宰相公爵編
<宇宙暦798年/帝国暦489年1月>
ヴェレファング・フォン・クロプシュトック二十七歳。
ゴールデンバウム朝銀河帝国宰相。
軍における階級は元帥で、役職は帝国軍最高司令官。
爵位は公爵。
昨年のリップシュタット戦役の勝利と戦後のリヒテンラーデ公排斥を経て、銀河帝国の宮廷と政界と軍部は全てヴェルの支配下に置かれるところとなる。
そして年が改まった頃には、ヴェルの主導による帝国の新体制がようやく形に成りつつあった。
公爵位に昇ったヴェルは、合わせてリヒテンラーデ公爵家を侯爵に格下げし、唯一の公爵として宮廷を統括。
敵対した門閥貴族の爵位と門地を容赦なく剥奪没収する。
リヒテンラーデ一門の所領も大幅に削られてしまうが、コールラウシュ家のみは重用して加増。
騙されたと知った一門の怨みはコールラウシュ家に向かい、リヒテンラーデ領は内紛状態となる。
ヴェルは一貫して自分の娘であるフェリシアを産んだエルフリーデの実家を支援し続け、リヒテンラーデ一門は次第に追い詰められていく。
更にヴェルは自ら幾度となく直接赴いて交渉を重ねたシュザンナの化粧代を除いて、宮廷行事に関連する馬鹿げた歳費も大幅に圧縮する。
これらの施策によって帝国政府の財政は一気に回復に至っていた。
余談だがシュザンナはヴェルとのディープな交渉後に体調を崩してしまい、療養と称して離宮に居を移し、公の場から一年間その姿を隠してしまう。
その後、シュザンナはヒルデガルドやアンネローゼらヴェルの妃とも親しく交流しつつ、何処からか引き取ってきた赤子を自らの養女として育てながら、俗事に関わる事なく離宮にて穏やかな日々を過ごしたと言う。
ベーネミュンデ侯爵家を継ぐ事になるその黒髪の赤子の出自は、側近の宮廷医師であったグレーザーだけが知っていると噂された。
政界においては、宰相となったヴェルは宰相府で基本的には決済しかせず、政治センス抜群な妻のヒルデガルドに実務を取りまとめさせるスタイルが確立されていた。
その上でカール・ブラッケとオイゲン・リヒターの両名に、民政面でその才を存分に振るえるだけの権限を与えるヴェル。
民衆の権限を拡張し、貴族政治からの完全な脱却を図りたい彼ら開明派二人の思惑は、当然ヴェルも原作知識で理解はしている。
ただ現状の帝国の税制と司法の在りようはヴェルの目から見ても歪過ぎており、公平さを導入するには彼らの力が当面は必要と心得ていた。
またヴェルは工部省にて奇才ブルーノ・フォン・シルヴァーベルヒ(三十二歳)を大抜擢する。
首都星オーディンにおける門閥貴族たちの豪奢な邸宅跡地群。
その再活用計画を彼に任せてしまう。
軍部では、リップシュタット戦役の戦功を考えた上で、ヴェルの元帥府にて必要な武官たちの昇進を実施。
上級大将にはシューマッハ、ミッターマイヤー、ロイエンタールの帝国の三矢が。
大将にケンプ、ケスラー、ワーレン、ルッツ、ビッテンフェルト、ファーレンハイト、アイゼナッハ、メックリンガー、シュタインメッツ、レンネンカンプ、ミュラーと綺羅星の如き有能な提督たちの名が並ぶところとなった。
尚、リップシュタット戦役で局外中立を選択したメルカッツ上級大将の艦隊については、戦役平定後にオーディンに帰還。
同盟の分裂を横目にイゼルローンへのアプローチを一切取らなかったメルカッツを責める声も上がるが、ヴェル自身がメルカッツの判断を是と明言した為にそれらの声もいずれ鎮まっていく。
ただしメルカッツ自身は本人の希望によりヴェルに惜しまれつつも予備役入りが決まり、その艦隊は解体されて他の提督たちの麾下に吸収されていた。
その上で自由惑星同盟との国境となるイゼルローン回廊の警戒については、提督たちが持ち回りで担当する決まりとなる。
