縋ってくる。髪を下ろして鼻をスンスン鳴らしているその様子だけでも、無条件で顎を撫で回したくなるような愛嬌があった。

 416は壁に掛けていた着替えを手に取って、顎で外を示した。

 

「仕方ないわね。一緒に探してあげるわよ。どうせ起きちゃったし、そのまま指揮官の部屋に行くわ」

「‥‥!有難う、416!」

 

 パッと愁眉(しゅうび)が開く。416が人差し指を立てると、9は嬉しそうな表情のまま両手で口を押さえた。

 自分が寝ていたベッドの上段を窺うと、G11はだらしない寝顔で「んゅへへへ‥‥」と笑っている。まだまだ起きる心配は無いだろう。

 

「それにしても416、そんなに早く指揮官の部屋に行ってどうするの?」

「あー、それは‥‥朝食の準備とか、部屋の掃除とか、洗濯とか‥‥」

「ほんと?指揮官は家事も熟せちゃうからお世話できない、ってG36が文句言ってたよ」

「う」

 

 着替えながら訊ねてくる9の視線に悪意は無い。一〇〇パーセント興味だけで言っているのだろう。

 416は明後日の方を見た。「完璧に熟そうと思ったら時間がかかるものなのよ、えぇ」

 

「そっかぁ。じゃあ別にアレも気にすることじゃないのかな‥‥」

「?何の話よ」

「えっとね、その‥‥朝早い時間に指揮官とか416と会うとね、指揮官から416の匂いが、416から指揮官の匂いがするの。

 でも多分勘違いだよね!‥‥416、どうしたの?顔赤いよ」

「それも多分勘違いだから気にしないで」

 

 9には犬のような雰囲気があるが、特別嗅覚モジュールが優れているわけでもない。

 これは、ひょっとすると他の人形にもバレているのではないか――

 416は手で顔を(あお)いで、詰問された際に誤魔化すための返答を思案しながら鍵を手に取った。

 

――――――

――――

――

 

 宿舎を出た9の第一声は、何とも頼りないものだった。

 

「どこから探そう‥‥」

 

 9がこうなることは予想していたので、手招きしつつ416は迷いなく足を進める。

 

「多分、指揮官の部屋か本棟の屋上ね。それ以外だと基地の外になるわ。

 ここから一番近いのは本棟だから、まずは屋上に行きましょ」

「え、何で!?どうして分かるの!?」

 

 とってってと隣に追いついた9が、目をキラキラさせて訊ねてくる。

 何てことはない。416は手をひらひら振った。

 

「45が指揮官のことを調べているのは知ってるわよね」

「うん‥‥」

「尾行とか盗撮にも手を出してるのよ、アイツ。多分今夜もそう。

 で、これは夜更かし組から聞いたんだけど」

 

 夜更かし組とは、AA-12(アイリ)、グローザ、コンテンダー、RFBあたりを指す“猫の鼻”内の呼称である。彼女ら曰く、屋上で星を見ているノアの姿が、散歩や夜戦から帰ってきた人形たちに目撃されている。

 それを聞いて9は頷いた。

 

「じゃあ、45姉は星を見てる指揮官に接触してる可能性が高いんだね。

 そうだ。基地の外っていうのはどういうことなの?」

「あぁ、それはね」

 

 呆れが溜息になって零れ落ちた。もっとも9の質問に対してではなく、ノアの行いに対してだが。

 

「あの人、たまに夜中にふらっと鉄血領に踏み込んで、偵察したりハイエンドを暗殺したりしてるのよ」

「聞いたことはあったけど、それってホントなの?」

「そうでもしないと分からないような情報を前提にして作戦を立ててるもの。本当でしょうね」

「うわぁ‥‥」

 

 珍しいことに、9の笑顔が引き攣っている。それも当然だろう。話を聞いたときの自分のように、「何やってるの!」と激昂しないだけ大したものだ。

 屋上へと続く階段に差し掛かったところで、9が416の裾を引いた。

 

「大事な話してるかもしれないから、ここからは静かに行こうね」

「そうね」

 

 足音を殺して階段を上る。鉄扉を目前にすると、416と9は互いに頷いた。

 耳を鉄扉につけて、聴覚モジュールの処理にシステムを集中させる。

 扉と夜風で減衰しているものの、二人の声は確かに聞こえた。

 

「どうして、人形相手にそこまで優しくするの。

 ヒトと私たちの区別がつかないほど莫迦じゃないでしょ?」

 

「45姉‥‥?」

 

 小声で9が呟いた。口にこそしなかったが、416も同じ驚愕を抱いている。妹でなくとも分かる、45の声色がかつて聞いたことが無いほど弱々しかったからだ。

 あのUMP45がここまでしおらしく声を震わせるなど、演技以外ではありえない。しかし、そういった演技はノアに通用しない。そんなことは45も分かっているはず。つまりこれは本音なのだろう。‥‥ノアは一体何をした?

