黄金獅子はもういない   作:夜叉五郎

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“傍観者”編

<宇宙暦798年/帝国暦489年5月>

 

 ヴェレファング・フォン・クロプシュトック二十七歳。

 ゴールデンバウム朝銀河帝国宰相。

 軍における階級は元帥で、役職は帝国軍最高司令官。

 爵位は公爵。

 

 ヴェル率いる銀河帝国の蟠踞するオリオン腕。

 そこから遠く離れたサジタリウス腕を統治する自由惑星同盟の軍部内で激震が走っていた。

 

 イゼルローン要塞司令官兼駐留艦隊司令官のヤン・ウェンリー大将が病気療養の為に予備役入り。

 ヤンはハイネセンでそのまま静養に入り、代わりにドーソン大将がイゼルローン要塞に着任。

 併せて防衛強化の名目で艦艇五千隻がイゼルローン回廊に増派。

 通称ヤン艦隊と呼称されていた第十三艦隊は解体され、ドーソンの麾下に半個艦隊が五つ形成される事になる。

 率いる提督はフォーク少将、アラルコン少将、モートン少将、グエン少将、アッテンボロー少将の五名。

 キャゼルヌ少将とシェーンコップ少将はそれぞれ要塞事務監と要塞防御指揮官に留任。

 これらの人事の発令は全て国防委員長のネグロポンティの名前で行われた。

 

 もちろんヤンのリタイアは同盟市民の間でも大きなニュースとなる。

 しかし、自分たちを守ってくれる名将がいなくなってしまったにも関わらず、市民レベルでの動揺はかなり少なかった。

 一見変な話に見えるが、むしろホッとする者の数の方が遥かに多い結果となる。

 エル・ファシルの脱出劇とアスターテ星域会戦と第七次イゼルローン要塞攻略戦。

 そこまでは皆がヤンの武勲を熱狂して讃えていた。

 しかし救国軍事会議のクーデターの鎮圧を経て、ヤンは畏怖の対象に変わっていたのである。

 

 スタジアムの虐殺が起こっておらず、不平不満不安はあったが同盟市民の救国軍事同盟への怒りはそれほどでも無かった点。

 救国軍事同盟に参加した辺境惑星群の反乱軍と第十一艦隊をヤンが容赦なく全滅させた為に、大量の遺族が生まれて彼らがヤンに深い恨みを抱いていた点。

 ハイネセン開放時にアルテミスの首飾り攻略で見せたヤンの破壊的な側面が、ハイネセンの住民に恐怖を与えていた点。

 そして、この時点で同盟のマスメディアが完全にヨブ・トリューニヒト最高評議会議長の支配下にあった点。

 これらの要素が重なって、ヤンを第二のルドルフになり得る存在と評する風潮が急速に形成され、ヤンの退場を控えめながらも歓迎してしまう空気感が醸成されていたのだ。

 

 将来ヤンが軍籍を引いた後、政界に打って出られては困るトリューニヒトが未然にその芽を摘んだ。

 見るものが見れば、直ぐに理解できる茶番劇である。

 だがトリューニヒトの政敵のはずの野党トップのジョアン・レベロ議員も、ヤン自身の資質は別にしてその存在を懐疑的に見ていた為、政界もこの件については口を噤んでしまう。

 

 要するに市民も政界も国家元首のヨブ・トリューニヒトでさえも、ヤンがいなくてもイゼルローン要塞があれば同盟の領土は安泰という幻想を抱いていたと言える。

 帝国にとぐろを巻く恐るべきあの黒竜も、イゼルローンの雷神の怒りには敵わない。

 それを証拠にイゼルローン要塞が同盟の手に渡ってからというもの、帝国の黒竜は一度も回廊の中に首を突っ込んで来ないではないか!と。

 

 昨年のアルテミスの首飾りの完全破壊で、ヤンは同盟の軍部・政界・市民の間に蔓延っていたハードウェア信仰を打ち砕こうとした。

 しかし、同盟はこれまで何百万人もの血でイゼルローン回廊を赤く染め上げて来ただけに、回廊に高く聳え立つイゼルローン要塞への畏怖は、同盟市民の魂魄に深く染み付いてしまっている。

 その畏怖が深ければ深いだけ、それが反転した時に得られる信頼感はより一層強固なものとなる。

 イゼルローン要塞はそれだけ同盟市民にとって特別な存在であり、ヤンの魔術もその幻想には通用していなかったのである。

 

 市民も政界もこのヤンの失脚を受け入れてしまうが、もちろん当事者の同盟軍は大騒ぎだ。

 何せ統合作戦本部長のクブルスリー大将も宇宙艦隊司令長官のビュコック大将も、全く預かり知らぬところで頭ごなしに決められてしまった人事であった。

 当然抗議をするもヤンの自筆の辞表を国防委員長に見せつけられると、黙るしかなくなる。

 ヤンに会わせろと迫ってもなしのつぶてであった。

 クーデターの鎮圧後、軍の上層部はほとんどがトリューニヒト派で占められてしまっており、彼らが怒りの辞任に打って出れば、これ幸いとそのポストをも政争の道具にしてしまうであろう。

