WinterGhost Frontline   作:琴町

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幕間に投げられた思い出話・その二 ⑤

 “カストラート”っていうのは、去勢された男性オペラ歌手のこと。そうその去勢、ちょっきん。男性ホルモンの分泌を抑えて、大人になってからもソプラノ音域を出せるように保つ効果があったんだ。ん?今はもういないよ。そもそもオペラを歌う人間もほとんどいないだろうし‥‥多分アレッサンドロ・モレスキが最後じゃないかな。一九二二年に亡くなった、ローマの天使さ。レコードがあれば聴かせてあげたんだけど。まぁ、今度アーカイブを漁ってごらん?一つくらいは音声データが残ってるだろうから。

 僕?ち、違うよ!これでも僕には付いて――いや、明言するのはちょっと品が無いね。ごめん。‥‥どうしてそこで顔を赤くするの?あ、今ちょっと視線が――痛い痛い!分かったよ、じゃあ続きね。

 

 ほら、僕の顔ってあまり男らしい造形じゃないでしょ?体つきだって精悍(せいかん)とは言い難いしさ。それを揶揄して、「男性ホルモンが足りてないじゃないか?」って意味合いで付けられたあだ名なんだ。

 呼んでたのは他所の隊の軍人たち。目も頭も腐った阿呆共が、僕を女と勘違いした挙句に言い寄って来たのがきっかけだったかな。敵組織?ないない。あだ名自体は知られていたかもしれないけど、僕を見た敵はみんな死んでるもの。あっは!‥‥笑うところだよ?今の。

 とにかくこれが、エクスキューショナーが僕をカストラートと呼んだ理由。え、話が飛んでる?あぁうん、これから補足するつもりだったんだ。ほんとだよ。結論から話そうか?分かった、じゃあ結論は後回しで。

 

 僕がいた所はね、“重大犯罪特務分室”っていうんだけど。E.L.I.Dじゃなくて人間を殺すための部隊だった。時代を考えたら意外かい?あの頃の人類は本当に混乱しててさ‥‥意識的にしろ無意識にしろ、軍の邪魔をする連中は多かったんだ。面白いよね。え、全然?そう‥‥。

 とにかく、軍需品を横流しする密売人やテロリストに反戦ロビイストとか、人類生存の足を引っ張る奴らを始末するのが主なお仕事。あと、混乱する世相に紛れた凶悪犯罪への対処。司法なんてあてにできる時代じゃなかったから、さっさと犯人を見つけて殺すか捕まえるの。手段は問わなくて、とにかく短期間で終わらせるのが肝要だったよ。

 暗殺部隊としての要素が強いから、メンバーも僕を含めて五人しかいなかったんだ。少数精鋭によるブラックオプスの遂行が主業務ってところは、404小隊と同じだね。お世辞じゃないってば。

 その人数で莫迦みたいな数の任務を熟さなきゃいけなかったから、本当に忙しかった。僕が入ってからの活動期間が大体四年くらいで、達成した任務件数が二,一八七件だから‥‥うん、二日で三つは片付けてた計算になるね。殺した人数は訊かないでくれると嬉しいかな。

 

 そんなにたくさんの仕事を熟せたのは、僕以外の四人が人間とは思えないくらい優秀だったから。山ほどある任務を分担して、ツーマンセルやソロで手当たり次第に片付けていったんだ。

 それぞれが異なる分野に特化した強者たちなんだけど、結局は優秀過ぎてはみ出た奇人共。そういう奴を探してスカウトする部署があって、そこから勧誘されたの。僕も含めてね。

 まずは‥‥身長と同じくらいある大太刀で、超音速の居合斬りを何十連発する剣鬼、セレナ。融通は利かないけれど、正義感の強い子だった。僕の考える作戦は人命救助の優先度が低いから、全然言うこと聞いてくれなくってさ。でも仕事はきっちり終わらせるから、冷や冷やしつつも信頼できたな。

 尋問相手が何も言ってないのに、考えてることや記憶を全部すっぱ抜く変態、アード。他のメンバーと比べても頭が良かったから、よくチェスの相手になってもらったよ。考えを読まれちゃゲームにならないんじゃないかって?あっは、だから僕らがチェスをするときは、互いに目隠しするのさ。

 目を閉じたまま短機関銃をフルオートで射撃して、全弾目標に当てる真正の天才、イディス。一番戦場の経験が長かったし、二児の父ってこともあって、頼り甲斐のある人だった。僕とセレナが喧嘩したときは、必ずイディスが両方の言い分をきっちり聞いてくれた。まぁ、その後両成敗されるんだけど。あっは!

