早朝にもかかわらず日の光が潤沢に差し込む第4医務室。
誰もいないその部屋で、一人の女が目を覚ました。
視界一杯のトラバーチン模様に疑問を抱き、アンジェリアはむくりと身を起こす。
「あれ‥‥ここはどこかしら。
私は確か、戦場から脱出するために崩壊液爆弾を使って‥‥あいたたた。
すごく体が固まってる‥‥」
「目が、覚めたのね」
声のした方を見やる。医務室の入り口には、自分が指揮する小隊――反逆小隊のリーダー、AK-12が小さな花束を持って立っていた。その後ろにはAN-94も控えている。
アンジェは懐かしい顔に思わず安堵の息を吐いた。
「二人とも無事だったのね。よかったわ」
「えぇ、貴女のお陰でね。
‥‥彼の言う通り。今日の午前中には目覚めるって」
「彼?」
花束を置いた12が、ゆっくりと近づいてアンジェリアを抱き締める。
静かに漏れた吐息が、彼女の安心感を物語っていた。
「心配したわ」
「‥‥えぇ。心配かけたわね。ごめんなさい」
見れば、94は12の後ろでもじもじしている。
「94もおいで」
「あ‥‥はい」
遠慮がちに寄ってくる華奢な体躯を、12と同じように抱き締める。
「助かったわ、有難う。さすが私の小隊ね」
「いえ、そんな‥‥恐縮です」
そのとき、部屋の外からこそこそと話す声が聞こえてきた。
聞き覚えはある気がするが、さて誰だったろうか。
「そろそろ僕も入っていいと思う?」
「感動の再会に水を差さないの。いいタイミングになったら12が合図でもしてくれるわ」
「はぁ‥‥もういいわよ。どうぞ」
12が嘆息する。果たして姿を現したのは416だ。
「お久し振りです」
「あら416。なんか雰囲気変わったわね。久し振りに見たからかしら?
あと、もう一人声が聞こえたと思うんだけど‥‥」
「それは僕。
久し振りだねアンジェ。17、8年くらいかな。背伸びた?」
いつの間にか、ノアがベッド脇のスツールに腰掛けていた。
「‥‥か」
第4医務室に、アンジェリアの叫び声が響く。
「カプリチオ!?
嘘、全然見た目変わってない‥‥不老不死の怪物って噂は本当だったのね‥‥」
「そっちの名前で呼ばれるのも久し振りだなぁ。
今は本名の方が慣れてるから、ノアかクランプスでいいよ。
45たちは今出撃してるけど、戻り次第顔見せるってさ」
スツールや隣のベッド、はたまたベッドのフレームなど、それぞれが思い思いの場所に腰掛ける。
ぞっとする美しさは変わらないが、かつて目にした彼とはいくらか印象が異なっている。それはきっと表情のせいなのだろう。
「先に僕の話しちゃっていいの?」
「えぇ、どうぞ。一番重要だもの」12が頷く。
ノアは腕を組んで神妙な面持ちになる。
コレだ。あの日見た彼もこんな感じだったと、アンジェリアは内心で勝手に納得した。
「キミの体を治したのは僕だ。
――あぁ、感謝の言葉はいらないよ。まだ完治とは言えないからね」ノアが人差し指を立てる。
「まず、治した方法について。端的に言うと、キミの中に僕の血を1滴混ぜた。
被曝によって変異していた体組織を、吸血鬼の再生能力で巻き戻したわけさ」
「――マジ?」
「大マジ。でも安心して、そのせいでキミに副作用が出ることはない。寿命が爆伸びして友人に取り残される心配もない。
条件を守ればね」
かなりショッキングな話である。そもそもノアが吸血鬼という噂が真実だったことも驚愕だ。
そして12と94が驚く様子を見せないのは、あらかじめ施術内容を知っていたからだろう。その上で施術を阻止しなかった以上、自分にとって致命的なデメリットはないはず。事実ノアもそう言っている。そもそも、崩壊粒子と比べたら吸血鬼の血の方が100倍マシだと思う。‥‥多分だが。
アンジェリアは緊張と安堵がないまぜになった心情で訊ねた。「条件って?」
「一つ、日に当たること。吸血鬼の細胞が日光に弱いというのは迷信だけど、体の代謝を活性化してなるべく早く僕の血を排出する必要がある。
