あの世暮らしのABC 作:いぬたろう
「ええと……。ここはどこだ?」
誰かが答えてくれるわけでもないと知りながら、
頭上から降り注いだ甲高いベルの音にたたき起こさて飛び起きた彼の目に入ってきたのは、どことも知れない駅のホームだった。
いつの間に寝ていたのか。そもそもどういう経緯で自分はこんなところにいるのか。思い出そうとしてもなにも浮かんでこない。それでもなにか思い出さないかと、ベンチに座り込んだまま頭をひねっていると、掃除の邪魔になるからと駅員らしい男にやんわりと追い出された。
「混乱されているのはわかりますが大丈夫ですよ。少し待てば事情を説明してくれる人が来ますから」
そういうところを見ると彼も何か知っているようだが、今は忙しいからとすみませんと頭を下げられてしまうと、わがままも言えない。仕方ないとホームを横切り、階段を上って上に向かうと、すぐそこに改札があった。陰気臭い感じの駅員がハサミを片手にぼうっとしている。
「って、そうだ。切符……」
冷静に考えてみれば、列車に乗った覚えすらないのに切符を持っているわけはないのだが、この時の一文は焦っていたのかそれに気づくことはなく、とりあえずポケットに手を突っ込んで――
「あ、あった……って、なんだこれ?」
ポケットから取り出した少し古めかしい感じの切符。そこに記された「此岸→彼岸 一方通行」の文字に、一文は首をかしげた。
「此岸に彼岸。聞いたことがあるな。確か此岸がこの世のことで彼岸があの世のことじゃ……」
なかったっけ、という言いかけて一文は口をつぐんだ。
普通に考えれば、こんなものは誰かのいたずら、悪ふざけの類だ。だが、どういうわけかそうだと言い切ることがひどくためらわれた。当たり前の常識を大声で否定しろといわれたような、そんな抵抗感のようなものを感じたのだ。
「……ああ、もう。ここでつっ立っていてもしょうがないや」
とりあえず外の様子を見てみよう。この場所がどういうところなのか、結論を出すのはそれからでもいい。
駅員に切符を見せて駅を出る。目に入ってきた光景に、一文は思わず感嘆の声を漏らした。
「う、わあ。なんだ、これ」
見渡す限り人、人、人。駅前広場は見ているだけでげんなりしてきそうな人込みでごった返し、移動するだけでも大変そうだ。
そしてそれ以上に道を行き来する人の格好も目を引いた。裸に近い服装で誇らしげに刺青と化粧が施された肌を見せびらかす筋肉質の男と蒸気革命時代のドレスを着込んだ女性が連れ立って歩いていたり、ブレザーを着た女の子が数人、ちょんまげ頭に着流し姿の男が店番をしている露店の前にたむろっていたりするのだ。
人種や国籍どころか時代すらごちゃ混ぜで、バラエティーに富んで多彩というよりも、まとまりがなくて雑多というほうがしっくりくる。コスプレ大会かハロウィンのお祭りでももう少しおとなしいだろう。一目でここが普通の場所ではないとわかる。それくらい、見たことのないおかしな光景だ。
「そういうものですか。この光景こそが普通な私にはよくわかりませんが」
「!?」
突然かけられた声に驚きながら振り向くと、少女がこちらを見ていた。年のころは一文と同じ10代後半ぐらい。黒いロングヘアと少し垂れた目が印象的だ。白と青を基調にしたどこかの制服と思しき服を着こなしていて、生真面目な印象を受ける。
「ええと……どちら様?」
「初めまして。私はエンドランド住人管理局局員の
そういって、少女はぺこりと頭を下げる。それはとてもきれいなお手本のような礼だったが、一文には、そんなことより彼女の発言の内容の方が一大事だった。エンドランドとか住人管理局という聞き覚えのない固有名詞も気になるが、一番大事なのはそこではない。彼女は確かにこの場所――エンドランドを死後の世界と言った。それはつまり――
(僕はもう死んでいる、ということだよな)
あの切符に書かれていたことは、何かの比喩でもいたずらでもなく、単純な事実だったということだ。
予想はできていた、そして認めたくなかったことをあっさりと突き付けられて、一文は何とも言えない気持ちになった。
強いショックがある。と同時に、考えていたよりも動揺が少ないのだ。例の切符のおかげで少しは心の準備ができていたのかもしれない。
やはり、というべきか。見てみないふりをしていたが、ここは死後の世界というやつらしい。
(目が覚めたらそこは天国でした……ってか?どうしたらいいのかな、これ)
途方に暮れて見上げた空を、光る輪っかと羽を付けた、天使にしか見えない人影が横切っていくのが見える。
ともあれこうして、本人が気づかないうちに、富士見一文のあの世ライフは幕を開けたのであった。
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あの世。天国。彼岸。
民族や宗教により名前や語られる内容に違いこそあれど、心配事や悩み事とは無縁で、穏やかで平穏な暮らしができるという一点においては共通しているといっていいだろう。しかし実際に死後の世界に赴き、その上で帰ってきた人間がいない以上、その予想が正しいのかどうかは誰も知らない。
「まあ、この世界の仕組みとしては、この考えで概ね間違ってはいません」
とりあえず落ち着いてお話の出来る場所に行きましょうと一文は、駅近くの住人管理局の支部だという建物に案内された。聞き覚えのない組織名とは裏腹に、建物の外見は特に変わったところもなく、いかにも分かりやすく現世に無数にある鉄筋コンクリート製の市庁舎といった造りだ。それは内装も同じで、特に気をてらった感じはなく、装飾の類は最低限で、色合いも落ち着いた色調でまとめられている。あえて違いを探すとすれば、行き来する人のてんでばらばらな服装や、ぼんやりと全体を光らせる見たことのない観葉植物
くらいだろう。
そんな管理局事務所の応接室の一室で、この世界のことについて一文に説明を行った恵は、そんな言葉で話を締めくくった。
「心配事や悩み事がない世界、か。それは確かに天国といっていいね」
「いえ。そこを勘違いされる方は多いのですが、この世界には大きな悩みや苦しみはありませんが、それだけで、全く悩みや心配事がない生活ができるかと言われれば、それは否です。人間が生きている以上、そういったものはついて回るのが当然で、それが健全なのです」
些細な心配事すら消し去りたいというなら、人間をやめるしかありませんがそういった処置をお望みですか?
