黄金獅子はもういない   作:夜叉五郎

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原作四巻
“黒竜”編


<宇宙暦798年/帝国暦489年6月>

 

 ヴェレファング・フォン・クロプシュトック二十七歳。

 ゴールデンバウム朝銀河帝国宰相。

 軍における階級は元帥で、役職は帝国軍最高司令官。

 爵位は公爵で、称号は黒竜公。

 

 リヒテンラーデ星系の反乱とそれに伴う帝国各所の武装蜂起の一斉鎮圧により、帝国国内に潜む没落門閥貴族を中心とした不平分子は一掃された。

 これを記念し、ヴェルはオーディンにて自分が主催する大規模な祝賀パーティを開く事を決定する。

 リップシュタット戦役後のヴェルの宰相就任と公爵叙任の式典以来であった。

 

 宮中予算の大幅な削減により、部下たちが息抜きをする場も少なくなっていた。

 未婚の武官や文官らと軍属や貴族の家の若い娘たちの出会いの場を作ってあげる事も、組織のトップが果たすべき重要な義務と言える。

 夫婦の夜の営みの中で、それとなく若妻のヒルデガルドが気付かせてくれたのが切っ掛けであった。

 今はその広大な敷地をほぼ使用していない新無憂宮が、今回の祝賀パーティの会場となる。

 

 合わせてヴェルは、ヒルデガルドの従兄弟のキュンメル男爵(十八歳)との面会も今のうちに果たしてしまおう考えた。

 悲しませたくないのでヒルデガルドには内緒であったが、もちろんキュンメル事件を未然に防ぐ為の措置である。

 既にオーディンの地球教支部は全て殲滅してあるものの、キュンメル自身がそれを求めている以上、いつか誰かが彼を陰謀に巻き込むであろう。

 一度会ってヒルデガルドの夫としての義務を果たしておけば、次は何くれと理由を付けて断る名目は立つとの判断であった。

 

 面会の場所については、キュンメル邸は地下にゼッフル粒子が蔓延している恐れがある為に論外である。

 それ故にキュンメル男爵を新無憂宮の祝賀パーティに出席させるよう、ヴェルはヒルデガルドに命じる。

 生来の病弱さで外に出る体力など無く、新無憂宮への参上は無理と一旦は断るヒルデガルド。

 しかし、ならば家ごと招待すれば良いと、後日ヴェルは必要な医療機器が全て誂えられた巨大モータホーム、黒竜号を用意してしまう。

 ヒルデガルドはヴェルの破天荒ぶりに呆れつつも、その熱意に押し切られる格好となる。

 生まれてからずっと狭い邸宅の中でしか生きて来れなかった従兄弟に、外の世界を見せる良い機会と考え直し、夫の好意に甘えることにした。

 ヒルデガルドは自宅での面会にこだわるキュンメルを叱咤し、新無憂宮でのヴェルとの面会をセッティングする。

 

 祝賀パーティは園遊会形式で行われ、久しぶりに新無憂宮に活気が満ちる。

 各所に掲げられた黒竜を模したクロプシュトック家の新しき旗が、新無憂宮の真の主人は誰なのかを大いに主張する中、数多くの男女が酒とダンスと社交を大いに楽しんだ。

 尚、祝賀パーティの警備についてはケスラーの指揮する憲兵隊によって万全なテロ対策が敷かれ、特に出席者の持ち物チェックは厳しく行われる。

 カバンや杖については持ち込み自体が禁止されていた。

 

 そしてフリードリヒ四世が愛した薔薇園に黒竜号が横付けされ、ヴェルとキュンメル男爵は面会を果たす。

 使われた機材は車椅子に至るまで全てクロプシュトック家が用意しており、何の危険性も生じなかった。

 祝賀パーティ終了後、その歪な欲望を満たす機会を得る事なく手ぶらで自邸に戻ったキュンメル男爵は、庭園の地下室が荒らされている事実を知って涙を流す。

 せめてもの慰めはヴェルから黒竜号を譲渡され、彼が何処へなりとも足を伸ばせる自由を得たくらいであろう。

 

 しかし、事件は時と場所を同じくして、祝賀会場とは反対に位置する新無憂宮の一角で密かに進行していた。

 新無憂宮を生活の場としていた七歳の幼帝エルウィン・ヨーゼフ二世が、その夜に忽然と姿を消してしまったのである。

 これは完全にヴェルの油断であった。

 

