宿舎の屋上で星を眺めていたら、背後からそう訊ねられた。
俺が返事をする前に、声の主は隣に腰を下ろす。
「いよいよ明日、だもんな。
3年間追い続けて、ようやく本拠地まで割り出せた」
彼にしては珍しく、少し強張った声音。
重大犯罪特務分室が追っている、とある宗教団体が明日の作戦目標だ。
様々な犯罪に関与していると言われているものの、中でも特筆すべきは――優曇華の亜種と呼ばれる花を用いた、難民をE.L.I.Dへと作り替える罠。人類滅亡への足取りを加速させるという意味で、現代における最大の悪と言える。
視線は動かさず、息を一つ吐く。
「別に緊張してるとかじゃないさ、イディス。
やり残したことは無いかなとか、この作戦が終わったら少し暇になるかなとか、そんなことを考えてた。
答えを出したい問いでも無いし、星を眺めながらってのが丁度良かったのさ」
今の発言のどこが引っかかったのか、イディスは顎髭を撫でて唸った。
「ふむ、そう言えば気になっていたんだが‥‥ノアは星が好きなのか?
今までにも何度か、夜中に星空を見上げているところを見かけたんでな」
「俺は自他ともに認める夜行性動物だが、アンタも大概夜更かしする人だよな。
まぁ、星は好きだよ。ずっと変わらないでいてくれる‥‥とまではいかないけど、変化の速度は遅い。
俺を置いて行ったりしないから」
「歳のわりに寂しい考え方をするなぁ」イディスが苦笑する。「傍にいて欲しいなら、恋人でも作った方が早いだろ」
こんな仕事で?と訊ねたかったが、今目の前で笑っている男は既婚者だ。畜生、仕事は言い訳に使えない。
いやそもそも、恋人が欲しいかと言われるとそうでもない。一人の方が気楽だし、俺は俺の性格の悪さを知っている。俺の感情に縛られる女性がいたとしたら、その人は可哀想というものだ。
そう伝えると、イディスは肩を竦めた。
「何て自罰的な‥‥まぁいいか。次の作戦でもきっと余裕で生き残るであろうお前に、年長者から一つアドバイスをしてやろう」
年長者、という言葉で思わず笑いそうになる。
「いいかノア。恋ってのはな、するもんじゃない。落ちるもんだ。
気が付いたときにはもう遅くてな。頭も体もどうしようもなくなる。
お前の特殊体質――複層大脳新皮質だって、使い物にならなくなるだろう。
だからなノア、その瞬間が来たときに『あぁ、今自分は落ちたんだな』って理解できるよう、自分の心を観察しとかなきゃいけないんだ。
わかるか?」
その言葉を聞いて何故か、俺の脳裏を通り過ぎる影があった。
長い銀髪。流水のように光を織る、青みがかった銀の美髪だ。
しかし、これまでの人生で銀髪の持ち主は一人しか見えたことがない。その一人だって、髪色は紫がかっていた。あと男だし。
俺の困惑をどう受け取ったか、イディスは笑って俺の肩を叩く。
「まぁ、今はわからなくてもいい。
お前はきっと、この先もずぅっと長く生きるだろうからな」
その口ぶりに、背筋が凍った。
何故だ?特務課に所属してから今まで、霧化や精神操作、瞬間的自己改造といった「それっぽい」技は見せていないはずなのに。
拙い。俺は身分を偽ってここにいる。正体が割れたら、確実に追い出されるだろう。いや、それだけならばまだいい。もし、コイツらが追っ手として俺を殺しに来たら――
この場でイディスを黙らせるか?いいやそれは下策。ただでさえ人手の少ない特務課だ、メンバーを欠いた状態で明日の作戦には臨めない。
どうする、どうするノア=クランプス?
「イディス、アンタもしかして――」
俺の素性に、気付いてるのか?
俺がそう口にするより早く、イディスは手を振って肩を竦めた。
「一度だけ、お前の食事を見たことがあるのさ。
多分、アルグリスたちも薄々勘付いているんじゃないかな」
何てことだ。食事は彼らの目につかないよう、臭いにも気を遣ってしてたのに。
「‥‥どうして、それを今伝えに来たんだ?」
「今日だからだよ。
明日の作戦は、きっと今までで一番キツい。俺たちはもちろん、お前にも存分に本気を出してほしい。
そのために、『俺たちはお前の素性だけで態度を変えたりはしないぞ』って知っといてもらおうと思ってな」
「は‥‥?」
理解できない発想だった。
俺がイディスの立場なら、迷わず拳銃を抜いている。――いや。
イディスの装いをざっと観察する。‥‥丸腰?
