黄金獅子はもういない   作:夜叉五郎

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原作五巻
“暴竜”編


<宇宙暦798年/帝国暦489年10月>

 

 ヴェレファング・フォン・クロプシュトック二十七歳。

 ゴールデンバウム朝銀河帝国宰相。

 軍における階級は元帥で、役職は帝国軍最高司令官。

 爵位は公爵で、称号は黒竜公。

 

 黒竜公ヴェレファング率いる銀河帝国軍の自由惑星同盟領侵攻作戦、オペレーション・ヨルムンガンド。

 この一連の戦いで見せたヴェルの鮮やか、かつ無謀とも思える采配は「暴竜の顎門でイゼルローンを噛み砕き、暴竜の爪と宝珠でランテマリオを切り裂き、暴竜の尻尾でバーラトを打ちのめした」と後世に評される。

 実際のところヴェルは武人の勲しも何のそので、あらゆる局面で合理主義を貫き通していた。

 その徹底ぶりは“あの”オーベルシュタインが手放しで賞賛した程である。

 この大戦を逃すと武勲を立てる場所が無くなると危惧する銀河帝国軍の中堅以下の士官たちにとっては不満を口にするレベルであったが、同盟軍にとっては正に奸智働く邪悪な暴竜の如き所行であったと言える。

 

 

 

 まずイゼルローン回廊では、ハイネセンの統合作戦本部からイゼルローン要塞の司令室に座るドーソン大将に対し、彼個人と旧ヤン艦隊の士官たちへの昇進辞令の大盤振る舞いと共に、要塞放棄と第一艦隊への合流命令が伝達される。

 ほぼ壊滅状態となったアラルコン艦隊とグエン艦隊、それと半壊したフォーク艦隊の残存兵力を再編成したイゼルローン駐留艦隊は、この時点でまだ約二万隻の戦闘艦艇を保持していた。

 フェザーン回廊経由で同盟領に攻め込まれてしまった以上、既にイゼルローン要塞の戦略的価値は無くなっている。

 例え眼前の帝国軍別働隊の約四万隻の艦艇に行動の自由を与えてしまうとしても、同盟の全戦力の約四割に達するイゼルローン駐留艦隊は、バーラトを始めとする同盟領の主星系を守る為に必要不可欠な戦力であった。

 

 ただ、現在交戦中の帝国軍別働隊を率いるロイエンタール上級大将の目が光る中、どうやってイゼルローン要塞に居住する四百万の民間人ごと逃げるのかが問題である。

 確たる功績も無いままにトリューニヒト派というだけで元帥位にまで到達してしまったドーソンは、ここでもキャゼルヌ中将に作戦の立案を丸投げする。

 悩んだキャゼルヌは旧ヤン艦隊の参謀達を招集して案を募った。

 そして、二年前のクーデター時にイゼルローン要塞を空にして出撃したヤンが用意していた、帝国軍の来寇時のプランを再活用する事を決める。

 すなわち箱舟隊の組織とイゼルローン要塞の中枢への極低周波爆弾のセットであった。

 ドーソンはイゼルローン要塞を爆破しかねないこの作戦を渋るも、「どうせ敵に譲るんです。今更勿体ないと嘆いても意味がないでしょう」とシェーンコップ中将に呆れられ、苦虫を噛み潰した表情で作戦案を承認する。

 

 無人の輸送船三百隻を犠牲にしたアッテンボロー中将の奇策によってレンネンカンプ艦隊に痛撃を与え、ドーソンの表情にも幾分血の気が戻ってきたところで本格的な脱出作戦が開始された。

 キャゼルヌ個人にとっては幸いな事に、箱舟隊の組織は原作よりもスムーズに進む。

 じゃがいも士官のドーソンの赴任後、イゼルローン要塞の防衛には不要な人員として歓楽施設関連を中心とした従業員たちは順次退去させられており、原作よりも民間人の数が百万人ほど少ない。

 また、吝いドーソンがアッテンボローの作戦時に使用を許可した中古輸送船の数は原作よりも二百隻少なく、その分が活用可能であった。

 更に先の戦闘で中破し、航行能力だけ辛うじて生きている戦艦については、輸送船として有効利用出来そうであった。

 これらの要素が積み重なり、輸送船団から溢れた民間人の収容先はアッテンボロー率いる半個艦隊のみに限定。

 実質モートン中将が指揮を振るうドーソンの直衛艦隊(モートンの半個艦隊+再編成分)がその護衛任務に専念可能な陣容となる。

 

