りきざのかわり~首切り男とちんちん取られた神主~   作:小名掘 天牙

5 / 5
内通者と異変

 その日の夜の事、市松屋の奥に宛がわれた力左衛門との相部屋で、静かに寝息を立てていた茶々丸は不意に夢と現の境目に浮上した意識と共にぱちりと濁った目を開いた。

 

「……」

 

隣を見ると、出会って数日にも拘らず、妙に馴染んだ感のある力左衛門が、寝間着を(はだ)けてまわし一丁になって「ぐが、ごごごご」と無駄に豪快な寝息を立てている。

 

「……」

 

特段、異変も何も感じない、いつも通りの光景だったが、茶々丸はふと気が向き、枕元の刀を片手に部屋からするりと抜け出ることにした。

 

(……)

 

さらさらと肌を撫でる夜風の感触に、ほぅと溜息をもらして濁った両眼を細めた。と、

 

(ん?)

 

それは、単なる偶然だった。が、もしかしたら何か虫の知らせがあったのかもしれない。店の者達を起こさぬようにと足音と気配を殺していた茶々丸だったが、軋みのない緊密な板張りの牢かを歩いていると、不意に人の気配を感じたのだった。

 

(ここは……)

 

咄嗟に廊下の曲がり角で足を止め、唐突に現れた気配へと探りを入れる。果たして、気配があったのは過日に通されたさざんかの庭だった。

 

(まさか、あの違和感が本当になるとはね……)

 

心配性な女将の取り越し苦労が俄かに現実となった景色に、内心ぼやきたくなる茶々丸だったが、一先ず仕事の一環だと、諦めて気配の主が何者なのかを確かめる事にしたのだった。

 一度ぎゅっと目を閉じ、そしてぱっと大きくそれを見開く。瞬間、明瞭になる視界。月もない夜に、生け垣の葉から僅かに咲くさざんかの花、そして、

 

(……男?)

 

辺りを伺うその顔の持ち主までがはっきりと捉えられた。その身体の細さに羽織の袖口から覗く貧弱な腕から顔が見えなければ見間違っていたかもしれないが、髷から風貌までを見透かせる茶々丸には、その腕の持ち主が間違いなく商家のそれであることが分かった。

 

(なんか緊張しているな)

 

やけにきょろきょろと辺りを窺うその後姿に、茶々丸はそんな感想を抱く。果たして、男は一度二度辺りを見回すと、そそくさと、さざんかの咲いた庭先へと足を踏み入れたのだった。

 

(……)

 

何かをしようとしている。男の動きは、茶々丸にそう確信させるには充分だった。

 

「あ……」

 

一瞬、男が身を捩る様な動作をした。まるで何かを避ける様な……

 

(さざんか……)

 

その場所は、例の折れたさざんかが植えられた場所だった。

 

「……」

 

何をしているのかはまだ分からない。だが、少なくとも、あのさざんかを折ったのは、目の前の男に違いなさそうだった。

 

(ふむ……)

 

そこまで見定めたところで、茶々丸は念のため刀の鯉口を切る事にした。

 

「!」

 

その判断は正しかった。男は辺りを確認し終えると、袂から何かを取り出し、そして、塀の外へとそれを放り出そうとしたのだった。

 

(それだ……)

 

男の行動の理由、それを止める必要がある。茶々丸はその場から一気に跳躍した。

 巨体がふわりと宙を舞い、庭に生した苔の上をかさっと小さな音を立てて滑る。そして、

 

「動く……いや、別に動いても良いか。その時は首をはねるだけだし」

 

「!?!?」

 

男が自分の存在に気付くよりも遥かに先に、茶々丸は引き抜いた腰の物で、手付代わりに男の首の皮膚を薄く切り裂いたのだった。

 つーっと滴り落ちる鮮血の熱と冷たい白刃の感触に、男がびくりと硬直したのが見て取れた。

 

「あ、な!?」

 

予想だにしなかった、否、手の物に意識を向け切っていて気付けなかった。そんなところだろうか? 絶句する奉公人らしき男の後ろで、茶々丸は苦笑する。

 

(取り合えず手の物を……いや、取っちゃだめか。直接見せさせないと、僕が下手人だとか変な言い掛かりをつけられかねないし。かと言って、下手に騒ぐと市松屋に迷惑掛けちゃうからなあ……)