 最後に、とにかく道具の扱いが上手くて、渉外担当も務めてた器用な部隊長、アルグリス。年は大して変わらないのに、やたらお姉さんぶるのが鬱陶しかったなぁ。アイツの目に僕がどう映ってたか分かんないけど、とにかく子ども扱いするんだよ。え、分かるの?理由を教えて。何で?む、今は続きを話すけど‥‥後でちゃんと教えてよ?

 性別?アードとイディスが男で、あとの二人は女だよ。髪の長さ‥‥セレナとアルグリスの?えっと、セレナは肩よりちょっと長くて、アルグリスはキミより少し短いくらいだったかな。ソレ、何か重要なこと?

 あ、そうだ。ちょっと離れてくれる?いやちっとも重くないよ。ちょっと待ってね‥‥はい、コレが写真。まぁ全員目鼻立ちは整っていると思うけど、やっぱりキミたちほどじゃないでしょ。

 あっは、気が付いた?そうそう。アルグリスはどんな銃も扱えたけど、一番気に入ってたのはHK416だよ。

 

「どんな交戦距離でも思う通りに仕事してくれるもの。大好き」

 

ってさ。僕とセレナは銃の扱いがからっきしなのに、毎日アルグリスの愛銃自慢を聞かされたよ。アイツの話はいつもいつも長くてさぁ、そのくせ生返事すると怒るんだ。そういえば、よく分かんない冗談もちょくちょく言ってたっけ。

 

「私ね、氷を出せる超能力者(サイキック)なのよ」

 

とか。あのときは雪女かよって笑っちゃったなぁ。えっ雪女知らない?じゃあ今度ラフカディオ・ハーンの『怪談(Kwaidan)』を貸したげる。そうそう、『耳なし芳一』の。物知りだねぇ416は。皮肉じゃないってば。

 

 ‥‥あー、次は僕の話になるのか。適当にぼかしていい?あっは、そりゃあダメだよね、ごめん。

 僕の役割は、基本的には作戦立案だった。必要な情報はアードが持ってきてくれることもあれば、僕が直接調べることもあったよ。それから暗殺対象をプロファイルして、一番効率のいい殺害プランを作るんだ。潜入が必要な任務では、相手の警戒態勢とかも予測してた。ここは今と変わりないかも。

 かといってデスクワークばかりじゃなかったよ、もちろん。必要があれば殺してた。戦い方は今と変わらないかなー。まぁ、現役時代の腕と比べると今はかなり鈍ってるけど‥‥何その目?

 

 さて。ここからは、さらにつまらないお話になるよ。

 基本一つの事件に二日以上掛けない僕らの部隊だけど、一つだけ例外があった。とある宗教団体なんだけどね、“優曇華(うどんげ)の亜種”って呼ばれる花を利用したテロ行為の母体だったんだ。まぁ、これの詳細は省いてもいっか。簡単に言えば、避難民を誘い込んでから全員をE.L.I.Dに変えてしまうトラップだよ。

 規模が大きくて拠点も多い、教祖はいくつもの影武者を立ててるってことで、本当にやりにくかった。三年くらいはその教団と戦い続けてたかな。

 

 まぁ努力の甲斐あって、教団の人間は全員死んだ。言ったでしょ、僕をカストラートと呼べる敵はみんな死んだはずって。

 そして、僕の仲間も全員死んだ。僕のせいでね。それから僕は軍を抜けて、追ってくる奴らを皆殺しにして、森で暮らすことにした。

 ――はい、僕が直接経験したお話はここまで!分からないところは無い?よかった、こういう風に話をするのは得意じゃないからさ。

 

***

 

 そこまで語ってから、ノアがふぅと息を吐いた。

 416は猛烈な後悔を感じていた。あまりにも簡素な言葉で告げられたから聞き流しそうになったが、ノアは「自分のせいで仲間が全滅した」と言ったのだ。熟した任務の数を聞けば察せられることだが、彼の所属していた部隊は粒揃いだったはずだ。にも拘らず、皆死んだと。そして彼はその原因を全て自身の過失にした上で、今も涼しい顔をしている。

