鬼陽大王の威圧が、街全体を覆っていた。
白衣に覆面を纏った長身の影は、ただそこに立つだけで魔力の奔流を放っていた。背後に控える鬼の軍勢は数百、いや千を超えるだろう。空を覆う巨大な影は、城のような建造物──おそらくこの特異点の「核」たる鬼門要塞そのものだった。
セイバーは小槌を握りしめ、藤丸とマシュを背後に庇う位置を崩さなかった。
額に汗が滲む。
記憶を失っている今でも、本能が警鐘を鳴らしていた。
この相手は、ただのサーヴァントや鬼ではない。もっと根源的な、歪曲された「王」の気配だ。
「戦うよ。でも、無茶はしない……セイバー、あなたの記憶を取り戻すためにも、ここで負けるわけにはいかない!」
藤丸の声が、セイバーの背中を押した。マシュが盾を構え、即座に展開準備に入る。セイバーは小さく頷き、唇の端に笑みを浮かべた。
「了解だ、マスター。……俺は、守るためにここにいる」
その瞬間、戦いの火蓋が切って落とされた。
坂家が羽衣を翻し、再び魔剣の雨を降らせる。怪童丸は豪快な笑い声を上げ、巨大な斧を振り回しながら突進してきた。
鬼陽大王は動かず、ただ見守るように腕を組んでいた。
「はっはっは!かかってこいよ、忘却野郎!」
怪童丸の斧が地面を割り、衝撃波が石畳を粉砕する。
セイバーは小槌を横に薙ぎ、真正面から受け止めた。
金属同士の激突音が響き渡り、二人の巨体がぶつかり合う。
セイバーの足が地面にめり込むが、押し返さない。逆に小槌を回転させ、怪童丸の斧を弾き上げた。そこへ坂家の剣が殺到する。十数振りが弧を描き、セイバーの死角を突く。
「恋愛発破・天鬼雨!」
出力は先ほどよりも増していた。
セイバーは小槌を高速回転させ、盾のようにして剣の群れを弾く。
しかし完全に防ぎきれず、右肩と左太ももに浅い斬撃を浴びた。
血が飛び、黒い衣服が裂ける。
「くっ……!」
「セイバーさん!」
マシュが前へ出ようとするが、藤丸が制止する。
セイバーは歯を食いしばり、痛みを無視して前進した。
小槌が淡く輝き、純粋な「力」が溢れ出す。真名解放ではない。
ただの物理的な一撃が、怪童丸の胸元を直撃した。
怪童丸の巨体が数メートル吹き飛び、石壁に激突する。
壁が崩れ、瓦礫が舞う。
「げほっ……! 重てえな、おい! 本気出してんのかよ!?」
怪童丸が笑いながら立ち上がる。その肩に薄い裂傷ができていた。坂家は眉をひそめ、羽衣をより密に纏う。
「この力……本当に記憶を失っているの? まるで、かつての英雄が蘇ったよう」
セイバーは息を整えながら答えた。
「英雄かどうかは知らん。だが……俺は、守るべきものを背負っている。それだけだ」
戦いはさらに激化した。
怪童丸が斧を回転させながら突進。坂家が空中から魔剣を操り、連携攻撃を仕掛ける。
二将軍の息は完璧だった。
セイバーは一人で受け止め、反撃する。
小槌の一撃一撃が空気を裂き、衝撃波が露店や石畳を破壊していく。
マシュの盾が時折援護し、藤丸の指示で的確に隙を突く。
しかし、徐々にセイバーの動きが鈍り始めた。
──頭痛だ。
突然、脳裏を鋭い痛みが貫いた。視界が揺らぐ。剣と斧の激突音が遠のき、別の記憶がフラッシュバックする。
(……鬼の首領を、退治した……)
巨大な鬼の影。金棒を振り回す自分。村人を守るために戦う姿。
(神との対決……)
天を覆う雷光。神々の怒りに対し、ただ一人で立ち向かう。
(名を奪われた者たちへの慈悲……)
鎖に繋がれた人々。哀れな亡者たちに、静かに手を差し伸べる。
そして──愛する女の記憶。
顔はぼやけている。柔らかな微笑み、温かな手。
だが、悲しみが胸を締めつける。
失われた絆。
守りきれなかった何か。
「ぐ……ああっ!」
