WinterGhost Frontline   作:琴町

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雪の木曜 ②

 銃撃音と金属音、そして時折炸裂音が聴覚を激しく打ちつける。鼻腔を埋め尽くす硝煙の匂いには、最早安心すら覚えていた。

 鉄血と“猫の鼻”とが拮抗する防衛線に面した、前線基地の一つ。416は髪についた砂埃を払いながら、部隊長に声を掛けた。開けた床に、抱えてきたG11を放る。

 

「へぶ」

「この後どうするの、C-MS。さっきので今日の規定撃破数は超えたわよ」

「そうね。苦戦してる部隊も無いみたいだし、さっさと戻ろ。

 416も早く指揮官に会いたいでしょ?」

 

 416は思わず「はぁ?」と声を上げた。残弾数を確認している彼女の隣では、リベロールがG11に膝を貸している。

 

「だって416ったら、帰投したら真っ直ぐ指揮官の所に行くじゃん」

「それは私が副官だからよ。貴女だって報告のために一緒に来るんだから分かってるでしょ」

「そうだけどさー」

「でも416、毎日夜が更ける前に指揮官の部屋に行ってるよね」

 

 外の警戒を終えたVectorが、戻って来るなりそう言い放った。リベロールが驚愕の表情でこちらを見る。

 Vectorをきっと見返しても、そのお澄まし顔は変わらない。416は嘆息した。

 

「あの人、朝に弱いから。代わりに色々準備してるのよ」

「はいダウト!コレ、MDRから買ったんだけど」

 

 C-MSが仕舞ったばかりの端末を差し出した。その液晶には、互いにぴったりと寄り添って眠る416とノアの姿が――

 

「は!?な、え、何よコレ!盗撮じゃない!ちゃんと確認してたのに‥‥」

「こういうの、二偵の連中は特に上手いから。部下の生活を知るのに重宝してるわ」

「これって‥‥お二人は、そういう関係、なんですか‥‥?」

 

 リベロールが、顔を少し赤くしてこちらを見上げてくる。416は髪が乱れるのも構わず、ブンブンと首を振った。

 

「断じて違うから落ち着きなさい、リベロール。血圧が上がるわよ」

「あははっ、416の方が落ち着いてないじゃん」

「煩いわね!私は動揺なんて――」

 

「た、助けて下さい!」

 

 切羽詰まった叫びが、簡易基地の中に飛び込んできた。長い亜麻色の髪を振り乱したその女は、こちらの状態も確認せずに床に手をついて息を荒らげている。

 反射的にニーリングポジションで構えていた銃口を下ろし、416は首を傾げた。

 

「誰か知らないけど、どうしたのよ貴女。ボロボロじゃない」

「わ、私は88式、B17地区の所属です。私がいた部隊は、後方支援のために資材を集めていたんですが‥‥」

 

 G11の頭を優しく下ろしたリベロールが、慣れた手つきで応急処置キットを取り出す。小さな体でてきぱきと傷を塞いでいく彼女に頭を下げ、88式は早口で事情を語った。

 

「事前の偵察では安全だったはずの地域に、いきなり知らないハイエンドが現れたんです」

 

 その言葉に、一襲全員の意識が一つの名前を想起する。

 凌辱者(トーチャラー)。最新鋭の鉄血ハイエンドにして404小隊を壊滅に追い込んだ張本人。奴の情報はあまり多くなく、共有されている情報はもっと少ない。奴らがC■■地区に居座っている現在、他の地区に被害が出るとは思わなかったが‥‥

 

「退路も断たれ部隊は全滅、必死に逃げていたらE.L.I.Dとも遭遇して‥‥結局、生き残ったのは私だけです」

 

 88式の言葉を聞きながら、416は外の様子を確認する。今のところ、彼女を追ってくる敵影は無い。

 彼女が大事そうに抱えている得物からも分かるが、88式はマシンガンの戦術人形。よくそんな長距離を走って来られたものだ。

 それを口にすると、88式は俯いた。限界まで酷使したためであろう、焦げ付いた義足の接合部を摩る。

 

「火器管制に使っているコアの演算能力を、この足の出力に回したんです。

 逃げることだけが取り柄なので‥‥」

 

 随分と落ち込んでいるらしい。当然といえば当然だが。

 C-MSが繋いだ無線から、ノアの声が聞こえた。『はぁい、ノアだよ。どうしたのC-MSちゃん』

 いつも通り気楽な声音の彼だったが、現状の説明を聞くと少し考え込むように黙した。

 

