大王の判断は間違いではない、とイヌカイタケルの大王に仕える“公人”の部分は理解している。
ただ、親兄弟に馴染めない子供の兄貴分としてのイヌカイタケルは納得がいかなかった。
「何か納得がいかないようだな、イヌカイ」
「大王様。申し訳ありません」
兵士たちの訓練を見守る中、二人の護衛を連れたフトニ大王の登場にあがる声には彼は片手を挙げて応えた。
「良い。そう肩肘を張るな、イヌカイ。俺の忠臣よ」
イヌカイに向けた声は
フトニは護衛に声をかけると、イヌカイを連れて歩き始めた。
「(……この人は、優しい顔をする)」
フトニ大王が人でなしかと言われれば、イヌカイは“忠臣”として無礼を非難するだろう。
大和を思い、軍勢を率いて鬼と戦った男だ。
そんな自ら先頭に立つ王と、そんな王とより良い明日を作るために忠誠を誓ったのだから。
ただ、一人の親として見るならば、いささか疑問符を浮かべる側面がある。
「大王様。一つ伺っても?」
「答えられることなら」
大王が石造の壁にもたれると、背丈は長子に抜かれてこそいるが、そっくりだった。
「皇子殿下のことはどう思われてるので?」
「キビツヒコのことか?」
大王はイヌカイの問いには動揺を見せなかった。
ただ、代わりに物憂げに耽るように空を見上げる。
「墓場まで持っていくと誓うか?」
「もちろんですとも」
イヌカイは大王が顔を合わせないのを不服に思いながらも、言葉の続きを待つ。
続きを書いてみました。元の雰囲気を崩さないよう、フトニ大王の冷徹さと優しさの両面、イヌカイタケルの忠義と人間的な葛藤を重視して、自然な流れで進めています。
「俺は多くのまつろわぬもの共を調伏してきた。
鬼共もそうだ。
……だがな、イヌカイ。
俺の手で平らげた鬼は、所詮は俺一人の力でしかなかった。
一人の王が死ねば、その調伏はそこで途切れる。
だからこそ、俺は息子にそれを継がせようとしている」
フトニ大王は空を見上げたまま、ゆっくりと息を吐いた。
その声には、いつもの王の威厳とは違う、どこか疲れた響きがあった。
「キビツヒコは……いや、イサセリヒコは強い。
お前も知っているだろう。あの子の眼は、俺の若い頃よりもずっと鋭い。
鬼を前にしても怯まぬ。
だが、それだけでは足りぬ。
王として、民を導く者として、俺がやってきたことを超えねばならぬ」
イヌカイは唇を噛んだ。
大王の言葉は正論だった。
正論だからこそ、胸に突き刺さる。
「大王様……ですが、皇子殿下はまだ若い。
温羅を討ったばかりで、心も体も休まっておらぬのに……
大和の四方全てにまつろわぬ者どもを討ちに出せと仰せですか?
それは、まるで……」
「まるで、道具のように扱っている、とでも言いたいのか?」
フトニはようやく視線をイヌカイに戻した。
その目は、優しかった。
だが、その奥に宿るものは、決して揺るがない決意だった。
「そうだ。
俺は道具としてキビツヒコを使う。
そしてお前も、道具として使うつもりだ。
……だがな、イヌカイ。
道具だからこそ、俺は大切にする。
壊れぬよう、錆びぬよう、磨き続ける。
それが、王の務めだ」
イヌカイは言葉を失った。
大王の声は穏やかだった。
まるで、子を案じる父のように。
「俺は長く生きてきたわけではない。
だが、俺の代で終わらせたくはない。
この国を、鬼も人も共に生きられる場所にしたい。
そのためには、力が必要だ。
……キビツヒコにしかできぬ力だ」
大王は石壁から体を離し、イヌカイの肩にそっと手を置いた。
その手は、意外に温かかった。
「お前は良い兄貴分だ。
イサセリヒコにとっても、俺にとっても。
だからこそ、頼む。
あいつを……支えてくれ。
俺が出来ぬ、親としての温もりを、お前が与えてくれ」
イヌカイは目を伏せた。
喉の奥が熱くなった。
「……仰せのままに」
声は小さかった。
だが、そこに迷いはなかった。
