香辛料と油の香りが、嗅覚を強烈に刺激する。
眼前には、幾つもの香辛料を使ったグリルチキン、具沢山のクリームシチュー、クルトンサラダ、オニオンスープ、そしてライ麦のパンが並んでいた。
目を輝かせたUMP姉妹が、フォークとナイフを手に歓声を上げる。
「すごい!普段よりうんと豪華だ!」
「流石、前々から準備してた甲斐があったね~」
「何の話かしら」
416は早口で二人の言葉を遮り、ノアの顔をチラチラと窺っている。
ノアは食卓に並んだ品々を見て、目を丸くしていた。
「これ全部416が作ったの?料理できるのは知ってたけど、こんな手の込んだのも作れたんだ‥‥凄いね」
「大した手間じゃないわ。そんなに難しい料理じゃないもの」
416はこう言うが、ノアにとっては鶏むね肉を五枚焼くだけでもびっくりするくらい面倒なことだ。食事にあまり重要性を見出さない身からすれば、食事のためにこれだけの手間をかけている時点で立派なのだ。
「そんなこと言って、何度も手順確認してたじゃん。今朝だって、休みなのに早起きして――」
「煩いわね!そんなことよりアンタはいつまで指揮官の膝に座ってるの。早く降りなさい!」
ノアの腕の中で声を上げたG11が、「それはできないよ。これが私の仕事だから」とふんぞり返る。
416の誘いを受けて、躊躇いながらも404小隊の部屋にやって来たのがニ十分ほど前。それからずっと、この膝の上にはG11が居座っていた。
「なぁにが仕事よ。今日の指揮官はオフなのよ。甘え散らかすのも大概にしなさい」
「それは違うよ。私がノアに甘えてるんじゃなくて、私がノアを甘やかしてるの」
「はぁ?指揮官、貴方はいいわけ?邪魔でしょソイツ」
全く不自由が無いと言えば嘘になるが、この身の自由より人形たちのしたいことが優先されるのは当然のことだ。
それに既に三回、降りてもらおうと試みて失敗している。とっくに諦めていたノアは苦笑いを浮かべた。
「僕はこのままで大丈夫。それより早く食べよう?折角の豪勢なご飯だし、冷めたらもったいないよ」
「はぁ、またそうやって甘やかして‥‥まぁいいわ。召し上がれ」
「「いただきまーす!」」
全員が手を動かし始める。ノアのフォークとナイフは真っ先にチキンへと向かったが、
(食べにくい‥‥)
今、ノアの胸の辺りにはG11の頭がある。小柄な彼女はじっとしていればさして邪魔にもならないのだが、彼女は彼女で自分の食事のために両手を動かしている。G11はまずシチューを選んだのでノアとバッティングすることは無かったが、これでは食べ終える頃には日が暮れている。
そんなノアのもどかしさを感じ取ったか、スプーンを置いたG11が小さな手でこちらの手を包んだ。どこか自慢げな顔である。
「しょうがないなぁ、手伝ってあげるよ」
そのままキコキコと肉を切る。フォークで肉片を捉え、あとはこれを口へ運ぶだけなのだが‥‥このまま手を運ぶと、G11の柔らかな
パンをシチューに浸すG11を見る。再びノアの手が止まった。
その静止を何だと思ったのか、G11が餌を待つ雛鳥のように口を開けた。「あーん」
「これが甘やかしてるの?」
「どう見ても甘えてるねー」
UMP姉妹が首を傾げている。正直ノアも同じ気持ちなのだが、G11には彼女なりの考えがあるのかもしれない。それよりも気になるのは、こめかみに青筋を浮かべてこちらを見ている
どうしようもないので、小さな口に肉を入れる。薄桃色の唇が閉じる前にフォークは引き抜いた。
自分で食べるつもりだったんだけど、とは言わない。だって、美味しそうにチキンを咀嚼するG11が、実にだらしない笑顔なのだ。その様を見ていると、こちらの頬も緩むというもの。
(――あぁ、そうか)
彼女が口にした「甘やかす」とは、つまりこういうことなのだ。G11はノアの望むものを分かっているから、自身が手っ取り早く幸せを感じられるようにノアを使っている。
きっと言葉で説明することはしないし、できないだろう。しかし、彼女は彼女なりに自分のことを考えて行動している。そう思うと、どうにもくすぐったい心地になった。
さて、肉を噛んでいる間はG11の動きが止まる。その隙をついて、ノアもチキンを一口。パリッと皮が砕けた後、何の抵抗も無く繊維が千切れていく。それと同時に口の中に広がる辛味と、遅れて飛来する胡椒の刺激が
「~~~!」
