どうしても叶えたい願いの為にその気になる綾小路と、別にどうでもいい願いでなんとなくいるオリ主 作:a0o
試験六日目、この日の早朝も見回りしてたが問題が起こる様子はなく実に結構なことだ--寧ろ問題が起こるとすれば内側かな。
とは言ってもそれは学生同士、それもこの学校特有の物だから大して気に留める必要性は無いだろう--あの賭けに対しても基本的には罰金の徴収が主だし、何より今更深く関わるのは無理だろうしな。
もしそれがあるとするなら、誰かから請われた時ぐらいだが元会長殿からして考え辛い--それでもあるなら第三者が何かした時かな?
なぁ、綾小路。
「おはよう。朝っぱらから何か用か?」
「春休みの‶イベント〟の事で相談したい」
雑談する気もなく単刀直入か--つまり相当時間が惜しい案件ってことか。
「昨日あれだけお嫁さんとイチャイチャしてたのに熱がまだ冷めないか」
「寧ろ盛り上がったくらいだ--外での事を聞いたお陰で」
「なんだ、まさか責任取れとかか?」
「そうは言わないが、『そもそも』において嬰児が発起人なんだ。話を聞く義理はあると思うが」
「だとしてもちょっと気が早くないか?まだ二か月は先だぞ」
「どうも長くなりそうだから前置きは省いて本題を話す--最終日に起こる事への対策に力を貸して欲しい」
「最初からそう言え。ってか、それって初日に言ってた勝負の事だろ--元会長殿が負けると踏んでる訳か?」
「個人としては勝つだろ。ただAクラスのリーダーとしてはかなりの損害を出す結果になると思ってる」
へぇ、そこまで見通したのか--ちょっと興味が湧いたので聞いてみると、なるほど有りえなくはなさそうだ。
「有栖や他にも探りを頼んで裏も取った--正直、試験での巻き返しは不可能だ」
「試験でって事は他に対応する方策があるってことか?」
「ああ、もうその為の協力も取り付けてある--ただこれには嬰児の協力も必要になる」
「ほう。それが最初の話に繋がる訳か」
「相変わらず話が早くて助かる」
「されど春の僅かな楽しみとじゃ、メリットは向こうの方が勝ると思うが?」
「だから話がしたいんだ--それにぶっちゃければ、あの条件は嬰児には大した魅力じゃないだろう」
「まぁ、確かに」
何より俺が言いだしたことじゃない--いつの間にか話が決まったって流れでなんとなくだったし。
そしてこんな話をしてるってことは言い出しっぺの堀北元会長殿には既に話は通してると言う事--俺にクラス移動されるのは困るってことか、そう考えるとちょっと微妙だな。
「オレの思惑にそのまま乗るのは面白くないって顔だな。尤もだ--本来ならこっちからそれを呑ませるだけの条件を提示したいが、お前が戦う場を用意するにはもう難しいだろ?」
年末の裁判沙汰に関しては全て把握してるってか--それとも外側からの介入に対してはお前も同じだから組もうって言ってるのか?
「まず最初に言って置くが金銭面において嬰児にマイナスは出せないと堀北先輩と話は付けてある--そして面倒も掛けない。嬰児には必要な物を手配してくれれば後は全部こっちでやる」
要は金だけ出してくれれば南雲会長の策も潰せるってか--少し面白そうだし勝手に決められた思惑よりは良さそうだが、はっきりと良しとは言い難いな。
とは言えそれをストレートに言ったら話がもたつくだけだし、ここは飲み込んで先に進めることにするか。
「取り敢えず聞いておくが一体俺に何を買わせたいんだ?」
綾小路は要望を言い、そこから何をするつもりなのかも話してくれた。
なるほど、面白そうだ。
最初にした話ともしっかり繋がってる--ただそれでも俺的には不十分だが。
「オレの方策に嬰児なりに足したいことがあるなら聞く。この件と関係なく要望があるなら勿論それでもいい。協力して貰いたい」
正直、俺にとっては受けても受けなくてもどっちでもいい案件だ--綾小路にとっては俺が他クラスへ行く可能性を僅かでも排除するつもりなんだろうが、そのまま乗るのはやっぱり心につっかえるものがある。
それは綾小路とて心得てる--だからこそ交渉を持ちかけて来た。
ただ、そうは言われても見返りに何か欲しいものは現状無い--貸しをひとつってことで手を打ってもいいが
いや、待てよ…………。
「そうか。じゃ、ひとつ頼んでもいいか?」
正に今思い付いたことをそのまま伝えると綾小路も目を丸くした--ハハ、これはこれで愉快なものだ。
流石に二つ返事でってことはなく、少し無言となり意を決したように返事が来た。
「分かった。今更、その程度の事はなんとでもない」
そうは言うが最後のは負け惜しみっぽいぞ。
「じゃ、交渉成立だな」
願わくばこのタイミングで宿舎が着くぐらいが良かったが、まだ少し掛かる--のでもう少し話してても良かったが、綾小路は急ぐからと行ってしまった。
気恥ずかしさってのを覚えたのかな?