 彼は愛情の深い男だ。その欺瞞を保つには、尋常でない胆力が要求されただろう。彼が自ら語る気になってくれたのは嬉しいが、それでもやはり申し訳ないという気持ちが湧いてくる。しかし、ここまで話してもらった以上「もうやめろ」とも言えない。それは、覚悟を決めてくれたノアに対して失礼というものだ。人工の肺腑に(わだかま)る気まずさを堪えることは、この話を聞いた以上当然の義務だろうと思われた。

 416が何も言えずにいると、ノアは血色の悪い掌を眺めながら呟いた。

 

「あとはグリフィンに入ってから調べた情報だよ。

 僕が森でいじけている間に、僕らを軍に招いた部署――“遺存生命特務分室”が、鉄血の襲撃を受けて壊滅した。『特務分室』なんて大層な名前が付いているけど、あそこは研究と捜索一辺倒の部署でね。抵抗できる戦力は無かったんだ。奪われた資料には、重大犯罪特務分室のデータも含まれていたそうだ。

 だから鉄血の子たちは、僕のことをある程度知っている。カストラートと呼ぶのは僕への嫌がらせが目的。

 長々と話しちゃったけど、知りたかったことに不足は無いかい?」

「‥‥えぇ」

 

 言葉よりもその眼差しで、理解した。理解できてしまった。彼が昔の仲間のことを今でも慕っていて、想い続けていることまで。

 普段浮かべる笑顔が優しくも作り物めいているのは、失われた日々を希求してやまないその視線を、必死に隠しているからだ。

 かつてノアは、人間と人形を「過去を積み上げて未来を志向する知性体」と表現した。しかし、本人はその在り方に逆行している。過去を志向しながら片手間に未来を紡ぐその態度は、いくら何でも歪みすぎている。放っておけば、どこかで致命的な亀裂が生じてしまうのではないか。そのとき、ノア=クランプスはここからいなくなってしまうかもしれない。

 今までよりもさらに体重を預ける。風船を掴む幼子のように、ノアの細い指を両手で掴んだ。

 

「‥‥有難う。話してくれて」

「お礼を言うのはこっちの方だよ。話を聞いてくれて有難う、416」

 

 いつもよりも腑抜けた笑顔を浮かべて答えたノアが、珍しいことに欠伸をした。「くわぁ」という奇妙な擬音を零すと、鋭い犬歯がちらりと覗いた。

 

「猫みたいな欠伸ね。流石に疲れたかしら?」

「まぁね。ここ一週間忙しかったし‥‥執務室も宿舎もひどく寒くてさ。

 もう、キミがいなきゃダメかもね」

「えっ?今何て――」

 

 ぽすん。

 

 何を言ったのか聞き返さんと身を起こした416の胸に、ノアの側頭部が収まった。いつもG11がねだるような姿勢だが、相手がノアだと意味合いが全く変わる。

 416は顔を真っ赤にして、ノアの肩を掴んで引き剥がす。何のつもりか問い質そうかと口を開いたとき、

 

「すぅ‥‥すぅ‥‥」

 

という、細い寝息を聴覚モジュールが捉えた。思わず大きな溜め息を吐いて独り言ちる。

 

「何よもう、びっくりするじゃない‥‥でも、疲れて当然よね。

 おやすみなさい、ノア」

 

 ノアを再び腕の中に迎え入れた416は、その寝顔の可愛らしさに微笑した。

 長いポニーテールを梳くと、一房だけ短くなっているのが分かった。Vectorの腕を止血する際に切り取られたものだ。

 

「もったいない。折角綺麗な髪なのに」

 

 あと少ししたら、彼を運んで“猫の鼻”に帰ろう。多少重いだろうが、担げないほどではない。そう決めながら、鳩羽色の髪を撫でる。いつも彼が人形たちにしてあげるように、優しく、優しく。

 明日になれば、また忙しい日々が戻って来る。自分は再びノアの副官として、一緒に膨大な量の仕事を熟しながら戦果を積み上げていくのだ。しかし、混乱期を過ぎた自分たちならば、これからもっと息を合わせて進んでいける。その未来を想像して、416の頬が緩んだ。

 穏やかな沈黙が、凪いだ花畑に染み込んでいく。月と花の白に包まれて、416はしばらくノアの寝顔を眺め続けていた。

 

***

 

 結論を言うと。それから丸一月経っても、ノア=クランプスが目を覚ますことは無かった。




どうしてこうなるの?(再び)

感想や評価など頂けますとノアが早く目覚めるかもしれません。目覚めないかもしれません。お好きな動物の鳴き声でも大丈夫です。

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