『今すぐ、88式を連れて撤退。逃げ切れないようなら応援を送る』

「どういうこと?」

『ごめんね、説明している時間は多分無い。

 ――一襲、対ハイエンド警戒態勢』

 

 緊迫したノアの声とほぼ同時。416の耳に、空を揺るがす雷鳴が轟いた。

 その場の全員が音源を求め振り向く中、88式が愕然とした表情で悲鳴を上げる。

 

「嘘、どうしてアイツが‥‥!?」

 

 半ばから斬り崩されたビルの向こう、砂埃の中から現れた影が既知のものであることに、416は安堵と落胆の両方を覚えた。

 今までに何度も殺したことのある鉄血ハイエンド、エクスキューショナー。特定のターゲットを暗殺することに特化し、一対一の戦いに長けた大太刀使い。そこまでは別にどうでもいい。今の自分たちならば、負ける確率など一パーセントを切っている。

 しかし今416の視界に映るエクスキューショナーは全身に青白い光を迸らせていて、携える大太刀には殊更大きなスパークが散っていた。

 何だ、あの個体は。一太刀でビルを袈裟に両断するなど、今までのエクスキューショナーでは絶対にありえない所業。下位ユニットは一体も連れていないが、それでもこれまでに見た敵の中でずば抜けた脅威であると416は判断した。

 愕然とする隊員たちを余所に、G11が床の隠し扉を開く。「逃げるんだよね!?早くしよう!」

 

「アイツの突破能力を見たでしょ。背中を見せて逃げたら死ぬよ、私たち」

 

 C-MSが低く呟く。きっと、必死に最善の撤退策を思案しているのだろう。まだ、敵はこちらに気付いていない。所在無さげに大太刀の切っ先を遊ばせながら、辺りをきょろきょろと見回している。

 416はいつ戦闘が始まってもいいよう、グリップを握る手に力を込めた。

 

「Vector、焼夷手榴弾は何発溜まってる?」

「‥‥十二。合成モジュールを走らせれば、もう一つ作れるけど」

「じゃあ十三ね。それを入り口にありったけぶちまけて。炎の壁を作って、アイツをここから締め出す。

 その間に、隠し通路から地下水路の機動艇で撤退。

 416の榴弾で、地下を崩落させて追跡を防ごう」

 

 エクスキューショナーの視線が、こちらを向いた。

 C-MSが叫ぶ。

 

「――総員っ、行動開始!」

 

 掛け声と同時に、Vectorが合成済みの焼夷手榴弾を放る。空いた手で炸薬合成モジュールを起動し、もう一つ追加。基地の入口は轟音を立てて崩れ落ち、燃え盛る炎で外の風景は塗り潰された。

 C-MSが88式を抱えて、床の洞に滑り込む。彼女の後に続いて爆炎に背を向けたとき、416の全身が未曾有の危機を感じ取った。ノアとの訓練中に何度も感じる、「この瞬間に行動できなければ、確実に敗北する」という悪寒。

 隣のリベロールを引っ掴んで()()()()()()

 瞬間、黒い剣閃が視界の端を裂いた。“絶火”で吹き飛んだコンクリートの欠片が蒸発する。

 橄欖石(416)柘榴石(エクスキューショナー)の視線が交錯した。

 しかし、相手への殺意を言葉にする暇も無い。大太刀の切っ先が翻るのとどちらが早かったか、もう一度“絶火”。今度はリベロールの小さな体を地下通路へ背中で押し込む。

 

「416!」

 

 彼女の悲鳴に返事はしない。大太刀に弾かれない位置を狙ってNATO弾を浴びせかけるが、エクスキューショナーは巧みに刀身を滑らせながら身を退いた。

 急いで416も地下へ飛び込む。敵が戻って来る前に、扉を施錠して階段を駆け下りる。

 

「416、無事!?何なのアイツ!」

「えぇ、平気よ。二つ目の質問の答えは知らないわ」

 

 機動艇の結索を解くC-MSに、416は首を振る。

 

「殺せてないから、もたもたしてると追いつかれるわよ」

 

 その言葉と重なるように、鋼鉄の落ちる音が聞こえた。

 振り返ると、青白い光を引き連れたエクスキューショナーが、大太刀を肩に乗せて笑っていた。

 

「おいおい、そんなちゃちな船で逃げるつもりか?舐められたものだな」

「私と416はここでアイツを食い止める。四人はそのまま脱出!」

 

