シミュレーションのし過ぎか、変な夢を見ていた気がする。第二世代戦術人形?何だそれは。戦術人形と言えば、簡単な命令しか実行できない木偶のことではなかったか。
廊下を歩いてくるブーツの音が聞こえて、俺は大きな溜息を吐く。
「セレナ、また俺の作戦を無視したな。一体何回目だよ」
自分の背丈ほどある愛刀を背負って部屋に入ってきた人影を見て、自分の聴覚が正しかったことを確認する。
声に反応してこちらを一瞥した少女――セレナは、そっぽを向いて髪を梳いた。
「何度言ったか分からないが、無辜の民が助けを求めているなら、目標の殺害よりも民間人の救助を優先する。
それに、目標はつつがなく仕留めたんだから問題ないだろう」
「そうだね、予定より二時間も遅れてだけど。
お陰で俺とアードは残業だ!
俺たちは全員で五人しかいないんだぞ?もっと効率を考えて動けよ、この猪女」
彼女にとっての地雷ワードを口にすると、セレナは牙を剥いてガスガスとこちらに歩いてくる。
「私が作戦に無い行動をとるのは、お前の作戦がいつもいつも民間人の命を後回しにしているからだろうが!
私たちが人を殺す理由を履き違えるな、この蛇男!」
拙い、セレナの右手が愛刀の柄に添えられている。
その刃は彼女の抜刀術と合わさり、一撃で三十体以上のE.L.I.Dを切り伏せる。この体勢から凌げるか‥‥?
俺が“秘刃”を使うために身を起こしたところで、イディスが割って入ってきた。
「どうどうどう、落ち着け二人とも。
セレナ、こんなところで刀を抜くんじゃない。ノアの言い分も分かるだろ?
無辜の命を全て救おうとする志は立派だし失うべきじゃないが、作戦で定められた時間を守ることも大切だ。
効率よく動けば、それだけたくさんの人を守ることができるんだから。
ノアの頭脳は世界一だ。コイツの作戦通りに動けば、そこらへんは上手くいくよ」
「‥‥分かってる」
シュンとしているセレナに影からあかんべーをしていると、イディスがこちらを振り返った。
あっ、今日も両成敗かぁ‥‥。
「ノアも、わざと煽るような真似をするな。
そもそも、お前の組む作戦は余裕がないんだ。俺たちならあのプランでも問題ないが、セレナが担当する作戦にはもう少し時間の余裕を作ってやれ。
コイツの実力を高く買っているからこそ、たくさんの目標を仕留めさせたいのは分かる。
けどメンバーのパラメータは戦闘能力だけじゃない。性格面での向き不向きも考慮してやってくれ。
お前の頭なら、そのくらい楽勝だろ?」
「‥‥毎度毎度、買い被りすぎだ。
まぁ、やってみるけどさ」
俺が鼻を鳴らすと、イディスは俺たち二人を抱き寄せて、髪をわしゃわしゃと撫でる。
ぐしゃぐしゃになると嫌がるセレナも、暑苦しいと脱出を試みる俺も、思わず笑ってしまう。
そうだ。俺とセレナが喧嘩すると、最後は必ずこうなるんだ。
特務課での短い休憩時間は、こうして騒がしく過ぎていく。
「――とりあえずここまで、E.L.I.Dの多い地域とか正規軍の巡回を掻い潜って来られたわ。
道中で一度E.L.I.Dの群れとぶつかったけど、こちらの損傷はゼロよ。
”遺存生命特務分室”跡地は目と鼻の先ね」
『そう、それはよかった。
でもその辺りはまだE.L.I.Dの生息域だし、軍の連中が監視してないとも限らない。
油断しないでね、416』
「当然よ。私を誰だと思ってるの、45?」
通話を終了。セーフハウスの二階、416は壁に凭れてふぅと息を吐く。
ノアを目覚めさせる手掛かりを求め、”猫の鼻”を出て五日が過ぎた。
進捗としては好調だが、問題はこの後。”遺存生命特務分室”跡地に肝心の手掛かりが無ければ、事態は振り出しに戻ってしまう。
こればかりは祈るしかない。自力ではどうしようもない不確定要素にやきもきしながら、隣室へ——
「‥‥?」
視線を感じた——気がした。
カーテンは千切れてしまっている。窓の死角に留まるよう気を付けながら、窓側の壁に張り付いて外の様子を窺う。
一般的に、突撃銃の戦術人形は視覚モジュールの性能において、狙撃銃の人形に大きく劣る。設計思想や適性の面を鑑みれば当然である。
しかし416のそれは、突撃銃の人形にしては高性能。流石に狙撃銃持ちを上回るほどではないが、集中すれば厳密な索敵も可能だ。
そしてそんな416の視覚による警戒の結果——敵影もなく、気配もない。
今のは自分の気のせいだったのだろう。場所が場所だけに、野生動物の線もなくはないが。
周りに見られていたら少し恥ずかしい勘違いに嘆息して、416は部屋を後にした。
「あ、416!報告終わりました?」
こちらの姿を認めるや否や、MDRと雑談に興じていたG28が声を掛けてくる。他の二人も思い思いに手隙の時間を過ごしている。
目を閉じて耳を澄ませている——眠っているのかもしれない——64式消音短機関銃からは距離を取って座る。愛銃を抱えて清掃をしつつ、416は妹の言葉に応じた。
「えぇ。そういうアンタたちは仲良くお喋り?