***
何事もなく授業も過ぎていき食事時間となった--唯一、女子と接触できる貴重な時間だけに和気藹々となるのは不思議ではないが、今回は異色な雰囲気が漂っていた。
「それでですね。星組のトップペア様たちによる―――」
坂柳が熱心に語る歌劇団の演目話に学年を問わず大半の女子たちが聞き入っており、丸で演劇に興味の無い男子たちからは他所でやって欲しいと思われたりもしていた。
「ああ、どうせ萌え話するならアイドルライブとかが良かったなぁ」
誰が言ったか、その台詞に釣られる形で特例の男子に目が行った。
「言っとくけど、俺だって詳しい訳じゃない」
「えぇ、どうせ春にはまた外出るんだろ。お土産とか――――」
「欲しいなら、そう交渉してくれ--生徒会通せば出来たりするんじゃないか」
「おいこら。妙なのに巻き込んでんじゃねぇ」
南雲が嬰児の台詞に透かさず待ったをかけた--その顔も否定的で付き合う気は無いと書いてあった。
「ちぇ、詰まんねぇの」
男子の話題が途切れてしまうが、女子の方は全くお構いなしに盛り上がっており、見ていた南雲が嬰児に声を掛けた。
「女子の方はお前の方で牽制掛けとけよ--俺は知らないからな」
「はは。生徒会長もあの場には辟易しますか?」
「正直、ついていけん--これまで丸で縁がなかったからな」
南雲はふぅーとひと息ついて、坂柳の元に集まっている女子たちを改めて見た。
そこには一年だけでなく二年三年の上級生たちも居り、その顔は本当に楽しそうであった。
「複雑ですか--なびいてるのを取られたようで」
「そこまで卑しくねぇよ--ただ俺じゃ、あんな顔にはしてやれねぇからな。今更ながらちょっとな」
「ま、この学校じゃ娯楽への話題は限定的ですからね。それは仕方ないんじゃないですか」
「はは。ありがとよ--牛井の方こそ大丈夫なのか、実質休みもないだろ?」
嬰児のフォローに南雲は苦笑し、別の話題を振って来た。
「特別扱いされてる分、働かなきゃいけませんから。ご心配なく」
「話は逆だと思うがな」
優遇されているから働くのではなく、働かせる為に特例を与えられている--南雲の顔には〝不満は無いのか?〟と書いてある。
つい昨日も龍園と似た遣り取りをしたばかりな為、嬰児としては辟易した気分で言った。
「だから代わりに先輩の部下になれとでも?」
「体面上、お前自身が権限を持つのが無理なら、俺個人と契約するのはどうだ?」
「したとして何が変わる訳でもないでしょう」
「そうか?この学校の生徒会は普通の所とは違う--お前が望む最低限の自由を得られるぐらいにはフォロー出来ると思うぞ」
「いや、そう言うのをするなってお達しですから--やったら更に大きなのが来て、もっと大変な事になりますよ」
「それが望みだろう」
南雲がしたり顔で言う。
「手始めに特例ポイントの買い取ってやる--そうすれば負担も少しはマシになるんじゃないのか?」
「それって堀北先輩との勝負に出てた奴でしょ--まさか――――」
「おいおい、早とちりするなって--いくら何でも2000万をポンとだすなんて、すんなりとは言えねぇ」
「ってことはもっと高値で買い取ってくれると?」
嬰児の申し出に南雲も苦笑する。
「吹っ掛けて来るな--言い値を望むならある程度の分割じゃないと無理だぜ」
「卒業までに支払える保証は?」
「俺の代で無理なら一之瀬に引き継がせるのでどうだ」
暗に断ろうとしていた嬰児は南雲の返答に流石に眉をひそめた。
「一之瀬もセットってことですか……聞いたらさぞかし軽蔑されるでしょうね」
「捻くれてるなぁ--単に後任に任せようってだけじゃねぇか」
「貴方個人との契約なのでは?」
「一之瀬の性格なら放って置かねぇんじゃねぇか」
「そして一之瀬の心に南雲先輩の意志を引き継いだってのを卒業まで持ち続けさせたいと?」
この指摘に南雲は改めて盛り上がっている女子たち、その中心にいる坂柳に目を向ける。