二つ、絶対に血を飲まないこと。今の状態で人血の味を覚えてしまったら、もうキミは人間に戻れない。自分の血は大丈夫だから、食事中に舌噛んで詰みなんてことはないけど」
「‥‥思ったより緩いのね」
思わずそう呟くと、ノアは苦笑した。「そうなるようにギリギリまで薄めたから」
「ただ、それでもキミの健康は薄氷の上を乗り越えて取り戻したものだ。
吸血鬼の体は完全マニュアル操作。心拍の調整やら髪を伸ばす速度やら、全て意識的に制御してる。今この瞬間もね。
当然再生能力も例外じゃない。自分の体の作りを細部まで把握してないと、再生どころか臓器不全による自滅もありうる。
今回キミの汚染は内臓に達していなかったから僕が操作を代行しても何とかなったけど、もし何か異常があればすぐに言うこと」
「えぇ。気を付けるわ」
完全マニュアル操作とは、吸血鬼も不便な生き物なのだなぁと同情した。
しかし得心がいく部分もある。普通に体を動かしていては、彼のような身体能力は得られない。全身に送る酸素の量や筋肉を収縮させる度合いを細かくカスタムすることで、人間を遥かに凌ぐ動きを実現しているのだろう。当然、元々の体の作りが違うこともあるだろうが。
アンジェリアが自分の分析に頷く一方、416が呟く。
「なるほど、だから寝起きの貴方はあんなに冷たいのね」
「え。416貴女、寝起きの彼に触ったことあるの?私にも触れたことないのに?」
「言い方ァ‥‥」ノアが額に手を当てて嘆息する。
「体温調節も意識的に行ってるんだけど、寝てる間はそうもいかない。
脳を半分ずつ眠らせて制御、ってのも面倒でね。
死なないしいいやって放置してたんだよ、僕自身は。
そしたら彼女に怒られて‥‥」
「怒って当然でしょ。
あのときは本当に何事かと思ったわ。30℃切ってたんだから」
そう言ってノアをねめつける416を指し、12が告げる。
「コレがこの基地の日常風景よ。甘ったるくて砂糖吐きそうだわ」
「ふふ、確かにコレを毎日見てたらキツいわ」
「命の恩人に無礼じゃない?まぁいいけど」
咳払いを一つ挟んで、ノアがフレームに体重をかける。きぃと小さく軋む音がした。
「それで、今後はどうする?
療養が済むまでここに滞在するもよし、何か目的を果たすまでここを拠点にするもよし」
アンジェリアは右手を握ってみる。開いてみる。問題はない。だが全身動かすとなると話は別だろうし、ここを使ってもいいと言ってくれるなら世話になろう。
しかし、ただゆっくりリハビリというのも性に合わない。アンジェリアは顔を上げて、ノアの目を見つめ返した。
「それじゃあお言葉に甘えて、完全に調子が戻るまではここのお世話になるわ。
でもその間も私なりの方法で貴方に協力します、ノア=クランプス指揮官。
手始めにできそうなのは情報共有かしら。
貴方、パラデウスについてはどのくらい詳しいの?」
アンジェリアの言葉に、ノアは肩を竦めて首を振る。
「ぜーんぜん。
そもそもこの地区には異常鉄血がいるからか、パラデウスは攻め込んでこないんだよね。
だから完全放置」
その反応は想定外だった。彼ならば当然気づいていそうなものなのに。いや、あの頃とは手口が様変わりしているから、結びつきを想像していないのかもしれない。
アンジェリアは深く息を吸って、その事実を告げる。
「軍の見解だと‥‥パラデウスは、17年前に貴方たちが潰した教団の残党よ」
「‥‥嘘、だと思いたいな。教祖は確かに殺したよ」
一瞬だけ、ノアから殺気が漏れた。窓がガタガタと音を立て、瞬間的に低下した気温がその場にいる全員の心胆を寒からしめた。「ノア」咄嗟に416が口を開く。「落ち着いて。話を聞きましょう」
「‥‥ごめん。続けて」
「教祖が本物だったことは確認が取れているみたい。
つまり教祖すら駒の一つで、その奥で糸を引く真の黒幕がいたことになるわ」
「――そっか」ノアが目を伏せる。
