茨木の末裔は神酒を継承す   作:ちみっコぐらし335号@全国ロードショー

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 この作品のコンセプトは、Fate風味な鬼滅です。



 …………ん、前より更新が遅い? いやいや、気のせいじゃないっすかね。ちゃんとハーメルンで鬼滅×FGOな短編一本書いてたし(震え声)



修行と邂逅

 

 ◆

 

 

 

 

 

☆汝、力を欲するならば修行せよ

 

 

 

 人喰い鬼を殺すには特殊な武器が必要らしい。

 奴らが苦手とする太陽の力をたっぷりと溜め込んだ刀、『日輪刀』。それが鬼殺に必須となる武器の名前だ。

 

「なるほど…………」

 

「だからどんな方法で頸を斬っても殺せなかったんですね」

 

「…………そうだ」

 

 重々しく頷くのは、周囲に威圧感を与えるような長鼻の赤い天狗だった。

 無論、これはただのお面だ。天狗そのものではない。

 

 竈門兄妹の初めての鬼退治は、『鬼が朝日を浴びて焼け死ぬ』という形で幕を下ろした。

 その光景を見て呆けていた兄妹の背後に、音もなく現れたのがこの御仁だった。

 

 天狗の面を被ったこのご老人こそ、義勇が「会え」と言っていた人物、鱗滝左近次だ。

 彼は鬼狩りを育成する『育手(そだて)』の役割を担っている。

 

 狭霧山までの道中、兄妹に人喰い鬼の殺し方を訊ねられ、鱗滝は僅かに逡巡した。

 

 本来ならば「自分で考えろ」と言うところだが、彼はお堂にいた鬼の末路を見ていた。

 苦しんで苦しんで苦しみ抜いて――――それでも、死にたいのに死ねない。あの鬼の散り様はあまりにも哀れだった。

 

 きっと答えを教えなければ、今後もこの兄妹は夜が明けるまで鬼を痛め続けるだろう。

 それは鬼にとって最も苦しい死に方だ。

 

 故に鱗滝は伝授した。

 

 鬼は太陽の光で殺せること。

 確かに頸を斬れば殺せるが、そのためには特別な刀が必要なこと。

 他にも、死ぬわけではないが藤の花を苦手とすること。

 

 これらの情報を、兄妹は真剣な表情で聞いていた。

 

 事前に話には聞いていたが、本当に不思議な兄妹だった。

 

 最初に目にした時、鱗滝にはお堂の近くに鬼がもう一組いるようにしか見えなかった。

 鬼の悲鳴と返り血に彩られた二人の子供の鬼。微かに月明かりを反射する、凶器の如き鋭い爪と牙。

 敵を殺そうと躍起になり、人外の瞳を爛々と輝かせていた。

 

 陽が差し、男の鬼が跡形もなく消えた時、ようやくこの兄妹が『人喰い鬼』ではないと確信を持てたほどの気迫だった。

 

 鱗滝の後ろに続く形で登坂中の兄妹を見やる。

 妹はともかく、兄にあったはずの鬼の特徴は消え失せていた。前提となる知識がなければ、まず正体は見抜けまい。

 

 鬼の子孫、鬼との混血――――――まるで御伽噺のような話だ。

 しかし、日の光を嫌がる様子もなく、人喰い鬼特有の嫌な匂いもしない。鱗滝はこの奇妙な存在を認めざるを得なかった。

 

 先日、鱗滝の許に届いた()()の手紙。それらに綴られた文字を思い出す。

 

 ――――家族を殺され、鬼舞辻無惨に復讐したいという兄妹を、鬼殺隊士となるよう育成してほしい。

 どちらの手紙にもそのように記されていた。

 

 つまりは『二人を鱗滝の弟子にしてほしい』という要求だった。

 

 …………弟子。弟子だ。

 その言葉を耳にする度、両の指では足りぬ数の子供らの顔が浮かぶ。誰一人として忘れたことはない。

 皆、大切な弟子()()()

 

 ――――ああ、いつの頃からだったか。育てた弟子が生きて帰らなくなったのは。

 

 もう、鱗滝は弟子を取らないつもりだった。

 

 己にはきっと、育手としての才がない。

 故に鱗滝は多くの弟子と過ごしてきた小屋で、誰に修行をつけるでもなく一人で暮らしてきた。

 

 このまま死ぬ時までこの生活を続けるのだろう、と彼は考えていた。

 一抹の寂しさはあったが、それでも子供が死ぬ辛さに比べればずっとマシだった。

 

 しかし、最後に唯一戻ってきた弟子と、何より『お館様』たっての願いとあれば、修行をやらぬわけにはいかなかった。

 

 彼らが死ぬことのないよう、徹底的に鍛えるしかあるまい。

 鱗滝からは覚悟の匂いが立ち上っていた。

 

 

 

 

 

 霧の立ち込める狭霧山に到着してすぐに、炭治郎と禰豆子の修行は始まった。

 

 まず最初に課された修行は『山をできるだけ早く下る』というものだった。

 

 濃霧による視界不良の中、空気が薄く険しい山を下る。前を阻むのは、随所に設置された罠の数々。それらをかいくぐりながら、道なき道を駆け下りる。そんな訓練だ。

 

 決して楽な内容ではない。

 だが、険しい山肌も霧も空気の薄さも、二人を追い詰める要因にはなり得なかった。

 何せ生まれてこの方、山育ち。故郷の山に狭霧山ほどの難所はなくとも、山道や薄い空気には馴染みがある。狭霧山の環境に慣れるのは早かった。

 