「あいつは幸運だよな。彼氏が違うクラスなのに学校中から祝福されてて--普通、特にこの学校じゃ見ることの出来ない光景だ」
「南雲会長も充分、存在感残してると思いますよ。一之瀬には」
「けど、お前程じゃない」
「……蛇足かも知れませんが、俺は別に一之瀬に気がある訳じゃないから恋敵だと言うならお門違いですよ」
「あくまで知り合いに似てるだけだったけか?」
「その通りです。彼女の代わりなんて目でも見てませんから、その辺りもご安心を」
嬰児の態度や口調からは嘘は感じない--客観的に見ても嬰児は恋や青春などを謳歌する余裕などないことは明らか。
事実を再認識し、かと言って安易な同情など無意味だと分かっているので、そこには触れずに話を戻すことにする。
「だったら尚のこと女子の方も騒ぎ過ぎないようにさせとけよ--試験にまで影響して余計な仕事が増えたら堪らねぇからな」
南雲の態度からはもう既に影響が出始めているとも受け取れる--実際に坂柳の周りだけでなく普段は関わりの無い女子たちも話している風であり、それは上級生も変わらない。
二年の女子にも既に影響が出ていることが想像できた。
「なんだか熱心に布教して回ってるみたいでな--あの調子じゃ、生で観たいから呼んでくれって言いかねない」
「そりゃ、生徒会長の腕の見せどころじゃないですか」
「気安く言うんじゃねぇよ--そこまで何でも出来る訳じゃねぇ」
仮に骨を折ったとしても実現できるかどうかは未知数--結局駄目だった等となったら報われないにも程がある。
南雲のニュアンスからはそんな気苦労が見て取れ--嬰児もそれは素直に理解した。
「生徒会長もの大変ですか」
「当たり前だろ、役職を全うしてこその権利だ--なんでも好き勝手に出来る訳じゃない」
「ご尤も」
この正論に嬰児も肯定する--そしてそれは周りで聞いていた面々も同様の様で無言のまま関心の視線を向けて来た。
どうにも背中がかゆくなる--そんな感覚に南雲は居心地が悪くなり、話を終わりにしようとぶっきらぼうに言う。
「兎に角、まだ試験中なんだ--余計な面倒掛けないように程ほどにしろよ」
去って行く南雲を見送り、嬰児も仕事に戻る--食堂に居た他の面々も特に何も言うことなく、その場は静かに食事を再開し各々で戻って行った。
***
さて七日目を迎えた--昨夜の南雲会長の有難いお言葉と明日の試験の事もあって、今日は朝から皆気合が入っている様子だ。
男子は勿論、女子の方もまるで昨日までのバカ騒ぎが嘘の様--と言っても俺は何もしてないけどな。
ただ何も知らない輩から見れば、俺が南雲の言う事に従ったと思うのも居たりする。
「よう。俺の誘いは蹴ったくせに南雲の言うことを聞くってことは、いよいよもってクラスを見限る気になったか?」
「龍園、こんな時に輪を乱すような真似は止せ!」
「ああ。今しないでいつすんだよ?大金と権力が転がり込んでからじゃ面倒臭えだろうが」
それならある意味、今と変わらないけどな。
「それもそうだな--明日の結果に関係なくクラス移動出来るようになるなら、こっちにだって無関係じゃない」
橋本め。尤もらしく乗って来やがって--お陰でグループの皆も〝それなら聞く権利があるな〟って感じになっちまった。
やはり気になるものは気になるか。
「何か誤解があるようだが、女子が大人しくなったのに俺は何もしてない--そして誰か個人の下に付くことは出来ないし、俺自身もそんな気は無い」
「下に付かなくてもギブアンドテイクの取引なら乗るんじゃねぇのか?」
龍園の奴、しつこい限りだ--そしてこれがどうしても言質を取っておきたい事だろうな。
どんな形であれ俺を使うことが出来ることが可能--それが明文化した形でなら、他にもアプローチが来るのは明白。
ハッキリ言って迷惑千万だが、それを回避するのにも貸しを作って詮索を深めて来る--とこんな感じか、なんだか綾小路と話してるように気分になって来るな。