 

はてさてどうしたものかと思案する茶々丸。

 

「力左が都合よく起きてくれれば、人を呼んでもらうんだけど……!?」

 

そんな茶々丸の右目が不意にぼやけたのは、頭に浮かんだ埒もない願望を口にした、正にその時だった。

 急に真暗くなり一切物を写さなくなった右目に、茶々丸は男に悟られぬよう、咄嗟に声を噛み殺す。だが、そんな茶々丸にさらに追い打ちをかけるようにそれ(・・)は訪れた。

 

 

 

―む……茶々?―

 

 

 

耳の奥から脳髄に響いた、聞こえるはずのない力左衛門の声。次いで、暗夜もかくやの漆黒ばかりしか映さなくなったはずの右目の奥からもジワリと光がまろび出る。果たしてそこに現れたのは、最近見慣れてきた感のある、月明かりを通す白い障子紙の景色だった。

 

―は? おい、茶々、その男は? というかこれはどういう事だ!?―

 

「……」

 

そんな有り得ない筈の光景はもしかしたら向こうも同じなのかもしれない。俄かに騒ぎ出す、自分の記憶にある通りの力左衛門の声に、茶々丸の中で、この光景が白昼夢ではない可能性がじわりと高まった。

 

(……まさかね)

 

努めて表情を変えないまま、茶々丸は内心で顔を顰める。もし、この光景が白昼夢ではないのだとしたらと、茶々丸の脳裏に一つの嫌な予感が浮かび上がったのだった。

 

―力左?―

 

その予感を確かめるため、茶々丸が胸の内だけで首をかしげる。

 

―むおっ? 茶々か? いや、待て、その男は!?―

 

果たして、あり得ないはずの光景から帰ってきたのは、困惑する力左衛門の声だった。

 

(……マジかよ)

 

綺麗に正解を射抜いた様子の嫌な予感に、茶々丸は思わず顔を歪めた。が、今はそっちに関してどうこう言っている場合でもない。もしかしたら、目の前の男の手の内にあるである何か(・・)を拾いに、この男の仲間が何時やって来るとも知れないのだ。

 

(それに、却って都合が良いかもしれないしね)

 

 整理してみれば存外悪くない状況に、一先ず茶々丸は疑問の全てを一旦脇に置くことにした。

 

―ねえ、力左。一旦落ち着いて―

 

―茶々。いや、本当に茶々か? いや、ちゅーか、お主何処、いや、そもそもこれは!?―

 

再度語り掛けてみれば、やはり当然のように帰って来る力左衛門の返答。そんな茶々丸に対し、力左衛門は更に困惑の声を上げた。

 

―うん、それ含めて後で説明するから、先に店の旦那さん呼んできてくれる? 大至急―

 

―う、うむ?―

 

―早く。さっさとしないともぐよ?―

 

―何をだ!?―

 

未だ混乱する力左衛門が、視界の奥で「ひゃいっ!?」と自分の身を抱いて走り出したのを感じながら、茶々丸は移り変わる風景を右目に、溜め息と共に両肩を竦めたのだった。

 さて、一先ず目処が立ったかなと思案していると、目の前で背中を向けた男が「あ、あの」と声を掛けてきた。

 

「……」

 

茶々丸は無音で男の背中に近付くと、首筋から喉仏の移した御神刀の刃を釣り上げて、震える男に「しゃべる事も別に制限はしないけど、削ぐは削ぐよ?」と告げた。

 抑揚の無い茶々丸の声に、男がビクリと硬直する。その様子を「ふむ」と見届けていると、背中の方でどたどたと板間を駆ける音がした。

 

「……」

 

ちらと視線だけ振り替えると、予想通りまわし一丁でばるんばるんとおっぱいを揺らしながら、力左衛門が走り去って行った。

 

「……」

 

相方が走り去ったのを見届けた茶々丸は、男が生唾を飲み込んだのを感じながら、しかし一切躊躇なく、男の喉肉に、力左の刀の刃を切れない限界まで沈める。

 

「改めて言っておくけど、もし、不審な動きをしたら、喉の皮から順番に削いでいくから、そのつもりで」

 

