だめドラ→こドラ   作:わてり@henry

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※ やや長いので、3分割にさせて戴きました。
 こちらは前編となります。




 **** **** **** ****

 

 

 

 

 …………――――――――ん?

 バタバタバタバタバタバタ…………。

 

「ねぇねぇ、デーリッチは何で空飛べるの?」

 

 私はゆっくりとこたつの中から這い出て、彼女に聞いた。

 デーリッチは、その青いツインテールをヘリコプターの羽のように回転させながら、こちらを見下ろしていた。

 大空。拠点のお城の天井が吹っ飛んでいて、雲ひとつない晴天を見せている。何が起きたんだろ。

 

「デーリッチは王様でちからね!」

「そっかー」

 

 王様なら、しかたないか。貴族を越える王。すごい。

 なんとなく納得した。

 ちょっと前に、漫画で同じような空飛ぶ情景を見ていたからかもしれない。リアルが漫画に追いつくことは、稀によくある。王国に来てからは、本当にそう思う。

 ありえなさそうで、ありそうな事。

 デーリッチは割と空を飛ぶ気配を見せていたし、その内、五体合体するロボットも登場しそうだ。

 合体。そういえば、最近読んだサッカー漫画には、味方チーム全員が協力する謎の合体技があった。しかも、つい先程まで殴り合っていたライバルも加わった、最強の必殺技! ああいうの、好き。やってみたい。

 

「私も飛ばなきゃ……」

 

 妄想に指を這わせていると、なんだかムズムズしてきて、ふと、口をついて出てくる。

 竜化のできない私が、どうやって翼を広げればいいんだろう。いや、ツインテールが風を切れるのなら、こたつの角だって、やれば出来るはずじゃん?

 私は力を入れてみた。どこに? わからん……。

 けど、なんか出来た。やってみるもんだ。

 浮くかな? 浮いた。おお…………びっくり。

 フライングコタツ! 上昇すればするほど、色んなものが見下ろせた。拠点のお城、ハグレ道場、私のこたつ喫茶、大きなグラウンド、タイガー灯台、みんなの王国。

 ……――――あれ、どこまで上がるんだろ?

 

 あっヤベ。これ夢じゃん。

 

 うわ、私、宇宙空間でビックバイ………ビッグパパイヤ号に乗った英雄ルフレと目があってる。ウサギじゃん。すっごいウサちゃんじゃん! って知り合いだった! マジウケる!

 バタバタバタバタバタバタバタバタバタ…………。

 なおもデーリッチはホバリングを続けていて、どんどん宇宙の彼方へと消えていく。

 おかしいなー。姿は小さくなっていくのに、音は大きくなっていく。

 

 …………ぼふっ。

「!?」

 

 突然、頬に生暖かい、柔らかい物体が当たった。タオル? タオル……! マジウケる! どこにウケたんだ私は。

 そのとき、まばゆい光が視界を覆った。

 真っ白……くはない、真っ黒だ。

 マブタの裏だ。私は知っている。起きたんだ。目が覚めたんだ。ゆめから、夢の中から――――

 

 

 **** **** **** ****

 

 

 起床。

 いつもは、ローズマリーのやや険しい顔を一番最初に見る。

 お母さんみたいに、フランパンを叩きながら起こしにきてくれて……――――それか、デーリッチがドンドンと布団の上から覆いかぶさってきて、自分の悲鳴で目が覚める事もある。

 どちらにしても、作りたてのスープの匂いがどこからか漂ってきてて、何だか、変な言い方だけど、王国で迎える朝は、安心できるやかましさがあった。

 

 ――――今日は、それが無かった。

 

 妙なぬくさが背中にあって、私はこたつの中で寝てしまっていたことに気づく。

 こたつの中で眠れば、朝の起床ガチャでデーリッチを引いてしまった時でも、プレスを回避できる。

 だけども、昼寝と違って、寝違えて首が痛い時がほとんどで、あんまりやらなくなったはずだった。

 …………何で寝落ちしたんだっけ。

 ……………………。

 ……。

 ああそうだ。

 『ドラゴンゴール』の全巻セットを買って読んでたんだった。“KI”を使って相手キーパーを叩きのめす別次元サッカー漫画。あんまりにも面白くって、

 ――――顔の近くには、昨日、夜更ししてまで読んでいた漫画が散らばっている……と、その前に、まず、私の視界に映り込むものが居た。

 

 タオルだ。

 暖かそうな茶色のタオル。高級ホテルのふわふわにはちょっと遠い、けどお日様の匂いのする、でかいやつ。

 って、ベロベロスじゃん。

 と、ここまで来て、私は全部を悟った。

 バタバタバタ……というのは、ベロスの尻尾が、勢いよく振られる音だったようだ。

 起こし手が、デーリッチかローズマリーでないときは、大抵ゼニヤッタちゃんが静かに揺り起こしてくれる。これはガチャ排出率で言うと、SSRクラスの幸運なんだけど、どうやらそれとも違ってて、珍しく平穏ではない朝っぽい。

 

「なぁに?」

 

 寝ぼけた声で応答する。すると、思いもよらぬ方向から答えが返ってきた。

 

「こドラ。あんたに手紙だってさ」

 

 声と同時に、目の前のベロスが何かを差し出してきた。ずっと口で咥えていたのか、ヨダレで湿った手紙だ。

 なにこれ。いきなり。事件の匂いする。

 声からして、もうひとりはヤエっぽいけど。ああ。何となく事態が飲み込めてきた。

 つまり、

 私は、

 まだ、

 眠い!

 ムリ。動きたくない。めんど……。寝る…………。

 

「もうすこししたら考えるね……」

 

 私は寒くなってきた亀のように、自分のこたつに顔を潜り込ませていった。が、

 

「雪乃、手伝って」

「はーい」

 

 私は、ヤエと雪乃とベロスに引っ張られて、こたつパージをせざるを得なくなった。

 中身を出されたつぶ貝みたいにクルンと丸くなって、私は朝の冷た……お昼の微妙な暖かさの空気に触れた。

 

「うわーひかりがー溶けるー」

「溶けないから早く起きなさい」

 

 ヤエが顔を近づけて嗜めてくる。んー。

 割と緊急なのかな? にしてもそれほど大事な手紙って、誰からだろう。

 王国の皆なら、わざわざ手紙で伝えないし。

 

「こ、この私の眠りを妨げるとは……」

「いいから。さっさと読んで。ベロスと散歩してたら、あんたの友達が、すごい剣幕で渡してきたんだから。きっと、大事な用があるのよ」

 

 友達?

 誰だろ。喫茶店の常連のセツ婆ちゃんかな。

 それとも、ベーゴマキングのタカオ?

 大事な用なら尚更、手紙って回りくどくない?