 

 

 原作と違った展開の為、ヴェルにも防げなかった幼帝誘拐事件。

 

 まず第八次イゼルローン攻略戦が行われず、発生時期がかなり前倒しになっていた。

 次にフェザーンの弁務官のボルテックからのタレコミが無く、アルフレッド伯の帰還も検知出来ていなかった。

 更にリヒテンラーデ一族との繋がりを恐れた元副宰相のゲルラッハが、亡命を模索するにあたって本気で陰謀に協力していた。

 これらのいろいろな要素が重なり、祝賀パーティで人の出入りが多くなった隙を突き、幼帝誘拐は奇跡的に成功してしまう。

 

 原作での実行犯のレオポルド・シューマッハは腹心として首席上級大将の職にある。

 そしてモルト中将にはきちんと警戒の指示を出していただけにショックは大きい。

 特にメルカッツの元副官ベルンハルト・フォン・シュナイダー少佐が実行犯として全くのノーマークであった事は、ヴェルにとっては痛恨であった。

 

 悲痛な面持ちでモルト中将に事実上の自裁を申し付けた後、ヴェルはメルカッツ退役上級大将を呼ぶように指示を出す。

 メルカッツと向き合うヴェル。

 シュナイダーが敬愛するメルカッツの意向を受けて動いたのは明らかであった。

 帝国の宿将たるメルカッツ提督が何故このような暴挙に出たのか。

 鋭く問うヴェルに対して、メルカッツは黙して語らない。

 

 少し考えてヴェルも理解する。

 もし相手がラインハルトであったなら、メルカッツは同じ事をしただろうか。

 恐らく違うだろう。

 ラインハルトには幼帝を無残に扱うような真似は出来ない。

 だから原作のメルカッツは幼帝を残して帝国を離れた。

 しかしヴェルにはそれが出来てしまう。

 ラインハルトは帝国を否定するが、ヴェルはこの世界全てを否定している。

 それをこの老練な武人に見透かされていたのだ。

 

 成人してからの咎で弑されるのであれば、本人の責である故に納得も出来る。

 しかし黒竜公ヴェレファングはそこまで気長に待つであろうか。

 否であろう。

 欲望塗れの黒き竜の生まれ変わりと称されているヴェルの治世においては、幼帝の未来は確実に閉ざされる。

 

 その結論に至ったメルカッツは、原作で己が自ら進んだように、自由惑星同盟という新しい世界に幼帝を解き放ったのである。

 メルカッツの銀河帝国への最後の忠義であった。

 惜しむらくはメルカッツが同盟の国家元首であるヨブ・トリューニヒトという人物の羞恥心の無さ加減を知らなかったという点にある。

 

 瞠目して一つため息を吐いた後、再びメルカッツと視線を合わせるヴェル。

 卿が敵に回らぬのであれば何も問題は生じぬとだけ告げ、ケスラーにメルカッツの拘束を命じる。

 取り調べの後、自死出来ぬよう監視を付けられた上で、メルカッツの身柄は司直の手に引き渡されるであろう。

 

 ヴェルは去りゆく帝国の老将の後ろ姿をいつまでも見つめ続けた。

 

 

 

 

 

<宇宙暦798年/帝国暦489年7月>

 

 ヴェレファング・フォン・クロプシュトック二十七歳。

 ゴールデンバウム朝銀河帝国宰相。

 軍における階級は元帥で、役職は帝国軍最高司令官。

 爵位は公爵で、称号は黒竜公。

 

 自由惑星同盟の国家元首であるヨブ・トリューニヒトが、銀河帝国の幼帝エルウィン・ヨーゼフ二世の亡命受け入れを表明する。

 合わせて元フェザーン高等弁務官のレムシャイド伯を首班とする、実体無き銀河帝国正統政府の設立が宣言された。

 その閣僚の軍務尚書の項には、メルカッツの代わりにいつの間にか亡命していたフォーゲル大将の名前が記されていた。

 これにはヴェルも予想外過ぎて少し驚いてしまう。

 フォーゲルはアスターテでヴェルの麾下に一時的に入った反クロプシュトック派の提督であり、最後までその路線を貫いたらしい。

 余談だが元副宰相のゲルラッハは結局亡命に失敗しており、正統政府の名簿にその名は無い。

 ともかくトリューニヒトは銀河帝国正統政府と協力し、銀河帝国の邪悪な黒竜公の独裁に対抗する旨を高らかに謳い上げてしまう。

 