淡々とした茶々丸の声に、一切の躊躇が無い事を悟ったのか、男はきょときょとと必死に首を縦に振ったのだった。

 

 

 

 

 力左衛門が市松屋の主人を連れて、さざんかの庭に戻ってきたのは、それから程無くしての事だった。

 

「な、何事ですか!?」

 

庭に着いての主人の第一声はこれだったが、それは仕方ないだろう。その風体は明らかに寝起きで、襟元は開き、髷は乱れたまま、無理矢理力左衛門に腕を引かれてやって来たという体であった。

 

「どうも、御内儀様の勘は当たったようです」

 

そう言って、茶々丸が顎をしゃくって刃の先に首を乗せている若い男を指すと、店主はさっと顔色を変えたのだった。

 

「まさか!?」

 

「どうも、そのまさかみたいです」

 

「その人の手を探ってみてください」と茶々丸が告げると、どたどたと庭先に降りてきた店主が、慌ただしく手代の握り拳を開いた。

 

「これはっ!?」

 

「……」

 

果たして、手代の手の内にあったのは小さく丸めた紙切れだった。主人がその中身を改め目を見開く様を茶々丸はじっと待っていた。

 

「中身は見取り図か何かでしたか?」

 

「……」

 

茶々丸が問い掛けると、店主はぎゅっと唇を噛んで、むっつりと頷いた。

 

「だ、旦那様、わ、私はこの方に脅されて、仕方なく「だまらっしゃい!!」ひぃっ!?」

 

追い詰められた手代が最後のあがきとばかりに、茶々丸に全てを擦り付けようとしたが、その詰まり詰まりの言い訳を店主は一喝した。

 

「何年、貴方の字を見ていると思っているんですか。主人を甘く見るんじゃありません!!」

 

暗闇の中、夜目の利く茶々丸には、店主が顔を真っ赤にしているのがよく見えた。

 

「これは、間違いなく助蔵さん、貴方の字です。それも、誰かに脅されたような迷いも震えもない、間違いなく貴方自身の意思で書いたものだ!」

 

「っ!?」

 

動かぬ証拠と主が書類を突き付けると、とうとう観念したのか、男はがっくりと項垂れたのだった。

 

「で、どうします?」

 

崩れ落ちた奉公人を前に、市松屋の主人が「……ふぅ」と一息吐いたのを見届けて、茶々丸はそう問い掛けた。

 

「せっかちですなあ……」

 

茶々丸の早急な問いに、店主はそう言って苦笑を返してきた。

 

「単純に、その紙が道に落ちていない事に、その人の仲間が感付くかもしれません。それに」

 

「それに?」

 

「ぐずぐずしていても、眠くなるだけですし、スパッと首飛ばすなら斬っちゃった方が後腐れもないでしょう?」

 

にべもない茶々丸の物言いに、「まあ、それはそうなのですが」と店主は苦笑を浮かべてきた。

 

「そうですな……方針を決める前に、助蔵さんには一つ答えていただきましょう」

 

「……」

 

「この店の、襲撃の日取りは何時ですかな?」

 

「……」

 

店主の問いに、手代の男は押し黙った。だが、

 

(知ってるね、これ)

 

(そうだな)

 

その表情は、茶々丸と力左衛門の二人にそう確信させる程度にははっきりと動揺の色が見て取れた。そして、その事実に市松屋の主人が気付かない訳も無かった。

 

「助蔵さん……隠しても無駄です。あなたは襲撃が何時なのかを知っていますね?」

 

「……」

 

「助蔵さん!」

 

夜間故か周囲を憚りながらも、荒げられた主人の声が庭の中で響いた。だが、そんな主人の視線にも、男は俯いたまま視線を合わせようとすら出来なかった。

 

―うわ……―

 

―ぬ、ぬお!?―

 

そして、そんな奉公人の旋毛を前に、市松屋の主人の目からはすぅっと急速に温度が失われていったのだった。

 その無機質な相貌に、思わず揃って変な声を胸中で漏らす茶々丸と力左衛門。重なった脳裏の声は幸か不幸か外には僅かも漏れずに二人の中だけで溶けて消えた。

 そんな二人を前に、無機質なビードロ玉の様な目で自身の奉公人を見下ろしていた市松屋の主人が、視線を上げて茶々丸に問い掛けた。

 