 顔を上げて、皆の方に向き直る。差し出されたそれには、見覚えのない字体で、『果たし状』と書いてあった。

 

「ダメじゃん! お手紙じゃないじゃん!」

 

 私はこたつカウンターばりに即時反射してツッコんだ。

 それを見たヤエは、まるで『その反応は元々わかっていた』と言わんばかりに不敵な笑みを浮かべて返す。

 

「いえ。サイキッカーの私にはわかるわ。きっとこれは照れ隠しのラブレターよ! 開けてみてビックリ! とろアマポエムが満載に違いないわ!」

「んー……そんな事言ったってなぁ」

 

 一体何のサプライズだろう。

 ただ、手紙はハートのシールで封がしてあって、バトルラブレター説を推すヤエの言い分も、ほんのちょびっとだけど分からなくもない。

 それに、開けた形跡が見当たらないから、ちゃんとカンニングせずに持ってきてくれたみたいだ。

 

 私はまじまじと手紙を観察する。

 それにしても、このシール、見覚えがある気がする。

 私は、チラ、とヤエの表情を覗き見た。

 寝起きドッキリ仕掛けてやったぜ! 的なドヤ顔をしている。

 

 ……この流れ、絶対すぐに開けなきゃいけないやつじゃん。

 

 そんなに中身が気になるんだろうか。

 私にくる果たし状なんて、2つくらいしか考えられないけど。

 

 ひとつは、私にソックリな珍獣のネテンダー。

 趣味が似てるから話が合うかと思ったけど、何故か、一方的にライバル視されちゃったヤツ。アーマード・ドラゴンのキャラ被りを危険視してるんだろうか。

 

 もうひとつは――――

 

『おい だめドラゴン 今日の正午 次元の塔6層 冥界屋敷裏手の崖で私と勝負しろ リューコより』

 

(あー……………)

「でしょ? あえて覗かないけど、熱烈なラブコールだったでしょ?」

 

 むにゃーもう、寝起きドッキリであってほしかった。

 とろアマどころか、わさび醤油一気レベルじゃん。

 私は、2人と1匹に果たし状の中身を開示する事にした。

 

「ラブレターと云うより、ボスレターだったわけじゃんよ」

 

 それを見たヤエと雪乃は、意外や意外、という風な困惑の色を浮かべた。ベロスですら、3分の2くらい首を傾げて、疑問を向けてきている。

 雪乃が云う。

 

「本当に果たし状だったんだ……。ねぇ、ヤエちゃんどうしようか」

「う、うーん。予想外の事態を踏まえて、開封まで見守ったけど、そのあとの事をなにひとつ考えてなかったわ……」

「思いっきり果たし状って書いてあるじゃん……みんなどうしたの……」

 

 私は二人に問いかけた。

 もしや、まだ夢の中なんだろうか。デーリッチとローズマリーはどこに行ったのか。ヤエが答える。

 

「いや、あんな恋する乙女みたいな仕草で渡されたら、さ」

「うんうん。私も学校であんな感じになってる男子見たもん」

(男子って……ちょっとウケるじゃん)

 

 夢ではないけど、割と納得してしまった。

 多分、プライドが高い彼女は、『王国内で私を探している』なんて思われたくなかったんだろう。

 けど、王国の地理が良くわかんないから、誰か知ってそうなひとに手紙を渡すしかなかった。

 そのときに、宛先を聞かれて、結局私の名前を出さなきゃいけなくて、慌ててしまった。

 そんな感じなんだろう。

 

 ――――どうして、決闘なんてしようと思ったんだろう。

 しかも、ポストに入れるんじゃなくて、手渡しって、よっぽど緊急なんだよね。きっと。

 口で伝えたり、手で引っ張っていこうとするのが嫌だから、手紙に、手紙?

 ……――――あ!

  ここで、私の脳裏にひらめきが走った。

 

「きっと罠じゃん。なんかヤバイこと企んでるんじゃん?」

 

 こたつブレインを甘く見ないで欲しいよね。

 この事件、謎は全て解けた! と思う。

 どこかで見たと思ったら、漫画『名探犬 金田ワン・ワンの事件簿』にあった殺人事件の導入にソックリなんだ。

 招待状をお金で雇った第三者に運ばせた事件! 郵送やポスト投函すると、狙ったタイミングで相手に届かなくて、アリバイを上手く成立させられないから、と考えられたトリックだ。

 

 …………んー。まあ、トラップじゃなくても行くつもりはなかったけどさ。

 

「まあ、あんた指名してるし、ヤバそうな誘いなのは確かね。どうする? 行くんなら私達二人も加勢するわよ?」

「しれっと私も混ぜられてる!」

「雪乃は今日お店休みでしょ? それに、きっとついてくる」

「……うん! 氷のヴェールいると思うし。ゼニヤッタちゃんも誘ったらいいかも」

 

 ヤエと雪乃はもう行く気満々のようだった。

 その提案に、私は、少しだけ口を噤んだ。

 考えるまでもなく、答えは出ている。けれど、相手――リューコの事を考えると、頭が真っ白になってしまう。

 まだ、怖いのかな。

 しっかりしろコタツ。お前は誇り高きアーマード・ドラゴンなんだ!

 

「あ……あのね」 私は答える。「私お店があるから……その、行かないと思う」

 

 逃げなのか、勇気なのか、私には分からなかった。

 だけど、その答えを聞いたヤエの表情からは、清々しい笑みがこぼれていた。

 

「だよね。こっちには王国の生活がある。相手の事情を見ないで、一方的な要求を通そうとするなんて虫が良すぎる」

 

 それを見て、ちょっと安心した。

 正しい選択をした、気が、した。

 

「それじゃ、手紙はあとで本人に返しておくわ」

 

 そのままゴミ箱に捨ててしまえばいいのに、律儀にも、送り返してくれるらしい。私から手紙を引き上げて、ヤエは指を立ててサインした。

 それは踵を返す合図だったみたいで、私は一瞬、反応が遅れてしまった。

 

「おいで、ベロス」

「わう」

「それじゃ、いってきますー」

 

 二人と一匹がみるみる遠ざかっていく。

 

「あ、」(待って――――)

 

 声を掛けようとした途端、ヤエの足が止まって、くるりと振り返った。

 そして、ちょうど私の言葉に、彼女のものが覆いかぶさった。

 

「そうそう。台所に作り置きのおにぎりがあるから食べてね。でち子とローズマリーは、朝からちょっと遠征してて居ないのよ。何でも、帝都にあると言われる幻の究極プリンを探しに行くんだってさ。だから、私がベロスと地竜ちゃんの散歩してたの」

「ヤエちゃん暇だからね」

「うっさい」

 

 ――――呼び止めるタイミングを逃してしまった。

 2人と1匹が居なくなって、静かになる。私ひとりになる。

 私の耳に、ヤエの言っていた内容が反響していた。

 

『手紙はあとで本人に返しておくわ』

 

 本人に返す。

 チラ、と時計を見る。ちょうど正午を回ろうとしていた。

 もしかしたら、リューコ、怒ってるかも。

 決闘を待ち望んで、待ちぼうけを喰らったエリート竜人族が、その回答の代理人になにをするかなんて、想像は難しくない。

 私は振り返って、引きずり出されたこたつを一瞥した。

 

 

 **** **** **** ****

 

 

 それから少し時間がくだって。

 

 私はこたつ喫茶の奥で、副店長ちゃんの後ろ姿を見ていた。

 五平餅のあまい香り。

 バナナとリンゴとももをミキサーにかける音。

 私は出来上がりを待っている。

 バターたっぷりのフレンチトーストとオレンジジュースをテーブルまで持っていったあとで、ほんのちょっとだけ時間が空いたので、今、お皿を洗っている。

 今日はベーゴマもトレカも大会の予定がないから、ランチタイムが過ぎたら暇になりそう。

 

 ――――ちょっと、遅刻してしまった。

 

 何だか申し訳ない気持ちと、ヤエ達が心配な気持ちが混ざり合って、身体が浮いているみたいに不安定だ。

 お皿を洗う音も、変に煩わしい。

 

「こたつ店長。大丈夫ですか?」

 

 表情に出てしまっていたのか、副店長ちゃんが声をかけてくれる。

 私は無理に笑顔を作って、安心させようとしたけど、うまく口元が上がってくれなかった。

 

「あ……う、うん」

「体調悪いなら、ちょっと奥で休みます?」

「ああ、違う違う。その、ちょっと心配事があるだけ」

 

 どうやら、遅刻したことで余計な心配をかけさせちゃったみたいだ。

 いつものように振る舞わなきゃ。スポンジで挟んだ皿が、ひときわ大きくカチャっと音を立てた。

 

「それなら、私とバイトちゃんに任せて、こたつ店長は行ってきてください」

 

 副店長ちゃんはほとんど考える間もなく、さも簡単であるかのように返してきた。

 

「そ、そんな。悪いよ」

「いーえ。こたつ店長は国王様のお友達なんですから。私達には出来ないことをやらなきゃいけないんですもの」

 

 勘違いされてる……わけでもない、のかな。

 次元の塔も、果たし状も、もとを正せば王国の一部なんだ。ヤエも雪乃も、リューコだって放っておくわけには行かない。

 副店長ちゃんは頼りになるけど、なんだか、ちょっと、寂しい気分。

 だって、私が居なくても、お店は回りそうで――――

 

「ホラ、間に合わなくなっちゃうから。急いで。私達は応援してるから、迷ったらこれ、見て」

 

 副店長ちゃんは、私の手に、黄緑色のミサンガをつけてくれた。

 ……うん。行かなきゃ。

 

「――――ありがと。行ってくる」

 

 やれるだけ、やってみよう。

 私は馴染みのこたつ喫茶から出て、その足で次元の塔へと向かった。

 

 

 **** **** **** ****

 

 

 CotaⅡエンジンを取り付けたコタツは、あっという間に次元の塔のエントランスまで到達した。

 魔王タワーを攻略してフル改造されたコタツに、もう死角はない。寝坊はするけど。

 ヘルパーさんに事情を話すと、彼女曰く、もうすでにヤエ一行は冥界に旅立ってしまったとのこと。

 

(死ん……!)