“必中”の異能を持ち、それを中心に戦術を組み立てるイディスには、銃無しで俺と渡り合うことは不可能だというのに。
俺の正体を指摘して、戦闘になる可能性を考慮していないのか?――してないんだろうな。
「とりあえず、伝えることは伝えたぞ。
んじゃ俺は寝る。お前も早く寝ろよ、ノア」
そう言い残して屋上を去る背中を、俺は呆然と身送ることしかできなかった。
416を始めとする遠征部隊は、反逆小隊のセーフハウスへやってきていた。何があったのかは知る由もないが、患者と医療従事者だけが姿を消した廃病院。風化の色こそ濃いものの、一部の機械はAK-12の手で修理されて稼働している。
彼女らが連れている人間を、少しでも長く生かすためだそうだ。それが誰のことかは分かっているが、416の関心はそこにはなかった。
G28たちはそれぞれのポジションで周囲を警戒している。AN-94は何やら用事があると言って出て行った。
416はフレームだけになったベッドに腰掛けて、目の前の戦術人形――AK-12を睥睨した。
「さて。それじゃあ、話を聞かせてもらおうかしら。
ノア――第三種遺存生命体について」
アンタたちの事情もね、と付け加える。正直なところ416にとって、反逆小隊の事情などどうでもいい。
しかし、もし彼女たちがノアに危害を加えるつもりなら、そのときは今度こそ自分が――そう考えながら腕を組む。
そんな416とは対照的に、12は柔和な笑顔で紙束を寄越してきた。
受け取りながら、「説明する気はないのか」という懐疑の視線を投げる。目を閉じたままでも周囲は見えているらしいが、こちらの表情は伝わっているのだろうか。表情が読めないので行動の意図を察しづらい。
「全てを口頭で説明するのは非効率的だから、読みながら聞いて」
12がそう口にしていなければ、416は迷わず大きく嘆息していただろう。
『第三種遺存生命体に関する報告』と書かれた表紙を一瞥する。「遺存生命体」という単語は馴染みのないものだ。道中に検索したところ、かつては広く生息していたが、現在では限られた地域にのみ生き残っている種を指す単語らしい。わかりやすい例はシーラカンスなどだ――もっとも、シーラカンスは既に絶滅しているだろうが。レッドデータブックの更新はとうに止まっているので、これが最新の情報だ。
「まずは、私たちの目的について話すわ。
貴女にとっては重要じゃないけれど、カストラートには関係する話だから」
なら私にとっても無関係じゃないわ――そう言おうとして、やめた。わざわざ話を遮ってまで主張することじゃないだろう。
そんな一瞬の葛藤に気付いたか定かではないが、12は自分の背後を指差した。
「向こうの病室には、アンジェがいるわ。ただし、昏睡状態でね。
軍の追撃を振り払うために使った最終兵器から、大量の放射線を浴びたの」
「‥‥崩壊液ね」
呟くと、12の眉がぴくりと動いた。
「知っているの?」
「私たちも爆風の煽りを受けたもの。何があったかはグリフィンの人形から、何が使われたかはノアから聞いたわ」
「流石、カストラートは何でも知っているのね。
アンジェが言っていたの。彼はあの戦いの折に、エリザを必要以上に重要視するよう軍を誘導していたんですって」
なるほど、その頃からノアはグリフィンと軍にちょっかいをかけていたわけだ。
ならば、自分たちがあの戦いで生き残ることができたことにも、間接的に彼の恩が混じっていることになる。
「‥‥ん、ちょっと待って。どうしてアンジェリアがそんなことを知ってるわけ?」
「正規軍や国家安全保安局では、重大犯罪特務分室は伝説扱いよ。特にアンジェは彼のファンでね。
そもそも、アンジェとカストラートには面識があるらしいの。
だから、アンジェのことを彼に頼みたい。具体的には、崩壊液の放射線に被曝した肉体の治療を」
「それは‥‥いくら何でも無茶じゃないかしら?」
ノアは大抵の人間に不可能なことを平然と――いや、それは見た目だけだったわけだが――やってのけたものだが、それらは全て彼自身の中で完結する技能だった。砕けた手を一日足らずで完治してしまうような再生を、他者の体に施せるとは思えない。
それに、今のノアはアンジェリアと同じく昏睡状態なのだ。どうすれば目覚めるかも分からないのが現状だというのに。
「もちろん、今のカストラートの状態は知っているわ。
だからまずは、彼を目覚めさせる必要がある」
12が、416の持つ資料を指差す。「そこで、ソレの出番というわけ」
促されるままにページをめくる。始めの方はノアのプロフィール。氏名や性別、身長体重などが記載されているのは当然だが、年齢の欄にふざけた数字が記されていたので、416は思わず笑い声を上げた。
「何よコレ。300歳ですって?雑な冗談ね!