現段階ではヴェルには同盟と事を構えるつもりは毛頭無く、パトロールは回廊出口からかなりの距離を取るよう通達される。
更にもし敵艦隊と偶然遭遇したとしても、戦闘は許可しないと厳命。
どうしても手柄を立てたくて戦さに持ち込もうとする軍人気質を徹底的に戒める訓示を行う。
その結果、原作で発生した同盟のダスティ・アッテンボロー少将率いる訓練艦隊と、ケンプ麾下のアイヘンドルフ分艦隊の遭遇戦は発生せず、ユリアン・ミンツは初戦での手柄を立て損なってしまった。
とにかく帝国公爵にして帝国宰相にして帝国元帥のヴェルは多忙の日々を送っている。
この時期の原作のラインハルトに比べると、ヒルデガルドという優れた嫁がいる為に政治面ではかなりサボれている。
しかしラインハルトは切り捨てていたプライベートの部分が逆にヴェルとっては難題で、時間をガリガリと削り取っていく。
ヴェルは都合七人の女性を抱えている為、昼も夜もキリキリ舞いである。
そんな中、帝国軍科学技術総監のシャフト技術大将が元帥府で執務中のヴェルに面会を求めて来る。
その知らせを受けたヴェルはあの件かと当たりを付け、フェザーン自治領の黒狐が自分に銀河を統一させようと蠢動し始めた事を察する。
既に地球教本部は壊滅しており、フェザーンは地球のくびきから離れたはずであったが、どうやらアドリアン・ルビンスキーとフェザーン自治領は己の利益の為に原作と同じ道を選択したようであった。
一度ルビンスキーには釘を刺しておいた方が良いかもしれないと考えつつ、ヴェルは事前に用意してあった資料を引き出しから取り出しながら、シャフトの来訪に対して許可を出した。
ガイエスブルク要塞に十二個のワープ装置を追加し、イゼルローン回廊攻略の拠点とする。
情緒たっぷりに意気揚々と高説を垂れたシャフトへの返答は、その顔に投げ付けられた資料の紙束であった。
ヴェルが憲兵総監のケスラーに命じて作成させた、これまでシャフトが科学技術総監部で行って来た汚職の数々の調査結果報告書である。
事前に呼び付けておいたケスラーがその場に現れ、ヴェルの前からシャフトをしょっ引いていく。
自分がいなくなれば科学技術総監部は立ち行かなくなりますぞ!とシャフトは捨て台詞を残していくが、ヴェルにとっては些事であった。
何せ自領であるクロプシュトック公爵領は、科学技術総監部がシャフト閥に占められてしまった為に行き場を失った技術者たちを率先して雇い入れており、有能な人材がわんさか溢れ返っているのだ。
兼ねてより計画していたクロプシュトック公爵領よりの人材派遣を進めるよう、ヴェルはつい先日出産を無事終えて育児中のフレデリカに連絡を入れた。
そして、それからその場に残されたガイエスブルク要塞改造計画書をしばらく眺めていたヴェルは、苦悩に満ちた顔で一つ大きくため息を吐いた後にケンプとミュラーを呼ぶ。
また宮廷警備責任者のモルト中将に対し、幼帝エルウィン・ヨーゼフ二世の警護を強化するよう指示を出した。
この世界に転生してきてからというもの、ヴェルが敵わないので相手にしたくないと常々考えてきた三人。
ヤン・ウェンリーと、アドリアン・ルビンスキーと、ヨブ・トリューニヒト。
どうやらヴェルは、この最高に食えない奴らとの激突が間近に迫ってきた事を悟り、覚悟を決めたようであった。
とことん嫌々ながらではあったが。
<宇宙暦798年/帝国暦489年3月>
ヴェレファング・フォン・クロプシュトック二十七歳。
ゴールデンバウム朝銀河帝国宰相。
軍における階級は元帥で、役職は帝国軍最高司令官。
爵位は公爵。
ガイエスブルク要塞のワープ実験が行われる。
指揮を取るのはケンプとミュラーの両大将。
十二個のワープエンジンが寸分の狂い無く連動出来なければ、ケンプとミュラーを含む要塞に乗り込んだ一万人以上の軍人たちの命は亜空間のチリと化す。
