WinterGhost Frontline   作:琴町

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雪の木曜 ⑨

 ガラス越しの眼下、所狭しと並んだビル群。灰色の直方体たちが織り成す景色はどこまでも退屈だが、カーターの視線は窓の外から帰らない。部屋の中にも取り立てて面白いものなど無いのだから、開放的な空間を見ていた方がまだ健康的というものだ。

 正規軍の戦術司令部の一つにある、自分専用のオフィス。見晴らしのいい場所を占有したつもりだったが、そもそもこの街では景観になど期待できるはずもなかった。

 全く同じ強さのノックが三回、部屋に響いた。

 

「エゴールです」

「入れ」

 

 筋骨隆々とした体をスーツに包んで、腹心であるエゴールが眼前で敬礼した。

 彼はカーターの意思を正確かつ迅速に実行するため、いつも現場に出ている。よって大抵の連絡も通信で済ませてしまうのだが、今日口にする話題に関しては、傍受や盗聴といったあらゆるリスクを避ける必要があった。

 

「義肢の調子はどうだ」

「はい。調整も終わり、体に馴染んでいます。

 既に以前と遜色なく——いえ、以前よりもずっと動けるようになりました。

 改めて、機械化手術のご判断、感謝いたします」

「あぁ。キミを失うわけにはいかなかったからな。

 しかしあの女狐‥‥まさか崩壊液爆弾まで確保していたとは‥‥。

 さて、本題だ。“カプリチオ”の動向は?」

「はっ。目標は現在、我々の自律部隊が配備されていた地点に対E.L.I.D防衛線を築いています。Typhon(テュポーン)に酷似した兵器を製造していますが、我々から盗み出したデータを流用しているのかと。

 その他には目立った活動をしていません。これまで通り、異常発達した鉄血への対処に追われているようです」

「‥‥」

 

 対処に追われている、という表現には賛同しかねた。正規軍時代のノアを知る身としては、E.L.I.Dや鉄血への対処だけであの男のキャパシティが限界を迎えるとは思えない。

 ベレゾヴィッチ・クルーガーを拘束し、G&Kを瓦解させたときのことを思い返す。

 情報統制も奇襲も、想定通りに運ぶことができていた。G&K側の抵抗も予想していたが、難なく制圧できるはずだったのだ。しかし、実際はそうはいかなかった。

 あの日から脳裏にこびり付いたままの声が、繰り返し頭蓋の内側に響く。

 

『久しぶり、カーターくん。随分老けたねぇ。あっは!』

 

 自宅に帰って、ふと息を吐いた瞬間。あの男は自分の背後に立っていて、(あばら)の隙間を縫うようにナイフを添えていた。

 その夜に交わした契約は、まだ生きている。正規軍が“猫の鼻”及びアンバーズヒルに手を出さない限り、“カプリチオ”が――ノア=クランプスがこちらに牙を剥くことは、無い。

 付け加えると、あの時点でノアはTyphonの設計データを盗み出していた。「至近距離を狙えない」という構造上の欠陥や装填時間といった情報を、グリフィン残党たちへ流出させていたのだ。カーターの自宅に侵入していたことも合わせて、軍を内側から喰い殺せるというデモンストレーションだったのだろう。

 心臓を直接掴まれているような悪寒が、今でもカーターの背筋を震わせる。

 

「将軍?」

「‥‥いや、何でもない」

 

 そして今、あの契約が破り捨てられるかもしれないという案件が、浮上していた。

 

「“麻袋”の件はどうだ」

 

 “麻袋”とは、現在進行形で巷を騒がせている連続変死事件を指すサイファーだ。被害者は全員麻袋に詰められた状態で郊外に遺棄され、その体からは一切の血液が無くなっていた。被害者間に特筆すべき共通点は無く、老若男女問わず命を落としている。

 ただし、C■■地区――“猫の鼻”が座するあの地域だけは、被害者が出ていない。前に似たような事件があったようだが、その犯人は既に死亡していた。

 エゴールは端末を操作し、数枚のARディスプレイを展開した。そこに表示されているのは、被害者の検死記録だ。

 

「将軍のご指示通り、遺存生命特務分室から回収した資料を基に、遺体を検死させたところ‥‥第三種遺存生命体による捕食の痕跡が認められました」

 

 告げられた事実の腹立たしさに、思わず机を殴りつける。

 

「あの化け物め‥‥!人間を虚仮(こけ)にするのもいい加減にしろ‥‥ッ」

 

 好き勝手に人命を貪り喰って、こちらが黙っているとでも思っているのか。それとも、武力に訴えられても構わないと判断したのか。どちらにせよ、あまりに傲慢で不遜な契約違反だ。

 怒りで拳を震わせるカーターをそのままに、エゴールは言葉を続ける。

 

「将軍。もう一つご報告が」

「‥‥何だ」

「ある遺体の改修作業中、叛逆小隊と交戦しました。奇襲だったためにこちらは態勢を崩され、遺体を奪取されました。どうやら連中もこの事件を追っているようです。連中の掃討を優先しますか?」

 

 何故、叛逆小隊が“麻袋”に首を突っ込んでくる。戦術人形が自発的にそうしたとは考えづらい。

 とすると、指示を出したのはアンジェリアか。あの女狐もしぶといものだ‥‥しかし、さして重要視すべき脅威でもない。

 カーターは深く息を吐いて、首を振った。

 

「‥‥いや、構わん。“麻袋”の捜査も中止しろ。テロリスト共の対処に戻れ」

「はっ。それでは、失礼します」

 

 大きな背中が消え、部屋に静寂が戻る。

 カーターは頭を抱えて、歯軋りしながら独り言ちた。

 

「くそっ‥‥奴をどうにかする手段を‥‥何とかして探さねば‥‥」




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