「繰り返すが南雲会長たちの事で俺は何もしてないし、するつもりもない--クラス移動に関しても全くその気は無い」
「だが今のクラスに愛着がある訳でもねぇだろ--もっとやり易いようにしたいんじゃねぇのか?」
自分の所ならやれるってか--まぁ、こいつのやり方からすれば妙な説得力があるな。
ただそれと実際にやれるかは別だけど。
「つまり俺にそれだけのメリットを提示できると?」
「それに見合う働きをするなら、命に懸けて用意してやるよ」
これはまた大胆な事を言ってっ来たな--普通なら冗談を、と流すだろうが相手は龍園、その目にはギラギラとした愉悦と本気さが醸し出している。
いや、命を懸けるぐらいの覚悟がなきゃと悟ったってことか--つまりは綾小路たちと同じかそれ以上に〝
「いつになく面白いこと言うな--お前の命ひとつ程度でなんとかなると?」
「んな脅しが通じる段階なんざ、とっくに過ぎてるだろ」
うわ。即答しやがった……なんとも嫌な流れだ。
適当な誤魔化しは効かないって感じだが、今回は本当に直接的な関係は無い--南雲に限らず誰かの下に付く気なんて最初からないし、命を懸けれたところで別に欲しくもない。
そうストレートに伝えるのがベターだけど、どうにも納得させるには弱い風に持って行かれた。
何か龍園が満足する面白い事で返すしかないだろうが、流石に咄嗟過ぎていいものが思い浮かばない。
しかも助け舟を期待できそうなのも居ないと来たもんだ--ここでの無言は、俺的に嫌な心証になって来ている。
仕方ないから話を元に戻すか。
「大した自信のようだが、それなら今回の結末ぐらいは予想で来てるのか?」
「いいや--ぶっちゃけ上がどうなろうと興味ねぇしな。
それよりも外から何か来るのかが気になって仕方なくてな」
注目してたのはあくまで俺だってか、嬉しくない限りだ。と龍園は龍園で自分のペースに持って行こうとしてる--ひと筋縄じゃいかない、ただ想定範囲内だ。
「この前のインパクトが余程強かったみたいだな--ただあまり大きなのに目を向けてると見落としがあったりするぞ」
「ってことはやっぱ何かしてるってことか?」
「何度も言うが俺じゃない」
「俺じゃ、か」
かなりベタだが龍園はしっかりと喰い付いた--それに釣れれて周りの奴らも〝何かが起こる〟とそんな期待感とも言えるものが宿った。
「南雲会長はただ試験を進めていくつもりは無く、堀北元会長もこのまま試験が終わるとは思ってないらしい--明日、試験が終わった後がある意味で本当の始まりになるそうだ」
「らしいだの、そうだだの、なんともハッキリしねぇな」
「仕方ないでしょ。
「つまり動いてるのは他の奴で、その仕掛けはまだ言えないってことか」
よしよし、しっかりと言葉尻を捉えて龍園もしたり顔だ--その態度やニュアンスにも幾ばくかの満足感が見える。
この場はこれで満足として後は、明日のお楽しみってことにして貰いたいな。
その意図は伝わったようで龍園もこれ以上絡んでくる様子はなかった--全く朝っぱらから疲れるぜ。
***
試験前日とあって夕食も今までとは違う雰囲気があった--主に女子の方に。その様子は嫌でも目に入る様なあからさまであり、男子の方は大部分が辟易とした気分だった。
その中心と言える坂柳は笑みを浮かべながら向かいの相手に言った。
「橘先輩。そんなに縮こまってないでもっと気楽にして下さい」
「え……あの…………その…………」
元生徒会書記の橘茜の顔は困惑一色であり、何故自分がここに居てこんな事になっているのか、丸っきり訳が分からない状態だった。
「ほら。明日は試験本番なんですから、しっかりと食べないと」
「そうですよ。たださえ先輩のグループ危なそうなんですから」
そして橘を囲んでいるのは坂柳だけではなく、別グループである堀北や櫛田などの一年Ⅾクラスを主に多くの女子たちが居た。
