カーテンの隙間から、温かな日差しが射しこんでいた。ノアはわずかに椅子をずらしそれを避け、手許の書類を確認していく。
「“ガニメデ”の製造、ちょっと遅れてるね。ちょっと下請けを分割しすぎたかなー」
「そうね。砲身部分の部品は滞りなく仕上がっているみたいだけど、基礎の十三番と二四番を担当している工場で問題があったそうよ」
416が同じ書類を見ながら、手帳に記したガントチャートを修正している。
G36が淹れた紅茶で口を湿らせて、書類をめくった。
「一回確認に行った方がいいなぁ。今日は――」
「南方との連絡会議、ヘリアンへの報告書作成、水産プラントの監査。その後はカノ、アイリ、G3と約束があるでしょ。
私が行くわ、こっちの仕事はこれで終わりだし。そのまま訓練に行くから、今日はもうお暇するわね」
そう言いながら、416はてきぱきと書類をまとめて立ち上がった。白い太腿に映えるホルスター、そこに収まるサイドアームを確認する。
「指揮官、明日の朝食は何か希望あるかしら?」
「え、じゃあベーコンエッグで‥‥」
「分かったわ。それじゃあまた明日」
流水のような銀髪が、ドアの向こうに消える。ノアは思わず青色の溜息を吐いた。
「うぅ‥‥G36ぅ、助けて~」
「如何なさいましたか、私の申し出は断ったのに416には朝の支度を許されているご主人様?」
泣き声を上げながら隣のメイドを見ても、返ってくるのは冷たい声音とそっぽを向いたお澄まし顔だけ。
「そのことは本当にごめんよぉ。のっぴきならない事情があったの‥‥」
「‥‥もう、冗談です。怒ってなどいませんよ」
G36は鋭い目を細めて笑った。ノアは目を見開いて口元を隠す。「
「これくらいはお許しください。ちょっとした復讐ですから」
「なら甘んじて受け入れる他に無いねぇ」
カモミールティーを嚥下する。空のカップを置くと、すぐに代わりが注がれた。
「ありがと」
「
それで、ご主人様が憂慮なさっているのは、416との関係ですか?」
結局相談に乗ってくれるのか、優しい子だ。
ノアは首を振って、背もたれに体重を預けた。
「今の気まずさは、次の作戦が終われば多分解決すると思う。
それよりも、416が無理してることの方が気になってさ」
ここのところ、416は随分と訓練の時間を増やしている。普段の彼女はノアにスケジュールを合わせて、自分が基地を空けている間に訓練や雑事を済ませていた。少し時間が空いても執務室に残ってノアを手伝ったり、やってきた人形たちと雑談したり。
それが今では、三つある訓練場のどれか一つの利用予約には、常に「HK416」の名がある。相手はMG5やM14、AUGなどと様々だが、“猫の鼻”の中でも高い実力を持つ人形と手当たり次第に試合をしているようだ。
それだけ貪欲に自らを鍛え上げているだけあって、近頃の彼女の活躍には目を見張るものがある。単体性能で考えるならば、ハンター程度はとうに凌いでいるだろう。
それだけの負担を自分に強いておきながら、事務仕事にも一切妥協していない。ノアが少しでも遠慮すると、「書類の数、きっちり半分じゃないわよ。もう少し寄越しなさい」と怒られてしまうのだ。
そのことを伝えると、G36は顎に手を当てて考える様子を見せた。
「ご主人様のご心配も分かりますが、416は愚かではありません。後に破綻を
「そうなんだけどねー‥‥」
少なくとも、やる気があるのは良いことだ。元より彼女は優秀だが、ここ数日は益々その実力を伸ばしている。先日の訓練時だって、少し前の416ではノアの懐に潜り込むことも叶わなかったはずなのだから。
「おっじゃましまーす!」
そのとき、弾けるような声と共に執務室へ飛び込んできたのは、ART556だ。二つに結ばれたライムグリーンの髪とウサギ耳が、激しく踊る。
彼女の後ろには59式やP7といった、年少組の戦術人形たちが顔を覗かせていた。遊びの誘いだろうか。今日はもう予定が詰まっているから、彼女たちには申し訳ないが‥‥
刹那の間にいつもの笑みを貼り付けて、ノアは首を傾げた。‥‥呆れた表情で肩を竦めるG36のことは、見ないふりをする。
「こんにちはアートちゃん、今日も元気そうだね。
何か用事?」
「ふっふっふー。今日は指揮官を尋問しに来たんだよ~」
「尋問?それは怖いなぁ」
ARTは凄むような笑みを浮かべるものの、彼女たちの悪戯や奇行には慣れている。口では怖がりながらも、表情は緩んだままだ。
しかし会心の笑みで取り出された写真を目にした瞬間、ノアの顔から血の気が引いた。
「これ、MDRから買ったんだ~!」
そこには、同じベッドで眠る416とノアの姿が映っていた。まるで恋人同士のように抱き締め合って、唇は今にも触れそうだ。――いや、もしかすると気付かぬうちに触れていたのかもしれない。
自分たちの様子を客観的に見ると、こんなにも恥ずかしいものなのか。リベロールを始めとする他の人形とも一緒に眠ったことはあるのに、416との事実を突きつけられると、どうにも落ち着かない。そもそも、他の子に添い寝するときはこんなにくっつかないのに。
――などと考えている場合ではない。ARTはこれをMDRから買ったと言った。彼女はノアの盗撮写真を基地内で販売しているから、他にもこの写真を手に入れた人形はいるはず。
ノアは知る由もないが、これはC-MSが416に見せたのと同じ写真。つまり、ノアの危惧は的中している。
(言い訳を考えろノア=クランプス。ただでさえ誤解を招く一枚だ、ここで下手を打つと更に誤解が広まるぞ‥‥!)