緊張の一瞬であったが、ヴェルは心配していなかった。
何故なら彼は成功する事を原作知識で知っていたからである。
そしてワープ実験は原作通りに見事成功する。
ケンプとミュラーの苦労が報われた瞬間である。
指揮を取っていたケンプとミュラーだけでなく、そのワープ実験に臨席した多くの者たちは皆、ヴェルがこのまま両将に要塞と艦隊の指揮を取らせ、イゼルローン攻略を命じるものと思い込んでいた。
しかし違った。
喜びに沸く関係者たちを一喝して黙らせた後、ヴェルはケンプとミュラーに驚くべき命令を発する。
すなわち科学技術総監部との協力を継続し、このガイエスブルク要塞のワープエンジンに一万光年の距離を往けるだけの精度と耐久性を持たせよ、という更なる無茶ぶりであった。
もともとこの時期にイゼルローンを攻める必要性を全く感じていなかった妻のヒルデガルドや、帝国の三矢らはヴェルの決定に胸を撫で下ろす。
しかし一万光年とは、ヴェルはガイエスブルク要塞を一体何処に飛ばそうとしているのか。
もしや!とヴェルの壮大な構想に愕然とするヒルデガルドや提督たち。
ヴェルの思惑は理解出来たが、実際に一万光年往けるだけの耐久性を持たせるなど、いったいどれくらいの月日が必要になるのか。
半年か?一年か?
この二ヶ月の血の滲むような苦労を思い返してクラッときてしまうケンプを、同様に青い顔をしていたミュラーが支えた。
ヴェルはこの目標が達せられた時、二人には上級大将の職をもって報いることを命令書に明記し、慰撫に努める。
命令は既に下された。
ヴェルに忠誠を誓った両将はその期待に応えるべく、粉骨砕身励むのみであった。
ガイエスブルク要塞のワープ機能の開発は継続され、フェザーン自治領主たちが想定していた第八次イゼルローン攻防戦は未遂となる。
このヴェルの決断は、その後の宇宙の歴史を決めるターニングポイントとなる。
原作との大きな乖離が、遠く自由惑星同盟の首都ハイネセンで今始まろうとしていた。
<宇宙暦798年/帝国暦489年4月>
帝国領のヴァルハラ星系外縁部で行われたワープ実験に遡ること十日。
イゼルローン要塞にて第十三艦隊の指揮を執るヤンの元へ、ハイネセンの国防委員長より召喚命令が通達されていた。
フェザーン自治領の補佐官のケッセルリンクが同盟のヘンスロー弁務官を散々に煽った結果の査問会開催であった。
ジェシカとの後朝の別れを惜しみつつ、後事をキャゼルヌ少将に託し、副官のメッサースミスと護衛役のマシュンゴらと共にハイネセンに向かったヤン。
一ヶ月かけてハイネセンに到着したヤンは即座に同行の部下たちから隔離される。
そして査問会の名の下、延々と非生産的な精神的迫害を浴びせ続けられるはめになった。
ヤンにとっても同盟全体にとっても不幸な事に、彼の副官は美しく聡明なフレデリカではなかった。
原作ではフレデリカのフィアンセ候補であった宇宙艦隊司令部勤務のメッサースミス少佐の便宜を図り、フレデリカは宇宙艦隊司令長官のビュコック大将との面会を果たし、連携してヤン解放に動き出す。
だが、この世界線のフレデリカは銀河帝国の首都星オーディンにて授乳に忙しい。
代わりにメッサースミス自身がヤンの副官になってしまっていた為に、マシュンゴは右往左往するのみ。
結果ヤンがハイネセンに来ていた事をビュコックが知ったのは、全てが終わった後となる。
そして更にヤンにとっての一番の味方がやって来ない。
ケンプとミュラーが率いる帝国軍である。
帝国軍がイゼルローン要塞に一切攻めかかって来なかった為に、査問会は延々と引き伸ばされ続け、遂にヤンの堪忍袋が切れてしまう。
査問会が始まった初日に数多の紙を無駄にして書き上げていた辞表を、ヤンは国防委員長のネグロポンティに叩きつける。
叩きつけてしまったのである。