 そんな二人を追い詰めたのは、落とし穴を始めとした無数の罠の存在だ。

 

 罠の配置は恐ろしいほどに考え尽くされていた。

 獲物の思考回路を知り尽くしている、と言い換えてもいい。

 

 巧妙に隠された罠に引っかかり、何とか脱出した先にまたもや罠、回避した先にも罠――――そんなことが度々起こった。まともな速度で前に進めないほどに。

 

 礫や竹に打ち据えられボロボロになりながら、山の中腹で兄妹は思った――――――少々面倒だな、と。

 

 ぐびり、と喉を鳴らしたのは、それからすぐのこと。

 

 

 

「――――――――――」

 

 そして、鱗滝に()()()()叱られた。

 

 木やら罠やらを丸ごと薙ぎ払ったら、彼のご老体がすっ飛んできて、神酒を飲んだのが即座にバレたのだ。

 

 鱗滝からの叱責、及びその後の『調べ事』は、ちまちまと罠にかかっていた方がマシだと思えるほどに恐ろしかった。

 

 それ以来、兄妹はちゃんと山下りには素面で挑んでいた。

 

 

 

 炭治郎と禰豆子の山下りにかかる時間は、ほぼ同じと言ってよかった。

 

 素の身体能力は、鬼化(せんぞがえり)が常態化している禰豆子に分がある。

 しかし、炭治郎はそれ以上に嗅覚が鋭く、匂いを嗅ぎ分けて罠を発見するのがうまかった。

 

 何度か兄妹は競争を行ったが、いずれにも決着はつかなかった。

 

 

 

 どれほど山下りをこなしても修行は楽にならず、むしろその険しさを増していった。

 

 当たり前のように、罠が顔など急所のある位置を狙うようになったのだ。飛来物も、礫ではなく小刀などの金属製が増えた。

 

 また、落とし穴の底にびっしりと並んだ刃物が待ち受けていることもあった。

 これが全ての穴に仕掛けられているわけではなく、普通の落とし穴が続く中に何食わぬ顔で致死性の罠が混じっているものだから、大変嫌らしい。

 

 二人は死ぬかもしれないという恐怖と戦いながら、難易度の上がっていく罠を粛々と回避した。

 

 特に素面状態での炭治郎の身体は生身の人間と大差ないので、文字通り死ぬ気で鼻と足を酷使した。

 

 

 

 

 

 ある時兄妹は、鱗滝から山下りに刀を持っていくように言われた。

 

 刀を受け取りながら首を傾げたが、少しして二人は思い当たった。

 鬼を狩るには日輪刀という刀が必要だ。いついかなる時であろうとも、鬼殺の命たる日輪刀を手放すわけにはいかない。

 これはきっと、武器を持ったまま、最高の能力を発揮できるようにするための修行だろう。

 

 刀を腰に佩いて、兄妹は山下りに繰り出した。

 

 そして、刀を持った途端に怪我が増えた。今まで避けられていた罠に引っかかるようになったためだ。

 

 刀の存在は身体の重心を変える。ほんの少しの重量差が足を引っ張ってしまう。

 

 体力や敏捷性は言うに及ばず、危機察知能力も含めて軒並み技能が向上したはずなのに、二人は修行開始時に逆行したかの如く怪我をしまくった。

 

 

 

 

 

 またある時、山下りの後に素振りの訓練が加わった。刀の扱いを覚えろ、とのことらしい。

 

 ――――しかし、これは必要な修行なのだろうか。

 兄妹は正直に『神酒を飲んで、鬼を殴って徹底的にボコボコにしてから、トドメにだけ日輪刀を使えば良いのでは?』と鱗滝に意見した。

 そして、これまた怒られた。刀をきちんと扱えねば話にならないという。

 

 いつになく真剣な声色で鱗滝が語るので、兄妹は殊勝な面持ちで頷いた。

 

 素振りに用いる刀の重さ自体はどうということもなかった。

 これまで散々、罠塗れの狭霧山を駆けずり回ってきた仲である。鍛え上げられた鋼の重みにも慣れたものだ。

 

 ただ何百、何千と同じ動作を繰り返すのは、精神的に存外辛いものがあった。

 素振りの数え間違いをして鱗滝に叩かれながらも、炭治郎と禰豆子は直向きに刀を振るった。

 

 

 

 

 

 その後の修練も過酷の一言に尽きた。

 

 

 

 

 

 鱗滝と行った一対一の対人戦では、二人は何度も地面に転がされた。

 真剣を持っていようが、鬼の身体能力があろうが、そんなもの関係ないとばかりに鱗滝にぽんぽんと投げ飛ばされた。

 

 

 崖の上から滝壺に落とされたり、肺を大きくする訓練と称して水を張った桶に顔を押し付けられたりもした。

 兄妹が鬼の末裔といえども生き物には変わりないので、呼吸ができなければ普通に死ぬ。毎晩、夕飯時になる頃には、二人揃って息も絶え絶えになっていた。

 

 

 

 他にも多種多様な技の型を伝授され、刀を振る都度『腹に力が入っていない』と平手打ちされたりもした。

 

 

 

 

 

 そして――――――

 

「…………………………え?」

 

「鱗滝さん…………い、今何て…………?」

 

「二人とも、()()だ」

 

 竈門兄妹に対し、禁酒令が出された。

 

 禁酒。禁酒である。すなわち『神酒を飲むな』ということ。

 