その集団は非常に目立ち、会話の内容も否応なしに耳に入って来る。
「それにしても災難ですよね--先輩のグループ、真面目にやってるのAのメンバーだけじゃないですか」
「本当にね。おまけに休み時間も嫌がらせなんかしていて、流石に目に余るわ」
最早、わざとやっているとしか思えない櫛田と堀北の堂々たる
「ちょっと、人聞きの悪いこと言わないでよね!」
「おや。何か間違ってましたか、猪狩先輩?」
声を荒げた猪狩と呼ばれた女子に坂柳が前に出た。
「当然よ。私たちの平穏を乱してるのは橘さんよ」
端的に被害者は自分達だとの主張に坂柳は丁寧に、そして大胆に返す。
「それはつまり真面目にやって〝あれ〟だと--それとも〝そう〟するように真面目にやってると?」
事情を全く知らない物からしたら理解出来ない問いだが、坂柳だけでなく周りに居る女子の面子からも同調圧力があり、猪狩に冷や汗が浮かぶ。
「……豪く庇うじゃない。いつから貴方たちってそんなに仲良くなったのかしら?」
「春先のイベントには是非出席して頂きたいんで--あんまり暗い顔されているのは気持ち的に良いものでは無いんですよ」
途轍もなく個人的な意見だが、周りは賛同している様子であり、特に堀北は声を出してそれを示して来る。
「そうね。先輩たちとは春にはお別れですし--兄さんも含めて最後は笑顔で見送るには持って来いの催しですし、つまらない事で水を差されるのは気分の良いものじゃないわ」
ただそのニュアンスには少なからず怒気が含まれており、端的に言えば‶誰か〟に文句を言いたそうでもあった。
「堀北さん。その言い方だと喧嘩を売ってるようですよ」
坂柳が窘めるように言う--ただそのワザとらしいニュアンスと出て来た名前に相手が堀北学の妹であると否応でも認識させられた。
これに猪狩の冷や汗は増して出て来た時の勢いも完全に殺された--寧ろ早くこの場を立ち去りたいと顔に書いてある状態だ。
一転して追い詰められた風な猪狩、見ていた男子たちは一体何が起こっているのか訳が分からない--そんな中で助け舟を出すのも居た。
「おいおい、たかが言い合いに堀北先輩の名前を使うとは大袈裟じゃないか」
南雲がやや面倒そうに仲裁に入って来る--これにより猪狩も若干の余裕を取り戻した。
「そうよ。三年の事なんて何も知らない癖に--大体、クラスがAなのだって堀北君ひとりの力であってで、他なんて尻馬に乗ってただけじゃないの、そこの女も含めてね」
橘を挑発して来る--対して橘は思うところがあるのか何も言えないようで、流れが変わりそうになるが、代わりに坂柳が前に出る。
「随分と勢いよく言いますが、堀北先輩さえいなければ自分たちがAクラスだと?」
「彼さえいなきゃ、クラスの総合力で負けてるなんて思った事は無いわ」
「フフフ。たった一人にすら勝てないのに大した自信ですね」
「人の事、言えるのかしら--夏の試験じゃ、特例の男子一人にボロ負けしたって言うじゃない。それでもAクラスって言うんだから呆れるわ」
「それについては、そう思われても仕方ありませんね--彼の得体の知れなさは番号や記号じゃ計り知れませんですし…………そういう意味ではお互いに厄介な年に入学してしまいましたね」
これを言った時の坂柳のニュアンスはこれ以上ない切実さが滲み出ており、一瞬全てを硬直させた。
その中で南雲がいち早く持ち直して手を叩く。
「ほら、良い感じにお茶が濁ったし、ここらで手打ちにしろ--これ以上は飯が不味くなって他も迷惑だ」
「はい。それもそうですね--では行きましょうか、橘先輩」
「え、あ、えっと……」
尤もな仲裁に従う形を見せるも橘を一人にはさせないと向かいの相手にアピールする。
周りで見ていた者たちは嫌な空気がぶり返すのかと緊張が走ったが、何も起こる事は無く杞憂に終わったことに安堵した--その様子を辟易した顔で見渡した南雲は仕切り直すように言う。
