幼年学校編
<宇宙暦781年/帝国暦472年>
ヴェレファング・フォン・クロプシュトック十歳。
ゴールデンバウム朝銀河帝国軍幼年学校の新入生。
ヴェルがクロプシュトック家に入ってから早五年が経過する。
その間ヴェルはオーディンを離れてクロプシュトック侯爵領に移り、ウィルヘルムの手厚い加護を受けて日々を過ごしていた。
そして十歳になってからオーディンに再び戻り、銀河帝国貴族の責務として幼年学校に入学する。
幼年学校在学中、周りの貴族の子息連中からヴェルは徹底的に無視され続ける。
かと言って平民たちも
今生きている世界が架空のものと知ったヴェルには、全ての人間が道化に見えており、人に対しての興味を失っていたのである。
それよりも、ヴェルには前世の己の家や家族がどうなったのかの方が気掛かりであった。
幼年学校での学業の合間にプランを練るヴェル。
まずはウィルヘルムが起こすクロプシュトック事件は絶対に阻止せねばならない。
その為にはまずこの世界が原作小説版かアニメOVA版かアニメノイエ版か、はたまた漫画かつみ版か漫画藤崎版か。
どれに準拠しているかの見極めが必要であった。
またこれから台頭してくるであろうラインハルト・フォン・ローエングラムの陣営への参加も、選択肢としてはマストだろう。
士官学校でも門閥貴族達を刺激せず、反主流派のポジションでひっそりと身を潜めておけば大丈夫だと思われた。
そしてヴェルは、地球教の狂信者たちがラインハルトの手によって一掃された後に地球へ向かう計画を立てる。
ラインハルトに認められるには、ある程度の軍事的才能や内政手腕が要求されるはずであった。
また、遺跡と化している地球を探索するには体力や個人的な戦闘力も必要と思えた。
幼年学校で目立たぬよう、ヴェルはひたすら自室で自分を鍛え続けた。
<宇宙暦786年/帝国暦477年>
ヴェレファング・フォン・クロプシュトック十五歳。
ゴールデンバウム朝銀河帝国軍幼年学校の最上級生。
幼年学校を卒業を間近に控え、進路として士官学校への入学を決める。
クロプシュトック侯爵家でもヴェルの士官学校入学の為の準備が始まった。
ヴェルが幼年学校で抱いていた甘い見通しは、そこで一気に突き崩される事になる。
銀河帝国の士官学校では、侯爵以上の子弟には個別の寄宿舎があてがわれるという伝統があった。
その寄宿舎を運営するスタッフについては、各家がそれぞれ用意して派遣する必要がある。
普通であれば、自家の派閥に属する家々の子女が行儀見習いも兼ねて送り込まれる事となる。
だが凋落著しいクロプシュトック家には、人を出してくれる寄子の家など何処にもいない。
その為にクロプシュトック家当主のウィルヘルムは泣く泣く市井から人を集めるしかなかった。
せめてもの意地なのか、帝都中の騎士階級の子女の中から、特に若く見目麗しい女子達を金に糸目をつけずに集めたウィルヘルム。
ヨハンと同様にヴェルにも相応しい婚約相手が一向に見つからない為、仕方なしの選択であったのかもしれない。
ヴェルに彼女らにお手を付けさせ、クロプシュトックの血だけは残そうという意図も透けて見える。
そして、そのウィルヘルムから渡された娘達の名前のリストの中に、ヴェルはアンネローゼ・フォン・ミューゼルの名前を見つけてしまったのである。
動揺して端末を落としそうになるヴェル。
震える手でアンネローゼの詳細情報を確認する。
バストアップのアンネローゼの写真を見ると、ヴェルと同い年のとても儚げで美しい少女であった。
ヴェルはその家族構成の欄の内容に目を疑う。
そこにはラインハルトの名前は無く、父のセバスティアンの名のみがあった。
そしてその下の特記事項に、難病で亡くなった弟の治療費のための莫大な借財があり、それをクロプシュトック家が立て替えた旨が記されていた。
