雪ノ下お嬢様はご機嫌ナナメ 作:千葉トシヤ
プレゼント、贈り物、進物。
感謝や祝福といった気持ちを『物』で示す場合が多いのだろう。他にも、挨拶や行事といった慣例的に渡すこともある。そして、人間関係を続けるための手段として扱われることも少なくない。
今回の依頼は『クッキーを作りたい』という言葉の裏に、どのような目的があるのか。そんなことを考えてしまう俺は、どこか間違っているのかもしれない。全ての言動には理由があって、感情というあやふやなものを心理的に読み取ろうとする。
「よっし!やるぞー!」
由比ヶ浜は鼻歌を歌いながら、材料を並べている。
俺が買い出しにいってきて、卵、牛乳、小麦粉、バターは当然揃っている。その他、アレンジのためにチョコやバニラエッセンス、ココアパウダーは追加購入してきた。調味料や他の材料については、調理実習で余った材料を使えることになっている。
「なあ、止めないのか……?」
比企谷がそう囁くが、俺は肩を竦めるだけだ。
エプロンを身に着けた由比ヶ浜はブラウスの袖をまくって、意気揚々と調理を開始した。時折り比企谷を見ていて、危なっかしい手つきである。ボウルの中の卵の殻はそのまま、バターは固形のまま、そして『塩』をスプーンで入れた。
「一体、何を作ろうとしているのかしら……」
由比ヶ浜のお菓子作りを見て、お嬢様が珍しく青い顔である。
エプロンを身に着けた彼女はいまだ固まったまま。
「今度は、コーヒーを準備するのか?」
比企谷の言っていることは、『由比ヶ浜は並行してできるのか』ということだ。
「これ、かくし味だからね!」
男子って甘いもの苦手な人多いじゃん、と由比ヶ浜が言いながらボウルにドバーッと投入する。その光景を見てしまったお嬢様は、開いた口が塞がらない。
もう修正はできない。
お嬢様はアドリブに弱いところがあるが、それでもだ。
「ぜんっぜん隠れてねぇ!?」
「え?あー、じゃあ砂糖入れるね!」
それは『塩』である。
そして固形物の多い生地をスプーンでかき混ぜる。
「う、うーん、……これでいっか!」
スプーンで成形したことに、お嬢様は絶句。
すでに限界まで熱されているオーブンへ天板を入れた。
「理解できないわ……、どうすればあれだけのミスを重ねられるのかしら。」
そろそろかな、と由比ヶ浜が出したクッキーは黒く焦げていた。
「おい、これマジで食うの?」
比企谷は、黒い物体を指差す。
「うっ、確かに見た目はアレだけど……」
「食べられない原材料は使っているわけではないわ。依頼を受けた身としては責任を取らなければ。」
潤んだ目で、口に入れたお嬢様。
思わず彼女は口元を抑える。
「……さくらざき、おねがい。」
俺に甘い紅茶を淹れるよう所望した。自分で淹れる余裕がないのだろうが、俺に任せることは珍しい。
「食べ物ではあるな、うん。」
「苦いよ~塩辛いよ~」
比企谷や由比ヶ浜もギリギリ食べることのできる味のクッキーを酷い顔で食べる。ここで捨てることを選ばない辺り、ここにいる俺たちは食べ物を粗末にすることは普段からないのだろう。
俺は煮立ったお湯と多めの砂糖を用いて、紅茶を淹れた。
ありがとう、と俺から受け取る彼女はマナーを守る余裕がない。
「なるべく噛まずに流し込むことね。舌に触れてしまったのなら、終わりよ。」
「毒物ではないので、食べられる範囲ですよ。」
俺も、由比ヶ浜特製クッキーを口に入れていく。
不味くはある。
自分で初めて作った料理を思い出す味だ。
「あ、あのさ。ごめん。」
責任を感じていることは確かだ。
俺たちが無理して食べていることを理解したらしい。
「やっぱり、あたしに料理って向いてないのかな。才能ないし……」
「由比ヶ浜さん、その認識を改めなさい。最低限の努力もしない人間が、才能ある人を羨む資格も蔑む権利もないわ。」
「えっ、うん……」
変わることを選ばない人間が、強くなれるはずもない。
『成功者のコンピテンシー』を学ぼうとしないなら、変わらない。
「成功できない人間は、成功者の積み上げた努力を想像できないから、成功しないのよ。だから、努力あるのみだわ。」
「で、でもさ、あたしにはこういうの合ってないんだよ。買えば済む話だしさ。」
バレンタインデーだって、市販品で済ます人も多い。
だが感謝の意志を伝えたいのなら、それを『物』にすべきだ。
「別に、不味いからって蔑むことは決してないぞ。」
「え、えっと、桜咲君?」
普段の態度とはがらりと変えたから、違和感があるだろう。
「いつも思っていたが、由比ヶ浜は周囲の評価を気にしすぎだ。周りのことを伺って、みんなに遠慮していることが必ずしも良いこととは限らないぞ。」
「普段からなのね。その性格、ひどく不愉快だわ。」
辛辣な言葉で、事実を突きつけた。
怒ってくれて構わない。きっかけになるならいい。
「由比ヶ浜さん……?」
お嬢様は、震える彼女の顔色を思わず伺ってしまう。
「か、かっこいい……」
どうやら、彼女も珍しい部類の価値観を持っていたようだ。
「な、何を言っているのかしら。私も桜咲も、かなりきついことを言ったつもりよ。」
「えっと、ぶっちゃけ軽く引くくらいだったけどね……」