「ああ、試験前だってのに妙な事になっちまったな--各々、色々あるみたいだがそれで評価を下げちゃ元も子もない。しっかり食べて今夜はゆっくり休んで全力で試験に望もう」
この演説に生徒会長も大変だと思う一方、明日の試験での勝負に自分を鼓舞していると察する者も居て、自分たちも敗けてはいられないと気合を入れ直させた。
いい感じに発破を掛けたことに気を良くした南雲は振り返り猪狩に言う。
「先輩たちも明日は頑張りましょう--期待してますから」
「ええ」
激励を与えられた演出--生徒会長として締めたと認識が広がり、騒動は大きくなることなく漸くとひと段落ついた。
僅かな例外を除いて。
少し離れていた所で最初から見ていた綾小路清隆は冷めた目のまま動こうとはしない。
「なぁ、清隆--何も起こらなかったんだし良かったんじゃないか。早く食べちまおうぜ」
三宅がいつも通りに話しかけて手を付けていた夕食を指す。
「ああ、そうだな」
短く答えた綾小路は手を動かして淡々と食事を進める--ただその纏わりつく雰囲気は何もないのが返って不気味さを醸し出していた。
「はぁ」
三宅は短く溜息を付くと、嬰児が近づいて来た。
「飽きないって言うか、ブレないなこいつも」
「もういつものこと過ぎて何か言う気にもならないけどな」
その台詞に嬰児だけでなく聞いていた周りも内心で呆れる--対する
それに再び溜息を付きたくなるが、食べ終わるにはまだ少し掛かりそうなので少し話しかける。
「この前のことと言い、なんだかちょっと過保護になり過ぎてる気がするけどな」
「波瑠香や愛里もフォローしたけど坂柳の方は逆にメチャクチャ嬉しそうだったってさ」
「へぇ~」
ワザとらしい明らかないじり話に綾小路の手が一瞬硬直した--ただ直ぐに何事もなかったように手を動かして食べ終わる。
「御馳走様。さて片付けて部屋に帰るか」
あくまでも自然な仕草--それはさっきとは違う意味で返って別の雰囲気を出していた。
これには三宅や嬰児、周りも面白おかしい気持ちをくすぐられる--それは内心だけに留める者も居れば、遠慮なく顔に出す者も居て綾小路の仕草は早くなっていった。
粛々と片付けて去って行く綾小路--最終日前夜にして、過激さと朗らかさを見せつけられそれぞれに思うところが出来た。
「しかし何度見せつけてられても飽きないもんだな」
そんな中で橋本が嬰児に近づいて来る。
「仲が良くて結構じゃないか--それともいがみ合いながらも愛し合う展開が好みか?」
「それも需要がありそうだけどな--ってか、彼女の性格からするとそっちの方がしっくりくるくらいだ」
坂柳が揚々としながらちょっかいを掛けて、辟易しながらもしっかりと対処する綾小路--それでもお互いに認め合い一緒に居る姿は想像するに容易ではある。
ただその場合はここまで堂々としてたかは疑問だがな--するとしても見れるのはもっと先になる筈だ。そうなると力を合わせてとかの展開もなく、どっちが良かったかと問われれば微妙だな。
まぁ、たられば並べても意味はない--『子』の能力を受け継いでないなら尚更だ。
詮無い妄想は切り上げたいが、橋本は何だか面白そうな目をしててもう少し引っ張りたいみたいだ。
「その場合、嬰児への敵意も半端なく大きくなってるだろうが、そうなったらどうする?」
「時と場合、事と次第によるな--疎まれても仕方ないが『はい、そうですか』と殺られるのは嫌だしな」
「ハハハ。怖いねぇ、お前が言うとハッタリにも洒落にも聞こえない」
チャラけた態度で嘘は無いようだが、顔には同時に興味深いと書いてあるぞ--されど踏み込んでくる気もないと。
俺的にはちょうどいい--そんな風な計算でのアピールか?
「そんな展開にならないよう祈ることだな--片付けたいから、そろそろ」
「ああ。分かってるよ」
素直に意を酌んで自分のお盆を持って行く--全く、どいつもこいつも面倒なもんだ。