 

 一瞬、表現のせいで錯覚してしまった。

 パーティはもう6層に入り込んでいるみたいだ。

 私なんかがひとりで行ったところで……なんて考えは喫茶店に置いてきた。ハッキリ言って、この闘いにはついてこれそうもない。

 扉を開き、立ち向かう。

 割とすぐにもその場所はわかった。

 屋敷前の崖の、少し下った先にある孤島。そこに、4つの影が見えた。

 仁王立ちして、空の向こうを眺め見ているリューコ。

 横になっているベロス。

 お腹を押さえているヤエに、支えている雪乃……!

 これから、冥土の土産でも教えてもらうかのような光景だ。

 

「………………で、そんな事のためにアンタは」

 

 ヤエとリューコがなにかを話している。私はコタツエンジンを点火して、空から飛び掛かった!

 

「待てぇーい!」

 

 ずどおっ!

 爆発かと見間違うような大きな砂煙を上げて、私はその二人の視線の間に割って入った。

 

「み、みんなを傷つけるのは、私が許さないぞっ!」

 

 私は、こたつを盾のようにして立ち塞がった。

 くる、とリューコが振り向いてその目を丸くした。

 驚愕はすぐさま縦に収縮して、その瞳は、怒りにも、憎しみにも似た、赤い光を宿していく。

 

「こドラ…あんた」

 

 背後で、ヤエが驚いたように呻いた。

 そうだ。私は断ってしまった。

 みんなに危険が及ぶとわかっていながら、見ないふりをしようとしてた。だけど、今はもう、違う。

 

「だ、だだ大丈夫。私が来たから。もう」

「こドラ、ちが」 ヤエが何かを言いかけて――――

「おいコラ! 遅かったじゃねえかこのグズ!」

 

 私と、リューコの戦いが始まった。

 

「リューコ。もう、私は逃げない!」

「威勢がいいなあノロマなドン亀が! 仲間ひとり守れねえで、都合が良いセリフふかしやがって! サシで勝負だ!」

 

 体全体をこちらに向けて、リューコは威嚇のように咆哮した。

 私も負けず、目を逸らさずに相手を睨みつけた。

 手元には、★竜王石!

 

「の、望むところだっ!」

「負けたほうが、勝った方の事を何でも聞く。いいな! 俺様には時間がねぇンだ! いきなり本気でイかしてもらうぜッ!」

 

 凄まじい振動と雄叫びが響き渡った。

 リューコの足元から、空をつんざくような爆炎が上がり、次の瞬間、そこには鋭い牙と爪を持った赤い竜が立っていた。

 空気がぐにゃりと歪み、地面がえぐれて赤熱し泡立つ。

 眼光、吐息、熱気。どれも、まるで刃物のように私を突き刺してくる。見上げる。それは、何倍も大きい。

 

「喰らえッッ! スーパーインフェルノッッッ!」

 

 リューコのめいっぱい開いた口から、焦熱のブレスが放たれた。

 強烈な風が起こり、空気が破裂する音が迫ってくる。

 私は、避けるわけにはいかなかった。

 このままだと、後ろのみんなに当たっちゃう。どうにかしなきゃ……。

 みんなには出来ないこと。

 私に出来ること。

 ブレスをこたつカウンター? 届く前にホワイトアウト? ダメだ。遅すぎて間に合わない。

 本当?

 本当に間に合わない?

 私は、無意識に動いていた。

 CotaⅡエンジンを最大出力に。

 こたつカウンターの要領で角を相手に向ける。

 ★竜王石の力を借りて、氷の息を前借りする。

 私は、ブレスになりきらない冷気を足元に叩きつけて気流を作った。あとは、体力――HP――をすべてぶつけるように、前へ!

 

「飛んでっ! 私のこたつ!」

 

 こたつの足が、地面から離れた。

 相手の火炎の息を飲み込むように乱気流が巻き起こり、逆に爆炎は推進力と化して、ブレスを切り裂いていく!

 

「いっけぇぇぇー!」

 

 回転したコタツを、その持てる勢いの全てを、ドラゴンの額に打ち付ける!

 竜の硬い鱗が、みしり、と歪んだ。

 反動のまま、私は宙を舞った。

 すべてがスローモーションに見える。

 冥界の赤い空。分解されるコタツの天板。皆の姿は、無事。倒れていくリューコ。崖のさきの、奈落の底――――

 

 ――――落ちる。

 

 気づいたときには、遅かった。

 みるみる内に地面は迫って、そして、通り抜けていった。

 あ、やっぱ。遅かったじゃん。私。失敗しちゃった。

 どこまでも落ちていく。どこまでも。

 

 ……ごめんね。みん

「ッぐああっっ!?」

 

 突然、私は空気にぶち当たった。

 シャツが上に引っ張られて、首が絞まる。

 落下が急停止したことに気づいたのは、それから、1分ほど経ったあとだった。

 

 目線を背中に向けると、どうやら、上着がなにか出っ張ったものに引っかかったおかげで助かったらしい。

 この凸凹は、――――何かザラザラしてる!?

 

 驚くと同時に、私の体がエレベーターのように持ち上がった。

 元あった崖より高く昇ったとき、私は、何が起きていたか理解した。

 尻尾だ。

 リューコの尻尾が、私を支えている。

 倒れかかった彼女が、すんでのところで私をキャッチしたのだ。――どうして?

 

「どうして?」

 その疑問は、間もなく口をついた。

 

「全部、気の迷いだよ! クソッ」

 

 悪態をついたリューコは、尻尾を振り上げて、私をヤエ達のところに投げ返した。

 べとっ、と尻餅をついて、私は彼女を見上げる。

 次の呼吸までには、その姿は人型に戻っていた。私の視線に気づくと、リューコは慌てて目を逸らす。

 何で。どうして?