「お手間を取らせますが、助蔵さんの口を割らせる事は出来ますかな?」

 

それは、物腰柔らかく、問いの体を取ってすらいるが、有無を言わせない圧力を感じさせる声だった。

 

「ええ」

 

その意図を正確に読み取った茶々丸は一つ頷くと、黙りを決め込む手代の右耳を一刀のもとに斬り飛ばしたのだった。「ぎゃっ!?」と悲鳴をあげて踞る手代の残った耳元にしゃがみこみ「さっさとしないと、もう片方も行くよ?」と通告する。

 

「あ、が……!?」

 

茶々丸が眼球を突き合わせて、そう口にすると、手代の男は必死に茶々丸から逃げようとしながらがくがくと頭を縦に振った。

 

「まるで化け物でも見たかのような反応だね」

 

「いや、人を斬る時のお主の目は爬虫類か何かみたいで相当に気色悪いぞ?」

 

「失礼な」

 

夜の町に、悪乗りした茶々丸と力左衛門の間で、弛緩した空気と共にゲラゲラとした笑いが響いた。そんな悪乗りする二人に、市松屋の店主も僅かに苦笑を浮かべている。

 一方、耳を切り飛ばされた手代の方はと言えば、その様子をおぞましい化け物か何かを見るような目で見ながら、「み、三日後……」と細い声で搾り出したのだった。

 

「三日後ですか……」

 

少し考え込んだ店主だったが、やがて何かを決めたのか、大きく一つ頷いた。

 

「決まったんですか?」

 

茶々丸が確かめると、店主は「ええ」と頷いて、折られた紙を再び畳み直すと、ぽいっと塀の外へと放り出したのだった。明らかに、この手代がやろうとしていたことをし終えると、ぱんぱんっと手を払った。

 

「ぬ?」

 

「……」

 

予想していなかった反応にです力左衛門が疑問符を浮かべ、茶々丸が首をかしげると、店主は愉快そうに、そして、品の良い風貌に似つかわしくない、ニタニタとしたねちっこい笑みを浮かべた。

 

「さ、一先ず、奥に行きましょう。何、取って食いやしませんよ。もう少し詳しく話をするだけですからね」

 

「「……」」

 

主人の向けた嗜虐的な笑みに愕然とした男を背に、すたすたと店の上に上がる市松屋に、茶々丸と力左衛門もまた促されて、店の奥へと向かったのだった。

 暫くすると、店の主人が投げ捨てた紙切れは、まるで初めからそこには何もなかったかのように表通りの地べたから掻き消えていたのだった。

 

 

 

 

 奥の座敷に座り、行燈に明かりを灯した市松屋の主人は、置いてあった煙管に火を点し、たっぷりと吸い込んだ煙を吐き出した。

 

「さて、先の件ですが、私はこのまま済ませるつもりは毛頭ございません」

 

「まあ、普通はそうでしょうね」

 

茶々丸が同意すると、店主は莞爾と微笑んだ。

 

「ですが、単純にこの男を番所に突き出しても、きりがないのでございます」

 

「あー……」

 

主人の言わんとすることに、茶々丸は思わず呻いた。

 

「この市松屋、お恥ずかしながら、この中涙の町では一番の塩問屋を自負しております。それこそ、我が店の塩は、この町の大切な資源であるとも考えております」

 

「まあ、そうでしょうね」

 

市松屋の主人の言葉は事実だ。もし、市松屋が無くなれば、塩の高騰で間違いなく中涙は干上がる。

 

「そして、それを分かっていながら、この市松屋を的にかけた。その時点でこれらを根絶やしにしないという選択肢は有り得ません」

 

「……」

 

「それに……この市松屋を態々的にした馬鹿が、一度しくじったくらいで諦める訳がない。今回この男を奉行に裁かせても、またほとぼりが冷めれば残党は事を繰り返すでしょう……」

 

「……」

 

主人の言葉に、茶々丸も納得と共に頷いた。そして、そうなると、主人が考えていることも自然と見えてくる。態々、この手代を生かさせたこと含めてだ。

 茶々丸が「じゃあ?」と尋ねると、主人はたっぷりと頷いた。

 