 しばらくの沈黙の後、今度はノアの声を聴覚モジュールが捉えた。

 

「45、星は好き?」

「‥‥普通かな。綺麗だとは思うけど、そんなに見ないよ」

「僕はね、星とか夜空とか‥‥好きだったんだ、そういうの」

 

 何の話だろう、416は眉根を寄せた。ノアが星空を好んでいることは知っているが、それと人形への態度にどんな関係がある。

 いやそれよりも、今ノアは「好きだった」と過去形で言った。つまり、今は。

 

「小さい頃は、星っていうのは純粋な光の塊だと思ってた。

 ただ光るために存在する、そういうものなんだって。

 だからその正体がガスや塵だと知ったとき、結構ショックを受けたよ。

 空を覆う煌びやかな織物なんて無くて、ただ塵がぶつかって燃えているだけ。

 ロマンも神秘もないよねぇ」

「何ソレ。このご時世にそんな勘違いできるの?」

「あの頃の僕は今よりずっと莫迦だったんだ」

 

 45とノアがクスクスと笑う。

 ‥‥何だかいい雰囲気ではないか。いや、別にノアと45がよろしくしているとしても、自分には関係の無い話だが。

 9も同じ感想を抱いたのか、頬を赤くして二人のやりとりに傾注している。

 ひとしきり笑ってから、少しの間黙り込んだ。45が仕草で促したのか、ノアの語りが再開される。

 

「でもね、それを知ってから見る夜空も、やっぱり綺麗なんだ。

 星は所詮宇宙の塵。それでも美しいなら‥‥光ることにこそ、その意味はある。

 ヒトと人形も、そんな感じだと思うんだ。中身が鉄とプログラムでも、外見や在り方は変わらない。

 過去を積み上げて未来を志向する知性体って言えば、ほとんど同じに思えない?

 だから僕は、基本的に人と人形を区別しない。善き人にも悪しき者にも、相応の報いを(こしら)える。

 ‥‥長々と喋ったけど、これで答えになったかな?」

 

 自然と、416の頬は緩んでいた。同じ内容を他の指揮官が口にしたならば、間違いなく自分は辟易しただろう。しかしノアが言ったその言葉は、その実全く逆の意味を持つ。戦術人形が素材から人間とは違うことは、当然理解している。実生活において生じる差異も価値観のズレも分かった上で、「完全に代替できる存在なら、関わり方も同じでいいじゃないか」と言っているのだ。随分と超越的な視点だが、それもまたノアらしい。

 45からの返事は、無い。全ての音が遠い月夜の裏側、鉄扉の影で9が息を呑んだ。

 たっぷりと間が空いて、ようやく45が口を開く。それまで、催促の言葉は一度も無かった。

 

「なぁにそれ、ロマンチストにもほどがあるよ」

「45姉‥‥!」

 

 9が面を上げた。その表情が明るいところを見ると、妹にしか分からない何かを、45の声から受け取ったのだろう。

 小声で呼びかける。

 

「嬉しそうね、9」

「うん、これでみんな家族だから」

 

 ニコニコと笑う彼女にもし尻尾が生えていたならば、今頃ブンブンと振り回されていたことだろう。

 どうやら話も一段落したようだし、そろそろこの場を脱そうか――と416が考えた瞬間、体が横に引っ張られた。

 上体が夜気に晒されて、髪が風に遊ぶ。咄嗟の体幹操作で416は踏みとどまったが、9は「へむっ」と声を上げて薄い胸に受け止められた。‥‥薄い胸?

 

「やっぱりいた」

「ノアの言う通りね。どうしてここにいるの?説明してもらえるかな~、9?」

 

 音も気配もなく忍び寄って鉄扉を開いたノアが、やんちゃな子供を見るような目で苦笑した。その隣には、銃を提げて妹を捕まえている45の、空恐ろしい笑顔がある。

 45の腕の中から逃げようと藻掻いた9は、しかし観念して脱力する。

 

「あぅ‥‥起きたら45姉がいなかったから、心配で‥‥ごめんなさい」

「その‥‥盗み聞きするつもりはなかったのだけれど」

 

 半分は嘘だ。初めから立ち聞きするつもり満々で臨んでいた。しかし、様子を把握でき次第声を掛けるつもりでいたのも事実なので、完全な嘘というわけでもない。

 45が困ったような表情で、9の頬を引っ張る。

 

「どこから聞いてたの」

「いひゃいいひゃい!えっと、指揮官が私たちに優しい理由をば‥‥」

「‥‥ま、そのくらいならいっか。ねー、ノア?」

 

 ノアと45が顔を見合わせて「ねー」と笑う。45め、昨日まであれだけ彼のことを警戒していたくせに、何なのだその態度は。

 416は腕を組んで、大きく嘆息した。「とんだ掌返しね」

 

「違うよ。これは、情報追加による評価の更新~」

 

 45の減らず口に416が辟易した顔をしていると、ノアがにこやかに告げた。

 

「さ、そろそろ戻りな。今日は非番だけど、折角の休みを寝て過ごしたくはないでしょ?‥‥G11は別として」

 

 最後の一言で45がクスリと笑う。「そうね。私は戻って寝直そうかな。9は?」

 

「私もー!45姉一緒に寝よ!」

「はいはい」

「私はこのまま貴方の部屋に行くつもりなのだけど」

 

 416の台詞に、UMP姉妹が腹の立つニヤケ顔を向けてくる。「ひょ~、大胆だね」「流石は自称完璧な女」

 

「あ゛?誰が自称よ誰が」

「あっは‥‥じゃあ行こうか」

 

 思い出話を終え、急に姦しくなった空気を連れて、四人は月下の屋上を後にする。

 謎は謎のまま、夜陰の中でじっと蹲っているけれど、今はそれでいいのだろう。

 知らぬが仏。ノア=クランプスの本性を知らぬが故に、彼女たちは明日も笑っていられるのだから。


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