 

「こドラ。これには事情があるのよ」

 

 私の問いに答えたのは、正面ではなく、背後だった。

 振り返ると、ヤエと雪乃は立ち上がり、笑っているのか、怒っているのか、判別のつかない変な顔をしていた。

 遠目からでは見えなかったけど、そういえば、ふたりとも、怪我のひとつもない。ベロスが寄ってきて、ススのついた私の頬をペロペロと舐めてくれる。

 

「どういうこと?」

「それはね。話すと長くなるんだけど――――」 ヤエの言葉に、

「やめろッッ!」

 

 リューコが上から重ねてくる。

 見遣ると、おでこが赤く腫れていて、ちょっと涙目だ。さっきのダメージだ。

 手紙。果たし状。今日の正午。戦いの決着は…………

 と、ヤエが彼女のもとにツカツカと歩いていって、その顔を間近で覗き込んで――まるで、朝寝坊した私のときのよう――こう、言い放った。

 

「アンタさ。意地張るのもいい加減にしなさい。しかもついさっき決闘して負けたでしょ?」

「ま、負けてねえ! まだ顔面に一発もらっただけだ!」

「何でもかんでも独りよがりだから、アレもコレも欲張って、時間がなくなっちゃうのよ。時間がなくなる。わかる? 自分が置かれてる状況?」

「う……ぐ」

 

 それだけ云うと、リューコは完全に押し黙ってしまった。

 そのあと、ヤエはこっちに戻ってくるなり、尻餅をついた私に手を伸ばして、立ち上がらせた。

 

「ご覧の通り、残り時間少ないから、歩きながら説明するわ。リューコ。あなたの部屋に案内してちょうだい」

「クソッ!」

 

 悪態を振り撒きながらも、彼女はおとなしく従って先を行き始めた。

 私達は、そのあとをゆっくりついていく事になった。

 

 

 **** **** **** ****

 

 

「お婿さん……!?」

 ヤエから教えられた話は、まずリューコの生い立ちからスタートした。それは、私も知ってる。

 お金持ちで、竜人族のエリートで――――……

 

 ――――彼女は、竜人族内でも『貴族』と呼ばれるグループの生まれだ。

 これは、町内会とか、スポーツクラブとか、そんな生易しいものじゃなくて、本物の、“ドラゴンという高潔な種族格差”に基づいた恐ろしい縦社会の象徴だ。

 そして、リューコは、彼女の一族の大事な跡取り娘らしい。

 長寿ゆえ、子供が生まれにくい純血竜人族の、たったひとりの娘。当然、家柄は厳しくて、――――私と同じクラスにいたときも、実家で色々とトラブルがあったみたいだ。

 

「あ? 笑ってんじゃねーぞ、だめドラ。テメーにゃあ未来永劫わかりゃしねぇよ。社交界に歌劇場に公祈祷、まったく、言葉だけでも息が詰まりそうだ」

「で、アンタは逃げ出した、と」

「ちげーし! 全然逃げてなんかねぇし。逃げてねーし……」

 

 ヤエの鋭いツッコミに、リューコは段々と勢いをなくしていった。あんなに凶暴だった彼女が、今はこんなに衰えて、しおらしくなっている。

 聞くに、彼女のこの手紙作戦は、厳しい現実から逃げるために行われたようだった。

 

「でも、花嫁修業。投げ出したのよね?」

「ウッセェ! あれは家を出るための方便なンだよ!」

 

 ――――花嫁修業。

 漫画の中でしか見ないような非現実が、貴族には当たり前のようにあるらしい。

 そもそも、竜学校を卒業したあとのリューコが、冥界の闘技場で闘い続けていた事自体、変だったんだ。

 彼女は、家を継がず、失踪同然に飛び出してきたらしい。

 

「許嫁とかクソ親父め。おかげで、長期出張で居なくなるまで、毎日口論漬けだ。アイツがでかい顔効かせている限り、あの家の呪縛からは逃げられねぇ」

「――逃げてるじゃない」

「あぁ? ……解き放たれるの聞き間違いだろ」

 

 先行くヤエとリューコは、口喧嘩寸前の応酬をしている。

 要約すると、こうだ。

 リューコが他所の家に花嫁修業に出されるのは決まっていた。

 けれど、その行き先に文句をつけ続けて、彼女はずっと嫁がされるのを回避していた。

 少し前、リューコの父が長期出張に行くことになったので、その隙に乗じて、彼女は家出を企てる。

 やり方は単純で、偽物の嫁ぎ先を見つけて義理の母親に提案して、花嫁修業に行ったと見せかけて失踪する、というものだった。

 どうやら、義母はリューコ自身にはあまり興味がないようで、作戦自体はうまくいった。

 

 ――――が、

 自由になったのをいい事に、冥界の闘技場で好き放題やっていたら、どうやら父親に居場所を特定されてしまった。

 ――――とてつもなく自業自得じゃん!

 

「ともかく、この現状は認めなさい。時間はもう残されてないのよ?」

「………………」

 

 言い返せず、リューコは完全に言葉を失った。

 こんな自分勝手な事情が、どうして果たし状に繋がったか、疑問に思う読者諸君もいるだろう。

 安心しなさい。私名探偵コタツも、わからなかった。

 それは、――事件の背後には、残酷なタイムリミットが隠されていたのだよ。

 犯人は…………そう!

 

 ――――父親だ。

 来るんだ。彼女のもとに。自ら。

 

 約束の時間は、午後4時。今から、たったの2時間後だ。

 私は、後ろからリューコのその背中を見ている。遠目でもわかるくらい、彼女は身を縮めて、彼に怯えている。

 

 事はとてもシンプルだ。

 父が、花嫁修業していると思われているリューコの様子を、その目でテストしに来訪する。

 あんなに怖かった彼女をここまで憔悴させるって、どんなお父さんなんだろうか。きっと、髪の毛が全部逆立っているに違いない。

 

「それで、こドラ。あんたはどうする?」

 

 ヤエが尋ねてくる。何の件なのか、もちろん、例の件だ。

 リューコは、何が何でも“花嫁修業が上手くいっている”ように見せなければならなかった。

 礼儀作法や、家庭料理や、それに、花婿の問題だって…………もし、ただの家出だと知られたら、怒られるどころか、実家から二度と逃げられないように、監視さえつけられるだろう。

 そして、帰郷した途端、大量の許嫁候補とのお見合いからスタート――――

 

 学校でリューコと同じクラスだった時、彼女はひとりで何でも出来た。

 成績優秀、スポーツ万能、音楽美術ともにトップ、クラスのまとめ役で、お金持ち。

 ずっと生まれながらの才能だと思ってたけど、今考えると、家が厳しかったから、出来るまでやらされたんだろう。

 

 私の役割。それは、万能感溢れるリューコが、唯一苦手とする2つの事柄を補佐する事だった。

 彼女の弱点、それは――――思いやりと、料理。

 

 あの果たし状は、プライドの高い彼女がひねり出した、苦し紛れの策略だった。つまり、私達にその弱点をカバーさせるために、決闘を申し込んだという事だ。

 簡単に説明すると、次のような手順を踏む予定だったらしい。

 

 

 1・こたつドラゴンを呼び出して決闘を申し込む。

  コイツは気が弱いから、絶対、断らないし、仲間を連れてくるだろう。

 2・負けたほうが勝った方の言うことを何でも聞く。

  コイツ自体は弱いから、サシで闘えば楽勝だろう。

  仲間思いのコイツらは、絶対、約束を反故しない。

 3・こんだけ人数いれば、彼氏役を押し付けられるヤツだって、引っ張り出せる。

  料理のレシピのひとつやふたつは知ってるだろうし、一石二鳥だ。

 4・哀れ、力でねじ伏せられた王国民は、最強リューコ様に料理を教えて、恋人のフリをして、彼女をピンチから救うために奴隷のように働くのだ。

 

 

 まあ、予定は大幅に狂って、私が勝っちゃったんだけど。

(めちゃくちゃ面倒くさい……) 二重の意味で思う。

 

 まず、残り時間が少なすぎる。

 まるで、夏休みの宿題を8月31日まで溜め込んでいた小学生みたいだ。

 お昼の決闘後、準備に使える時間が、残り2時間しかない。どうしてこんなになるまで放っておいたんだ。

 

 ――――あ。

 決闘の場で、ヤエがお腹を抱えてたり、ベロスが伏せていた理由って、これかあ。

 ボスレターと花嫁修業、その回りくどさと突拍子もない窮地を告白されて、みんな笑うしかなかったんだ。

 高いプライドが邪魔をして、気づけば手遅れになっていた。

 

 ……あれ?

