「はー‥‥あっつ」
”猫の鼻”の本棟屋上。夜陰を流れていく風を浴び、ノアは酒精で熱くなった頬を冷やしていた。
鮮やかに輝く星空を見上げて、大きな溜息を吐く。
グローザに指定されたバーでは彼女の他にMDRとMk48も待ち構えていて、指輪に関することをしつこく問い詰められたのだ。
何度同じ答えを返しても納得しない三人に、半ば苛立ちながらその理由を訊ねたノアに返ってきたのは、三者三様の呆れ顔だった。
『アンタが嘘吐くからでしょ。女の勘を舐めるんじゃないわよ』
『僕は嘘なんて‥‥』
『無自覚ってマジ?ソレはソレで問題じゃない?』
そんな調子でかれこれ2時間も拘束され、普段よりずっと多くのグラスを空ける羽目になった。
結局は代金だけ置いて”
――とにかく!誰かに指輪を渡すつもりはないから!
あの言葉に嘘はない。無いのだが、自分でもどこか違和感を抱いているのだ。しかし、その理由だけが分からないまま、人形たちの問いから逃げ続けている。
バーで彼女たちに言われた言葉を思い返す。
――何も難しい質問じゃないと思うんだけど。ずっと一緒にいたいのは誰?って話じゃん。
――多分思考の主体がずれてるのよ。『誰の気持ちに報いなければならないか』とか思ってるんでしょ。
――ほんと莫迦ね。貴方がどうしたいって話なのに。
「僕が、どうしたいのか‥‥」
小さな集落で、助けを求めて叫ぶ人形の声を聞いたとき。”猫の鼻”に来ることを決めたとき。
あの瞬間抱いた決意は、今も変わらない。
「僕は、人形たちみんなに、相応の幸せを‥‥あぁ、そういうことか」
思考の主体がずれている、というMk48の指摘はまったくもって正しかった。
彼女たちは全員、指揮官としてのノアではなく、個人としてのノア=クランプスに問うていたのだから。
そう理解すると同時に、すっと頭の中に浮かんでくる名前があった。
しかしその名を口にする前に、着信音がノアの意識を遮った。
名前を呼び間違えないように、画面を確認してから応答する。
「もしもしノアだよ。こんな時間にどうしたの?アンジェリア」
『夜遅くにごめんなさい。報告したいことがあって』
曰く、パラデウスの動向や優曇華の花に関する情報を得たらしい。
これから、その提供者に接触するのだという。
「お相手は何者なの?」
『ごめんなさい、それは言えないの。相手の希望でね』
「本当に大丈夫かよ‥‥。
”欠落組”のこともあるし、近頃は謎の百鬼夜行も目撃されてる。
注意してね」
『大丈夫よ。
当然気を付けて動くし、
期待してて』
通話の切れた端末を眺めながら、ノアは「だといいけど‥‥」と独り言ちた。
(縁起でもないけど、むしろ戦力が減る気がするんだよな)
「相変わらず夜行性ね。アンバーズヒルの吸血鬼様は」
聞き慣れた声に振り返る。
月明かりを反射してぼんやりと輝く銀の長髪を靡かせながら、こちらへ歩いてくる416が微笑んだ。
「なんだか丸一日くらい会ってない感じがするわ」
「あっは。僕も」
フェンスに腕を乗せていたノアの隣に、416も同じように身を預ける。
その手には細長い箱。白い外装に赤いリボンという、いかにも贈り物然とした見た目をしている。
「その箱、どうしたの?」
「ちょっとね」
それでは何も伝わらない。
もう少しだけ追求しようと視線を彼女の横顔に戻すと、その頬が赤くなっているのが分かった。
これは追及しても仕方がないと察し、夜空を見上げて時間を潰すことにした。
「‥‥ほら」
二人の体温がフェンスを通じて混ざり始めた頃、小さな声がした。
コツコツ、と手をつつかれる。見れば、416が件の箱でこちらを小突いている。
とりあえず受け取っておく。
「プレゼント?Danke.
でも、今日って何か特別な日だったっけ」
「別に。いつもお世話になってるから、お礼」
いつもより少し早口で、416がそう言った。
「今日は忙しそうだったから。渡し損ねたの」
「明日でもよかったのに」
「他の人形に見られると面倒臭いのよ」
ノアはくるりと身を翻し、フェンスを背凭れにして箱を胸に抱えた。「ありがと」
「開けてもいい?」
「どうぞ」
リボンを解くノアの様子を、416が横目でチラチラと見ている。
箱を開けると、果たして中に入っていたのはネクタイだった。
灰色に黒猫のワンポイントが刺繍されているソレを見て、ノアは小さく歓声を上げた。
「わぁ‥‥!可愛いね。コレ、416が選んでくれたの?」
「そうよ。貴方、あんまりネクタイ持ってないでしょ。
精々足しにしてちょうだい」
「うん!大事にするね」
そう答えたノアの表情を、416がじぃっと見つめている。
何かを読み取ろうというより、何かを態度で示したいような素振りだが‥‥。
「‥‥」
「ど、どうしたの‥‥?」
「別に。
それじゃ、私は戻るから。おやすみ、ノア」
「うん、おやすみ」
少しだけ怒ったような、落胆したような足取りで屋上を去る背中を見送る。
彼女の気配がなくなったのを確認して、ノアはその場にへたり込んだ。
「参ったな‥‥。
こういうのは、勘弁してくれよ‥‥」
先ほどの416の真意を、ノアはその実しっかりと理解していた。
女が男にネクタイを贈ることに宿る意味は、ただ一つしかないのだから。
お久し振りです。
最近色々忙しくて全然こちらに手が回っていませんでした。
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次回は敵サイドのお話です。
よろしくお願いします。