 炭治郎と禰豆子は顔を真っ赤にして抵抗した。

 どうして神酒を飲んではいけないのか。こんなの横暴だ――――と己が未成年者であることをすっかり忘れて、二人は喧々囂々と抗議した。

 

「炭治郎、禰豆子」

 

 覚えがないとは言わせない、と強い語調の鱗滝に、二人は当然反論しようとした。

 飲酒しても訓練には何ら問題はない、と今までの修行風景を思い返す。

 

 

 ――――初日。神酒を飲んだ後、狭霧山の一角を更地にした。

 

 ――――ある晩。怪我を早く治すために炭治郎が神酒をちょびっと飲んで、吐息で鱗滝をへべれけにさせた。

 

 ――――修行で使う大きな桶に水の代わりに神酒を注ぎ込んで、その酒気で鱗滝を昏倒させた。

 

 ――――酔った勢いで新しい型を適当に開発して、素手で大木を何本かへし折った。

 

 

 兄妹は、はたと思考を止めた。

 ――――あれ、結構やらかしてる…………?

 

 

 顔色をころころと変える兄妹を見つめて、鱗滝はため息を吐いた。

 

 鱗滝とて、何も二人を虐めたくて言っているわけではない。 

 この時期に禁酒を言い渡したのには理由があった。

 

 鬼殺隊士に必要不可欠な『全集中の呼吸』を身につけるには、これからが大事な時期だ。

 

 全集中の呼吸――――それは鬼殺隊に代々伝わる呼吸術。

 空気を大量に取り込み、血流を加速、体温を上げることで、身体能力を劇的に向上させる技法だ。人の身で鬼に対抗するための奥義と言ってもいい。

 日輪刀の存在に比肩するほど、鬼殺隊にとってなくてはならない技だ。

 

 鬼殺隊士となるためには、炭治郎と禰豆子にも身に付けてもらわねばならない。

 

 だが、二人には神酒があった。

 飲酒によって体温が上昇し、鬼化によって身体能力が向上する――――魔法のような酒だ。

 

 しかしそれは『呼吸ができずとも全集中の呼吸ができているように見える』ということに他ならない。

 故に、修行中の二人にとって神酒の存在は、肝である『全集中の呼吸』の習得を阻害してしまう。

 鱗滝はそう判断を下した。

 

 

 なお、日中のみならず修行時間外である夜も禁酒の対象だった。

 

 禁酒令が撤回されないと知り、兄妹はしとどに泣いた。

 

 こっそり喉を潤そうにも、神酒を飲めば見た目にモロに出る。

 そもそも鱗滝は炭治郎と同様、嗅覚に非常に優れているため、酒の匂いで絶対にバレてしまう。

 

 絶対に修行を終わらせて、修了祝い酒をしよう。

 誓い合った兄妹は、がむしゃらに修行に打ち込んだ。

 

 

 

 そして、二人の修行はついに最終課題に突入した。

 

 

 

 

 

 炭治郎と禰豆子はうんうんと悩んでいた。

 二人の目の前には、身の丈よりもなお巨大で、注連縄(しめなわ)の巻かれた大岩があった。

 

 鱗滝から与えられた最終課題の内容、それは『刀で岩を斬れ』というものだった。

 

 最後に直面した難題に、兄妹は唸った。

 そもそも岩は斬る物ではない上に、彼らにとっては殴って砕いた方が絶対に手っ取り早い。

 

 しかし、鱗滝からは禁酒命令が出されたままだ。

 よしんば神酒を飲まずに岩を割ったとしても、それでは岩を『斬った』ことにはならない。

 

 最終課題を突破しなければ鬼殺隊に入るための『最終選別』を受けられないし、鬼殺隊に入らなければ日輪刀も貰えないから家族の仇が取れない。

 

 兄妹は思考のどん詰まりに陥った。

 しかし、岩を斬るための展望が見えずとも――――何が何でもやるしかないのだ。

 

 根が真面目な兄妹は全力で刀を振り下ろした。

 刃が霞むほどの速度に、ぶぉんと音が響き渡る。

 

 そして、刀をパキッと折った。

 

「あっ」

 

 そう呟いたのは果たして兄妹のどちらだったか。

 

 ぱらぱらと零れ落ちた刃の破片を見下ろして、禰豆子は声を漏らす。

 

「刀、折れちゃった…………」

 

 半ばで折れた刀を認識して、兄妹は一様にさぁっと青ざめた。

 

 条件反射的に二人の脳裏に思い起こされる、老人の地の底から響くような声音。

 

 刀を初めて持たされた時、鱗滝から低めの声で脅されていたのだ。

 ――――刀を折ったらお前たちの骨も折るぞ、と。

 

 普通ならば『骨を折る』というのはただの物の例えだろう。

 

 しかし次に彼らの頭に浮かんできたのは、森林ごと罠を吹き飛ばした時の記憶だった。

 

 鱗滝にみっちりと叱られた後、兄妹の鬼化が身体に及ぼす影響について調べられた。

 一体、どれほどの力が出せるのか、体力はどこまで続くのか、傷はどこまで治るのか――――――あれこれと徹底して行われた、痛くて怖い調査の数々。

 あれらはもう二度と受けたくない。

 

 あの時は創傷した際の治癒速度を計るため、何度も皮膚を切る羽目になった。

 

 実際に皮膚を切ったのだから、骨を折るという発言も冗談でなく、今回は『本当に骨が折られる』。

 そんな衝動的に湧き上がってきた恐ろしい考えに兄妹は囚われた。

 

「ど、どうしよう…………!?」

 

「間違いなく真っ二つにされる…………!」

 

 真っ青な顔でばたばたと動き回る兄妹。

 

 手元に破損した刀という動かぬ証拠がある以上、下手な言い訳は己の首を絞めるだけ。

 かといって二人に刀の修繕などできるはずもなかった。

 

 詰んだ。この状況は詰みだ。

 骨をばきばきにされる前に逃げなければ――――!