 同盟のこの宣言には、さしものヴェルも対応せざるを得ない。

 ここまでコケにされて何もしないでは、せっかく掌握した民衆や軍部に突き上げをくらってしまうのは確実であった。

 またヴェルに大人しく従いつつも、結局は武人である以上は武勲を求めずにはいられない提督たちの忠誠心も、一気に雲散霧消する恐れがあった。

 トリューニヒトに対抗するかのように、ヴェルもまた全宇宙全銀河に対して演説を開始する。

 

「かつて銀河連邦の最盛期、人類の数は三千億人を超えていた。それが今では帝国と同盟とフェザーンを合わせても、僅か四百億人にも満たない。つまりゴールデンバウム朝と自由惑星同盟なる政体がこの世に生を受けて以来、銀河の人口は激減の一途をたどっている。我ら人という種にとって、これほどの巨悪が他にあろうか。そして今、その二つの巨悪が手を取り合って必死に延命を図ろうとしている。これを滅ぼし、早急に人の数とその活力を回復せねば人類に未来は無い」

 

 その超黒竜理論を全人類に対して真面目に語りかけるヴェル。

 率先して美女を数多く抱え、子作りに日夜励んでいるヴェルの思うところはここにあったのか!とハタとその膝を叩く者たちが続出、するわけも無く。

 敵も味方も同盟も帝国も、ただただ皆ポカーンである。

 

 

 

 サラッと自らが寄って立ったゴールデンバウム朝もディスりつつ、同盟への宣戦布告をし終えたヴェルは、エルウィン・ヨーゼフ二世を廃して次の皇帝を立てる作業に入る。

 ペグニッツ子爵の生後五ヶ月の娘のカザリンが、原作と同じく次の玉座の主に収まる。

 ヴェルの娘のフェリシアも生後七ヶ月でリヒテンラーデ侯爵なので、ゴールデンバウム朝の帝位や爵位は、幼児のオモチャ以下の扱いになってしまっていた。

 

 次いでヴェルは提督たちに同盟領侵攻の為の準備を進めるよう指示した後、この事態を招いた張本人たちにお礼参りすべく、帝都にあるフェザーン弁務官オフィスに自ら乗り込んで行く。

 ちょうどボルテックが宰相府にヴェルとの面会に関するアポイントを取ろうとしていた矢先であり、オフィスは騒然となった。

 ボルテックを恫喝してフェザーン自治領との超光速通信を開き、ルビンスキーとの直接会談に急遽臨むヴェル。

 ただし、ヴェルには黒狐とは交渉するつもりなどなかった。

 

「礼の一つでも述べねばなと足を運んだのだが。ふむ、やはり自治領主のその見事な禿頭には、地球のヒマラヤ山脈に埋まっている地球教総大主教の呪いがまだ仕掛けられているようだ」

 

「急げば間に合うかもしれないので、今すぐ入院して精密検査する事を強くお勧めする。幸いな事に有能で覇気もあって女の趣味も良く似ている息子が、其方のすぐ側にいるではないか。しばらくは自治領主の職責も女の世話も、そこの彼に代行させるが良かろう」

 

「いずれフェザーンに赴く。銀河の行く末とフェザーンの今後の在りようを語らうのは、その時にとっておこう。会談の場はそうだな、最近息子には黙って寄りを戻したと聞くドミニク・サン・ピエールのクラブにしようか。良い酒と若い女を用意しておくように。ではいずれまた会おう。失礼する」

 

 思わせぶりな態度で一方的に用件だけ述べて、さっさと通信を切ってしまう。

 ヴェルにとってはただの嫌がらせであった。

 だが、それまで銀河の鼎足の一つとして権勢と財力を誇ってきたフェザーンの首脳部を、たった一本の超光速通信で内部崩壊に追いやってしまったこのヴェルの奇襲は、後の世に「黒竜の呪い」と呼ばれて大いに恐れられるところとなる。

 

 

 


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