 けど、プライドがあるのなら、どうして私に白羽の矢を立てたんだろう? 疑問が残る。

 私が知りもしない、とてつもない理由が隠されてる? 雑種のドラゴンにしか達成できない、究極の悪魔合体とかそういう――――

 

「私は、やだ」 そんな事より、とりあえず即、私は依頼を断る事にした。

 

「おオォイ!?」

 

 率直な感想だ。当たり前じゃん。

 たまらず振り向いたリューコに、私は続けた。

 

「代わりのお友達いないの?」

「それができりゃ苦労はしねえ! 要は親父を騙すわけだからな。貴族だぞ? 身バレすりゃムラハチされるかもしれない役を、真っ当な家柄のある他の竜人族連中が承諾すると思うか、バカ竜?」

 

 私なら、竜人と人間のハーフだし、貴族界からは離れてるから協力してても大丈夫だと。

 そういえば、授業参観にリューコの両親が来ているの、見たこと無い。一応、バレはしない……のかな?

 

「闘技場のみんなはどうなの? ハンサムソードとか」

「…………アレ、隣に置きたいか?」

 

 ふるふるっ。私は首を横に振った。

 ごめんよハンサムソード。けど無理。無理です。ごめんなさいハンサム。主にヒゲが悪い。

 

「それによ、あれから闘技場に決戦魔導兵器とか変なスライムとか、ヤベーやつが増えちまって、常に全力出しまくってたら、……その、誰も近寄らなくなった」

 

 怖いもんね。リューコ。

 あ、思い出した。果たし状のハートのシール。

 あれ、闘技場の従者小悪魔達が使ってるやつだ。

 相談相手が居なかったから、何かしら理由つけて受付係さんとアイデアを出し合ったのかな。

 

「そもそもさ。外で婚約者候補を作ってたら、ご両親怒らない?」

「普通はな。人生負け犬ドラゴンにはわかんねぇよ。家柄だけで選んだクズ共を、ずらりと並べてくる連中のウザさはな。要は肩書きさえしっかりしてりゃ、犬コロとでも政略結婚させられるのさ。なら、嘘の肩書きで騙されても、文句言えねえよなあ?」

 

 想像できない世界観だ。

 好きだから結ばれるのでなく、結ばれてから好きにする。

 例え漫画で見たとしても、正直、実感できない。私にわかることと言ったら、日々生活していくことくらい。

 

「あとさ。料理って、独り暮らししてたら、ある程度は自炊できるじゃん?」

「喧嘩売ってンのかテメェ? 俺様はエリートだから求められるレベルがおかしいんだよ!」

「だったら、尚更レシピだけじゃなんともならなくない?」

「あぁ? 何いってんだコイツ。取説さえあれば、料理なんて楽勝に決まってんだろ!」

 

 ……多分、リューコは、調理をプラモの組み立てかなにかと誤解してると思う。

 味見という概念のないレベルだ。

 

「ハイハイ。喧嘩しないで足を進めて」

 

 ヤエが仲裁をして、とりあえず私達は結論を先送りすることにした。

 ぶっちゃけて云うと、協力する意味あるのかなコレ。

 確かに、彼女が頼れそうなのは私達だけだ。

 だけど、成功しても、失敗しても、どうだろう?

 リューコが望むような、家系からの解放はどう考えても不可能で、例え、今回だけ乗り切ったとしても、住所は割れてるわけだし――――

 ん?

 

「リューコってさ。何で逃げないの?」

 

 ふと、気付く。

 今の状況のおかしさ。

 

「あァ? だから逃げてねーって言ってンだろ!!!」

「違う違う。ここからの話。だってさ、わざわざ迎え撃つくらいなら、また姿をくらませばいいじゃん」

 

 実家から遠ざかりたいのなら、いっその事、家系なんて忘れて逃げ続ければ、リューコ自身は幸せなんじゃないだろうか。

 竜人の生き方なんて、幾らでもある。

 竜人と人間のハーフを殺さずに産む事に決めた、私の両親みたいに。

 

「……お前ら俺の親父のヤバさを知らねえだろ? 見ろ」

 そうしてリューコは顎を上げた。首筋に何か巻かれている。

「首輪?」

 

 横からヤエがハミ出してくる。

 どうやら、事情を先に教えられていたメンバーも、その情報は初耳だったようだ。

 これだけはバレたくなかった、と言いたげな、物憂げな表情で、リューコは首輪の由来を話していった。

 

「俺が、どうやって“親に居場所がバレた事を知った”と思う? すげー簡単な理由だぞ?」

「家にお手紙が届いた?」

 

 私は率直に返してみる。

 ラブレターならぬボスレターがチチレターな件。

 

「だったら良かったんだがな。親父はもうすでに一回コッチに殴り込んできてンだよ。んで、この発振器付きの首輪つけて、明日テストしてやる、なんて抜かしやがる……!」

 

 変な手紙に無茶な要求。

 そして、時間ギリギリだった理由。

 リューコが置かれている状況は、思ったより深刻だった。

 

「それ、何とか取れないの?」

「魔術式でガッチリだ。変身したのにキズひとつ付いてねえだろ? しかも、触れただけで軽い電流が流れやがる。――――まあ壊したら壊したで、その時点ですっ飛んでくるだろうがな」

 

 視線を落として、ベロベロスを見る。

 まるで、飼い犬の首輪みたいだ。それも、闘犬用のしつけ輪みたいな。

 

「アイツはな。遊ンでんだ。俺様でな。花嫁修業の嘘を見抜いておきながら、それを実現してみろ、と言ってきたんだ。だから、テストに一日猶予を与えて笑ってやがるンだ」

 

 リューコの赤い瞳がぐちゃりと潰れた。憎しみなのか、悔しさなのか、読み取れない顔をした。

 

「――――でさ、あなたが生き残る条件ってなんなの?」

 

 そこで、ヤエは核心を突く。

 彼女を囲む障壁の厚さは見えた。しかし、どう足掻いても、飛び越えられない。

 花嫁修業の効果があって、父親の鼻を明かせても、たったそれだけ。自己満足以上に何があるんだろう?

 

「一応、約束は取り付けてある。親父が満足すりゃ、もう半年、冥界で自由でやれる」

 

 半年。

 あっという間に過ぎる時間だ。

 長命の竜人族にとっては、本当に瞬きの間のような、刹那だ。

 

「今回は助けてあげるつもりだけどさ。次はどうするの? また手紙出すの? 考えてる?」

「それは――――」

 

 彼女は、そこで口ごもった。

 リューコの活発だった表情さえも止まる。

 思い出す。これは、学校で、リューコにいじめられていた時の私のそれと、同じ沈黙だ。

 

「……も、もう少ししたら、考えるさ」

 ――――無理にひねり出したリューコの台詞は、私が今日、朝に口にした言葉と、全く同じ調子だった。

 

「いいけどさ。問題を先送りにするたびに、痛みは大きくなるわよ? それだけは覚えておきなさい」

 

 ヤエが、彼女に上から言い聞かせた。

 …………私にはわかった。リューコは、本当に逃げたいんだ。

 理不尽な力の差から、抜け出したいんだ。このあとどうなるかなんて、全然考えが行かなくて――――

 何度も何度もそうして逃げて、私はやっと立ち上がれた。

 リューコは、立ち向かうべきなんだろうか。現実と。

 私には、誰かの進路なんて、決めようがない。

 けど。

 

「リ、リューコ。私、協力するからさ」

 皆がやってくれたみたいに、私だって手を差し伸ばすことが、出来るはず。

 

「……返事がおせーぞ、だめドラゴン」

 リューコは小さく、私に聴こえないくらい小さく呟いた。

 

「花婿役はやらないけどね」

「コッチだってテメーなんざ願い下げだぜ。せいぜい殺されないように頑張りな」

 

 父と娘の約束があるように、私とそのライバルにも約束が結ばれた。

 屋敷に入り、彼女が間借りしている部屋に近づく。

 

「にしても、殺すとか大袈裟ね。あなた、こドラをまたいじめる気?」

 

 あまり乗り気でないように、ヤエは言う。

 ただの、何気ない一言であったが、これが呼び水となった。

 私達を巻き込んだ現実の渦は、この目で見ているよりもずっとおぞましく、かつ残酷だったんだ。

 ここが夢なのか、リアルなのか、それとも漫画の世界なのか、その境界線は、実はずっとずっと薄い。

 リューコはヤエに、こう返した。

 

「俺様じゃねぇ。親父に殺されるかもしれねンだよ。もし親父がマジギレして、竜化したら、……闘技場どころか冥界が焼け野原になっちまう」

 

 ――――それって、笑えない冗談よね?

