4人目の奉仕部員は平穏に過ごしたい…   作:レッドクロス

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ああ、こんな事で平穏を脅かされたくない。

ーオリ主 sideー

 

窓から気持ちの良い夕日が差し込んでくる帰りのショートホームルームが終わった後の放課後の教室、高校生の放課後と言えばこの後友人たちと遊びに行くかでの談笑、何もしないで帰宅、友人と一緒に部活に行く、この3つが主な行動だろう。

 

この総武高校の2年F組の教室でもそれは同じだ。

 

 

スクールカーストという教室内での地位に従って教室の中の頂点に立つグループがざわざわと喧しく騒いでいる。

 

 

 

騒いでいるグループの中心にいるのは葉山隼人、このクラスの、いやこの学校でも有名人である。

 

 

 

 

その隣には葉山隼人にべったりくっついているクラスの女王の三浦優美子を始めとしたグループのメンバーだ。

なにやらこの後にどこに遊びに行くかで盛り上がっているご様子、しかしもう少し静かに話してほしいと思うのは私だけだろうか?

 

 

 

まあ、クラスのカーストの底辺の位置にいる私からしてみればそんなこと言っても針のむしろにあうだけだから何も言わないけど。

 

 

クラスのカーストの底辺、もう分かるかもしれないけど私は世間でいうところのぼっちだ。

 

 

別に私はいじめられている訳でもハブられているわけでもない、その証拠に2年生に進級してからも今まで何度もクラスの女子や男子、葉山くんまでもが私と『仲良くしよう』と話しかけてきた。

 

 

でも、私はその誘いを全て断りぼっちを選んだ、自らぼっちになったのだ。

 

 

私はクラスの人たち、いわば他人とはほとんど関わり合いを持たない、でも『クラスの人たちは自分と釣り合わないから仲良くしない』や『学校の人たちは愚かだから付き合わない』などというそんな考えは持ってない。

 

 

 

私がぼっちを選ぶのは、私の流儀、もとい願いの『何事もなく平穏に過ごすこと』というものに基づいてだ。

 

 

私は友達を持つことで普通の平穏が脅かされる確率が高くなると考えている。

 

別に友達を持つことが悪いとは言わない、だが友達というワードは他人を無自覚に悪質な事態に結びつける鎖にもなり得るのだ。

 

その鎖は生半可なことでは切れることができない、良い意味でも悪い意味でも強くて丈夫な鎖なのだ。

 

分かりやすい例を挙げるといじめがそうだ。

 

 

そもそもいじめという物は、枠内の強者が自分の強さを知らしめる、または自分の娯楽のために周囲の自分の取り巻きたちを巻き込んで行うものだ。

 

逆にいうと、いじめという物は1人が1人をいじめるというケースはあまり起こらない、いじめをする人間というものは大抵群れをなして行う。

 

そしてその群れを繋ぎ止める鎖というものが『友達』だ。

 

だが、この鎖は悪い方にも転じる。

 

いじめが発覚して正しい対処をされ、いじめをした者が然るべき罰を与えられればその『友達』という悪質な鎖に繋ぎとめられた者たちもいじめに加担していなくても罰を与えられてしまうのだ。

 

そして、そのいじめの加害者たちの末路は漫画などより悲惨なものだ。

 

発覚した場合は学校側も問題を大きくしたくないためにテレビで取り上げるほどの騒ぎにはならないが少なくともこの町にはいられない。

 

人の噂は七十五日という諺があるが、そんな風に都合よく人はそのことを忘れない。

 

当時の同級生や教師はもちろん、学校関係者や近隣住民はそのことを忘れない。

 

さらに人の噂にはネットワークのように広がっていき曲解さえもしていきありもしない事実さえ伝聞の中で真実となる。

 

いじめられっこが針のむしろだったのが、逆になりいじめっこたちが針のむしろになるのだ。

 

 

学校にいられずに転校するのは当たり前だし、この町にいられずに引っ越しする人も珍しくない。

 

 

もともといじめの首謀者は1人だとしても、いじめに加担した者はみんなその首謀者と『友達』という鎖に繋ぎとめられたからそうなったのだ。

 