フトニ大王は小さく頷き、空を見上げた。
「鬼はまだいる。
温羅は一匹だった。
だが、世にはもっと多くの『まつろわぬもの』がいる。
……そして、俺たちは、それら全てを従わせねばならぬ。
それが、大和の道だ」
二人はしばらく無言で並んで立っていた。
遠くで、兵士たちの掛け声が響く。
訓練は、まだ終わらない。
イヌカイは心の中で呟いた。
(皇子……お前は、きっと俺なんかよりずっと強い。
だが、俺は……お前の兄貴分でいる。
たとえそれが、見守ることしかできない役目でも)
風が、二人の髪を揺らした。
キビツヒコの一行は備後の山深くへと進んでいた。
アラハバキとの戦いで得た勝利の余韻は、一行の間に残っていたが、キビツヒコの眼はすでに次の影を捉えていた。
「まだだ。まだ終わらぬ」
一行は深い森を抜け、霧の立ち込める谷間に差し掛かった。
そこに、突如として異様な気配が満ちた。
牛の咆哮のような、低く響く声。
地を震わせる足音。
木々が揺れ、葉がざわめく。
「来るぞ」
キビツヒコが鉄塊を抜く。
一行はイブキ以外も構えた。
霧の中から現れたのは、牛の頭を持つ巨躯の異形だった。
角は赤く燃え、目は炎のように爛々と輝き、体躯は岩のように頑強。
身に纏うのは古い甲冑のようなものではなく、ただの獣皮と鎖。
だが、その存在感は圧倒的だった。
まさに「牛頭天王」と呼ぶに相応しい、神とも鬼ともつかぬ威容。
「…………我は、牛頭天王」
声は地鳴りのように響き、谷全体を震わせた。
「この地を、疫病と乱れの源とする者。
まつろわぬ魂の集うところ。
汝、何用あってここに来た?」
キビツヒコは馬を進め、一歩も引かず答えた。
「大和の命により、この国を平らげる。
鬼も人も、共に生きられる道を拓くためだ」
牛頭天王はゆっくりと首を傾げた。
その目は、嘲るように、しかしどこか哀しげにキビツヒコを見つめた。
「共に生きる、か。
笑止。
我は疫を撒き、死を呼び、魂を喰らう。
それが我の定め。
汝の父王も、そうやって多くのものを調伏してきたのだろう?
だが、我は違う。
我は、ただの鬼ではない。
神の影だ。
祇園の守護、牛頭の王。
疫を祓うために、疫を撒く者」
キビツヒコの眉がわずかに動いた。
「……祓うために、撒く?」
「そうだ。
人は恐れ、祈り、すがる。
それでこそ、神は生きる。
汝のような『王の血』が、我らを討ち滅ぼすことで、民は安寧を得る。
だが、その安寧は、永遠ではない。
新たな鬼が生まれ、新たな疫が広がる。
それは、終わらぬ輪廻だ」
クロガネが前に出ようとしたが、キビツヒコは片手を挙げて制した。
「ならば、なぜ今、ここに現れた?
温羅のように、戦いを望むのか?」
牛頭天王は低く笑った。
その笑いは、風のように谷を渡った。
「戦いなど、望まぬ。
ただ、試したい。
汝が、本当に『大和の道』を歩めるのか。
父の道具として、息子として、兄として……
お前は、何を背負って剣を振るう?」
キビツヒコは静かに剣を構えた。
だが、その目は揺るがなかった。
「おれは、父の意志を継ぐ。
だが、それだけではない。
おれは……自分の道を拓く。
鬼も、人も笑える世界を。
たとえそれが、終わらぬ戦いだとしても」
牛頭天王の角が、赤く輝いた。
「ならば、来い。
この牛頭の力、試してみよ。
勝てば、我は去る。
負ければ、汝の魂は我がもの。
……そして、汝の父王に伝えておけ。
『まだ、終わらぬ』と」
霧が一気に濃くなった。
兵たちの叫び声が上がり、戦いが始まった。
キビツヒコは馬を駆け、剣を振り上げた。
牛頭天王の巨体が迫る。
その一撃は、山を砕くほどの力だった。
だが、キビツヒコの眼は、シラの愛、イブキの信頼、クロガネの忠義を思い浮かべていた。
(俺は、道具ではない。皇子でもない。
ただ……この国を、守りたいだけだ)
剣が閃き、牛頭の角に火花が散った。