 一斉に私達が足を止めると、リューコは不思議そうな顔をして、“あること”を伝えていないのを思い出したようだった。

 そう、本物の、言葉通りのモンスターペアレントの正体。

 

「ああ、そうだ言ってなかったな。親父の名前は――――」

 

「えっ」 雪乃が困惑して、

「はぁ?」 ヤエが呆れる。

「わう?」 ベロスは不思議がって、

「どういう事?」 最後に、私。

 リューコの口から出てきた、その名前は、

 

 

 “憤怒帝・ゲオルグ”

 かつて、その怒りによって4つの星と26の種族を皆殺しにし、六魔に匹敵するとまで言われた巨竜。

 とあるダンジョンに住まう伝説の赤竜の名に似ていることから、彼を“審判者”と呼ぶものもいるという。

 

 私は、とんでもない用事をすっぽかす所だった。

 

 

 **** **** **** ****

 

 

「まず、役割分担しましょう」

 

 ヤエが人差し指を立てて、皆をまとめた。

 リューコが間借りしている部屋は、冥界屋敷の一室にあった。

 冥界王シュオルの娘であるイリスが管理しているだけあって、貴族の一人娘が花嫁修業しているように見せるには、絶好の場所だった。

 2LDK。とりあえず、第一関門クリアー。

 

 彼女の部屋は……、綺麗ではなかった。

 かといって汚いわけではなく、友達が来るので床に散らばっている漫画だけは雑に片付けましたっ、と言わんばかりの状態だった。

 冷蔵庫は、………………あるにはあるけど、コーラとチーズ、カットキャベツとソーセージくらいしか入っていなかった。

 調味料も最低限の塩コショウとか、味噌汁用のだしとか、そんなん。

 食事は闘技場で済ますので、最低限しか入れてないとのこと。――――あれ? 本当に自炊してる、の?

 

 女子の部屋と表現するには遠くて、むしろスポーツジムの控室、と例えたほうが良い気がした。

 洋服ダンス、ベッド、作業机、不必要なものを削りに削って、シャドーボクシングする空間を作った感じ。

 女子力ちゃんが息してない。

 頭脳明晰、容姿端麗、良いところのお嬢様なのに。

 

「食材の調達、協力者探し、料理の先生、お掃除役、あとは、スタイリストね」

 

 残り2時間だ。

 当の本人を除くと、私達は3人と1匹。

 どうやって割り振って、――――……王国から人連れてこれば良いんじゃね?

 早速、私は提案する。

 

「ねぇねぇヤエ。ゼニヤッタちゃん呼んできていい?」

「料理担当は多いに越したことはないけど、残念ながら、呼んでこられる時間がないわ。でち子がいればねぇ……」

 

 あっ、そうか。キーオブパンドラがないんだ。

 頼れる皆は、遠くて手が届かない。

 運が良ければ、イリスが――――いや、それどころか、小悪魔達も手伝ってくれるかどうか、微妙なラインだ。

 そうだ。あのひとたち、悪魔だった。

 ヤエは肘を抱えて、少し考えた素振りを見せたあと、片目をわざと隠して、決めポーズをしながら言った。

 

「食材と人材の調達は、ベロスに任せましょう。料理や掃除は私達人間がやる」

「賛成!」 雪乃が続く。

「わうわう!」

 

 その作戦に反論は出なかった。

 合理的だと思ったし、お利口さんのベロスなら、1匹(3匹)でも、完遂してみせるだろう。

 早速、ベロスの首に野菜ポーチを提げさせて、要件を書いた手紙を咥えさせる。

 時間がないことを理解しているベロスは、すぐさま部屋を飛び出していった。

 

「さて、残りなんだけど、料理の実力がわかんないのよね。私以上の料理上手はいるかしら?」

 

 自信満々な表情で、ヤエは目を合わせてきた。

 私は目を逸らす。次いで、雪乃に向かう。彼女も逸らす。最後に、リューコに。逸らす。

 

「得意料理とか、ないの?」

 

 これ、多分、全員違った理由で視線を受け流したんだと思う。

 ヤエの“料理上手”の真相を知ってる私は『それツッコミ待ちなの? それとも天然?』の困惑のために。

 親しい雪乃は、この流れをセルフツッコミの前フリだと解釈したために。

 リューコはそんなん出来るわけないだろ、という正直な思いのために。

 

「えっと……」

 

 目に見えてヤエが狼狽え始めた。

 ああ、ローズマリーがいないから、適切なツッコミが入らないんだ。

 様子を察知した雪乃が、横から会話を拾い上げる。

 

「あ、わ私、かき氷とか、ジャムが得意です」

 

 ――――それ、料理なの?

 疑問はあったけど、ただ、なんとなく、ここは乗っておくのが正解かな、と私は思った。

 

「私は五平餅とか、おにぎりとか、かき氷が得意じゃん!」

 

 すると、今度はリューコが、そんなものお茶の子さいさいだぜ、と言わんばかりに鼻を鳴らしながら続けた。

 

「俺様だってかき氷ぐらいできらぁ!」

「よし、かき氷作ろうかッ!」

 ヤエが高らかに宣言した。が、号令をするものは誰ひとりとしていなかった。

 

「……って、料理じゃないだろッッッ!」

 

 業を煮やして、ヤエは自分でツッコミを入れた。

 ですよね、な王国人と、知らなかったそんなの、な竜人。

 

「いやマジで言ってるのよ? 残り時間考えてよ」

 

 はい、すみません。

 冷静になって、私達は真剣に語り合うことにした。

 雪乃が答える。

 

「私は家庭料理ならちょっとだけ。お母さんが作ってくれるみたいなふわとろオムレツレベルのは、まだ難しい」

 

「うーん。副店長ちゃんのやってる事の見様見真似だから、メニュー偏ってるかも。うまく出来るかも自信ない。あ、けど、お味噌汁とかお豆腐なら、美味しい味付けを知ってるよ」これ私。

 

「俺は、……その、そういえば、ヤエって言ったっけ? オマエはどうなんだ?」 リューコ。

 

「えっ。そりゃ通り魔エスパーシェフと言われた私にかかれば、マンドレイクだって、スペースカルゴだって調理できるわ!」 ヤエ。

 

「おお、それは心強いな!」

 そして突然、リューコは料理できるアピールをするために興奮し始める。

 

「あのマ、マンドレイク? を調理できる人間がいるなんてな!」

「わ、私の料理を認めてくれる……! そうよね! あの食材は先に毒抜きしておかないと危険だから、超能力持ってないと免許おりないのよ!」 食べると毒るじゃん。

「あー大変だよなそこんとこ!」

「スペースカルゴはサイコバインド(強)しないと殻がね」

「わかるわかる。俺もスーパーインフェルノで……」

「ローズマリー! はやくかえってきて!」

 ――――――……ツッコミ不在のまま、20分が経った。

 

「と、とりあえず、誰がどこまで出来るか分からなかったから、この冷蔵庫の残り物を使って技量を測りましょう」

 

 再度まとめに入って、ヤエはついに実践を試みた。

 掃除や衣服は、この巨大な料理の壁を越えたあとでも問題ない。

 

「に、してもチーズとかしかないよね……」

 雪乃が根本的な問題を提示した。うん。

 

「いえ、むしろ少ない食材だからこそ、料理のセンスがわかるのよ」

 ヤエは言う。確かに。

 