セイバーが膝を突いた。
頭を抱え、小槌を地面に落とす。
視界が白く染まる。
「セイバー!?」
藤丸の叫びが響く。怪童丸が好機と見て、斧を大きく振り上げる。金色の髪がなびき、鬼の角が陽光を反射する。
「今だ!その頭、ぶっ飛ばしてやるぜ!」
巨大な斧が、弧を描いて振り下ろされる。
セイバーの頭部を狙った必殺の一撃。
マシュが盾を展開して飛び出すが、距離が遠い。藤丸の顔が蒼白になる。
その刹那──
赤い襟巻きが、風を切って舞った。
「──待たれよ!」
鋭い声とともに、第三者の影が割り込んだ。赤い襟巻きを翻し、細身のシルエットが怪童丸の斧の軌道に滑り込む。
手に握ったのは、奇妙な形状の短剣か、または鞭のような武器。
金属音が響き、斧の勢いがわずかに逸らされる。
斧はセイバーのすぐ横の地面を抉り、巨大なクレーターを生んだ。
セイバーは意識を保ちつつも、崩れ落ちる。赤い襟巻きの人物は、素早くセイバーの体を抱え上げた。
「危ないところだったな。……カルデアの面々、逃げるぞ!」
声は若い男だった。
フードを深く被り、赤い襟巻きが特徴的だ。素早い身のこなしで藤丸とマシュの元へ近づき、セイバーを肩に担ぐ。
坂家が魔剣を飛ばそうとするが、赤い襟巻きの男は煙玉のようなものを投げ、視界を乱した。
「怪童丸、追うな! 大王様の御心を……」
鬼陽大王の低く響く声が止めるが、すでに遅かった。
男は藤丸たちを促し、路地裏へと疾走する。鬼の軍勢が追いかけてくるが、地下へと続く隠し通路へ滑り込む。
「ここだ。地下街へ!」
地下街は、鬼の都の「裏側」だった。
薄暗い通路を抜け、苔生した石段を下りると、意外に広い空間が広がっていた。
古いランプの灯りが揺れ、壁には古い符や封印の跡が残っている。
空気は湿り気を帯び、遠くで水の滴る音がする。
ここは、鬼陽大王の支配が及ばない「隠れ里」のような場所らしい。
赤い襟巻きの男は、セイバーを石のベンチに横たわらせた。
藤丸とマシュが息を切らして追いつく。
「あなたは……誰?」
藤丸が警戒しつつ尋ねる。マシュが盾を構えたまま、男を注視した。
男はフードをわずかに上げ、にやりと笑った。黒髪に鋭い目つき、年齢は二十代前半か。赤い襟巻きが印象的で、旅人のような軽装だ。
「名前は……風魔、と呼んでくれ。
俺はこの特異点で、鬼陽大王のやり方に反対してる一人さ。あんたら、カルデアだろ? 星読みの魔術師と、盾の少女、そして記憶失った英雄……面白い組み合わせだ」
セイバーがうめきながら目を覚ました。頭痛は引いていたが、顔色は悪い。
「……助かった。礼を言う」
「礼なんていいよ。俺も、あの王様の『鬼門計画』が気に食わねえだけだ。あれは、この世界を歪めるだけの愚行だぜ」
男は腰に下げた短剣を軽く触り、座り込んだ。地下街の奥からは、かすかに人影が見える。
隠れ住む鬼や人間の混血らしい者たちが、怯えた目でこちらを窺っていた。
藤丸がセイバーに近づき、肩を支える。
「セイバー、大丈夫? さっきの頭痛……記憶が?」
セイバーはゆっくりと頷いた。瞳に、断片的な光が宿る。
「ああ……少し、思い出した。鬼を退治したこと。神と戦ったこと。そして……大切な人を、失ったような……」
声が震える。悲しみの残滓が、セイバーの表情を曇らせた。マシュが優しく言葉をかける。
「無理に思い出さなくても……今は、休んでください」
風魔がため息をついた。
「記憶喪失の英雄か。珍しいな。だが、あの小槌……ただの武器じゃねえだろ。宝具の気配が強い。真名解放してねえのに、あの出力。お前、本物の大英雄だ」
セイバーは首を振った。
「わからない。だが、この小槌は俺の一部だ。守るための力……それだけは、確かだ」