さらりと怖いことを言い放たれ、一文はぶんぶんと首を横に振った。言い回し的に例えじゃなくて本当にどうにかできそうだとか、人間やめるって具体的にどうなるのかとか、気にはなるがとても詳しく聞きたいとは思えない。
「ええと、じゃあこの世界での生活は生前の世界のそれとあんまり変わりがないってことかな?」
たぶんだが、大きな悩みや心配事というのは戦争や災害のような大規模な人災、天災の類だろう。それは確かに大きな違いだろうが、毎日休みなく四六時中襲い掛かり続ける類のものではない。なら、日々の生活そのものは生前と変わらないんではないかと一文は思ったのだが、恵は再度首を横に振った。
「いいえ。同じ部分も多いですが違う部分も多いですよ。特に大きな違いは、やはり死がないことでしょう」
「……それって……この世界の人間は死なないっていうこと?」
「はい。その認識で間違いありません。転生を望んで現世に戻るような場合を除いて、基本的にはこの世界に来た方は永遠にこの世界で暮らすことになります」
つまりそれは、自分でそうと望まない限りずっと生き続けることができるということだ。この世界の住人としては常識ということなのか、恵の言い方はさもなんでもないことのようだが、未だ現世の常識を強く持っている一文のようなあの世の新入りにしてみれば、確かにそれはとても大きな違いだろう。そしてそんな世界なら、さっき見た駅前の、時代も地域もごちゃ混ぜな風景についてもなんとなく理解できる。死んだ時期も国もまるで違う人が大量に集まった結果なのだ。
しかし、この世界がいつからあるのかは知らないが、ずっと昔から存在していて死んだ人が残らず移ってきているのなら、その数はすさまじいことになっているだろう。いつか人間の住む場所がなくなってパンクしたりしないだろうか。
それが気になって尋ねてみると、恵は首を横に振ると、数枚の写真を取りだした。
「まずはこちらを見てください。言葉で話すより見てもらった方が早いと思いますので」
机の上に置かれたその写真に目をやって、一文は驚きのあまり目を丸くした。
そこに写っていたのは、雲海をバックに山脈の上空に浮かんだ無数の島や薄暗い水底に貝のようにへばりつく無数の建物、そして宇宙空間に浮かんだ巨大な構造物。いずれも一文が知る限り現世ではあり得ない物ばかりだ。
「この通り、この世界の技術は現世のそれのはるか先を行っています。現世ではまだ人が住めない場所にでも居住空間を設けることができるのです。そして」
まだ何かあるのか。顔を上げた一文の目を見つめ返しながら、大真面目な表情のまま恵は言葉を続ける。
「この世界には果てがありません。人が増えればその分生活圏を広げるだけで済むのです」
「…………」
ここで一文はとうとう言葉に詰まった。さっきから聞かされるこの世界と元々いたはずの現世とのあまりの違いに何を言えばいいのかわからなくなったのだ。
要するにだ。この世界では人は永遠に生き続けることができるし、人類の活動領域も永遠に広げ続けることができるということだ。都合がいいにもほどがある。まるで人の空想や想像、神話や伝説に語られる世界のような、作り話としても話が盛りすぎで胡散臭く聞こえてしまうレベルのものだ。リアリティがまるでない。それなのに、そんな世界は現実に存在するのだということを、他ならぬ自分がこうして死後の世界にきていることで証明しているのだ。
現実感のない現実とでもいうべきか。そしてその事実を飲み込もうとすればするほど、自分の立ち位置があやふやでよくわからなくなってくる。自分は本当に死んだのか?ここは本当に死後の世界なのか?ただおかしな夢を見ているだけではないのか?そんな言葉や考えが際限なく沸き上がってきて、一文は頭を抱えた。
「……文字通り時間はいくらでもあるのがこの世界です。ゆっくりと慣れていけばいいと思います」
「うん……そう、だね。そうするよ」
混乱している自分を気遣ってくれたのだろう。静かに諭すような恵の言葉に、一文は落ち着きを取り戻してうなずいた。
確かに彼女の言う通り。この世界は自分の終の棲家となるのだ。今すぐには呑み込み切れないことでも、時間をかけてゆっくりと受け入れて行けばいい。
「よし、少し落ち着いた。話の続きをお願いできるかな。それと励ましてくれてありがとう」
「どういたしまして。お仕事の一環ですが、感謝の気持ちは受け取りました。それではこの世界での生活について続きをお話しますね」
死んだ者のみがたどり着けるというこの世界での第二の生活。それが長い永いものになるのは間違いないだろう。どんなものになるのかは想像もつかないが、きっと悪いものにはならないだろう。
不安と期待で心臓がバクバクいっているのを感じながら、一文はこれからのことに想いを馳せた。