『自己申告』って註がついてるし、ノアったらふざけてたのね。ふふっ」
「さぁ、こんなお堅い報告書で真面目に記載してある内容が、ただの冗談で済むかしら。
それよりも、もう少し先を見て。47ページ、知能検査のところ」
12の口振りを訝しみつつ、一気にページを飛ばす。12が言っているのは、『知能及び思考能力の査定(途上)』の項だろう。
曰く。既存のIQテスト330問に対し、1分以内に正答。それも、チャップリンを鑑賞して爆笑しながら。
脳が4つあることは、先日の検査で分かっていた。しかし「その一つ一つがIQ194相当であり、並列・直列処理を自在に切り替えられる模様」という記述は、現実味のないものだ。
「こんな頭脳があれば、
「このスペックが今も維持されてるならね。
次は58ページ。身体能力についてよ」
とはいえ、ここには目新しい記述はなかった。夜間も暗視装備なしで十全な視力を発揮し、銃弾を指で弾く。衝撃波も出さずに音速で駆け、人体が一撃で霧になる威力の蹴りを放つ。強いて挙げるなら、再生能力が「腕が千切れても一瞬で再生する」レベルというのは知らなかった。それなら、崩壊液の侵食など恐るるに足らないだろう。
この再生能力が今も健在なら、と考えずにはいられない。あの日見たカルテの悍ましさは、思い出すだけで仮初の心に痛みをもたらす。
「飛ばしたページには、現役時代にカストラートが解決した事件や使用していた技について書かれてる。
銃火器を一切使わないというのはおかしな話だけれど、彼の場合は走った方が速いんだから仕方ないわよね」
12は416の心痛に構うことなく、脚を組み直しながら淀みなく話を続ける。
「ここまでが前提。
重要なのは、最後の10ページよ」
「ふん‥‥作戦コード‥‥は、塗り潰されてるわね。記述の位置的に、彼が関わった最後の作戦‥‥あぁ」
つまり、あの日ノアが言っていた「僕の仲間も全員死んだ」戦いが、この作戦なのだ。
「その反応からして、おおよそのことは知っているようね。
その作戦は間違いなく人類の寿命を大きく伸ばした一戦だけど、今は詳細を省くわ。
教祖を殺害した後の記述を見て」
――対象を除く部隊員全滅の後、最終的に対象は作戦目標である教祖を確保。しかし対象は「拘束して尋問施設に収容する」という方針を無視し教祖を殺害、
「『‥‥その血液を摂取。
血液らしき材質で形成された翼や尾を用いた広範囲の斬撃を始めとする、人類から逸脱した攻撃手段を多用。
鎮圧部隊による砲撃に対し、被弾の瞬間に全身を霧へ変化させて物理的干渉を無効化。
崩壊液爆弾によって被曝したが、瞬く間に変質を修正。
結果として、鎮圧部隊も交戦開始から83秒の後に全滅。
以上の特質から、対象を第三種遺存生命体・吸血鬼と推定する』‥‥。
‥‥何よ、コレ」
「あら。いくら彼の身体能力の高さを目にしていても、これは流石に恐ろしかった?」
「そこじゃ、ないわよ‥‥」
確かにこの記述を全て信じるならば、本気を出したノアは恐るべき厄災だ。遠距離から撮ったと思われる禍々しいシルエット、見るも無惨な死体や破壊の跡が、その恐ろしさを余すところなく報告している。
しかし、重要なのはそこではない。そこではないのだ。吸血鬼という単語さえ、416の意識の1%も占めていない。
報告書には『鎮圧部隊』とある。『緊急出動』のような記述はない。最初から配備されていたのだろう。
そして、この鎮圧部隊は教団の残党に対処するもの
つまり。この装備はノアのような超災害を想定したもので、つまりノアが暴走することは始めから分かっていて、つまりノアの仲間が全滅したことは――
「――この作戦、軍がわざと失敗させたのね」
「あぁ、そこに怒っているのね。貴女」
416の怒気を微風のように受け流していた12が、傾げていた首を戻した。
「別に貴女の仲間じゃないでしょう。
そこでそんなに怒るなんて、余程カストラートに愛着があるのね」
「‥‥私は、彼の嘆きを聴いたから」
あれは、嘆きという形をとってはいなかったけれど。
彼の痛々しい笑顔が、その心中に降り積もった自己嫌悪と罪悪感の質量を教えてくれた。
ノアはこの日からずっと、絶え間なく過去に押し戻されながら生きてきたのだろう。416自身もそうだったから分かる。