会話の最中、地下街の入り口から微かな物音がした。鬼の探索隊が近づいている気配。赤襟の男が立ち上がり、短剣を抜いた。
「休憩は短いぞ。鬼陽大王は執念深い。あの『鬼門計画』ってのは、この日本そのものを鬼の楽園に変えるって話だ。歪曲の根源は、都の中心にある鬼門要塞……あそこを破壊しないと、特異点は修復されねえ」
藤丸が拳を握った。
「わかった。僕たちは、それを止めるために来た。セイバー、戦える?」
セイバーは小槌を握り、ゆっくり立ち上がる。足元はまだふらつくが、瞳に闘志が戻っていた。
「問題ない。……あの二人と大王、強敵だが、俺は引かん。思い出さなければならないのなら、この戦いで取り戻す」
マシュが盾を構え、風魔が先導する形で移動を開始した。
地下街は複雑な迷宮のようだった。
古い封印の通路、隠し扉、鬼の罠を避けながら進む。
道中で、赤襟の男がこの特異点の事情を語った。
「鬼陽大王は、元々この土地の守護者だったらしい。だが、何か大きな『喪失』を経験して、歪んだ。鬼門を開き、異界の力を呼び込み、日本を鬼の国に変えようとしてる。坂家と怪童丸は、その忠実な将軍。二人とも、元は英雄の面影がある……お前らと同じく、記憶や役割を歪められてるんだろう」
セイバーは黙って聞いていた。
自分の状況と重なる部分が多い。
やがて、一行は地下街の「広場」に到着した。そこには、抵抗勢力の鬼たちが集まっていた。数十名。
怯えながらも、希望の目を向けてくる。
「風魔、連れてきたのか」
老いた鬼の女性が、風魔に声をかける。
「ああ。カルデアの者たちだ。鬼陽大王を止める力がある」
セイバーは小槌を軽く回し、周囲を見回した。記憶の欠片が、また一つ蘇る気がした。──かつて、こんな隠れ里で、人々を守ったことがあったような。
突然、広場の天井が震えた。地面から魔力の波動が伝わる。
「見つかったか……!」
赤襟の男が舌打ちする。鬼陽大王の軍勢が、地下街へ侵入を開始したのだ。坂家と怪童丸の気配も、近い。
戦闘再開の気配に、セイバーの瞳が鋭くなった。
「マスター。指示を」
藤丸は迷わず答えた。
「みんなを守りながら、要塞への道を探す。セイバー、マシュ、風魔、協力して!」
一行は再び動き出した。
広場を抜け、狭い通路を駆け抜ける。後方から鬼兵の足音が迫る。
セイバーが小槌を振るい、追手を薙ぎ払う。
一撃で数体を吹き飛ばす力に、抵抗勢力の鬼たちが驚嘆の声を上げる。
坂家が再び現れ、魔剣を飛ばしてきた。
「逃がしません、星読みの犬ども!」
怪童丸の笑い声も響く。
「待てよ! さっきの続きだぜ!」
激しい追撃戦が始まった。地下街の通路は狭く、セイバーの大振りの小槌が壁を削りながらも、味方を守る盾となる。
マシュの盾が前方を受け、赤襟の男が奇襲で援護する。
藤丸の冷静な指示が、連携を支えた。
セイバーの頭痛はまだ残っていたが、戦うたびに記憶が鮮明になっていく。
──愛する女の笑顔。彼女の名は……まだ思い出せない。だが、その温かさが、セイバーの力を後押しする。
「はああっ!」
小槌の衝撃波が、通路を吹き飛ばし、追手を一掃した。
坂家が羽衣を盾に耐え、怪童丸が斧で受け止めるが、二人とも本気で警戒を強めていた。
やがて、一行は地下街の最深部──鬼門要塞への隠し通路に到達した。巨大な封印の扉が立ち塞がる。
赤襟の男が息を切らしながら言った。
「ここを破れば、要塞の地下へ出られる。だが、大王本人が待ち構えてる可能性が高い……覚悟はいいか?」
セイバーは小槌を構え、静かに微笑んだ。
「ああ。思い出の欠片を、全部取り戻すために……ここで戦おう」
藤丸が頷く。マシュが盾を展開。赤襟の男が短剣を構える。
封印の扉が、ゆっくりと開き始めた。