416は彼に何と声を掛けるべきか迷ったが、結局少し早口になりながら話を継いだ。
「じゃあ、これから”猫の鼻”の敵は異常鉄血に”欠落組”と軍、それからパラデウスになるのかしら。4つの勢力を同時に警戒するのは中々骨が折れそうだけど」
「そこで、私からの恩返しその2ね」
アンジェリアがピースサイン‥‥ではなく、指を2本立てる。
「私と反逆小隊で、軍とパラデウスの動向を追うわ。元々ソレが仕事だし。
その結果得られた情報はヘリアンたちにも共有するけど、貴方たちは軍と鉄血と‥‥”欠落組”?への対応に専念してほしい」
「おっけ。助かるよ。”欠落組”については、45たちに訊いて。一番詳しいのはあの子だから」
ノアはフレームに預けていた背を起こした。
医務室のドアに手をかけて、アンジェリアを見やる。その顔には、既にいつもの笑みが戻っている。
「それじゃあこれからよろしくね。アンジェリア」
「えぇ。お世話になるわ、ノア」
「私も失礼します。お大事に」416もすっと立ち上がって彼に続く。
「416も有難う。いい指揮官を持ったわね」
その言葉に、416は誇らしげな微笑を見せた。ノアの背が少し遠ざかっていることを確認してから、声量を落として言う。
「えぇ。世界で最高の指揮官よ」
「‥‥本当に彼の力を借りるの?アンジェ」
2人が去ったあと、12が口を開く。
アンジェリアは首を傾げた。「そのつもりだけど、何か
12が携帯端末を操作すると、サイドテーブル上の端末が振動した。アンジェリアのものだ。手に取って確認する。
第三種遺存生命体に関する報告。アンジェリアがそれを読み終えるのに十分な間を置いて、12は続ける。
「彼は吸血鬼よ。彼がその気になれば、いつでも私たちを消すことができる。
なぜか今は人形に尽くすことに執心しているから平気だけど、いつまでもそうとは限らないわ」
12は閉眼したまま、しかし真剣な面持ちで言う。
「その資料にある戦い方を、私たちは実際に見ているの。ね、94」
「はい。少なくとも、血のような色の翼状骨による飛行と、霧化によってエゴールの自爆を躱すところは確認しました」
エゴールが死んだことには驚きだが、間違いなく僥倖といえる。自分の意思を実現する最も有力な代行者が消えたとあれば、カーターの動きも鈍るに違いない。
12は腕を組んで、こちらを諫めるように眉根を寄せた。
「私たちが彼の力を借りたのは、アンジェを快復させるための手段が他に無かったから。
これ以上借りを作るのはお勧めできないわね」
「大丈夫よ、12」
端末を置いて、アンジェリアは微笑した。「彼は信頼できる」
「どうしてそう言い切れるの。
ノアと顔見知りとは前に言っていたけど、何があったの?」
「保安局にいた頃から、彼らのことは知ってたわ。ほとんど伝説だったもの。
だから私は当然、風格に満ち満ちた歴戦の猛者をイメージしていた。
でもね」
目を閉じて思い返す。
自分がまだ少女と呼べた時代。降り積もる雪が足音を吸い込む夜。アサインされた作戦の一つで、アンジェリアは部隊共々E.L.I.D感染者に包囲されたことがある。
超大型個体が目前まで迫り、衝撃波で脳を揺さぶられる不快感と激痛。自分はここで死ぬのだと、引き金を引く気力すら失いかけていた。
そんな中に飛び込んできたのが、鳩羽色の少女と416に似た美女だった。
「正規軍重大犯罪特務分室です!皆さん、意識はありますか!?」
女性が隊員を助け起こし、火器で連中を牽制しながら叫ぶ。
「カプリチオ!」
「任せとけ」
声を聞いて「彼女」ではないと理解した――「彼」はアンジェリアに迫っていた
「大丈夫か。まぁ、そんなわけないか。
ほら、キツいだろうが立て。まだお前は死んでないぞ」
今と違って愛想の欠片もない表情だったが、その本質は変わらない。
自分を助け起こす手つきは優しく、その体つきは華奢だった。