 

 夜逃げの準備をするが如く、二人は身の回りの物を纏め始めた。

 

「――――おい待て。炭治郎、禰豆子!」

 

 その慌てふためきっぷりに堪らないとばかりに声をかけたのは、狐のお面を被った少年だった。

 

 口元に傷痕のある宍色の髪の子供。彼の名は錆兎(さびと)という。

 錆兎はもう一人の狐面の少女・真菰(まこも)と共に、ここ数ヶ月間の竈門兄妹の修行を密かに手伝っていた。

 

「鱗滝さんはさすがにそんなことは――――」

 

 しない、と言い聞かせようとしても、動揺しきっている兄妹の耳に言葉が届いているかは怪しかった。…………いや、あの様子ではまず間違いなく聞こえていないだろう。

 

 彼らが見守る中、兄妹は何かを紙に書き付けている。恐らくは手紙だろうが――――。

 

「はぁ、全く…………」

 

「どうしよっか、錆兎?」

 

「別に。そもそも俺たちには()()()()()()()だろう」

 

 錆兎と真菰は、炭治郎と禰豆子の兄姉弟子に当たる人物だ。

 かつて鱗滝の下で、鬼狩りとなるべく修行を積んでいた。

 

 しかし彼らは、師である鱗滝に会うことはできなかった。

 今の彼らは鱗滝に異常を知らせる(すべ)を持たない。

 

 故に、言葉で止まらないならば、飛び出していく兄妹の背を見送る他ないのだ。

 

「鱗滝さん、早く様子を見に来てくれればいいな…………」

 

 端から見ていても、あの兄妹の慌て方は尋常のものではなかった。

 まるで、何かに取り憑かれたかのような――――。

 

 二人に何か良からぬことが起こっていなければいいけど、と真菰は(そら)を仰いだ。

 

 

 

 

 

 炭治郎と禰豆子の修行は、思いの外進みが良かった。

 

 この一年で修行の行程はほぼ終了した。兄妹は鱗滝が求める厳しい水準に達したのだ。

 

 あとは全集中の呼吸ができるかどうかだが…………それも日頃から大きな力に慣れた兄妹なら近いうちに達成するだろう。

 

 そのために、心を鬼にして禁酒を言い渡したのだ。

 あれから酒の匂いも漂ってこない。二人は神酒の力に頼らず、真面目に挑んでいるのだろう。

 

 これならば、次の最終選別には間に合う。

 鱗滝はそう見込んでいた。

 

 だが――――何故だろうか。二人に何かが起こっている気がする。

 『きっと子供を選別に送り出すことへの不安からだろう』と心を落ち着けても、虫の知らせが止まなかった。

 

 ――――ああ、年を食って精神(こころ)が弱くなったのか。

 

 眉尻を下げて、最終課題である大岩の下を訪れた。

 ほら、二人は無事だ、考え過ぎだ――――そう己に活を入れるつもりだった。

 

「………………………………」

 

 鱗滝が様子を見に行った時、そこに兄妹の姿はなかった。

 

 岩の前に折れた刀が二本横たえられ、傍らには二通の置き手紙。どちらも宛名には『鱗滝左近次様』と書かれていた。

 

 封を開け、中身を読み進める。

 文面は似たり寄ったりで、おおよそ次のようなものだった。

 

 ――――ごめんなさい、刀を折りました。修行してくるので探さないでください。

 

「炭治郎、禰豆子………………」

 

 鱗滝は嘆息した。

 彼も育手の任に従事して久しいが、『刀を破損したから修行してくる』といって抜け出す子供は初めてだった。

 

 早く探して連れ戻さねばなるまい。

 

 彼は小屋に戻り、旅支度をてきぱきと整えながら、お館様宛に文を(したた)めた。

 

 『申し訳ございません、兄妹の修行にあと一年かかります』と。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

☆匿名希望のK君、酒飲み家出兄妹と邂逅す

 

 

 

 さほど昔のことではないが、あるところに一人の男がいた。

 黒い詰め襟軍服に似た装束を纏い、廃刀令が発布されて久しいこのご時世に刀を佩いた男性だ。

 

 少年から青年に差し掛かった年頃の彼は、鬼殺隊に所属する鬼狩りだった。

 所属期間はまだ短かったが、順調に鬼の討伐数を伸ばしていた。

 

 青年はいつも独りだった。

 他の鬼狩り(どうりょう)と共に任務にあたることはあったが、一人の方が気が楽だった。

 

 ――――他の奴らはお荷物だ。大して動けもしない癖に、余計なことばかりを(さえず)りやがる。

 

 彼は掃き溜めのような場所で生まれ、ゴミのように生きてきた。

 泥にまみれ、地を這いずり、生きるためにどんな汚い卑怯なことにも手を染めてきた。

 記すことさえ憚られるような罵声を浴びせられ、仲間からも後ろ指を差されてきた。

 

 そして悟った――――――人生、生き残ってさえいれば勝ちなのだ、と。

 