「まあ、こいつらは遠慮を知らないからな。腹黒の桜咲と毒舌の雪ノ下。」
この短期間で、俺たちのことをそれなりには理解したようだ。
はぐらかすことはするけれども、俺たちは嘘を言わない。
それでいて、離れていくことがないとは、珍しい。
「で、でもね! なんていうか、本当のことを言ってくれるんだなって。ちゃんと、話してくれるっていうかさ。」
お嬢様は珍しいタイプの人には弱い。
弱みを見せないよう、突き放すような言動を取ってきた。
俺たちはいつだって、2人ボッチだった。
「まあ、男としては手作りクッキーって喜ぶんじゃねぇの。」
「そ、そうなの?」
「もちろん、貰い慣れているやつはわからんがな。」
比企谷の視線の先には、俺。
確かに今まで多くの贈り物を受け取ってきた。
中には悪意あるものもあったけれど、善意の場合もある。
「お嬢様の初めての料理は、なかなかキツかったですかね。」
「一体、いつのことを言っているのかしら。早く忘れてしまいなさい。」
お嬢様にとっては黒歴史だろう。
横に逸らした顔は、どこかむず痒い感情を見せる。
「見様見真似で淹れてくれた紅茶の味は覚えていますよ。」
美味しいものを組み合わせれば、美味しいと思って。
紅茶にチョコレートを入れてくるとは思わなかった。
本当に甘すぎた。
それでいて、温かったのは確かだ。
「まあ、才能溢れる雪ノ下も努力しているってことだな。女の子の手作りってだけで揺れるほど、男心は単純だ。」
「……例えばだけどさ、ヒッキーは揺れるの?」
「もう超揺れるね。女子がくれたら勘違いして惚れるくらい。」
その後、比企谷は大きな溜息をついた。
どうやら勘違いして惚れた経験があるようだ。
それが捻くれた要因の1つというところか。過去を引きずっている俺たちに、彼のことを変えることができるのかどうか、依頼達成までまだまだ時間がかかりそうだ。
「……でも、どうせなら上手くできたの渡したいな。」
「渡したい気持ちがあるなら、十分だ。これから調理実習をして学べばいい。」
純粋な好意を向けられてどうすればいいかわからない、お嬢様の代わりに述べる。
「まっ、それがいいだろ。由比ヶ浜もちゃんと聞け。」
「えっと、雪ノ下さん……?」
そっと、息を吸った。
「さっきはごめんなさい。その、あまりにも……、お菓子作りとは程遠いものだったから……」
「うっ、それは……」
不安そうな由比ヶ浜に対して、お嬢様は微笑んだ。
「まずは、エプロンの着方からよ。こっちに来て、後ろを向きなさい。」
「うんっ!」
もしお嬢様に妹がいたのなら、こんな感じなのだろう。
一筋縄ではいかない姉しかいないし。
俺の緩んだ頬も見て、比企谷は兄っぽい笑みを浮かべた。
****
紅茶の香りが立ち込める部室。
窓からは、心地よい春風が入ってきている。
「やっはろー!」
勢いよく扉が開かれる。
この部活にも、4人目の部員が入った。
「ねっ!昨日さ、がんばってクッキー作ってみたの!」
「そう、えらいわね。塩と砂糖は間違えなかったかしら。」
「うん!ゆきのんが言ってた通りそれだけはてってぃしたよ!」
「ゆ、ゆきのん……?」
好意であだ名をつけられることは初めてだ。
笑いをこらえている俺を、お嬢様が睨む。
「料理ってやってみると楽しいよね!今度はお弁当とか作っちゃおうかなーとか!」
あっ!と由比ヶ浜が大きな声を出す。
「ゆきのんってさ、いつもどこでお昼食べてるの?」
「ここだけれど……」
「うっそ、寂しくない!?」
「桜咲もいるのだけれど。そうね……、トイレよりははるかに良いわよ。」
そうでしょ?と挑戦的な笑みを比企谷に向ける。
「残念だったな。それは中学までのことだ。今の俺にはベストプレイスがある。」
「ヒッキーのちゅーがく時代、なにがあったの!?」
「聞くな。」
「じゃあさ、ヒッキーもみんなで食べようよ!」
「俺はいい。」
「えーっ!」
ゆきのんお嬢様は、額に手を当てた。
「騒がしいわ、まったく。」
「ずいぶんと賑やかになったものですね。ゆきのんお嬢様。」
「その呼び方、気持ち悪いからやめて。」
「照れていますね。」
「世迷い言を言わないでくれるかしら。」
変えるべきこの世界も捨てたものじゃない。苦さの中にちゃんと甘さのあるクッキーを、俺たちは口に入れた。
原作どこまで知ってる?
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13巻(14巻)まで読んだ。
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コミック版は読んでいる。
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本は読んでいないが、アニメは見た。
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ハーメルン投稿の二次創作のみ。
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主要キャラクターは知っている。