 同盟を守る為には耐えるしかなかったが、まともな軍人ほどやる気を削がれてしまい、同盟軍全体の士気は大きく低下してしまった。

 

 そして当然ながらヤン不在のイゼルローン要塞は蜂の巣を突いたような状態となる。

 ユリアンをはじめとするヤンに心酔している軍人たちは、こぞって怒りの声を上げた。

 そうでなくともヤン艦隊はシェーンコップやポプランのような不良軍人たちが集まった愚連隊の一面も持っている。

 そんな彼らが軽挙妄動して即時に反乱を起こさなかった理由は三つあった。

 

 第一にイゼルローン要塞とヤン艦隊に所属する軍人全ての同盟領内に残る家族のリストが、ハイネセンからわざわざこれ見よがしに送り付けられていた。

 第二に人質に取られたヤンの消息が全く掴めておらず、単純に動きようがない。

 第三にジェシカがヤンの子を身籠っている事が発覚した。

 

 救国軍事会議でさえ躊躇った家族を人質に取る悪辣な手法。

 それを臆面もなく実施してくる手合いに歯噛みするも、トリューニヒトの私兵とも言える憂国騎士団の存在に不安を抱く者も多く、要塞全体でのサボタージュの選択についてはまず放棄せざるを得なかった。

 せめてもの抵抗として、ドーソンらが着任する前にユリアンやポプランを始めとする志願者を募って脱走させ、フェザーン経由でハイネセンへ潜伏させる段取りを急遽進めるキャゼルヌたち。

 残る元ヤン艦隊の幕僚たちは、新たに赴任してくるフォークをはじめとするトリューニヒト派の軍人たちの魔の手から身重のジェシカを守りつつ、ヤン救出の機会を待ち続ける事になる。

 

 

 

 どうやら同盟でヤン・ウェンリーが失脚したらしい。

 フェザーン経由でその噂は帝国まで届く。

 

 帝国ではヤン失脚の報をどう受けたか。

 安堵した者、自分の手で討ちたかったと残念がる者、同盟は名将の扱い方を知らぬと憤る者と様々であった。

 

 流石に今がチャンスと同盟への出兵をヴェルに対して進言してくるようなお調子者はいなかったが、それが嬉しくもあり悲しくもあるヴェル。

 もしヴェルが彼ら提督たちと同じ立場であったのなら、鼎の軽重を問われようと間違いなく出師の表を立てていただろう。

 それほどまでにヴェルと提督たちの間で、ヤンの能力とその同盟軍における影響力に対する評価に差が生じていた。

 

 当然ながら、安堵した者の代表格はもちろんヴェルである。

 もし仮に同盟領攻めを現段階で強行する必要性が生じたとしても、最大の障害が事前に取り除かれた事になる。

 ホッと一安心する。

 

 ただし、あくまでヴェルの現時点での方針は内治優先であり、同盟の情勢については傍観者の立場を決め込んだ。

 このまま帝国の国力を順調に回復させていけば、フェザーンも同盟も自ずと鎧袖一触で滅ぼせる程度の敵に成り下がるだろう。

 その為、今の時点で無理に戦に誘導しようとしてくるであろうフェザーンの黒狐には警戒の目を緩めなかった。

 有象無象の陰謀の魔の手が自分の周囲に伸びてくる余地を削るべく、諸々の雑事を今のうちに片付けておこうとヴェルは考える。

 

 まずヴェルはエルフリーデとの間に生まれた生後半年の自分の娘フェリシアにリヒテンラーデ侯爵位を継承させた。

 当然リヒテンラーデ一門は激発し、武力蜂起での侯爵領占領の暴挙にまで及ぶ。

 コールラウシュ家の要請を受け、ヴェルはこれまで出番の無かったハウサー提督の艦隊をリヒテンラーデ星系に派遣する。

 騒乱は瞬く間に鎮圧され、謀反を起こした一門衆は尽く排斥される。

 この小規模な内乱によって、リップシュタット戦役でせっかく生き残った貴族の中からも、連座して処罰される者が多数出るところとなる。

 

 尚、幼い我が子を政争の道具にされたエルフリーデは激怒。

 正妻のヒルデガルドやアンネローゼらもエルフリーデの怒りを正当なものと認め、穏やかながら彼女を支援した為にヴェルは相当の苦労を背負う羽目になる。

 これが後のエルフリーデとの第二子であるフェリクスの誕生へと繋がっていった。

 

 

 

 一方のフェザーン自治領。

 ワープ新技術の提供とヤン排除の二連発でも動こうとせず、妻や愛妾たちのご機嫌取りに終始している帝国のエロ黒竜に苛立ち、補佐官ルパート・ケッセルリンクは更なる策の実行の前倒しを決める。

 

 すなわち原作でも発生した、あの幼帝誘拐騒動である。

 

 

 


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