随分と余裕があるのね」
睨みつけると、G28は「ひぃ」と縮こまった。MDRが苦笑しながら割って入る。
「まぁまぁ416、そんなにカリカリしなさんなって。
愛しの指揮官のために一刻も早く情報を持ち帰りたいのは分かるけど、そんな調子じゃ見つかるものも見つかんないぞ?」
「‥‥ったく、どいつもこいつも。
ノアにそんな感情は抱いてないって、何回言ったら分かるのよ」
確かに周囲の目には、自分とノアの距離感は随分近く映ることだろう。
しかしそれは416がノアの副官であり、彼の自己管理があまりに杜撰だからだ。
ノアを魅力的だと感じていることも事実だが、だからといって職場の上司に恋愛感情を抱くほど浮かれてはいない。
そんな416の言葉に、G28は頬杖をついて鼻を鳴らした。
「ふーん‥‥でも、指揮官の方はどう思ってるんでしょうね?」
「どういう意味よ」
「そうそう、ちょうどその話してたとこなんだよ~」
「なになに、何のはなし?」
装備点検を終えたか、Super-Shortyがこちらにすり寄ってくる。
MDRが催促するので、G28は頬に指を添えて何かを思い出す素振りを見せた。
「一回ね、指揮官に訊いたことがあって。
416は自分のことを完璧完璧って言うけど、実際はどう思います?って」
「アンタ、人のいないところで何て
「まぁまぁ、落ち着きなよ。それで、指揮官はどう答えたの?」
「えっとー‥‥」
G28は人差し指でつんつんと顎先を突いて、記憶領域に検索をかける。大して昔のことでもないだろうに、この妹は‥‥。
もっとも、本当に彼女の記憶性能が悪いわけではないだろう。むしろ逆だ。
前にもノアと話したことがあるが、G28は他者から見た自分の姿や振る舞いを強く意識して行動する。今のコレも、単に聴き手を焦らして自分に注目させたいだけなのだろう。
416が妹の行動を分析していると、G28がぽんと手を打った。
「そうだ!確か指揮官はこう言ったんです」
『現時点で、あの子にできないことが一つも無い‥‥と言うと嘘になるかな』
「うっっわ416すごい顔になってる」
「眉間で9mm挟めるんじゃない?」
「‥‥ふん」
思わず握りしめた拳から力を抜いて、鼻を鳴らす。
ノアに言われずとも、自分にできないことがあるのは理解している。厳然たる事実として、自分はまだAUGやノアを下せていないのだから。
G28が慌てたように両手を振る。姉がこうなるのを見越して、わざとそこで話を切ったくせに‥‥。
「待ってください416!この話には続きがあるの」
『けど、416は常に完璧を目指して、自分に厳しく振舞ってる。
あの子のスペックとその姿勢があれば、絶対に不可能なことは無い。
事実、あの子は人形たちの中で最も早く”
――まぁ要するに、僕にとっては非の打ちどころのない子だよ。416は』
「なぁんて、不公平ですよね。私が戦果を挙げたって、あそこまで褒めることなんて無かったのに」
わざとらしく格好つけた声で——ノアの真似だろうか。似ていないが——聞いた言葉を諳んじて、G28は頬を膨らませた。
Super-Shortyが肩を竦めて返す。
「アンタと416じゃ日頃の行いが違うからね」
「あはっ、言えてる~」
「ShortyちゃんもMDRもひどいです!」
そんな三人のやり取りも、416の耳には入らない。
『あの子のスペックとその姿勢があれば、絶対に不可能なことは無い』
『僕にとっては非の打ちどころのない子だよ。416は』
妹づてに聞いた言葉でも、416の電脳内ではノアの声で再生される。それくらいの加工ができる程度には、彼のボイスデータは416の中に蓄積されていたから。
そして、その言葉が脳内で繰り返される度に、頬は赤さを増していく。
堪えきれず、両手で顔を覆う。
恥ずかしさやら寂しさやら、416自身にも判別できない量と種類の感情データが、指の隙間から呻き声となって漏れた。
「わ、私‥‥そんなの聞いてない‥‥。
そういうことは直接言いなさいよ‥‥!」
あでぃおす