それでも、今まで生きてきたのだ。人形のためか自分のためかという違いこそあれど、自分たちは後ろを向いたまま今まで生きてきたのだ。
こんなところで、その旅路を終わらせるわけにはいかない。
416は顔を上げ、12を正面から見据えた。
「この報告書が正しいなら、ノアの体は吸血によって急激に活性化するってことで合ってるわよね」
「そうね。彼の体がボロ雑巾みたいになってるのは、長期間吸血を行っていないことによる代謝の停止が原因でしょう」
カルテの内容まで知っているのか、とは指摘しないでおく。今は話が早い方が助かる。
「じゃあ、血を確保して“猫の鼻”に戻らないと」
「それも
「は?どうしてそこで軍が出てくるのよ」
報告書のせいで、軍がノアにとどめを刺そうとしているのではないかと考えてしまう。
もしそうだとすると非常に拙い。“猫の鼻”には強力な人形が揃っているが、ノアの指揮なしに軍に対処することは難しいだろう。
「“麻袋”って暗号は知ってる?」
首を振ると、12は簡潔に概要を教えてくれた。
曰く、現在も被害者を増やし続けている連続吸血殺人事件らしい。被害者像や遺体の発見場所といった諸要素が、以前アンバーズヒルで発生したそれに酷似しているという。発生場所はC■■地区以外の広範囲。
一通り聞いて、416は嘆息した。
「あの事件の犯人は捕まって、しかも自殺したわ。
それに、ノアが血を飲んでいたなら今頃ピンピンしてるはずよ。どう考えても別件だわ」
「でしょうね。でも軍はそう思ってない‥‥というより、カストラートの仕業にしたがっている」
つまり悪い予感は当たっているわけだ。
416が思わず天井を仰いだとき、部屋の扉が開いた。94が顔を出して、
「12!車を取ってきた。すぐに出発するか?」
「そうね。まずアンジェを乗せて固定しましょう。
416、そっちの隊員にも出発準備をするよう伝えておいてくれるかしら」
「分かったわ」
416は無線をつけながら立ち上がる。
部屋を出るすれ違いざま、94が声をかけてきた。
「さっきMDRと会ったとき、伝言を任された。
USBの中身は音声データだそうだ。おそらくボイスログか何かだろうから、移動中に聞いておくといい」
「そうね。ありがとう‥‥‥‥何よ」
こちらは極めて普通の対応をしたはずなのに、94が目を見開いて首を傾げたのだ。
「416、お前はそういう性格だったか?
もっとこう‥‥棘のある感じだと思っていたが」
「はぁ?知らないわよそんなの」
身を翻して歩き出す。12と94がアンジェリアの病室に向かう足音を背に受けながら、少し考える。
(‥‥確かに、少し前の私ならあぁも普通に感謝の言葉を口にしなかったかも)
つまり「極めて普通の対応」もできていなかったということになるのだが、はて。
振り返ると、“猫の鼻”に来てからの自分は少なからず丸くなった気がする。
M16の鉄血化、UMP45の重傷、メンタルアップグレード、強敵を前にしての挫折。転機はいくつもあった気がするが、果たしてどれが鍵だったのだろう。
『キミが、HK416で間違いないかな』
『僕はノア。ノア=クランプス。助けにきたよ』
あの優しい声と眼差しに、一度命を救われた。
追いかける背中があんなにも優しいのだから、こちらが丸くなるのも仕方のないことなのかもしれない。
「全員聞こえる?すぐに出発の準備をして、正面玄関に集まって。
繰り返す。‥‥」
無線で部隊員に声をかけながら進む416の足取りは、誕生日を目前に控えた少女のように弾んでいた。
お久しぶりです(またか)。
もういっそ月一更新と割り切った方が精神的に楽かもしれないと思い始めてきました。
モチベがね‥‥。
とはいえ、Twitterとここの感想欄とで続きを望む声をいただいたおかげで、何とか続けられている次第です。アリガトネ‥‥
さて、そろそろこの「アンバーズヒルの吸血鬼・後篇」も大詰めとなります。
さらっと明かされたノアくんの正体(まぁみなさん察してたよね)、それでもノアを信頼している416(可愛いよね)。二人が今後どうなっていくのか、楽しみにしていてもらえると嬉しいです。
※知ってた?この二人、恋人同士でも何でもないんだよ。やばいね
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