温羅の合図。
鬼がイサセリヒコ一行に襲いかかるとき、イサセリヒコに付き従う従者たちは散り散りになった。
空からの猛攻、手堅い攻撃、食らいついて牙を突き立てるといった、キジガル、マシラ、オオイヌの得意とすることを前面に押し出した戦いはイサセリヒコと大将同士の戦いに興じる温羅の目を丸くさせた。
「イサセリヒコ。貴様の従者たちは人間には扱えぬ、人ならざる者ばかりだ。そのような従者を従えてもなお、貴様は大和に帰ろうというのか?」
「帰るさ。向こうにはおれを心配してくれてる奴もいるし、不安がっている兄弟もいる。それに、父上がおれの帰りを待ってくれているはずだ」
「皇子に軍勢をつけもしない父王の元にか?」
鉄剣と金棒がぶつかると、火花を散らす。
イサセリヒコの金棒が青銅によって出来ていると気づくと、温羅はニタァと口元が緩む。
温羅の鉄剣はイサセリヒコの金棒ほどの大きさはないにしても、イサセリヒコの金棒以上の硬度を兼ね備えていた。
シラを守りながら戦うものだから、必然と片腕で戦うしかなく、鎧を着ていないイサセリヒコは温羅が打つ拳も蹴りも自らのその頑強な肉体を以って受け止めていた。
盗賊の討伐や遠征、旅の途中に訪れた集落での無名の怪物退治を請け負ってもなお、傷つかなかったイサセリヒコの肉体を傷つけた温羅はイサセリヒコの頑強さに驚いていた。
そして人間でありながらも鬼と対等に殴りあう、その様子に驚いていた。
「ハッ!!!おれの力は大和の民を、兄弟達を、皆を守るためにある!!この血潮を燃やし、おれを突き動かすのはただそれだけだ!父上はおれを信用なさってくれている!!いいか?温羅!!おれはおれの配下とおれの妻の前で負けることはありえない!」
イサセリヒコが金棒を地面に突き刺すと、大地が震えた。
「本当にイサセリヒコ様ってのは人間なのか?」
向かってきた鬼の雑兵を軽快な動きで蹴散らしながら、マシラが疑問符を浮かべれば、
「マシラ!」
色鮮やかな翼を以って空中攻撃を仕掛け、その脚の鍵爪で鬼を引き裂いてキジガルはマシラをたしなめる。
「イサセリヒコ様はヒトだ、マシラ」
自分以上の体格の鬼の攻撃を受け流し、表情一つ変えぬまま、オオイヌは諭す。
「頑丈な肉体も、人間離れした膂力を持とうとも。あの方はヒトだよ」
温羅の鉄剣を受け、身を裂かれようともイサセリヒコは拳を振るう。
片腕で拳を振るおうと、その拳の威力は衰えることを知らない。
「イサセリヒコ様、どうして武器を……?」
「おれの力で得物を振るうとなると、やはり枷になってしまうようだ。であれば、おれはその武器を置いて戦うしかないだろう?」
口端を吊り上げてニッと笑いながら、心配そうに眉尻を下げるシラに笑う。
いつだったか、ただ力を振るうことだけでは“王”ではないとイヌカイタケルにたしなめられたというイサセリヒコのことをシラは思い出す。
あの助言とは全く正反対のことを言っているが、その理由が自分にあることを思うとシラは笑みを抑えられない。
シラはイサセリヒコへの愛情があろうとも、根幹はやはりバケモノだった。
「心配するな、シラ。俺の豪腕は大和一であることはお前も知ってのことだろう?」
「ええ、知っておりますわ。イサセリヒコ様の豪腕は大和一でございますれば」
イサセリヒコは愛する妻の言葉を聞き、力瘤を作る。
奥歯を噛み締め、力を込めれば、イサセリヒコは鉄剣を振るう温羅の攻撃を浴びながらも、その顔や胴に拳を、脛に蹴りを入れる。
丸太のような太い脚によって繰り出された蹴りの威力は凄まじく、鬼である温羅の骨にもきつく響いた。
イサセリヒコの家臣たちの攻撃を掻い潜り、イサセリヒコに奇襲をかけたものも居たが、その攻撃のすべてがイサセリヒコの鋼鉄のような肉体によって受け止められ、振り返ることもせずにイサセリヒコの豪腕によって鎮められる。
これではどちらが鬼神かわかりっこない。
温羅はイサセリヒコとの
大勢の鬼に囲まれ、自らが勢力として連れているのは化生の類であろう三匹の怪物達のみ。
犬、猿、雉の怪物達はイサセリヒコの何に惹かれてついて来ているのか、鬼の王である温羅にはよく分かる。
彼らはイサセリヒコのひたむきな姿勢にただただ惹かれてきているのだ、温羅と同様に。
