稜線を越えてくる日の光は薄く、鳥や人形たちもまだ寝静まっている時間。
宿舎は404小隊の部屋、ベッドから身を起こす影があった。
寝間着姿の416は、頭痛を堪えるかのように頭を抱えて呟く。
「一体どうなってるのよ‥‥」
彼女の悩みの種は睡眠だ。
スリープ中、戦術人形は活動中に獲得した
その分別はプログラムにより自動化されていて、人間でいうところの無意識によって情報は整理される。その動作は完全に放置していても問題は無い。
しかし中には自分の中で起こるバグを心配する人形や、重みづけを細かく修正したい凝り性な人形もいる。416はその両方だった。
戦術人形が夢を見ることは無いものの、デバッグモードでスリープ状態に入ることで、このデータ整理を監視できる。
そして416が頭を抱えていたのは、ここ最近デバッグモードで目にする記憶の内容だった。
重要な情報としてタグ付けされたのは、戦闘記録・行政事務に関する記録・他の人形との会話、そして——
「どうしてノアがこんなに多いの」
ノアとの会話、彼の表情、仕草。それらが一つ残らず最重要レベルのログとしてインデックス化されていた。
基本的に、以前入力されたのと類似した情報はダブりとして破棄される。したがってノアとの日常も、ある程度間引いて記録されるはず。
「記憶処理のバグ?でも処理自体に異常は無いし‥‥」
この状況について相談するならノアが一番確実だろうが、内容が内容だけに少し恥ずかしい。さて、どうしたものか‥‥。
「――というわけなの」
同日の夜、宿舎の部屋。その日のうちに416はUMP姉妹に自身の悩みを打ち明けた。ちなみにG11は寝ている。
416と向かい側のソファに腰掛ける9は、心配1割楽しさ9割といった面持ちで訊ねた。「重みづけの修正は試した?」
「えぇ。翌日のスリープ時には戻ってしまったけど」
「416がノアと接するときに抱く感想が、以前と変わってるんじゃない?
それがメタデータとして付与されてるから、重みづけを修正してもすぐに上書きされるとか」
45が底意地の悪そうな笑顔で頬杖を突く。「どう?最近ノアを見て、いつもと違うことは?」
彼女の表情を見る限り、ここで正直に話せば散々おちょくられることは想像に難くない。しかし背に腹は代えられない、416はウィスキーを嚥下してから口を開いた。
「‥‥最近、あの人の仕草がすごく色っぽく見える」
「「わーお」」
姉妹共々目を見開いてこちらを見る。416は眉を吊り上げた。「何よ」
「いやぁ、別に?それよりもほら、特にどこに欲情してるの?」「言い方もうちょっと考えなさいよッ」
416は頬を赤くしてそっぽを向く。「‥‥唇と犬歯と舌。あと指」「それはえっちだよ~!」9が顔を真っ赤にして身悶えした。
「女が男に性欲を抱く場所トップ4じゃん」
「そうなの?」
「知らない。でも口と指はあるあるじゃない?」
「私は腕かなぁ。45姉は?」
「んー?‥‥目とか」
「えっちだー!」
姉妹がキャッキャと騒いでいる。416は深く息を吐いた。「コレって、やっぱりそうよね。性欲ってやつなのかしら」
45は肩を竦める。
「どうかしら。そもそも
たまーにムラつくことはあったけど、放っておけば消えるくらいのものだったし。
416は今までそういうのあった?」
「いや‥‥無いわね」416は腕を組んだ。これまでの経験を思い返しても、自分が性的に興奮したことはない。
「416は軍用モデルだし、そういうの無くても不思議じゃないよね」
9がうんうんと頷く。416は嘆息して天井を見上げた。
「特定の異性と長く居すぎたから、かしら。
今までこんなに長期間、一つの基地に滞在したことなんて無いわよね」
「今までなかったものが時間だけをトリガーにして発現する、なんてことはないと思うよ。
何かきっかけがあるんじゃない?」
45の問いかけに、416は自分の行動を振り返る。
唇や歯を意識してしまう理由は明白だ。正規軍襲来の日、ブラッドカクテルを飲ませるために敢行したキスだろう。なんといっても血の味に満ちたディープキスだ、あの感触と緊張感は意識に焼き付いて離れない。
あれから、日を追うごとに彼の唇へ意識が向いてしまう。一度ブラックコーヒーに挑戦した彼が「にがー」と舌を出したときなんて、直視すらできなかった。
416は激しく紅潮した。