ノアは目をキュッと閉じた。足が小さくばたついて、乗っているG11がビクリとする。416と45は思わぬ反応に目を見開き、9は一緒になって足踏みしている。
突然の奇行を一同に見守られながら、じっくり味わって、味わって、呑み込んで、それからノアは416を見た。
「――美味しいっ!」
いつになく溌溂な声でそう叫んだノアを、416はぽかんと見詰めた。やがて硬直が解けて、花のような笑顔が咲く。
「そう。口に合ったようでよかったわ」
「ねぇノア、知ってる?97式から聞いた話なんだけど。
416ったら、95式とG36におりょ――」
「45。アンタ、次余計なことを喋ったら“絶火”で足を踏み抜くわよ」
まるで風が強い日の風見鶏だ。不安そうにこちらを見ていたと思えばぱっと笑って、次の瞬間には据わった目で睨みをきかせている。
やだコワーい、とわざとらしく身を竦める45と手を合わせて、9が楽しそうに笑っている。
膝の上のG11が、千切ったパンを差し出してくる。それを受け取ったとき、どうしても脳裡に蘇る景色があった。零れそうになる言葉があった。
それは遠く、時間の延長線上に霞んだ幸せな日々。失われた幸せの形。
(早くそっちに行きたいんだけど。中々上手くいかないね)
「指揮官、どうかした?」
416が、こちらを見て首を傾げている。ノアは笑顔で手を振った。
「ううん、何でもない」
パンを口に放り込んで、フォークを掴む。416の視線から逃げるため、目の前の食事を味わうことに集中した。
――――――
――――
――
「今日の貴方はお客様なのよ、休んでたらいいのに」
「あんなご馳走のご相伴に預かったんだし、このぐらいはさせて」
賑やかな食事を終えて、ノアは416と並んでキッチンに立っていた。416が洗った食器を受け取り、水気を切って拭いていく。
向こうでは9とG11がドラマを見ていた。ゾンビが闊歩する都心を、数名の男女が銃火器をぶっ放しながら突き進んでいる。その度に
「ノア、416のお手伝いしてるんだ~。ただでさえ少ない休みなのにご苦労様」
反対側から、45がぬるりと顔を出した。ノアと416の顔を交互に見詰めて、にやりと意地悪そうな笑みを浮かべる。
「そうしてると、まるで夫婦みたいだね~」
「馬鹿なこと言うんじゃないわよ」
45の言葉に、416は手を止めることもなくぴしゃりと返した。
ノアは思わず首を傾げた。416の反応が、予想よりずっと落ち着いていたからだ。そういった揶揄い方をされた彼女は、すぐに顔を真っ赤にして怒るものと思っていたのだが。
同じことを45も思ったらしい。対面キッチンの向こうから出した頭を、ゆらゆらと揺らしながら不満げに訊ねる。
「あれー、おかしいな。416、いつもはもっと慌てるじゃない。なんで今日はそんなに落ち着いてるの?」
「そんなの詳しく説明したらアンタが学習しちゃうでしょ。黙秘するわ」
「えー、つまんないの。ノアぁ、相手して~」
対面キッチンを回り込んで、背中にするりとしなだれかかってきた。ノアは耐熱皿を落とさないように注意しつつ、絡みついてくる45から抜けようと試行する。しかしキッチンで
「今お皿拭いてるから危ないよ!」
「なら落とさないように頑張ってね♪」
「こら45、指揮官に迷惑かけるんじゃないの!」
悪戯っぽく細められた瞳が、右へ左へ移りながらこちらを見上げる。そうしてうろちょろする45があまりに楽しそうで、思わずノアは素直な疑問を口にした。
「急にどうしたのさ。僕はてっきりキミに嫌われてるつもりだったんだけど」
「別に元々嫌ってなんてないよ~。ただ、これからはもう少し仲良くしようかなって」
‥‥おかしい。いつも45がこのような台詞を口にするとき、そこには顔面から皮一枚分浮いた布のような、あやふやで白々しい笑顔があった。確かに可愛らしいけれど、あまりに生々しい打算の匂いが染みついた笑顔が。
しかし今はそれが無い。彼女の嘘や媚び
「‥‥45、随分と嘘が上手くなったね?」
「あ、ひどぉい。もう、嘘じゃないのに」
45がいよいよノアの体に縋りつく。416の修羅じみた怒り顔も意に介さず、首に腕を回して体重をかけてくる。義手が鎖骨に当たって、ちょっと痛い。
そのまま唇をノアの耳に寄せて、45は甘ったるい声で囁いた。
「貴方が私を正直者にしたんだから。責任取ってよね、ノア♪」