 そんな取るに足らぬ野良犬のようだった彼はある時、とある老人に拾われた。

 その老人は鬼殺隊士を育成する育手(そだて)だった。

 

 かつて鬼狩りだったという老人の鮮烈な剣技に魅了された。

 

 ――――先生(この人)に認めてほしい。認められたい。認められたかった。

 

 何をしても心が満たされない彼が、僅かに抱いた希望だった。

 

 ほどなく、希望は絶望に変わった。

 

 彼は『唯一』ではなくなったのだ。

 

 彼が一番認められたかった人は、ある時カスみたいな奴を連れてきた。

 ソイツはアホみたいに泣き、喚き、常に逃げるような子供だった。

 

 その子供には何もないと彼には一目でわかった。同じように持たざる者たちを多く見てきたからだ。

 その中でもソイツは一等のカスだ。見ているだけでイラついた。

 

 それなのに――――それなのに、だ。

 ソイツは彼が手に入れられないものを手に入れていた。彼が習得できていない技をソイツはあっさりと身につけた。

 

 それを見た先生は、二人で一つの継承者だと言った。

 それからはずっとソイツにかかりきりで、彼は見向きもされなくなった。

 

 お前は永久に半人前のままだと突きつけられた気がした。――――認められなかった。

 

 努力した。

 言葉に尽くせぬほど、鍛錬を積んだ。

 肉刺(まめ)が潰れてもなお刀を振るった。

 苦しくても止めなかった。

 

 だが、いくら身体をいじめ抜いても、教えを受けた技は壱ノ型だけが欠けたまま、いつまでも揃わなかった。

 

 ――――何故だ、どうしてだ。どうしてあんな奴にできることが自分にはできない?

 

 何度も何度も、数えることが馬鹿らしいほど練習した。

 だが、基本となるその技だけが成功することはなかった。

 

 彼はそのまま最終選別に挑み、鬼狩りとなった。

 

 完璧を諦めたわけではない。だが、型が一つくらい欠けていたって鬼を狩れる。

 彼は同期の誰よりも鬼を殺した。

 

 だのに奴らはこうほざく。――――基本(壱ノ型)が出来ない『出来損ない』の癖に。

 

 ――――ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!

 何故お前たちのような味噌っかすにああだこうだ言われなくてはならないのか。

 こうなれば鬼殺隊の頂点である『柱』まで登り詰めてやる。自分一人の力で。カス(アイツ)の力なしで。

 意地でも、やってやる。

 

 誰よりも強くなるために、青年は鬼狩りに邁進した。

 

 

 

 

 

 その日も青年は鬼殺隊の任務に当たっていた。

 

 まだ日のある時間帯だ。本来ならば、まだ鬼の活動時間ではない。

 だが、陽の射し込まない屋敷内を住処にしている個体がいるとの話だった。

 

 どうも旅人などの宿に困った人間に対して一宿一飯を提供し、寝静まっている時に喰らっているらしい。

 何とも雑魚らしい小賢しさだ。

 

 白昼堂々、彼はその屋敷に忍び込んだ。

 大した防犯設備もなく、誰か人を雇っている様子もない。

 ああ、なんと無防備な。彼の所感はそれに尽きた。

 

 足音を立てぬよう気を張り、暗い廊下を慎重に進む。

 屋敷内に罠は――――障害はない。

 

 そして、何度目かの襖を開け放った先に、目的の鬼を見つけた。

 

 あとは普通に頸を斬るも良し、何なら屋根をぶち破って日光に晒してやってもいい。

 簡単な任務だと彼はほくそ笑んだ。

 

 すらりと日輪刀を抜き放つ。

 

「死ねェ!!」

 

 ――――きっと、それも含めて鬼の手のひらの上だった。

 

「ヒヒッ………………お前がなァ!!」

 

 鬼の手から赤い飛沫が撒き散らされ、染み込んだ床や壁が波打った。

 ぐねぐねと脈打つように蠢いたかと思うと、鋭い棘が突き出してきた。

 

「なぁっ!?」

 

 ――――血鬼術(けっきじゅつ)…………異能の鬼か!? 

 

 彼は棘を切り払い、赤く変色した箇所から距離を取った。

 

 『血鬼術』。人を多く喰らい、力を付けた鬼が発現させる異能力の総称だ。

 その能力の種類は千差万別だが、概ね人間を殺すための力に長けていると言っていい。

 

「この――――ッ!」

 

 鬼の頸を狙おうとするが、刀の攻撃範囲に入る前に漆喰の塊が立ちはだかった。

 

 ――――ここで立ち止まってはダメだ。

 

 悪寒を覚え、即座に退く。先程まで男がいた場所には、棘となった床板が殺到していた。

 

 血を用いて、床などを変形させる血鬼術のようだ。

 正直、大した血鬼術ではない。タネは割れた。外に引きずり出してやれば、能力は半減する。

 

 だのに、彼は鬼の血鬼術に苦しめられていた。

 

「イヒヒッ、どォしたよ鬼狩りィ?」

 

 四方八方が囲われた屋敷の中は鬼の独壇場だった。

 こちらの攻撃が届かない。届く前に、血鬼術を一方的に仕掛けられてしまう。

 鬼の手札である壁面の血染めは徐々に広がっていた。…………時間が経つほど不利になる。

 

 鬼は青年のことを舐めきっていた。

 媒介となる血を飛ばしてどんどん攻撃の手数を増やしているのに、鬼と青年を結ぶ床だけは血で汚れずに綺麗なもの。

 つまり、目の前はがら空きなのだ。

 