人間らしい欲望はほとんど見当たらず、動物的なまでに真っ直ぐ進む様子に惹かれてしまっている。
温羅は自分の娘がそうした男であるからこそ、イサセリヒコに惹かれてしまったのだろうと考える。
「イサセリヒコ、もう一度言う」
力と力を酌み交う、そんな応酬の中で温羅はヒトに疎まれている若き大和の皇子に問う。
「共に来い。さすれば、お前とお前の従者のことは助けてやろう」
きっと、この愚直な皇子は断ると知りながらも。
「ふざけるな。答えはもう決まっている」
頑強な身体から血を垂れ流しながらも、その白い衣を紅く染め上げつつ、それでも立ち上がるイサセリヒコは口元の血を拭う。
血を吐けば、少々嫌悪感をみせるように口端を吊り上げて温羅の鉄剣を腕で受け止める。
既に何度も切り裂かれているような攻撃だが、べっとりと血に塗れた手で懐に手を忍ばせれば、簡単な傷薬を傷口にかける。
傷口を塞ぐだけの簡素なものだったが、イサセリヒコの非常に強い生命力もあってみるみるうちに塞がっていく様はまさに怪物的である。
「おれが大和を捨てるなんてできねえよ」
なんて、くしゃっと笑った。
血に塗れた顔で困ったように笑った顔は普通の人間が見れば、きっと彼を恐れてしまうだろう。
しかし、ここにいるのは人間ではないものばかり。
イサセリヒコのその優しさに惹かれた化生。
化生がイサセリヒコに力を貸すために連れて来た化生。
イサセリヒコが討伐すべき存在である、鬼の王。
そして、イサセリヒコを打算なく愛する鬼の王の娘。
怪物的なのに人間らしい、そんなイサセリヒコの生きかたは何よりも歪で何よりも眩しく思えた。
だからこそ、鬼の王はイサセリヒコに切り出す。
「お前が勝てば、鬼ヶ島の中央にある塔に納めた俺の宝をくれてやる。打ち出の小槌と言ってな、まさに財が出づる願望機のようなものよ」
「なぜ、俺にそれを今言うんだ?」
イサセリヒコが尋ねると、温羅は鉄剣を手首の動きだけで回す。
「お前が負ければ、お前の頭蓋で杯を作り、お前の従者たちは我が妻の装身具とする。ついでにシラは殺す。いや、手下共の慰み者とするのもいいか」
まるで、今日は何をしようかと言うような気軽なノリで言うものだから、イサセリヒコは何よりも早く温羅に掴みかかり、温羅の手にあった鉄剣を奪い取る。
そして、地に温羅の身体を叩き付ければ、その首に鉄剣の刃先を突きつけた。
「温羅、お前……」
「良い顔だ、イサセリヒコ。王者とは、多少の犠牲も良しとしなくてはならん。しかし、余所見をしていてもいいのか?お前が必ずや守り抜くと誓った俺の娘が手下共の毒牙にかかってしまうぞ?」
くしゃっとした笑顔を浮かべていた様子はどこへやら、すっかり憎しみをその顔に浮かべているイサセリヒコはまさしく鬼神のよう。
だから、温羅はイサセリヒコに
「目の前に集中下さい、イサセリヒコ様!そやつの口車に乗ってはなりませぬ!トドメを刺してくだされ!」
イサセリヒコが振り返ると、キジガルがシラを庇うように飛んでくるが、その身に大量の矢を受け、さらに身を切り刻まれた。
「もう二度と、その口を開くな」
イサセリヒコはその瞬間、慈悲を捨てて温羅の首を切り落とした。
奇しくも、その返り血によってイサセリヒコの手はまるで赤鬼のように―――真っ赤に染まってしまった。
温羅は最期の瞬間まで笑みを浮かべており、その顔を隠すようにイサセリヒコは温羅の身体の衣服を剥ぎ取って首を包む布とする。
「おのれ、イサセリヒコォォォォォォォォォォォォ!!!!」
大群として押し寄せてくる鬼の群れ、それは温羅が鬼に支持があったことを示すものだった。
シラは変わらず心配そうな様子だが、
温羅の妻も見当たらない為、騒ぎに乗じてどこかに避難したのだろう。
温羅の手下たちを鉄剣で切り捨てていくと、マシラの声がする。
「イサセリヒコ様ァ!宝の方は俺に任せてくださいな!あんたはお姫さん連れてオオイヌと逃げな!」
マシラがすぐに立ち去った。
お姫さん、とついシラとイサセリヒコはつい見詰め合ってしまうが、周囲の大声でハッと我に返る。
「行きましょう、イサセリヒコ様。もう此処に留まっておく必要もありますまい」
「なぁ、キジガルは」
「放っておきましょう。奴は立派にイサセリヒコ様のお妃さまを守り通した。それ以上に立派なことはありますでしょうか」