撤退するアンジェリアが最後に見たのは、超大型個体の脳天を踵落としで切り裂く彼の後ろ姿。
少し思い出に浸りすぎただろうか、目を開くと12と94が心配そうにこちらを見ている。
アンジェリアは少し恥ずかしそうに笑った。
「正直、夢みたいな光景だったけど。
『あぁ、この人たちがいるなら人類は大丈夫』って、そう思ったの」
***
「そういやさ。”麻袋”だっけ?アレどうなったんだろ――っくしゅ!」
いずこかの廃墟。ソファの背に積もる埃をふーっと吹いて、クレンザーが声を上げた。
「連続吸血殺人事件、だったかしら。
間違いなくドリーマーの仕業だと思うんだけど‥‥。
あれだけ広範囲に被害を出しておきながら、いつの間にかぱったり止んだわね」
クレンザーの脚を自分の腿に乗せたトーチャラーは、髪先を指で弄びながら考える。
ドリーマーは策謀家だ。クレンザーやケラウノスのようなトチ狂ったモデルを設計するあたり、快楽主義者およびロマンティストの気もあるが。
彼女がリスクを負うのは、余裕やリカバリー手段があるときだけ。正規軍が統括する地域にまで手を出すには余程の理由が必要なはず。
「何か、新しいハイエンドでも作ってるのかしら。
事件が終息したのは、実験が終わったから‥‥とか」
「ほーん。ソレって僕より強いのかな――っくしゅ!」
「どうかしらねぇ。現時点で貴女と戦って勝負になるのは、彼か
「アレスぅ?あんなん雑魚雑魚!お話にもならないね。僕の下位互換だもん。
でもでも、トーチャラーだって強いでしょ。僕と同じくらい」
トーチャラーは頬に手を当てて惚けた。「そうかしら?」
そうだよー、と言って鼻をぴくぴくさせるクレンザーの頭を優しく撫でる。
「ここ、やっぱり埃っぽいわよね」
「え、そう?僕気になんないけど――っくしゅ!」
「ほらくしゃみしてるじゃない」思わず苦笑する。「そろそろ引っ越しましょうか」
鼻を赤くしたクレンザーが手を叩く。「いいね!僕引っ越し大好き!」
その手がはたと止まり、首を傾げる。
「でも、どこにするの?」
「そうねぇ‥‥命4つ分くらい、私に借りがある奴がいるの。
ソイツのお城をいただきましょう」
***
C■■地区、鉄血領の最奥。赤いランプの明かりを反射させて、銀髪をツインテールにしたハイエンドモデルが飛び跳ねた。
「やったじゃんドリーマー!やっと完成したんでしょ、新しいハイエンド!」
「えぇ。カストラートがダウンしてくれて助かったわ。お陰で彼に悟られずデータを集められた」
ハイスツールの上でドリーマーが足を組みかえる。
その視線の先には、幾条ものケーブルに繋がれ起動を待つ戦術人形の姿がある。
長い黒髪は床に届いてなお余りある。ゴシックドレスを彷彿とさせる装備越しでも、蠱惑的な曲線美が窺えた。スカートだけは普通のドレスと比しても大きく広がっていて、それが彼女の存在感を強めている。
その全てが鉄血ハイエンドらしくモノクロのカラーリングで統一されており、赤い照明と合わさって妖しさに満ちた気配を放っていた。
待ちきれないといった様子でデストロイヤーが腕を振る。
「ねぇねぇドリーマー!早く起こしてあげましょうよ!」
「まったくせっかちねぇ‥‥。ほら下がって、危ないから」ドリーマーがしっしっと払うと、デストロイヤーはてててっと数歩退く。
ドリーマーはスイッチに指をかけ、その口角を吊り上げた。
「さぁ――『おはよう』の時間よ。”
今回は各陣営の動向についてのお話でした。タイトルは三橋鷹女リスペクト。
え、正規軍はどうしたって?おっさんサイドは描写してて楽しくないのでスルーです。
嘘です。多分次回出ます。
さて、ここまでパラデウスは完全放置だったわけですが、ここからちょっとずつ出すかな‥‥どうかな‥‥。
パラデウス登場=ほんへストーリーにガッツリ合流、だと思っているので、矛盾が起きないように調整しながら慎重かつ大胆に書いていきます。
感想や高評価などお待ちしております。