 ああ、()()()さえ使えれば一息に頸を落としてやれるのに――――。

 

 ぎりぎりと歯を食いしばりながら、彼は頭を振った。

 

 ――――いや、やる。やるんだ。今やれなくてどうする。呼吸を調えろ。

 舐め腐っている鬼の頸を、今こそ壱ノ型で斬り飛ばしてやるのだ。

 

 納刀。鞘を腰元に回す。手を添え、脚に力を入れる。

 

 そして――――抜刀。

 

「っ」

 

 技を繰り出してすぐ、彼にはわかってしまった。

 

 ――――ダメだ。これは失敗だ。こんなもの、()()()ではない。遅く、鋭さの欠片もない。これは欠陥だらけの攻撃だ。

 

 これでは鬼の頸を斬れない。

 

「ヒヒヒッ、なんだ、餌が自分で飛び込んできやがったなァ?」

 

 にんまりと弧を描く鬼の口が眼前に迫っていた。

 

 ――――マズい。マズいマズいマズい!

 喰われる。このままだと喰われてしまう!

 他の型に切り替え――――ダメだ、間に合わない。

 体勢が悪い。時間がない。距離もない…………彼我の距離は自分で詰めてしまった。

 

 諦めたくない。負けたくない――――生きていたい。

 絶望しそうになる彼の心は、それでもなお生への渇望に満ちていた。

 

 ――――畜生ッ!! こんな、ところで…………!

 

 唇を噛み締めた時、甘ったるい酒の香りがした。

 

「あ――――――?」

 

 引き伸ばされた感覚の中、彼は屋敷の鬼の背後に鬼を見つけた。

 まだ目鼻立ちに幼さの残る鬼が二人――――いや、鬼の見た目なんて当てにならない。子供の体躯でありながら、中身は老獪だったりする。鬼はその気になれば、同じ姿形のまま何百年と生きることが可能なのだ。

 

 屋敷の鬼だけでも手こずっているのに、こんなところで敵の増援が来るなんて。

 ああ、どうすればこの状況でも生き残れるのか、見逃してもらえるのか。

 

 何とか勝つ(生きる)ために彼が足掻こうとした時――――――後から来た鬼二人が屋敷の鬼をぶん殴った。

 

「……………………は?」

 

 認識が追いつかず呆けている間にも、屋敷の鬼は廊下をごろごろと転がっていく。

 同時に、悲鳴らしき物も聞こえた。

 

 ――――鬼が鬼を攻撃した……のか?

 

「鬼殺隊の方、ですよね?」

 

 びくりとして顔を向けると、子供鬼の片割れがいた。

 少年の姿をした鬼が彼に話しかけてきたのだ。

 

「えっと、その…………混乱してるとは思うんですが、あの鬼の頸斬りをお願いします。俺たちが隙を作るので」

 

「あ、あァ…………?」

 

 ――――こいつは今、何を言った? 鬼が鬼と戦うと言ったのか?

 さては、こちらを油断させるための方便か。

 

 彼が言葉の真偽を疑っていると、少年の鬼はぴょんと飛び跳ね、屋敷の鬼の下に向かった。

 

 少女の鬼と共に、屋敷の鬼と戦う鬼の子供。

 傷を受けても果敢に殴りかかる姿は演技には見えなかった。…………まさか、本気なのか。

 

 ――――この際、仲間割れでも何でもいい。この状況を活かさねばならない。

 そう考えた彼は再び日輪刀を構えた。

 

 三人の鬼は隙だらけだ。どいつもこいつも、簡単に頸を斬れるだろう。

 …………いや、とにかく術が厄介な方を先に排除するべきだ。

 

 屋敷の鬼が床に押し倒されたところで技を繰り出す。

 頸を斬ると、瞬く間に屋敷の鬼は崩れ落ちた。

 長く息を吐く。

 

「フゥーッ…………」

 

 屋敷を根城にしていた鬼は排除したが、鬼はまだ残っている。

 二対一とはいえ、血鬼術を使う鬼を翻弄していた鬼だ。決して弱くはないだろう…………否、この鬼にも隠し玉(血鬼術)があると思えば、あるいは――――。

 

 ねっとりとした汗が青年の頬を伝い落ちた。

 

 ――――今度こそ死ぬかもしれない。いや…………そんなこと、認めない。何が何でも生き残ってやる。

 

 いつでも戦えるよう、彼は刀を正眼に構えていた。

 

 だが、いつまで経っても子供の鬼が襲ってくる気配はない。

 それどころか彼に「怪我はありませんか?」などと話しかけてくる始末。

 

 ――――本当に何なんだこの鬼は? 何が目的だ?

 

 二人の鬼に戦意はないようだった。

 しかし、どんなに変わり種だろうと鬼には変わらない。

 やはり、鬼殺隊としては倒すべきだろう。

 

 二人組の鬼に隙はある。鬼殺隊に後ろを取られているというのに、まるで気にした様子がない。

 まず最初に一人の頸を斬り落として、その後返す刀で――――。

 

 彼はしばらく熟考しながら鬼の後ろを付いて歩いていた。

 そして、何だか周りが明るいなと思い――――はたと気がついた。

 

 彼はいつの間にか屋敷の外に出ていた。

 

 何故だ、残った鬼二人を追跡していたはずなのに。

 こんな近くにいて逃げられたのか――――彼の疑問は予想外の形で氷解した。

 

「あの、どうかしましたか?」

 

 件の鬼は彼の目の前で、日の下を闊歩していた。

 