オオイヌは「聡い貴方様でしたら、お分かりなさいますね?」と念押しするようにイサセリヒコを見るものだから、オオイヌの背中にシラを乗せてイサセリヒコたちは駆け出した。
道中、温羅の手下たちはイサセリヒコたちに敵討ちと称して襲い掛かってくるが、それすらも腕が赤く染まったイサセリヒコは不思議と物ともせず、返り討ちにして突き進む。
門の前に来たところで、
「居たぞ!」
「イサセリヒコを殺せ!」
「畜生を殺せ!!」
「裏切り者の小娘を犯せ!!!!」
そんな物騒な言葉が聞こえてくるものだから、イサセリヒコの髪に留めていた櫛を後方に向けて投げると、みるみると桃の果実を実らせた木が生えてくるではないか。
鬼たちはその桃の果実を実らせた木に夢中になって頬張っている。
「イサセリヒコ様?あれは」
「ちょっと、
いぶかしむシラにイサセリヒコが笑って伝える。
イサセリヒコは自分以外に異性と関わることがなかったはずだ、とシラは思っているので浮気を疑っているのである。
しかし、イサセリヒコの柔らかな笑顔と門をこじ開けて飛び出したことでオオイヌが走り出したこともあり、シラはそこにそれ以上気をとられることもなかった。
「門を閉めてください、イサセリヒコ様!」
「マシラ!」
一行が鬼ヶ島の門から飛び出したところで門の上の屋根から聞こえる、マシラの声。
イサセリヒコがマシラの言うように門を閉めるが、そのときに聞いたこともないような轟音が響き、マシラの手から小槌が零れ落ちるが、それが温羅の言っていた打ち出の小槌であろうことが窺えたので、すぐにイサセリヒコはそれを取った。
口を開いたままのマシラの遺体がそのまま地面へと落下すれば、ぐちゃりと潰れる音がした。
キジガルもマシラも、この温羅討伐に付き合ってくれた化生・オオイヌの知己である彼らは死んでしまった。
彼らの犠牲を無駄にしないためにも、一行はただ要塞のような鬼ヶ島から抜け出して大和を目指すしかなかった。
ここでイサセリヒコもシラも命を落としてしまえば、鬼神のような従者たちもきっと浮かばれないだろうから。
「なんだ、あれは……?」
ようやく要塞から離れた森にまで逃げ延びた時、オオイヌは足を止めた。
見ると、後方には鬼ヶ島から巨大な筒のようなモノが伸びている。
それは、後世の私たちには見覚えのある砲台ともいえるシロモノであり、温羅の配下たちは自分達の首領をなくしてしまったことで憎き大和の皇子とその化生の配下、そして裏切り者の首領の娘とついでに大和を吹き飛ばすつもりでいるのだ。
「鬼ヶ島には鉄にまつわる技術があると聞くが、よもやあのようなものが……。あんなものが大和に向かって打ち出されようものなら、大和は崩壊してしまうぞ!?」
「……なぁ、オオイヌ。おれはあの小槌を使うぞ」
「な!?どのような妖術が使われると分かったものではないのですぞ!?気は確かか!?それにあの者が言っていた言葉が信頼できるとは思えませぬ!!」
イサセリヒコはシラを腕で抱えたまま、自らの懐に手を伸ばすと、温羅の宝であるという小さな小槌を手にする。
そして、オオイヌの小言を制するように宥めた。
「ここでおれもお前も、なによりシラを死なせるわけにはいかん。温羅の首を取ったのだ、これを持って大和に帰らなくてはならんからな。オオイヌ、温羅の首、しっかり持っているか」
「……はっ」
オオイヌに温羅の首を預け、イサセリヒコは小槌を手にしたまま、くるりと手首を回す。
それが願望機であると言うのであれば、と願いを込めて。
刹那。
轟音と共に放たれた、その一条の光に対し、得物としていた金棒と同じ身の丈ほどの大きさとした小槌を構えて大きく振りかぶる。
「「出づれ、出づれ。財よ出づれ、此度振るうは財の力!!厄災を叩き落せ!!!」」
「打ち出の小槌!!!!」
シラの細い手が小槌の柄に添えられれば、それはイサセリヒコだけが持つよりも軽く感じられた。
質量を無視する、まさしく神々の宝であろう、その財宝をもってして鬼ヶ島によって放たれた大和殲滅とイサセリヒコたちに確実な死をもたらすとされた一撃は打ち出の小槌の力によって打ち返され、鬼ヶ島は爆ぜた。
打ち出の小槌は一寸法師に登場するアイテムだと思われがちですが、実は桃太郎にも出てきてるんです。
参照元は立教大学図書館HP、桃太郎絵巻より