<宇宙暦797年/帝国暦488年2月>
ヴェレファング・フォン・クロプシュトック二十六歳。
ゴールデンバウム朝銀河帝国軍における階級は元帥で、役職は宇宙艦隊司令長官。
爵位は侯爵。
先の皇帝フリードリヒ四世の遺命に従い、ヴェルは婚儀を挙げる。
相手は二十歳になったばかりのヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ伯爵令嬢。
この婚姻により、マリーンドルフ伯に連なる非主流派の貴族たちは、ヴェルとリヒテンラーデ侯爵の連合に与する事になる。
ただし家門と領地が安堵されるのは、それを望んで自主的に証文を求めてきた者たちのみであった。
この対処方法は新しくヴェルの妻となったヒルデガルドの発案による。
この婚儀に先立つこと数日前。
ヴェストパーレ男爵家の女当主であるマグダレーナ・フォン・ヴェストパーレ(二十八歳)がヴェルの許を訪れ、クロプシュトック派への参加を表明し、家門と領地の安堵する証文をヴェルから得ていた。
ヒルデガルドは友人のマグダレーナだけには特別に助言を行っていたのである。
ただしマグダレーナはただの紙切れの証文だけではなく、ヒルデガルドには内緒の更にもう一歩も二歩も踏み込んだ方法んだ。
そして、一晩掛けてヴェル本人から最も効果が高い保証を直々に得る事に成功していた。
翌朝やけに艶やかなマグダレーナが朗らかに笑いながらクロプシュトック邸から朝帰りして行き、一方この世界に生まれてから初めての大敗を経験したヴェルが、起き上がることも出来ずに悔し涙を流すという珍事が発生する。
その日から数えて十月十日後には、マグダレーナはヴェストパーレ男爵家の次期当主となる珠のような黒髪の男子を未婚のまま出産するに至る。
マグダレーナは決して父親の名を明かさなかった。
彼女自身が愛人を七人抱えていると謳っている事もあって眉を潜めて邪推する者も多かったが、女傑のマグダレーナには痛くも痒くもない話であり、女手一つで我が子を立派な貴族に育てて行く。
ちなみにマグダレーナはこの二年後とその更に二年後にそれぞれ一人ずつ黒髪の赤子を産んでいるが、その子らの父親の名も秘密にし続けた。
尚、初代黒竜帝の遺命により、クロプシュトック王朝はその末期までヴェストパーレ男爵家に準皇族待遇の特権を与え続けた。
マグダレーナと初代皇后のヒルデガルドとの間の、もしくは筆頭愛妾のアンネローゼとの間の厚い友誼の証とされるが、黒竜帝とマグダレーナの関係を怪しむ学者も後世において僅かながらに出てくる。
そして全く関連性は無いが、常勝不敗の黒竜帝の回顧録に「余は人には言えぬ恥ずかしい大敗を生涯で三度経験した」との文言が残された。
ゴールデンバウム王朝とクロプシュトック王朝の戦史にはそのような敗戦の記録はどこにも存在しない為、黒竜帝を巡る謎の一つとなってしまう。
この日の婚儀を迎えるまで、ヒルデガルドの父のフランツはヴェルへの不満を強めていた。
愛妾を幾人も抱えたまま自分の娘と婚姻を果たそうとするヴェルの不実を一人詰るフランツ。
カストロプ動乱での命の恩人とは言え、さらに隠し子までいると知らされると心中穏やかではいられない。
そんなフランツを説得したのは、娘のヒルデガルド本人であった。
この情勢下で先帝の遺命に従わなかった場合、不忠者の誹りを受けて両陣営から見放されて蹴落とされ、没落するであろう。
そして皇帝に婚約を斡旋された二年前ならいざ知らず、最早クロプシュトック侯爵家とマリーンドルフ伯爵家では力の差が隔絶し過ぎており、多少の相手のわがままは受け入れるしかない。
更にヒルデガルドの見るところ、純粋に軍事的な側面を分析するに、帝国内でクロプシュトック家に勝てる者は現状誰もいなかった。
来るべき内戦でクロプシュトック家に付く利を滔々と説明し、父フランツを説き伏せてしまったのである。
華やかな婚儀のパーティの最中、オーベルシュタインがリップシュタットで門閥貴族たちが決起した旨を注進する。
世に言うリップシュタットの盟約である。
