坂家の言葉が、回廊に冷たく響き渡った。
「よくものこのことやってきたな……大王様の半身にして、最大の裏切り者、吉備津彦!」
その瞬間、空気が凍りついた。
セイバーの——否、吉備津彦の瞳が、大きく見開かれる。小槌を握る手に、青白い雷光のような魔力が奔った。頭痛が、痛みを超えた灼熱となって脳髄を貫く。
「……っ……!」
フラッシュバックが、堰を切ったように溢れ出す。
黄金の稲穂が揺れる野。
白い衣を纏った美しい妻の笑顔。
鬼の首を小槌で打ち砕き、神の怒りに触れ、失われた全て。
そして——玉座に座る鬼陽大王の、覆面の下に隠されたその顔。
「…………お前は」
吉備津彦の声が、低く震えた。黒髪が逆立ち、背後に黄金の鬼気と神気が混じり合ったオーラが爆発的に膨れ上がる。小槌の柄に刻まれた古い呪文が輝き、真名解放の兆しを見せ始めた。
「……鬼陽……! お前は……俺の……!」
藤丸が息を呑む。
「セイバー……!?」
マシュが盾を構え直し、慌てて叫んだ。
「マスター! セイバーの魔力が急上昇しています……これは、真名解放の前兆……!」
赤襟の男は短剣を逆手に持ち、苦笑いを浮かべた。
「ついに来たか。記憶の残滓が完全に繋がり始めたな。あの小槌は吉備津彦の象徴そのものだ」
怪童丸が豪快に笑いながら斧を振り回す。
「はははっ! ようやく本性を現しやがったか、旦那!それでこそ俺の相手だぜ!」
坂家は羽衣を翻し、金色の瞳を細めて冷笑した。だがその瞳の奥には、わずかな動揺と、深い憎悪が混じっていた。
「大王様の半身でありながら、鬼の道を拒み、鬼門の完成を阻もうとした愚か者……。今度こそ、貴方の『核』を頂戴するわ。恋愛発破——」
「待て、坂家」
玉座の間から、低く重い声が響いた。
鬼陽大王がゆっくりと立ち上がり、覆面を自らの手で外した。
その顔は——吉備津彦と瓜二つだった。
ただし、右半分に鬼の角と黒い魔力の紋様が刻まれ、瞳は血のように赤く輝いている。歪んだ鏡像。失われた半身が、鬼として蘇った姿。
「……久しいな、俺の半身よ」
大王の声は、優しさと狂気を同時に孕んでいた。
「俺はお前を待っていた。記憶を失い、カルデアの犬となって這いずり回るお前を。共に鬼門を完成させ、この日本を——否、この世界を鬼の楽園にしよう。もう、人間として生きる必要などない。お前は俺の影、俺はお前の光。元に戻ろう、吉備津彦」
吉備津彦は小槌を強く握りしめ、歯を食いしばった。
「……黙れ。俺はもう、お前とは違う道を選んだ。
守るべきものがある。
失った女の微笑みを、もう二度と穢させはしない」
彼は一歩前に踏み出し、小槌を構えた。全身から神気と鬼気が同時に噴き上がり、回廊全体を圧する。
「マスター……藤丸立香。
ここからは、本気でいく。
俺の真名は吉備津彦。
鬼を討ち、神に挑んだ、桃太郎伝説の原型たる英雄……
どうか、指示を」
藤丸は拳を握り、力強く頷いた。
「わかった! セイバー——吉備津彦!
みんなで、大王を止める!
これが、この特異点の決着だ!」
坂家が魔剣を無数に展開し、怪童丸が鬼気を全開にする。
鬼陽大王は玉座の階段をゆっくり降りながら、狂おしいまでに優しい笑みを浮かべた。
「来い、俺の半身よ。
お前を抱きしめ、再び一つになるために」
激突の幕が、再び上がった。