WinterGhost Frontline   作:琴町

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雪の木曜 ⑥

 チューベローズの香りと自分のものではない体温が、ノアの意識を浮上させる。乾いた眼球に張りつく瞼を瞬かせて、無理矢理涙を(にじ)ませた。

 眼前には、こちらを見返す少女の顔がある。

 

「おはよう、指揮官。気分はどう?」

「おはよ、416。うん、大丈夫だよ」

 

 416が先に起き上がって、背に腕を回してくる。ノアは厚意に甘えて、体重を支えてもらいながら起床した。

 添えていた手を放して、416が立ち上がる。その装いは特殊作戦コマンドのそれではなく、手合わせのとき身に着けているトレーニングウェアだ。その恰好で今までくっつかれていた事実に、少し遅れて恥ずかしくなる。

 

「朝食はもう出来てるから、ちゃんと食べるのよ。

 私は朝練に行くわ。それじゃ、一〇〇〇(ヒトマルマルマル)に執務室で」

「あ、うん。頑張って‥‥」

 

 早口で言い残し、そそくさと部屋を後にする416の背中を見送って。ノアは数秒の間ぼーっとして、それから思わず溜息を吐いた。

 

「やっぱり怒ってるよねー‥‥」

 

 IWSのアドバイスに従い、昨夜416に改めて話をした。その内容は「申し訳ないが、これからも自分は戦場に出る。しかし新型エクスキューショナーの相手は、416たちに任せたい」といったところだ。しかし、言葉こそ尽くしたものの所詮はただの約束、416の反応は素っ気ないものだった。

 416が自分から言い出したことだからか、今日もノアの世話はしてくれる。けれども、その後の態度は明らかに冷たい。きっと、ノアのあまりに自分勝手な振る舞いに、愛想を尽かしてしまったのだろう。近日中――早ければ今日中にでも、副官を降りたいと言ってくるかもしれない。

 のそのそと着替えて、ダイニングに出る。ノアの好みに合わせてカーテンを閉められた薄暗い部屋、テーブルの上にはクルトン入りのサラダとオムレツ、いちごジャムの塗られたトーストが用意されていた。ココアの注がれたカップからは、うっすらと湯気が上っている。

 

「いただきます」

 

 一口ずつ順番に咀嚼(そしゃく)し嚥下していく。自分の立てる音以外何も聞こえないはずなのに、酷く耳が痛む気がした。

 416が来るまでは滅多に見なかったテレビを点けてみても、ただ煩いだけ。

 彼女の用意してくれた食事は、いつもと変わらず美味しく温かいはずなのに。何故だか今日は酷く冷たく、無味に感じる。

 

「‥‥ご馳走様でした」

 

 416に支えてもらう以前と比べたら、遥かに体調は良い。けれど今は、体の真芯がどうしようもなく寒かった。

 

「何を甘えてるんだ、ノア=クランプス。しっかりしろ」

 

 自分の頬を両手で強く張る。ピシィッという音と痛みで、いくらか頭はすっきりした。

 食器を始末して、歯を磨く。姿見を見ずに自分の装いを確認しながら、ノアは今日するべきことを脳内で確認した。

 

(今日約束をしてるのは、M200とエンフィールド、64式。最初の約束が一四〇〇(ヒトヨンマルマル)からだから、それまでに対E.L.I.D兵器の設計進めて、正規軍対策の根回し確認して‥‥。

 あぁ、新型エクスキューショナーとの交戦にも備えないと)

 

 最後が目下最大の課題と言える。新型エクスキューショナー――モデル・ミョルニルは、その攻撃範囲と速度、そして強靭さで以て“猫の鼻”に対する大きな脅威となるだろう。

 幸い先日の撃破から今日まで、彼女が出現したという情報は無い。あの機体に中々のコストが掛かることは想像に難くないので、現在は再生産と調整の最中と見ていい。ノアはこの再調整に掛かる時間を、最長で七日と予想している。

 そして次に見えるときのエクスキューショナーは、前回以上の強敵となっていること請け合いだ。通常の戦力では対応が難しいだろう。なので、彼女が現れ次第直ちに迎撃できるよう、一襲とノアは基地で待機。それまで一襲のメンバーには、対エクスキューショナーを想定した零~近距離の乱戦訓練を行うつもりでいる。

 

「‥‥行かせたくないなぁ」

 

 本当は、自分が敵を狩りに行くべきなのだ。たとえ416から嫌われてしまったとしても、彼女たちが傷つく未来など潰した方がいいに決まっている。

 それに、あのエクスキューショナーならば、叶えてくれるかもしれない。たった一つの、ノア自身の願いを。

 けれど今は、それすらも噛み殺して。彼女たち自身が戦いを望むなら、せめて必ず生き残ることができるよう、できる限り手を尽くそう。

 

「うん、今日も頑張ろう」

 

 隈を隠すメイクよし、人懐っこい笑顔の準備よし。

 ノアはあえて軽快な足運びを意識しながら、部屋の鍵を手に取った。




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