慶事は延期出来るが変事は避けられないと新妻のヒルデガルドに告げ、婚儀の場を離れる事を詫びるヴェル。
ヒルデガルドはその謝罪を受け入れ、物分かりの良い妻を演じて見せた。
これを持ってリヒテンラーデ・クロプシュトック連合と、リップシュタット貴族連合の対立が決定的となる。
リップシュタットの盟約に名前を連ねた帝国貴族は約三千七百名。
彼らの私兵や軍人貴族たちの配下の正規軍を合算した総兵力は、艦艇十五万隻で約二千五百万人に及ぶ。
尚、リップシュタット貴族連合の総大将にはカイザーリンク上級大将が収まり、そこにメルカッツの名前は無かった。
決起の前にメルカッツを呼び出し、家族の安全をちらつかせて総大将就任を強要しようとするブラウンシュヴァイク公。
少し遅おう御座いましたなと丁重に断るメルカッツ。
そして既にヴェルが実際に兵を動かし、自分の家族を保護の名目で人質に取ってしまっている事を告げる。
ブラウンシュヴァイク公は瞠目し、では敵に回るのかとメルカッツを殺そうとするが、それはメルカッツ自身によって否定される。
ヴェルはメルカッツに対して自陣営への参陣は求めなかった。
その代わりあくまで銀河帝国軍の宇宙艦隊司令長官からの正式な命令として、メルカッツに麾下の艦艇を率いてのイゼルローン回廊出口の警備任務を命じていたのである。
原作のラインハルトと違い、ヴェルはアーサー・リンチを使っての同盟分裂策を実施していない。
現状の自由惑星同盟軍の損耗状態を鑑みるとまず無いと思われたが、あくまでも万が一に備えた予防措置として、仮に同盟艦隊に動きがあった場合の足止め役をメルカッツに命じたのである。
ブラウンシュヴァイク公もバカではない。
内紛時に自由惑星同盟に介入されると面倒になるのは彼にも理解は出来た。
それ故にブラウンシュヴァイク公は局外中立を選択したメルカッツをその場で害する事も出来なくなる。
ブラウンシュヴァイク公は仕方なくメルカッツを諦め、同様に戦歴が長く、帝国への忠義も厚いカイザーリンクの招聘に舵を切る。
カイザーリンクであれば部下のクリストフ・フォン・バーゼルの汚職の情報を使って手綱を取る事は容易であった。
ヴェル率いる銀河帝国正規軍とリップシュタット貴族連合軍の砲火が交わる前に、オーディンから出撃していくメルカッツ艦隊。
その艦橋に一人佇むメルカッツは、己が生涯忠誠を尽くしてきたゴールデンバウム王朝の先行きを憂いて沈思黙考を続けた。
<宇宙暦797年/帝国暦488年3月>
ヴェレファング・フォン・クロプシュトック二十六歳。
ゴールデンバウム朝銀河帝国軍における階級は元帥で、役職は宇宙艦隊司令長官。
爵位は侯爵。
ヴェルはクロプシュトック領で社会再建の実地検証に勤しんでいたカール・ブラッケとオイゲン・リヒターを帝都に呼び寄せた。
予てより二人が試行錯誤していた、帝国全土を対象とする社会経済再建計画の発動に取り掛からせる。
そんな中、原作同様にブラウンシュヴァイク公配下のフェルナー大佐の独断専行により、リップシュタット戦役の戦端が開かれる。
三百の兵でオーディンのクロプシュトック侯爵邸に攻め込み、ヴェルの妻や愛妾や子供たちを捕らえようと試みるフェルナー。
しかし、待ち受けていたシューマッハ率いる五千の装甲擲弾兵に追い払われてしまう。
これを契機にヴェル率いる銀河帝国正規軍がオーディンの要所の占領を開始。
オーディンに残っていたブラウンシュヴァイク公を初めとするリップシュタット貴族連合の面々も各々脱出し始める。
敵の居なくなったオーディンでヴェルはやりたい放題である。
取り残されたシュトライト准将やフェルナー大佐らを捕らえて自陣に加えた後、銀河帝国の軍権を全て己の手中に収める。
軍務尚書と統帥本部総長も兼任してしまうヴェル。
今後のリップシュタット戦役への流れを変えず、原作知識をフルに活用出来るようにする為、ヴェルは敢えてラインハルトと同じ道を選択しようとしていた。
一方のリップシュタット貴族連合軍もガイエスブルク要塞にその兵力を集中させつつあった。