「とりあえずやってみるじゃん」

 何かを始めない事には、何も始まらない。ちょっと名言じゃん。……あれ、普通かなこれ。

 

「それじゃあ、私からやってみるね」

 

 まず、名乗りあげたのは雪乃だった。彼女はキャベツ、ソーセージ、チーズを少しずつ取って、調理を始めた。

 

  ***   ***   ***

 

A・雪乃の場合。

 ――――――チーズinソーセージのキャベツ巻。

 

「これ、割と良いじゃない」 審査員ヤエ。

「美味いじゃん。さすがゆきのん」 審査員私。

「なんかパンチが足りねーな」 審査員リューコ。

「お母さんがたまーにする、残り物ご飯を参考にしたの」調理者感想。

 点数は――――――――25点(30点満点)

 

 

B・私の場合。

 ――――――☆キャベツの千切り。

 

「素材の味が生きてると思う」 審査員雪乃。

「これさ、なんで秘宝化してるんだろ。こたつみかんの怪?」 審査員ヤエ。

「ハッ、切っただけじゃねーか」 審査員リューコ。

「シンプルイズベストじゃん」 調理者感想。

 点数は――――――――18点(30点満点)

 

 

C・ヤエの場合。

 ――――――ギャラクシーキャベツのコーラソースがけ。

 

「いつも思うんだけど、食材ごと変化するよね」 審査員雪乃。

「キャベツいらないじゃん」 審査員私。

「(混乱)」審査員リューコ。

「清涼飲料水が栄養剤として畑に撒かれるような、26世紀の未来世界をイメージしたわ」調理者感想。

 点数は――――――――9点(30点満点)

 

 

D・リューコの場合。

 ――――――★ダイアモンド。

 

「うわー綺麗」 審査員雪乃。

「一体どれだけの圧力と熱量があれば出来るのかしら」 審査員ヤエ。

「ご飯まだ?」 審査員私。

「食え」調理者感想。

 点数は――――――――20点(30点満点)

 

   ***   ***   ***

 

「技術だけ見ればみんな五分五分ね……」

 各々の料理皿を前にして、ヤエが総評を出した。

 

「調合マスタリとか、鍛冶屋マスタリとかあれば、ベクトル的には互角だよね」

 雪乃が場の理性を保たせる。

 この中で、唯一、料理勝負を打開できそうなのは、彼女くらいかも。

 

「ハッ、だめドラが一番手抜きだろ!」

 リューコ、食べ物の原型が残るくらいには手を抜いて。

 

「さあ、どうしましょう。いっその事ジャンケンで……」

 

 清掃と服装担当が決まらないまま、更に30分が経過した。

 そろそろ危険信号が点灯し始めてる。今のところは、雪乃が一番適任だけれど――――

 

「わうっ」

 

 そこに、いち早く任務を終えてベロスが帰還した。

 首に下げられたバッグは、背中に乗せるバックパックになっており、中には魔界の食材がわんさか入っている。

 

「おーよしよし。いい子だベロス」

 ヤエがササッとかがみ、ベロスを迎い入れた。そして、

 

「ん? 『自分も調理してみたい』ですって?」

 その心をテレパシーで読んで、料理合戦の延長戦が始まった。

 

   ***   ***   ***

 

E・ベロベロスの場合。

 ――――――――燻製肉風ソーセージとキャベツのサラダ、コークザラメのチーズソース和え。

 

「コーラを煮詰めて調味砂糖として……すごい」 審査員雪乃。

「火加減の調整だけでどうやってスモークに」 審査員ヤエ。

「うままっ!」 審査員私。

「オマエ……炎の扱いあとで教えろ」 審査員リューコ。

 点数は――――――――0点(40点満点)

 

   ***   ***   ***

 

「「「「犬の毛さえ入ってなければ……」」」」

 

 この瞬間、全員の意見が一致した。

 

「くぅーん」

 ベロスもちょっと悔しそうだ。

 

 このままでは、ダイアモンドで冥界がインフェルノと化してしまう。

 絶望的な状況に思えた。

 もしも、ゼニヤッタちゃんを連れてきていれば……もしも、デーリッチやローズマリーがいてくれたら……。

 私達は手を尽くした。でも、出来ないことだって、ある。

 ひとりひとりが力を出し切っても、何もかもが手遅れな事だって――――……

 雪乃は、調理技術はあるけどレシピが普通。

 ベロスはレシピは覚えてるけど犬の体。

 ヤエはサイキック能力はすごいけど、今回は役に立たない。

 私は単にお手伝いができるだけ。

 

「全部うまく噛み合ってればなぁ……」

 

 つい口に出る。

 魔物たちとの闘いなら、きっとすごい相性は良いんだと思う。

 私が物理で守って、雪乃が属性をヴェールで軽減、ヤエは命中率下げたりして、ベロスが攻撃しながら回復してくれる。

 しかし、敵は料理。私達は戦いにすら持ち込めずに敗北した。

 と、

 

「……――――私にいい考えがある」

 

 私の言葉に、なにか閃きを覚えたのか、ヤエがいつものポーズを取って、その目を輝かせた。

 

 

 

 それから、役割分担は雪崩れるように決まった。

 まず、決戦の時までは、雪乃がリューコに調理の基本のイロハを教え込む。

 その間、私とヤエがお掃除をして、ベロスが服飾や礼儀作法に詳しい悪魔を探す。

 本番は、――――全力でカンニングする。

 ヤエの持っているアンテナ型トランシーバーを身に着けて、彼女のテレパシーを利用する形だ。

 具体的には、料理のレシピをベロスが、調理方法を雪乃が、情報のリレー形式でヤエから私達に伝える。

 いざという時の礼儀作法も同じくテレパシーで、しかしこればかりは、冥界の住民の優しさに甘えるしかない。

 で、肝心の彼氏役はというと――――――

 

「マジで?」

「マジ」

 

 私なんだ。

 役割で余っているのが私、というわけでなく、相手は純血竜人族なので、なるべく、竜人が良いとの事。

 こればかりは、リューコもものすごく嫌がったが、代役が他に見当たらなさそうなのを見ると、渋々、了承した。

 竜帝ゲオルグ……一体どれほどのものなんだ。

 私は雑種だけれど、多少変装すれば問題はなさそうだった。

 ただ、大問題がひとつ残ってる。

 ヤバい。最悪の要因。

 

「できるかな……」

 

 ぶっつけ本番。男装して、ずっと避けてたリューコの恋人として、役割を演じなきゃならない。

 マジRPGじゃん。ウケる……。まじウケる……。

 

「やるしかないのよこドラ。冥界の命運はあなたに掛かってるわ」

「そ、そんなプレッシャーかかること言わないでよ」

 

 ヤエの口ぶりからすると、私が出来ると思い込んでるようだ。確かに、未来はわからない。

 やってみれば、案外出来るかもしれない。夢のように。

 けど、夢は、夢なんだ。

 漫画は、漫画で、私は、私。

 ――――怖い。

 自然と顔がうつむいてしまう。

 暖かいこたつを出て、燕尾服を着ている自分を想像する。似合わない。

 もし、クラマだったら? きっと格好良く着こなしたんだろう。アルフレッドなら? しっかりと礼節を弁えられるんだろう。マッスルは……――――ああ、うん。

 そのとき、視界の隅に、黄緑色の輪が目に入った。

 

「迷ったらこれ、見て』

『こたつ店長は国王様のお友達なんですから。私達には出来ないことをやらなきゃいけないんですもの』

 

 副店長ちゃんの言葉がフラッシュバックした。

 私にしか。私達にしか、できない。

 黄緑色のミサンガ。託された思い。信頼。

 リアルが漫画に追いつくことは稀にある。宿命のライバルと力を合わせて――――……

 ちょっとカッコいいじゃん。

 

「私、頑張る」

「よく言った。その意気だ、こドラ!」

 

 ヤエが私の背中をポンポンと叩いてくれる。

 時間はあっという間に過ぎていく。

 こたつ喫茶の中で作業するよりも、寝転びながら漫画を読み耽るよりも、目を閉じて眠るよりも、ずっと早く経過する。

 ……………………。

 時間は目前に迫った。

 ベロスが連れてきた協力者は、なんとイリス直属親衛隊のアーヴ、そして、まさかの海賊ハンサムソードだった。

 事態を重く見たアーヴは、屋敷で一番のドレスを貸してきてくれて、私も、袖を通すのがもったいないくらいの、触り心地の良いサラサラしたスーツを身につける事になった。

 ちなみに、ハンサムソードは礼儀指南役だった。男を上げるために、昔、色々していたらしい。あれで? マジで?