 C-MSの指示を無視して、Vectorが船から降りてくる。

 

「二人じゃ無理でしょ、あたしも残る。

 いいよね、指揮官?」

『分かった。五分以内に応援を届けるから、無事でいて』

 

 機動艇のエンジンをかけて、88式たちの気配が後方に遠ざかっていく。自分の名を呼ぶG11の声が今にも泣きそうなので、416は思わず笑ってしまいそうになる。

 “猫の鼻”の支援を受けている今、自分がここで死んでもバックアップは残っている。にも関わらず今生の別れのように叫ぶのは、やはりノアの優しさに毒された結果なのだろう。

 自分たちを無視して機動艇を叩き斬らんと駆け出したエクスキューショナーの足元で、6.5mm CBJ弾が火花を散らした。

 

「行かせるわけないじゃん。莫迦じゃないの?」

「っち。まぁいいさ、ここで全員斬り捨ててやる」

 

 エクスキューショナーが霞の構えでこちらを見据える。416は深く息を吸って、視覚モジュールの演算に集中する。

 先程、炎の壁を突き破ってきた刺突技。アレに反応できるのはこの三人の中でも自分だけだろう、と416は理解していた。二人のどちらかがあの技に狙われた場合、“絶火”と銃撃で阻止せねばならない。何よりもまず、特定の一人に狙いを集中させないことが重要だろう。

 エクスキューショナーから見て、Vectorの走り出したのとは逆方向に落ちる。Vectorも“絶火”を使っているので、敵からすればこの二人を同時に捕捉することは不可能なはず。

 最後に残ったC-MSは、わざとその場を動いていない。明らかに目で見える対象がいれば、エクスキューショナーの意識は少なからずそちらへ向かう。

 三つの銃口から怒涛の掃射が押し寄せる中でも、エクスキューショナーの余裕は崩れない。大太刀を豪快に振り回しながら、鉛の(むしろ)を突き抜ける。C-MS目掛けて振り上げられた刃は、416の弾丸で逸らした。

 

「助かったわ!」

「油断しないで隊長さん。応援が来るまでに、脚だけでも潰すわよ」

「誰の何を潰すって?あぁ!?」

 

 黒の剣風が、稲妻を撒き散らしながら地下通路を掻き回す。

 416たちは戦術人形だ。当然、その体は機械で動いている。ちょっとした電気ショック程度ではどうということもないが、あれだけの電撃を浴びればただでは済むまい。最悪の場合は即死、最低でも行動不能は免れないだろう。

 間合いを維持して駆けながら、三人が銃弾を浴びせ続ける。そのほとんどは弾かれてしまうが、いくつかは生白い肌に血の花を咲かせていた。しかしそれでも関係無いとばかりに、エクスキューショナーは暴れ続ける。

 連携が取れているとはいえ、こちらは三人。大して広くもない地下空間を、斬撃と雷撃を避けながら走り回るのは至難の業だった。つまり、一人が間合いを取り損ねて黒い嵐に捕まるのも、時間の問題だったのだ。

 電撃に捕まって怯んだVectorの左腕が、肘を境に切り飛ばされた。

 致命的な隙を晒した彼女に、エクスキューショナーがさらに踏み込む。

 

「ほらほらどうした!俺を止めるんじゃなかったのか?

 これじゃあお前らを無視して進めちまいそうだ!」

「それはどうかしら」

 

 稲妻を纏った大太刀が、前方へ振り下ろされるその瞬間。416はあくまで冷静に、エクスキューショナーの後頭部に狙いを定めていた。

 

「はっはァ!」

 

 416が引き金を引くと同時、エクスキューショナーが裏拳を放つ。処刑の如き一撃は中断されたが、銃弾も弾かれた。体を回す勢いもそのまま、今度は416に横一文字の殺意が迫る。

 咄嗟に“絶火”。しかし僅差で距離が足りず、愛銃のバレルが半ばから斬り裂かれた。熱を帯びてぐにゃりと曲がっているのを見て、416は舌打ちする。

 こうなってしまっては使えない。突撃銃を放り捨て、グレネードランチャーとサイドアームの拳銃を抜いた。

 一番の得物を失った今が416を仕留める好機と見たか、エクスキューショナーは全力でこちらに迫って来た。回転斬りの動きで二人からの銃撃を防ぎつつ、416の首や四肢を執拗に狙う。

 