「この賊を罠に掛けます。市松屋を狙ったつけはきっちりと払っていただかないといけません」

 

かんっ! と灰盆に煙管を打ち付ける店主。

 

「幸い、この市松屋留吉、多少中涙の奉行に顔が利きますのでな、事情を奉行に訴えて、三日後に人を伏せるように願い出ます」

 

「ふむ……」

 

「後はやって来た賊を一網打尽にするだけです」

 

「店の方を危険に晒すことになるのは?」

 

茶々丸がそう問うと、店主は不敵な笑みを浮かべた。

 

「この程度の賭けが出来ずに、何が商人ですか」

 

からりと笑った店主は「それに」と付け足す。

 

「こういう時のために、"首斬り月下"先生に来ていただいているのですから」

 

「……」

 

おだてるような店主の口調に、茶々丸は無言で肩を竦めたのだった。

 

 

 

 

 翌朝になると、市松屋の主人は早速奉行所に使いの者を走らせた。そして、当然ながら町有数の豪商である市松屋の訴えとあって、奉行所に駆け込んだ奉公人に連れられて、与力が一人店の暖簾を潜ってきたのだった。

 

「あ」

 

「なんでぇ、茶々丸じゃねーか」

 

目の合った与力が顔馴染みである事に気付き、茶々丸は「どうも」と軽く頭を下げた。

 

「どうしたい、おめーさんも、とうとう首斬りは廃業かい?」

 

軽い調子で店先に腰を下ろした与力はトントンと自分の首の辺りを叩いて見せる。その軽薄にも取れる仕草に、茶々丸は苦笑と共に「まさか」と答える。

 

「今更、稼業を変えるが億劫な程度には首斬り代行は手に馴染んでまして」

 

「そうかい?」

 

飄げた様子で肩を竦めた与力は、調度奥から出てきた旦那の方へと向き直った。

 

「おおこれは、青江様。ようこそ御越しくださいました」

 

慇懃に頭を下げた市松屋の主人に、与力の青江某は「よしてくれ」と気さくに手を振った。

 

「何か、話したいことがあるんだろ? 遠慮なく言ってくれ。中涙の名士、市松屋の相談とありゃ、この青江平九郎、閉ざす耳はないってもんだぜ?」

 

そう言って、にかっと歯を見せた役人の青江に、店主は「ありがとうございまする」と頭を下げた。

 

「それでは早速なのですが、こんなところでなんですから、どうぞ奥へ」

 

「おう」

 

「喜久三、青江様にお茶をお出ししなさい。それと、月下様もどうぞこちらへ」

 

「……」

 

促された茶々丸は一つ頷くと、丸い店主と、がっちりした体格の与力の後について、店の奥へと向かったのだった。

 

 

 

 

「ふむぅ……」

 

 店主の口から事のあらましを聞き終えた与力が、深い溜め息と共に難しい顔を作った。

 

(まあ、それも当然だよね……)

 

まさか、町の名士直々に、自分の店を囮にしろ等と言われるとは、流石の中涙の奉行の与力といえど、予想だにしていなかっただろう。とはいえ、この申し出そのものは、奉行所としては有り難いは有り難いものだろう。あの手代を脅して吐かせた情報から察するに、件の盗賊は中々に数も手練れも揃っているらしく、中には数人の浪人も混じってるようだった。そこまで凶悪な盗賊ともなると、一人とて逃しては奉行所としても不味いことになる。

 

「で、その内通していた手代は何処に居るんで?」

 

「奥で、力左衛門が見張ってます。観念した風を装ってますけど、逃げられたら厄介なので」

 

茶々丸が答えると、与力の青江は「力左衛門?」と首をかしげた。

 

「あ、少し前からうちに居候している、女……力士です」

 

茶々丸の説明に、得心がいったように「ああ」と頷いた与力は、同時に何かを思い出した様子で、にやにやと品の悪い下世話な笑みを浮かべた。

 

「そうか、噂の美人女力士が此処に居るのかい」

 

「? 何ですか? 噂って?」

 

与力のその、あからさまに人を揶揄するような笑みに、茶々丸は思わず顔をしかめた。

 

「そう嫌な顔すんない。今、ちょいと噂になってるんだぜ? あの偏屈な首斬り代行が、女力士を一人つれ回してるってな」

 