 

 

 

 

 彼が鬼狩りの最中出会った子供の鬼は兄妹で、兄の方が炭治郎、妹の方が禰豆子と名乗った。

 

 この兄妹は鬼なのに、鬼を倒したいのだという。

 先程の戦闘は仲間割れではなく、『同族狩り』の一環だったということか。

 

 オマケに日光を浴びても死なない鬼ときた。どう見ても厄介事でしかない。

 倒せないならば、何も見なかったことにして、さっさとオサラバするのが賢明だ。

 

 だというのに、

 

「鬼殺隊の方と行動した方が、効率がいいので!」

 

 彼が追い払おうとしても、このようなことをのたまって兄妹鬼はくっついてきた。

 振り払っても振り払っても、気付いた時には彼らが横にいた。

 

 正直、鬱陶しかった。

 

 

 

 

 

 任務のない時、青年は専ら炭治郎と禰豆子の観察をしていた。

 

 ここまで済し崩し的に行動を共にしてきた。

 しかし、もしも彼らが腹に一物抱えていた場合、非常に困ったことになる。食い物にされるのは御免だった。

 

 故に、彼は兄妹の挙動を事細かに観察していた。

 していたのだが――――

 

「お前ら、何で酒飲んでんだ…………」

 

 彼は頭を抱えていた。

 本当にわけがわからない。

 

 鬼の主食は人間だ。

 だというのに、この兄妹鬼は人を喰わない。普通に人間と同じ食事をして、瓢箪に入った酒を飲む。

 

 当初は擬態だと思っていたが、どうも彼らは本当に人を喰う必要がないらしかった。

 

 ――――というか、何故コイツらはしょっちゅう宴を催しているんだ?

 …………『先祖への貢ぎ物』? なんだ、それは。

 『しばらく疎かにしてたから、その分しっかり供えなくちゃいけない』? …………勝手にやってろ、こっちを巻き込むな。

 

 青年は終始、鬼の兄妹に振り回されっぱなしだった。

 …………兄の方はいつの間にやら敬語が取れて距離間が近くなっているし、妹の方は勝手に隊服の解れを縫い合わせて裾に刺繍まで施しているし。

 深く考えれば考えるほど、頭がどうにかなりそうだった。

 

 …………それでも、だ。『鬼を倒す』という目的だけは一致している。

 どうやっても離れないならば、とことん利用し尽くしてやるだけだ。

 

 鎹鴉が任務を持ってくる度に、兄妹を連れて鬼を狩っていった。

 鴉にはくれぐれも他の奴との合同任務を持ってこないように、と言い含めてある。

 おかげで、お荷物となる同僚とは遭遇しなかった。鬼の兄妹の同行を咎められることもない。

 

 酒盛りの話相手をするのは面倒だったが、戦闘時に囮として働いてくれる兄妹鬼の存在は便利だった。

 

 

 

 

 

「…………何でお前らは同じ鬼を倒してんだ?」

 

 ある時、彼が問いかけると、兄妹はきょとんとした表情で振り向いた。

 

 妹の方は獣の如き爪や牙があるため鬼らしい見た目だったが、兄の方は化けるのが上手いようで普段はただの人間にしか見えない。

 二人は眉を顰め、鼻を鳴らした。

 

「あれは…………『同じ鬼』なんかじゃないです」

 

「奴らは、紛い物だ」

 

 兄妹は何を以て鬼を『紛い物』と言っているのか。

 いつもの平和ボケとはかけ離れた不愉快そうな顔に、彼は思わず口を噤んだ。

 

 恐らくこれは下手につついてはいけない領域だ。

 地雷の気配を感じ取り、彼は黙って相槌を打った。

 

 それきり、三人の間で戦う理由が話題に(のぼ)ることはなかった。

 

 

 

 

 

 刀と同様、人の武技もまた鍛えねばならない。

 

 打ち続ければ刀が完成するように、技もいつか習得できる。

 

 夢を諦めきれない青年は今日も今日とて刀を握る――――全ては壱ノ型のために。

 

 普段背負っている日輪刀を腰元に据え、鞘への納刀と抜刀を繰り返す。

 一つ一つの動作に澱みはない。

 

 地を踏み込み、短距離を全力で走る。

 これも問題ない。全集中の呼吸はきちんとできている。

 

 ――――今日こそ、物にしてやる。

 

 そんな気概で彼は技の再現に臨んだ。

 

 何よりも強く、鋭い一閃。

 雷鳴の如き一撃。

 骨の髄まで痺れるような美しい剣筋。

 

 全て、全て、覚えている。

 いくらでも思い描ける。

 

 だというのに、己が肉体は動かない。想像を現実にすることができない。

 この身が生み出すのは、似ても似つかぬ張りぼてだけ。

 

 何故だ。何故、何故、なぜ…………。

 

「クソ…………っ!」

 

 幾度かの失敗を経て、彼は吐き捨てた。

 

 ――――あとどれだけ鍛えればいい? どれだけ努力を捧げれば報われる?