「付き合ってるの!?夫婦なの!?」
「ABCのどこまで行った!?」
「ちゅーはした!?」
チビたちがグイグイと顔を寄せてくる。ノアはそれを手で制しながら、声が上
「まず第一に、僕と416は付き合ってもない。だからABCなんて以ての外、キスもしてないしする予定も無い」
まぁ間接キスはしたことあるけど――と続けそうになって、咄嗟に舌の根を噛んだ。そのときの416の表情を思い出して、今更ながら顔が熱くなる。
パタパタと手で顔を扇ぐと、怪訝そうな視線が集中する。頼むから放っておいてほしい。
P7が写真を指差した。
「じゃあこれはどういうことなの?」
「その日の朝方はかなり寒くてさ。ダイニングの暖房が効くまでそうやって温まってたの」
(我ながら、言い訳にしては苦しすぎるか?‥‥駄目だ、頭が回らない)
内心で冷や汗を掻きながら、人形たちの様子を窺う。59式は頭の後ろで手を組んで、つまらなそうに声を上げた。
「なぁんだ、そういうことかぁ。ただの添い寝ならリベとかにもしてるもんねー」
「でも、指揮官って体温低いでしょ。416は寒かったかもね!」
ARTが額に触れてくる。お子様体温な掌の感触に、ノアは目を細めて脱力した。
「あったか~い‥‥」
「違うよ、指揮官が冷たすぎるの!」
やーい指揮官の人間かき氷、などと人形たちが騒ぐ。それを眺めるG36が、不穏な気配を放ち始めた。
この子も怒ったら怖いんだよなぁ‥‥と思い至り、チビたちを止めるためにノアが口を開いた瞬間、内線が着信を知らせた。
しー、と指で沈黙を促してから通話ボタンを押す。
「はーい、ノアだよ」
『こちらPx4ストーム!東部防衛線二八番にアイツが出た!』
その言葉で、意識がパチリと切り替わる。遊んでいる場合ではないと察したARTたちが、部屋を飛び出していった。
ストームの言った「アイツ」とは、エクスキューショナー・モデル・ミョルニルのことだ。そろそろ前回の戦いのフィードバックに合わせた再調整が終わる頃だとは思っていたので、焦るようなことではない。もちろん、現場はそうもいかないだろうが。
『招集:一襲~二防』と走り書きしたメモをG36に見せながら、ストームに状況を確認する。
「向こうは一体?」
『いいえ、下位ユニットが目算で三〇〇、ハイエンドがアイツ以外に三体!
ねぇ、退いてもいいかな?ここに留まるのはハイリスクが過ぎると思うんだけど』
「OK、総員全力で撤退。ただし下位ユニットは削れるだけ削っておいて。
それから、エクスキューショナーの長距離攻撃にはくれぐれも注意すること」
『了解!』
通話を終了し、自分の装備を手に取ろうと立ち上がって――やめた。一人っきりの執務室に、ノアの呟きが落ちる。
「今回は、あの子たちに任せるって約束だもんね‥‥」
そのことを意識した途端、心臓が妙に騒ぎ始める。必死に堪えないと足が勝手に走り出してしまいそうで、ノアはどかりとオフィスチェアに腰かけた。
作戦はいくつも用意してある。交戦規定にも
416らへの訓練も充分行った。彼女たちがエクスキューショナー相手に劣る部分など、一つもないはずだ。
だって、自分が全力で愛した少女たちなのだ。いかなる困難にも傷つけられない、ダイアモンドのような少女たちなのだ。
大丈夫。大丈夫。大丈夫。
G36たちであろう、廊下を駆けてくる足音が聞こえる。
自分は今笑えているか?これから戦場に立つあの子たちに、微塵の不安も抱かせることも
たっぷり三秒かけて深呼吸。ノアはこの日のために編み上げた二五六の作戦を、脳内で確認し始めた。
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