 

いじめに限ったことでなく『友達』というものは平穏を脅やかす危険要素になるかもしれないのだ。

 

 

 

そのため『平穏に過ごすこと』が何よりの願いの私にとってはその『友達』という物は避けたいものなのだ。

 

私はそれのいじめのケースを自分の目で見たことがあるからそう言える、といってもその時の被害者は私だったのだが。

 

いじめっこたちの末路を見た日から私はこう思うのだ。

 

『こいつらに平穏を脅かされたくない』

『友達という鎖によってあんな風になりたくない』

『いじめの加害者たちと同じようになりたくない』

 

 

いじめの加害者たちが転校してだんだん騒ぎが沈静化するといじめをしなかったが私を見捨てていたクラスメイトやいじめを黙認していた教師が責任逃れのために手のひら返したのように私を気にかけるようになった。

 

 

私は安堵していた。

 

 

でもそれは、クラスメイトや教師たちから気にかけられたからではないし、いじめが終わったからでもない。

 

 

そもそもそのクラスメイトも教師たちもいじめっこたちと鎖で繋がれてなかったから助かっただけなのだ。

 

クラスメイトも『友達』という鎖で繋がれていればいじめっこたちと同類に扱われあんな悲惨な結末を迎えていたのだ。

 

私はその時こう思っていた。

 

(いじめられる側でよかった、私がそっちじゃなくてよかった)

 

 

 

私は平穏に過ごしたい、私はそちら側ではなかったのだから安堵したのだ。

私にとっていじめっこたちがどうなったのかはもうどうでも良い。

だって私が被害を被る受けるわけじゃないんだから、私の平穏が無事なら他のことなんてどうでもいい。

むしろ今なら自分の平穏を守るためなら何であろうとできるだろう。

 

 

 

私はだからクラスメイトや教師たちに囲まれながらこう呟いたのを覚えている。

 

 

「ああ、こんな事で平穏を脅かされたくない」と

 

 

 

 

だからこそ、私は悪質な鎖にもなり得る『友達』という危険要素を避けるためにスクールカーストの底辺だろうがぼっちを貫き通し通して学校生活を送っている。

 

 

 

 

そうして私は目立たないようにいつものようにただの影となって、周囲の景色に溶け込んで日常を送る。

 

 

 

 

さて、今日の授業も終わったことだし私は図書館で進学校の生徒らしく勉学に励むとしましょうか。

 

 

 

教室で未だに騒いでいる声を聞きながしながら帰り支度をすまし、教科書諸々をカバンに入れて教室を出ようとすると。

 

 

 

 

 

「富良野、ちょっと良いか?」

 

 

 

 

 

 

その時、後ろから誰かに肩を叩かれて私の名前を呼ばれた。

 

呼び止められ男らしい声に振り返ると、白衣を着た背の高い女性が立っていた。

 

滅多に呼ばれることのない私の名前を呼んだし、肩を叩かれたことから呼び止めた相手は私で間違いない。

 

私を呼び止めたこの人は確か、現代文の教師の平塚先生だ。

 

 

 

「はい、何でしょうか…?」

 

 

 

私がいつも人前でするような口調で返答すると平塚先生は片眉をあげて私に言った。

 

 

 

「君に話がある、生徒指導室に来い」

 

 

 

そう言って、平塚先生は私の返答も待たずに『ついてこい』と言って歩き出した。

 

 

私は平塚先生の後をついて行きながら呼ばれる理由を考えた。

 

(いきなり『生徒指導室へ来い?』ってなにか私まずいことをしたかな? 成績は良い方だし、普段の授業態度も良い方だと思う、問題も起こしてないし何のために呼ばれたのだろう)

 

 

 

そうして私の頭の中をクエスチョンマークが回っている間にいつのまにか生徒指導室に着いた。

 

 

 

平塚先生に「入れ」と言われて中に入る。

 

 

 

 

この時は私はまだ知らなかった。

 

これが私の平穏を脅かす始まりになるのだということを…

 

 




次回は奉仕部との絡みです。

主人公の名前は次回で登場します。

アンチ描写は次回から入ります。


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