 できなければ、誰も評価してくれないのに。

 

 癇癪のまま、日輪刀を踏みつけた。

 刀が悪いわけではない。そんなこと重々承知している。だが、この苛立ちを何かにぶつけなければ心が張り裂けてしまいそうだった。

 

「…………くそったれが」

 

 刀を蹴り上げた。

 ――――ああ、痛い。痛かった。心が、身体が。もはや、どこが悲鳴を上げているのかも判然としない。

 

 欲しいものはたった一つだというのに――――。

 

 ふと、鼻腔をくすぐる香りに顔を上げる。

 木立の先に鍋を抱えた兄妹がいた。

 

「…………あ?」

 

「その…………なかなか戻ってこないから煮付けが冷めないうちにと思って――――」

 

 料理ができたから呼びに来たらしい。

 まさか汚点(アレ)を見られたのか。

 

 嫌な予想はすぐに当たった。

 

「さっきの技は? 今まで見たことないものだったが…………」

 

「うるせぇ、テメェらには関係ない」

 

「ふぅん、そうか…………せっかく格好良かったのになぁ」

 

「――――――――は?」

 

 一瞬、頭の中が真っ白になった。

 

 ――――この出来損ないが言うに事欠いて『格好良い』?

 本物を知らないからそんなことが言えるんだ。

 本物はもっと速かった、もっと鋭かった、もっと力強かった、もっともっともっと――――!

 

 沸々とこみ上げる怒りを堪えきれず、手を出した。鍋がひっくり返る音がした。

 

「何も知らねえクセに適当なこと抜かしてんじゃねぇぞ! 邪魔だ、失せろ!!」

 

 土埃の付着した日輪刀をひっつかんで走り去る。…………兄妹の顔は見られなかった。

 

 陽が沈み夕闇が迫る中、どこかで鴉が鳴いていた。

 

 

 

 

 

 夜、出発の時間になっても、兄妹は現れなかった。

 あれほど追い払おうとしてもくっついてきた兄妹はついに消えたのだ。

 

 『何かが足りない』とほざく声を押しやって、頬を叩く。

 ――――関係ない。元の状態に戻っただけだ。

 

 面倒事も多かったが、鬼との戦闘ではそれなりに役立った。そこだけは評価してやっていい。

 

 拙い体捌きに不釣り合いな力強さ。あの鮮烈な輝きは今も瞼の裏に焼き付いていた。

 

 もっと強くなる。もっともっと、誰よりも、何よりも――――()()()()()()()()()

 そうすればきっと、欲する何かが手に入れられるはずだから。

 

 うら淋しい静寂の中、彼は新たな戦場に赴いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「その、すみませんでした…………」

 

「本当にごめんなさい…………」

 

 しばらくぶりに見た赤い天狗のお面を前にして、炭治郎と禰豆子は縮こまっていた。

 

 二人を探す鴉に見つかり、鱗滝に連行されたのがつい先程のこと。

 

 刀を折った時は『それしか道がない』という衝動に突き動かされていた。身の危険すら感じていたように思う。

 しかし、冷静になってみると何故あのような視野狭窄に陥っていたのか、理解できないというのが二人の本音だった。

 

 『間違いなく脱走した自分達が悪い』と兄妹はいたく反省していた。

 鱗滝の後ろについて、とぼとぼと歩く。

 

「全く、この子たちは…………」

 

 鱗滝はやれやれと首を振った。

 

 鬼に殺されていないかと気を揉んでいたのだが…………ちゃっかり鬼狩りの任務に関わっているとは、何とも逞しい兄妹だ。

 

 ――――ああ、実に鍛え甲斐がある。

 

 鱗滝は天狗面の下で薄く笑みを浮かべていた。

 

「戻るぞ――――――帰ったら酒気を御する練習だ」

 

「っ、それって…………!」

 

「禁酒は取り止めとする」

 

 途端、ぱぁぁと満開の笑顔が咲き誇る。

 

 狭霧山へと向かう彼らの足取りは軽かった。

 

 

 

 

 

 

 

 見様見真似で鞘に納めた刀を抜き放ち、一息に目標を切断する。

 とある鬼狩りから垣間見たそれは、鱗滝から伝授された型にはない苛烈さを秘めた技だった。

 

「お兄ちゃん、それってもしかして――――?」

 

「すごい技だったからな、ついやってみたくなったんだ」

 

 炭治郎が刀身を鞘に納めると、チンと小気味良い音が鳴った。

 

 刀の扱いに習熟してきたからだろう。それなりの様にはなっている。

 しかし、形を真似ればその分だけ、かつて目にした閃光の如き一撃が際立った。

 あれは、丹念に鍛え抜かれた技術に相違ない。

 

「綺麗な技だったよね」

 

「ああ、そうだな。格好良かった」

 

 だがあの時、素直な印象を伝えたら怒られてしまった。 

 

 無知故に、何かおかしなことを彼に言ってしまったのだろうか。

 

 結局、あの後すぐに鱗滝がやってきたため、彼に謝ることは叶わなかった。

 それだけが心残りだったが――――。

 

「きっと鬼殺隊に入ればあの人にもまた会えるよな」

 

 再会を密かに望み、兄妹は修行に戻った。

 

 

 

 一時、共同で鬼と戦っていた彼は、口こそ悪いものの高い技能を持った隊士だった。

 

 だが、それほど強いにも関わらず、緊張からかどこか動きがぎこちなくなる時があった。

 

 もう少し気を楽にして、力を抜けばいいのに――――――それが、彼にとってどれほど難しいことか、兄妹は知らなかった。

 

 

 

 





 『修行と邂逅』というサブタイトルの時点で彼の登場を予想できた人は僕と握手。










 一瞬、関係ない映画のダイマをしようかと魔が差しかけましたが、内容を思い出す度に何やかんや涙腺がお亡くなりになるので自重します(ズビズビ)

 このペースだと来年の鬼滅映画では眼球破裂カナ-

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