「どうした、逃げてばかりじゃないか!左手のソイツはぶっ放さないのか?」

「コイツを食らいたかったらちょっと下がりなさいよ!アンタと心中なんて御免なんだから!」

 

 斬撃を避けて発砲したが外した。狙ったのは右手、大太刀に繋がるケーブルだ。いつも見るエクスキューショナーには、このようなパーツは無かった。きっと、これが刀身に電気を流しているのだろう。

 一つ一つが致命的な連撃を躱しつつ、間合いを調節する。“絶火”一回で爆風圏外まで抜け出せる間合い――ここだ。

 M320A1の銃口を向ける。咄嗟に大太刀で防御の構えを取ったエクスキューショナーの、右手を掠めるように拳銃の引き金を引く。跳弾込みで計算された弾道を辿った一発が、手と大太刀を繋ぐケーブルを切断した。派手な火花を散らしたのを最後に、黒い線はだらしなく垂れ下がる。

 

「はっは!やるじゃないかクズ人形のくせに!」

 

 しかし、そっちはそっちで予備のバッテリーでも積んでいるのだろう、大太刀の稲妻は消えない。

 決死の一手を受けても、エクスキューショナーはお構いなし。高笑いを続けながら、416の目の前まで踏み込んできた。C-MSの悲鳴が聞こえる。逃げられない――

 

 ガァン――ッッ!!

 

 大太刀の横腹に、見慣れたブーツの底が叩きつけられた。エクスキューショナーが大きく体勢を崩し、その目を見開く。

 

「カストラート‥‥!」

「そう呼ばれるのは、あんまり好きじゃないんだけど」

 

 ぼやいたノアが、地面に足をつける前に一回転。ナイフでエクスキューショナーの左瞼を切り裂いた。よろめいた彼女を階段方向へ蹴り飛ばして、ようやくその足が着地する。

 体のラインが浮いた黒いボディスーツ姿で、ノアがこちらを振り返った。

 

「ごめんね、遅くなって。ナイスファイト、416」

 

 戦場にあってもなお変わらない優しい笑みに、416は思わずその場にへたり込んでしまいそうになる。

 416が何かを言うより早く、ノアが後方の二人に向かって叫ぶ。

 

「みんな、予備の機動艇で脱出!」

「指揮官は!?」

「あの子を殺してから歩いて帰る!」

「莫迦じゃないの?」

 

 腕の切断面を押さえて呟いたVectorに答えることは無く、ノアが駆け出した。その先では、光を失った大太刀を構え、エクスキューショナーが牙を剥き笑っている。

 C-MSとVectorは機動艇の準備を始めた。416は拳銃を両手で握って、ノアと対峙するエクスキューショナーに狙いを定める。

 

「今日は運がいい!適当に管理区外のクズ人形どもで試し斬りしてただけなのに、逃げた奴を追ってみればお前に会えたんだ、カストラート!」

「殺し合いくらい黙ってやりなよ」

 

 エクスキューショナーが大太刀を振るい、それをノアが蹴りで弾き、あるいは踏んで体勢を崩しにかかる。そうやってできたわずかな隙でも見逃さず、ナイフと蹴打を組み合わせた連撃で巧みに敵の傷を増やす。しかも、エクスキューショナーの体を覆う電撃で感電しないよう、ノアは必ず空中で偶数回攻撃している。そんな無茶な曲芸を繰り返しているせいで、ノアの肌にも浅い切り傷が出来ていた。

 互いに一歩も引かない、零距離三次元格闘。416は限界まで視覚モジュールに集中するが、引き金を引けるという確信に至る瞬間は無い。しかしそれよりも、416の心胆を寒からしめていたのは、

 

(指揮官、貴方‥‥どうして笑ってるのよ)

 

 一手でも誤れば、バッサリ斬られるか黒焦げにされる。しかもノアは人間だ、自分たちと違って死んだらそこでおしまいだというのに。

 ハリケーンの進路上に剥き出しの心臓を放り出しているような状況であるにも関わらず、ノアは凄絶な笑みを浮かべて命のやりとりに没頭していた。

 先程炎の壁を貫いた、超音速の突きが胸を狙う。ノアがそれを掌で受け止めると、大きな赤色が二人の間に花開いた。

 

「指揮官ッ!」

 

 思わず叫んでも、ノアは416を振り返らない。「大丈夫」の言葉も無い。ただ獰猛な笑みを浮かべたまま、さらに深く手を貫かせる。エクスキューショナーがノアの真意に気付き、刀身を引き抜こうとしても既に遅い。