「え、何その反応」45が愕然と呟く。「本当に何かあったわけ?」
「いや、それは」
「教えてよ416!ここまで話したらもう何言っても変わらないって!」
9の期待に満ちた視線が、416に諦観の念を抱かせた。赤くなった顔を押さえて、蚊の鳴くような声で呟く。
「キス‥‥したの。正規軍が攻めてきた日、ノアを目覚めさせるために‥‥」
「「‥‥」」
45は天井を見上げて顔を両手で覆い、9は顔を真っ赤にして呆然とこちらを見ていた。
「キスって、どっち?」
「‥‥深い方」
「うわぁ‥‥」
今度は項垂れる。こんなに振れ幅の大きい45は初めて見た気がする。
「いや、結果的にノアは目を覚ましたからいいけど‥‥。
貴女キスなんてしたことないでしょ。よくする気になったわね」
「それは‥‥医療行為だし。人工呼吸みたいなものでしょ」
「人工呼吸でディープキスなんてしないわよ。そもそもアレは口じゃなくて鼻だから」
45は果てしなく大きな溜息を吐いた。
「12から情報共有してもらったから分かるけど、多分血を飲ませたんでしょ。口移しで。
‥‥血と言えば、輸血液が確保できないって聞いたときの貴女の取り乱しようは異常だった。
どうしてノア一人のためにそこまでできるわけ?桁外れに優秀とはいえ、
スペックが高いからって、他の男とそこまで扱い変わる?」
「‥‥‥‥」
その言葉に、416は目を伏せて考え込んだ。
――彼は自分の重要さを理解していないとしか思えない生活をしているから、私が支えてるってだけ。要は銃のメンテと同じ。
かつて45に似たようなことを問われたとき、416はそう答えた。その気持ちは、今と変わらないだろうか。
(違うわね)
初めて出会った日。死骸が如く座り込んでいた自分にかけられた、毛布のように温かく優しい声を思い出す。
誰も知らない彼の苦痛に触れて、寄り添うことを自分の使命だと思った。
それでも、彼の背中は今まで出会った誰よりも遠く。追いつこうと走る自分に、彼は待ちわびるような笑顔を見せた。
416が自爆したときは酷かった。捨てられた猫のような顔で怒る彼が、今にも泣きそうで。
花畑で喧嘩した後、そのまま彼は深い眠りについてしまった。あのときほど心細かった経験は、全ての作戦記録を振り返っても見当たらない。
そして目覚めた彼が浮かべた笑みは、以前と変わらず優しかった。
きっとHK416という戦術人形は、ノア=クランプスの表情を他の何者よりも多く知っているだろう。
その一つ一つが、ともすれば過去に引きずられがちな彼女の脚を、前に踏み出させていた。
「あの人は、私にとって‥‥」
ノアが眠る部屋の中、エゴールの放った弾丸が迫るあの瞬間。
自分を抱く細腕の熱と、それに抱いた泣きたくなるほどの安心感を、416は一生忘れないだろう。
あの熱がなければ、自分が自分でいられない気がする。
「私に、とって‥‥」
ことん、と音がした。
それは416のメンタルモデルから聞こえた音だった。製造時点では存在しなかったはずのとある感情が、生涯最大の衝撃を以て生まれ落ちた音だった。
「――あ」
416が目を見開いた。結論に辿り着いたというその表情で、UMP姉妹は全てを悟る。
「そうなのね。コレが‥‥」
「彼を守りたい」という決意と、「彼に守られていたい」という依存心が衝突して、メンタルモデルが激しく波打つ。
ノアのことが何よりも大切だということ以外、何も分からない。
比喩や形容詞による分節化を許さないこの感情を、ひとまずは恋と呼ぶのだろう。
堪えきれない胸の痛みに、416は思わずシャツを握り締めた。
「――私、ノアに恋してるのね」
マスタースパァァァァァァク!!!(条件反射)
はい。
今回は416が新しい感情に出会うお話でした。
恋に「落ちる」という感覚、落ちるって言うくらいなんだからこのくらいの衝撃はあるよなー、と思ってます。
だって心の自由落下ですもん。恋心っていう隕石が落ちたなら、それまで堆積した感情を抉って地殻に食い込むくらいはしますよね。
拙作はここに来てようやく恋愛要素を獲得しました。逆に言えば、これまでは恋愛要素なかったんやで。これマジ?
恋色戦線と題しました通り、次回は他の人物の戦況が描かれます。
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