「別に、噂にしても面白くもなんともないと思うんですけど」

 

茶々丸が思わずぼやくと、青江与力は「いや、中々に面白いぜ?」と身を乗り出してきた。

 

「……」

 

「何せ、中涙じゃ首斬り代行のお前さんは間違いなく、一番町の奴等に怖がられる存在だ。それこそ、俺達町方よりも、下手すりゃお前の方が恐れられてるまである」

 

「ええ……」

 

単なる食い詰の帳外れに、そんな感想を抱かれても困る。まあ、帳外れは吹聴はしてはいないのだが。

 

「そのお前さんが、ここ最近女力士を連れて歩いてる。しかも、それが相当の美人だ。こりゃ相当な訳あり(・・・)に違いねえと、専らの評判さ」

 

「まあ、訳ありなのはその通りですけど……」

 

だが、間違っても、こんな下世話な好奇心を向けられる間柄ではない。

 

(ていうか、力左は男だしね)

 

ちんちんの無くなった、元男で現女力士の、やたらと自信満々な高笑いを思い出し、茶々丸はそっと嘆息したのだった。

 

「で、茶々丸よ」

 

「……何ですか?」

 

茶々丸は最早、半ば諦めの感情と共に振り返った。

 

「実際のところ、その力左衛門……どうも女らしくねえ名前だが、乳のでけえ美人だそうじゃねえか。そのご仁と一体どういう関係なんでい? 俺っちにいっちょ話してみねえか?」

 

(ほーら来た)

 

綺麗に予想通りの反応に、茶々丸は内心独り言ちる。

 

「関係もなにも、只の居候ですよ」

 

当然ながら、馴れ初めや全貌を話すわけにもいかず、茶々丸は一先ず当たり障りのないところを答えた。

 

「居候?」

 

だが、茶々丸のその答えそのものが予想外だったらしい。与力の青江某は、そんな頓狂な声を上げた。

 

「……何か?」

 

じっと固まる与力に、茶々丸は思わずそう問い掛けた。すると、与力は少し戸惑った様子で「いや、だってよ」と、首をかしげた。

 

「居候ってことは、お前の家だろ?」

 

「ええ、まあ」

 

「っつーことは、あの町外れの襤褸屋に居るって事だろ?」

 

「そうなりますね」

 

「あんな、見るからに身なりの良い女力士が?」

 

「……」

 

(あれは、何処に出しても恥ずかしい"野郎"だし、顔は良いけど、下品で下の話が大好きな奴なんだけどな)

 

最近、女相撲で稼いだ金で春画集めを趣味にし始めた力左衛門と、春画に占められた庵の一角の事を思い出し、茶々丸は思わず微妙な表情になった。

 

「そんな御嬢さんが、あの襤褸屋に居座るなんざ、よっぽどの理由がなけりゃ、有り得ねえよ」

 

だからと、したり顔でのたまった青江与力の言葉に、茶々丸は思わず吹き出したのだった。

 

「おいおい、俺っちは割りと本気でそう思ってるんだぜ?」

 

「事の真偽は水掛け論になりますし、一先ず置いておいて、話を進めませんか?」

 

茶々丸がかわすようにそう言うと、与力も流石に長話になったかと肩を竦めた。尚、店主の方は「私はこのまま進められても一向に構わんのですがなあ」と、有り難くもない寛容さを見せたりしていた。

 

「まあ、いいか。一先ず話を進めると、三日後の見張りの件は承ったぜ市松屋。奉行に話して事を進めらあ」

 

「有難うございまする」

 

「よせやい」

 

平伏する市松屋の主人に与力はヒラヒラと手を振った。

 

「礼を言うのはこっちの方だぜ、市松屋。お前さんが言い出さなかったら、俺達は盗賊を素通りさせるだけじゃなく、まんまと全員に逃げ切られていただろうからな」

 

「恐れ入りまする」

 

(うわー、悪い顔)

 

実に愉しげな二人の様子に茶々丸は思わず肩を竦めた。武芸ならばそれなりに覚えのある茶々丸であっても、この二人に睨まれたら、この街じゃ到底生きてはいけないだろう。

 

「では、細かな手はずはお任せ致します」

 

「おうよ」

 