 手を、大太刀を支点として体を跳ね上げる。そのまま、ノアのブーツがエクスキューショナーの腹部に叩き込まれた。致命的な衝撃音と共にエクスキューショナーの姿が消え、奥の壁で土煙が上がる。

 いつか416も見た“烈火”。しかし今響いた音だけでも、あのときとは比べものにならない威力であることは察しがついた。大きな土煙が晴れた後、壁に埋まったエクスキューショナーの腹が消し飛んでいたことも、その証左と言える。

 手に空いた穴からボタボタと血を流すノアが、激しく()せてくずおれた。慌てて駆け寄り、その体を支える。

 

「大丈夫!?いや、そんなわけないわね。ほら、手伝ってあげるから立って。早く戻って治療するわよ」

「あっはー‥‥たったこれだけの戦闘でこんなに疲れるなんて、恥ずかしいなぁ」

「心配ないわ。少なくとも、私たちの中ではMVPだから。腹立たしいことにね」

 

 機動艇までノアを引っ張っていくと、エンジンを起こして二人を待っていたC-MSが息を呑んだ。

 

「指揮官、それ‥‥」

「大丈夫。心配無用だよ」

 

 二人が乗り込んですぐ、機動艇は発進した。416は天井を爆破し、この道を使った追撃を防ぐ。

 この地下空間は“猫の鼻”の近くまで続いているだけあって、様々なセンサーや罠がこれでもかと仕掛けられている。それでも念には念を、だ。

 ハンカチを雑に巻いただけの、穴が開いた手でも全く痛くなさそうに、ノアはナイフを取り出した。長い紫色のポニーテールを、一房切る。腕を失ったVectorを呼んで、その髪で傷口を縛り始めた。Vectorが呟く。

 

「‥‥別にいらないのに」

「だーめ。基地までもう少し時間が掛かるから、少しでも出血は抑えないと」

「だからって、なんでわざわざ髪なのよ」

「応急処置キットはリベが持ってるはずだから。こんなので悪いね」

「‥‥そういう意味じゃないんだけど。まぁいいや」

 

 そんなやりとりを聞き流しながら、416は先程のことを思い返していた。明らかにこれまでの水準を飛び越えた性能のエクスキューショナー。奴に対抗するには、もっと訓練と調整を重ねる必要があるだろう。

 そして、もう一つ。Vectorと対照的な、人懐っこい笑顔を一瞥する。死線にあって凄絶な笑みを浮かべていた、あのときの面影は微塵も無い。自分はあの瞬間、ノアの隠された一面を覗いたのだろうか。

 416は遠ざかる前線基地を眺めながら、バレルを失った愛銃を抱き締めた。

 

――――――

――――

――

 

 水路への道は崩落し、地上への階段は燃え盛る炎に包まれている。

 規定値を大きく超えるダメージでメインシステムがダウンしていたエクスキューショナーは、腹部から大量のスパークと人工体液を垂れ流しながら、呻き声を上げた。

 

「っぐ‥‥クソが‥‥あの女男、次は絶対に殺してやる‥‥」

 

 自分が完成した直後、ドリーマーから告げられた事実を脳裏で反芻する。

 

『今の貴方は確かに強いけど、それでもカストラート――“猫の鼻”の指揮官にはまず勝てないわ。

 でも落ち込むことは無いわ。もし戦って負けてしまったら、彼との戦闘ログをアップロードしなさい。

 そうすれば、いつか必ず勝てるようになるから』

 

 ネットワークを確認する。通信帯域も充分だ、これなら今回のデータも送信できるだろう。

 戦闘ログをドリーマーの許へ送りながら、エクスキューショナーはノアへの怒りを再確認する。

 あの男は、ここのクズ人形共の首魁(しゅかい)。それだけでも殺す理由は充分すぎるくらいだが、他の指揮官と異なるのは、奴が自分たちの同胞を何度も直接殺していることだ。自分も例外ではないし、友であるハンターも無残にコアを奪われた。

 自分たちには何度も復讐するチャンスはあるが、奴の命は一つきり。

 何度負けようと、必ず殺す。

 データの送信が完了し、その思念を最期に燃やして、エクスキューショナーのボディは爆炎の中に散った。




一応僕Twitterとpixivやってて、そっちでは絵も上げてるんですけど。ノアくんの正体とか普通にネタバレしてるんで、楽しみにして下さっている方がいらっしゃれば自衛をお願いします。

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