ヴェルはウィルヘルムに頼み込み、顔合わせと称してアンネローゼを含む娘達を自分の前に呼び寄せる。
娘達の中でアンネローゼは図抜けて美しく、かつ思慮深そうなオーラを身に纏っており、ヴェルにも一目で彼女がこの物語の主役格である事がわかった。
ヴェルは面談を装って各々に質問を行い、アンネローゼ本人の口からクロプシュトック家に奉公に来た事情を聞く。
やはりラインハルトは既に亡くなっていた。
そしてアンネローゼがここに来たのは、まだジークフリード・キルヒアイスの隣家に引っ越す前であった事も確認する。
ラインハルトが存在しないとなると、この世界はどう変わっていくのか全く読めなくなる。
最悪イゼルローン要塞をヤン・ウェンリーに陥され、自由惑星同盟の大軍がここオーディーンまで攻め込んでくるかもしれない。
そうすれば民衆は暴動を起こし、王侯貴族は皆フランス革命ばりに吊るされるだろう。
ヴェルは士官学校への入学準備を進める中、その暗澹たる未来の事ばかり考えていた。
そこに皇帝フリードリヒ四世の使者が到来する。
使者の名はコルヴィッツ。
宮内省の官吏である。
原作ではアンネローゼを見初め、彼女を嬉々としてフリードリヒ四世の後宮に収めた、性格の良い帝国騎士であった。
アンネローゼはヴェルの士官学校入学と同時に寄宿舎に入るべく、クロプシュトック家に住み込みでメイドとして修行していた。
お遣いを頼まれ屋敷の外に出たところを、偶々運悪くコルヴィッツに見つかってしまったらしい。
コルヴィッツはクロプシュトック家に対し、事実上の命令としてアンネローゼの引き渡しを要請する。
ミューゼル家の借金は皇室が引き取り、更に五十万帝国マルクを支払う事でアンネローゼの父のセバスティアンと合意済みとの事であった。
悩んだクロプシュトック家当主のウィルヘルムは、この一件をアンネローゼの主となる孫のヴェルに任せようとする。
そしてヴェルと当事者のアンネローゼが、その場に呼ばれる事になった。
一通りの説明を聞いたヴェルがアンネローゼの方を見ると、彼女は蒼白な顔をしていた。
原作では弟に活躍の場を与える為に後宮に入る事を選んだアンネローゼであったが、この世界にラインハルトはもういない。
もともと己の栄達の為に好き好んでロリコン親父にその身を委ねるような性格の女性ではなかった。
見かねたヴェルは、アンネローゼを魑魅魍魎が住まう後宮になど送ってはならないと即決し、咄嗟に機転を利かせる。
突然驕慢で享楽に耽るバカ貴族子弟を演じ始めるヴェル。
コルヴィッツに対し、芝居掛かった仕草で彼がこの屋敷を訪れるのがひと足遅かった事を嘆いてみせた。
そして既に自分が頂いてしまったが為、今のアンネローゼでは皇帝の要望を満たせ無い事を謝る。
この頃の皇帝フリードリヒ四世は清楚な美少女ばかりを求めており、男を知らぬ事が寵姫としての絶対条件となっていたのだ。
ヴェルの目配せを受け、聡いアンネローゼがヴェルにそっと身を寄せる。
その相思相愛っぷりを見せつけられ、コルヴィッツは意気消沈して引き下がっていった。
その光景をクロプシュトック家当主のウィルヘルムがニヤニヤしながら見ていた。
ヴェルの機転で憎きフリードリヒ四世を出し抜けた事が余程嬉しかったのだろう。
コルヴィッツが去った後、ウィルヘルムはヴェルとアンネローゼの仲を公認してしまう。
ヴェルとアンネローゼの二人が否定するいとまも無かった。
住み込みメイドの立場から、一気に次期当主の妾扱いとなるアンネローゼ。
結果としてヴェルは、ついてしまった嘘を真実とする為に、否が応でもアンネローゼと同衾せざるを得なくなる。
原作の世界からの乖離が始まった瞬間であった。