市松屋の言葉に頷き、与力が引き寄せた刀を腰に差す。

 

()えるぜ」

 

「とんとお構いも出来ないで」

 

立ち上がった青江に、市松屋の主人が深々と頭を下げて「喜久三や、青江様がお帰りだ」と声を上げた。呼ばれた奉公人がドタドタと廊下を駆ける音を聞きながら、与力の青江はふと思い出した様に茶々丸の方を振り返った。

 

「そういや茶々丸よ」

 

「はい?」

 

「おめぇさんと女力士はどうするんでい?」

 

「女力士の方も、市松屋に住み込んでるんだろう?」と青江与力に水を向けられ、茶々丸は軽く首を傾げる。

 

「僕はまあ参加ですけど、力左は本人に直接確認してみないとですね」

 

事も無さげにそう言う茶々丸に、中涙の与力は少し驚いた様子で「まさか、戦う気かい?」と目を見開いた。

 

「それ含めてです」

 

そんな青江与力に、茶々丸は軽く肩を竦める。そんな茶々丸に青江は「そうかい」と頷く。

 

「まあ、おめえさんがそう決めたなら、俺っちは一々口を出す気もねえがな」

 

そう言って、青江が難しい表情で腕を組む。

 

「だが、男なら間違っても女を傷物にさせちゃあならねえぜ?」

 

「あー、はい」

 

その与力の言葉に、茶々丸は曖昧に頷く。言っている事はもっともなのだが、如何せん力左衛門は身体は兎も角中身は完全に男だ。

 とはいえ、それを他言する訳にもいかない茶々丸に青江は軽く肩を竦めて、市松屋の暖簾をくぐったのだった。

 

「……」

 

 そんな青江の背中を見送った茶々丸は、市松屋の主人の「さて、私も仕事に戻りますかな」という声に釣られ、自分も部屋を後にしたのだった。

 

 

 

 

「出て行かんぞ」

 

 その足で奥の間に入った茶々丸が告げたあらましに、口を開いた力左衛門の第一声はそれだった。

 

「いや、でもさ」

 

そんな力左衛門に、茶々丸はしかし僅かに首を傾げる。相手は強盗。しかも相当に凶悪な押し込み専門と見て間違いない奴らだ。

 が、そんな茶々丸の説明がお気に召さなかったらしい。着流しに腕を組んだままの力左衛門はフンッと荒く鼻息を漏らした。組まれた腕の上で、大きなおっぱいがたっぷんと揺れた。

 

「お主にとって我は男か? 女か?」

 

「え? 思いっきり男だけど」

 

唐突な力左衛門の問いに、茶々丸は「今更何を?」といわんばかりの真顔で答える。

 

「だろうな」

 

「おっぱいは大きいけどね」

 

「揉むか?」

 

「後でね」

 

適当に肩を竦め合い、どちらともなしにげらげらと笑った茶々丸と力左衛門はふと顔を見合わせる。

 

「茶々よ」

 

「何?」

 

「お主が言った様に、我は男だ」

 

「うん」

 

「その男が友を、まして恩人を置いて一人逃げる訳にはいかんだろ」

 

「まあ、そうだけどさ」

 

茶々丸の言葉に、力左衛門は「それが答えだ」と言って頷いた。

 

「……」

 

それでも心配そうな茶々丸に、力左衛門は「そんな顔をするな」と笑う。

 

「我も力士。賊の一人や二人、自慢の上手(うわて)で一撃よ」

 

そう言って、かっかっかと哄笑する姿に、茶々丸は「うーん、まあ仕方ないか」と肩を竦める。

 

「けど、相手が刃物を持っているのは間違いないから、無理はしないでよ」

 

「うむ」

 

「それと、背中は任せるからね?」

 

「うむっ!!」

 

事も無げに向けられた茶々丸の言葉に、力左衛門は満面の獰猛な笑みと共に機嫌よく頷いたのだった。

 

 

 

 

 




お久しぶりです、デポジットカンチョーです。
えー、完全にエターかましてしまっていたのですが、ご感想を頂けたことが嬉しくて、つい次を書いてしまいました。どうもありがとうございます。
中々続きを書かない身で恐縮ですが、この話も時々続けたいと思いますので、お付き合いいただけましたら嬉しいです。
ではでは
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。