狂気の滲んだ微かな独り言が、フローラ植物研究所の一室に響いていた。
「そんな‥‥どうして戦術人形がここに‥‥こんなの‥‥」
「どうやら、パラデウスは完全にここを捨て駒として使っていたようね」
抵抗虚しく捕縛され、動揺で声を震わせるリオーニを尻目にRPK-16は呟く。
抱き起こされたアンジェリアが、ガスの影響で青ざめた顔のまま立ち上がる。
肩を貸すAK-15に状況を確認すると、
「他の研究員も全て無力化しました。
まともな戦力がいなかったから、こちらの消耗は弾薬含め皆無です」
「ソレは好都合ね。情報は手に入ったし、早く撤退しましょう」
ごきゃり。
3人が歩き始めたその瞬間。ドアを突き破って雪崩れ込んできた黒い塊が、アンジェリアとAK-15の視界を駆け抜けた。
振り返れば、ソレは巨大な顎を備えた無脊椎動物に見えた。体表はどこまでも光を反射しない漆黒なので、血の色を素直に湛えた口だけが鮮明に映った。さながら魔龍とでも呼ぶべき、冒涜的で暴力的な見た目をしていた。
そしてソレは、びっしりと並んだ牙の隙間から零れる涎にも構わず、射線上にいた2人――RPK16とリオーニを貪っている。
二人は、断末魔を上げる間もなくこと切れていた。
「――15!RPK-16を置いて撤退する!火力支援を!」
想像を絶する光景に一瞬硬直したアンジェリアだったが、全身を駆け巡る危機感のままに声を上げた。
出入口は魔龍の体で塞がれている。15は躊躇なく部屋の壁を殴り砕いた。左側には黒い体が延々と続いていたので、否応なく二人は右側に舵を切った。
(ごめんなさい、RPK-16‥‥。
こんなに早く貴女を失うなんて‥‥!)
しかし、隊員の喪失を嘆く感情すら、抱えて走る余裕はないのだと。廊下の角を曲がった瞬間、アンジェリアは理解した。
コンクリートを破砕する轟音が、背後で響いたからだ。
振り返らずとも分かる。先の食事を終えた捕食者が、次の料理を求めて動き始めたのだ。
「15!最短の脱出経路は!?」
「こっちへ!」
道を知る15を先行させ、全力で駆ける。
しかし、あの気配が遠ざかる様子はない。むしろ、1秒ごとに距離が縮まっていた。
「クソッ、どうやって動いてるのよ‥‥!」
少しでも足を遅らせるために、振り返って銃口を向けた。
そして、目に映る光景の悍ましさに呼吸が止まる。
RPK-16とリオーニだけではない。魔龍に食い散らかされた被害者たちが、それぞれギリギリ判別できる程度の
引き金を引いても、当然魔龍は止まらない。
15と二人がかりの掃射でも、手榴弾でも速度は緩まない。研究所の廊下がもっと広かったなら、自分たちは2分前には死んでいる。
まもなく、両者の距離は零になる。醜悪な顎がこれまで以上に大きく開かれ――
瞬間、喉が焼けるかと思うほどの冷気が廊下を駆け抜けた。
壁も天井も、アンジェリアと15を避けるようにして、世界のすべてが凍り付く。
魔龍も例外ではない。先程までの暴走が嘘だったかのごとく、完全に停止していた。
「コレ、は‥‥氷結能力!?まさか‥‥」
「”欠落組”の
「分からない。C■■地区からここまで、相当距離があるし‥‥。
でも、こんなことができそうな相手は、あとは故人でしか思いつくあてが無いわ。
とにかく、コイツがいつまでこのままか分からない。
トーチャラーを警戒しつつ、全速で離脱するわよ」
「了解」
***
そうして走り去った二人の気配が完全に消えた頃、魔龍を覆っていた氷が砕け落ちた。
リールに巻き取られるかのように、長く黒い体はしゅるると引き下がっていく。
やがてソレは研究所の裏に佇む、黒いドレスに身を包んだ戦術人形の傍で解け、元の姿――
ナハツェーラは指で髪を梳り、ほうと息を吐く。
「2人逃したか‥‥。しかし、摘むべき芽は摘んだ。
それより
持ちうるのは、OGASに匹敵する力の宿主か。
争うならば、”ラミア”の使用は必至‥‥」
独り言ちるナハツェーラの足元に、ゴロゴロと何かが転がってきた。
見れば、ソレはかつて彼女が傀儡にした戦術人形――ネゲヴの頭部だった。
「戦いを手下に任せてご自分は髪で遊んでるだけ、なんていいご身分ですね。
いい加減通してくれます?邪魔なんですよ」
明らかに苛立っているその声を聞いて初めて、ナハツェーラは視線を上げる。
そこにいたのは、蛇のようなデザインの捕脚を備えた異形の女性――モリドーだ。その周囲には、先程までナハツェーラの眷属として命を燃やしていた者たちの亡骸が、絨毯のように広がっている。
モリドーはミディアムショートの白髪をかき上げ、荒く息を吐いていた。
「この方たちを見て理解しました。
我々の信徒が集う拠点を襲撃し、妹たちを手当たり次第に殺している怪物‥‥。
お父様が仰っていたのは、貴女のことですね」
「『お父様』‥‥他の兵たちも同じことを言っていた。
ソレが、今この星を蝕んでいる病魔で相違ないか」
「お父様が病魔ですって?
この腐った世界を作り替える、救世主の間違いでしょう」
ナハツェーラはゆるりと首を振り、静謐な殺意を湛えてモリドーを見据える。
「信仰と思考停止は等しい在り方である。
紛い物とはいえ、やはり人を模している以上、愚かしいものに変わりは無いか」
どこからともなく、ナハツェーラの手には髑髏と十字があしらわれた小銃が握られていた。
豪奢で禍々しい意匠に包まれた銃口を向けられて、モリドーは再び臨戦態勢に入る。
「ちょうどいいわ。ここで貴女を殺して、その首をお父様へのお土産にすることにします」
モリドーの捕脚、その先端から、今にも血の雫が落ちようとしている。
やがて雫が重力に従い、地面に触れた瞬間――2つの化生による殺し合いが始まった。
前回が”猫の鼻”の平和なお話だったので、今回は他陣営の平和じゃないお話です。
かなりちんたら執筆していたので、自分でもナハツェーラの口調が分かんなくなりながら書きました。語彙が難しい。
感想や高評価など頂けますと非常に励みになります。よろしくお願いします。
次はちょっと短めで、欠落組のお話になる予定です。