 私は、最後の打ち合わせに入った。

 

 

 

 ヤエ、雪乃、べロスは別室に待機して、アーヴ他の協力者と工程の確認をしている。

 私は、綺麗になった彼女の部屋で、その本人と顔を突き合わせた。

 本番前の、二人きりの情報交換。

 

「…………」

「……………………」

 

 狭く感じる。

 乱雑に詰め込まれた雑誌や、はみ出していたタンスの服の端が掃除されきって、棚という棚にレース付きの暖簾が掛けられたせいだろうか、壁が迫り出してくるような錯覚に襲われる。

 私は、正座している。

対するリューコはあぐらをかいて、天井の隅をまるで猫のように眺めていた。

 膝下まである真っ白のワンピースドレス。着こなし出来てないせいか、あぐらの隙間からドロワーズがチラ見えする。

 

(に、似合わないじゃん)

 

 土埃で汚れていた赤い髪の毛も、今では櫛で梳かれてサラサラになっている。

 こう、無理やり男の子を女装させたみたい。

 

(……ウケる)

 

 長年のトラウマが突然アニマルバスになったみたいな感覚があって、頬が緩んでしまう。

 特に、彼女の、フリルの付いた靴下の破壊力が高かった。

 私もひとのこと言える格好じゃないけど、いざスーツを着てみると、案外身体にしっくりくる。

 王国で色々と仮装してたからかな。

 

「――――――なぁ」

 

 声。

 解けていた緊張の糸が、一気に締め付けられてキツく絡み合った。やっぱり、まだ慣れてない。

 姿形は変わったけど、この娘は、リューコなんだ。

 

「なんか喋れ」

 

 いきなり話を振られる。それは困る。

 私も何も思いつかないんだ。リューコは鋭い目を向けてくる。

 うう、苦手だ。この赤い瞳。

 心臓の音が、空間にただひとつある時計の秒針の2倍は早くなる。壁には、悪魔が持ってきた大きな飾り時計が、冷酷にも時を刻んでる。

 

「あ、あのさ」

「あ? テメーはビクビクしながらじゃねーと話せねーのか」

 

 リューコが怖がらせてんじゃん。

 そう言い掛けそうになって、言葉を飲み込んだ。

 半分は彼女の態度だと思うけど、残り半分は、多分、私の勇気。

 視線で押されて、目を下げると、黄緑のミサンガが目に入った。……私はひとりじゃない。

 意を決して、私は言った。

 

「言葉遣い、それでいいの?」

「は? 本番で直すからいいだろ」

 

 自分だから出来るのは当然、という、私とは正反対の、実績と高慢に満ちた答え。

 それは、変えようがないもので、彼女を確立させている信念なんだろう。私には、無い。

 だから、私は、ぶつけてやろう。

 リューコにはない、私を。

 

「けど、リハーサルしとかないと、いざという時苦労するよ? 王国仮装大会でも、準備できてからやるときと、ぶっつけ本番じゃ緊張の度合いがぜんぜん違うし。私も、今からするから」

「あァ? なんで俺様が、だめドラゴンなんかに合わせなきゃならねぇンだよ。お遊戯会かなんかの間違いだろ?」

 

 話にならない……かな?

 まっすぐ相手を見遣る。リューコの様子がさっきまでと、ちょっと違ってる気がする。

 たまに、こっちをチラチラと目だけを動かして確認してくる。

 

「僕は頑張るよ。みんなのために」

「プッ、ぶははははははははは! 何だそれお前マジで似合わねーな!」

 

 リューコは腹を抱えて笑い出す。私は、――――別段、落ち込みも傷つきも、イラつきすらもしなかった。

 逆に、よかった、と胸を撫でおろした。

 もしこれをしなかったら、本番でリューコが笑い転げてたかもしれない。

 

「そういうリューコは出来るのか? ぼ、僕みたいに」

「――なんだとテメェコラ! 俺様を舐めてんのかッ!」

 

 私の話が彼女の域に潜り込むと、その態度は豹変した。

 身体を傾けて、こっちの胸ぐらを掴んでくる。

 せっかく悪魔たちに整えてもらったのに、ネクタイとワイシャツが強引に引っ張られてしわくちゃになってしまう。

 私は、それでも怯まなかった。

 

「ほ、ホラ、すぐ汚い言葉を使う。リューコは、そうしなきゃ、僕一人だって変えられない!」

「テ―――――テメ………………!」

 

 彼女の顔がみるみる険しくなる。

 感情のままに竜化が始まり、歯が鋭く尖っていく。

 リューコは拳を振り上げ、力を篭めた。それを叩きつけるのか? 私には、もうコタツはない。

 多分、というか、絶対、痛い。

 謝るのは簡単。眼をつぶるのも。

 けど、それは、リューコのためにはならないと思うんだ。

 

「やり返してみてよ。僕に。ありったけを」

「…………――――~~~~~~~~ッッッッ!!」

 

 彼女の肩がぷるぷると震える。

 頬は真っ赤になって、こめかみに血管が浮かんでしまうくらい、リューコは私を睨んだ。

 私も、その煉獄のような赤い瞳を覗き込む。

 と、一瞬、リューコの眉が大きく跳ねた。

 途端、苦虫を噛んだように表情が曇って、その、掴み上げる腕の力が徐々に弱まっていった。

 何が起きた――――彼女を真正面から見続けていた私は、気付いてしまった。

 表情筋を引きつらせすぎて、あの、おでこの、体当たりの傷が痛んだんだ。

 

「わ、わたくしにできないわけ、ねェでしょ! ドラお」

「………………………」

 

 リューコは、左右非対称の変な笑顔を浮かべた。

 声に出した瞬間から、どんどんとその顔が紅潮していくのがわかった。怒りよりも、もっと強い紅。

 私が沈黙している間も、引き続き赤みを増していき、やがて、彼女は耐えられなくなって、小さく、『ひぎ……』と悲鳴を漏らした。

 

「…………ウケる」

「おまっ! いや殴る! もう殴りますからな! オイッ!」

「ふふっ。可愛いじゃん」

「なぁああっっっ!?!?!!!?」

 

 それは、初めて見るリューコだった。

 照れ隠しなのか、満更でもないのか、めちゃくちゃ歪んだ笑顔が見れる。きっと、リューコが見ている今の私の顔も、初めてなんだろう。

 そこから、私達二人は話し込んだ。

 リューコ自身の過去や、私がならなければいけない理想の像。

 何もかもが自由に決定できる今の私と、生まれながらに何もかもが運命づけられていた彼女。

 その配偶者ですら、予め用意されている――――リューコが今、“私”という恋人を作り上げるのは、両親に対するささやかな反抗なんだ。

 

「ね――リューコ。リハーサル、やってよかっただろ?」

「…………あなたには感謝しないわ。ちょっと茶番に付き合ってあげただけよ」

「僕達、もう仲間じゃん?」

「思い上がらないで」

 

 立ち止まる行為。自分を客観的に見下ろす時間。

 ――時計の針が3時50分を指した。

 それはちょうど、短針と長針が一直線になるタイミングだった。

 

 

 **** **** **** ****

 

 

 

 

 

 

 ―――――中編に続く

 

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