 原作通りにレンネンカンプの進言を退け、イゼルローン要塞を離脱していく同盟艦隊を見送るロイエンタール。

 彼は主君であるヴェルの壮大な構想によってその同盟艦隊の行き場は最早どこにも無い事を知っており、まずはイゼルローン要塞の接収に専念する。

 ルッツの警告を受け入れ、艦隊の進駐に先立って要塞中枢に仕掛けられた極低周波爆弾の解除に成功したロイエンタールは、イゼルローン要塞奪取の報をフェザーンのヴェル宛に打電した。

 

 

 

 ”暴竜の上顎”たるロイエンタール艦隊がイゼルローン要塞に牙を突き立てたその頃、同盟の箱舟隊はイゼルローン回廊の同盟領側出口を出たところでもう一つの帝国軍別働隊の大軍と遭遇してしまう。

 ”暴竜の下顎"のその艦隊を率いるシューマッハ首席上級大将は、かつて主君であるヴェルと共にへルクスハイマー伯爵の亡命阻止の任務の為、巡航艦ヘーシュリッヒ・エンチェンにて同盟領側のイゼルローン回廊とフェザーン回廊の間の航路を密かに航行した経験があった。

 その経験がここで生きており、アルレスハイム星域側からイゼルローン方面に向けて麾下の三万隻の艦艇を迅速に展開させていた。

 

 ドーソンから指揮を預けられたモートン中将は、旧フォーク艦隊を率いるパトリチェフ少将と連携し、輸送船団と民間人を満載したアッテンボロー艦隊をヴァンフリート星系方面に逃す為に奮闘する。

 ここでモートンは叩き上げの同盟軍人の意地を見せた。

 帝国のシューマッハ首席上級大将、ハウサー大将、グリルパルツァー中将、クナップシュタイン中将らの勇将率いる二倍以上の敵兵力を相手に一歩も引かず、不利な布陣を物ともせずに粘り強く最期の一兵まで戦い続け、パトリチェフと共に玉砕。

 ドーソン元帥共々、この回廊出口の戦いで民間人を守り通しての名誉の戦死を遂げるに至る。

 

 ドーソンらの犠牲の甲斐あって、暴竜の下顎の牙から辛うじて逃れた輸送船団とアッテンボロー艦隊は隣接するヴァンフリート星系に逃げ込む事に成功し、そのままハイネセンを目指して逃走を続けた。

 アッテンボローの旗艦トリグラフには、キャゼルヌ中将やムライ中将、シェーンコップ中将率いるローゼンリッター、身重のジェシカ、そして人事不省のフォーク少将らが搭乗していた。

 

 麾下のモートンとパトリチェフの活躍によって、自由惑星同盟の軍人としての最低限の責務は果たす事は出来たドーソン。

 しかし、それは極論すれば同盟という枠組みの護持には何ら益するところの無い行為であった。

 この期に及んで民間人を見捨てきれなかったドーソンの判断力と決断力の無さが、同盟にとって非常に貴重だった戦力の浪費に繋がってしまっており、結果として同盟全体を救う機会を完全に潰してしまったと言えよう。

 

 

 

 一方その頃、自由惑星同盟領の中心星域では、宇宙艦隊司令長官のビュコック元帥率いる同盟軍が迫り来る帝国軍本隊を待ち受けていた。

 場所はフェザーンとハイネセンの中間地点に位置するランテマリオ星域。

 ここを抜かれるとジャムシード星系とケリム星系を経て、最短距離で首都星のハイネセンを強襲されてしまう。

 第一艦隊を中心として組織されたその戦闘艦艇群の数は、周辺の戦力を有りったけ掻き集めての三万隻。

 司令のビュコック元帥の下には総参謀長のチュン・ウー・チェン大将、第一艦隊のパエッタ大将、新設第七艦隊のフィッシャー中将、新設第八艦隊のカールセン中将が集い、正しくこれが同盟最後の戦力となる。

 

 だが帝国軍本隊はなかなかランテマリオ星域に現れない。

 帝国軍本隊は進軍速度よりも情報の遮断を優先していたのである。

 フェザーンの同盟弁務官事務所で得た位置情報を基に、ポレヴィト星域の補給基地を隈なく掃討しながらゆっくりと進軍。

 援軍を断って情報収集に専念していたJL77基地でさえも、ミッターマイヤー上級大将の手で陥落の憂き目にあっていた。

 

 それでも陥落直前に送付された各補給基地の最後の報告を集計して分析した結果、帝国軍本隊の艦艇の数は最低でも十万隻以上と推測されていた。

 同盟軍は悲壮な覚悟で戦場に臨みつつも、長い日数ストレスを受け続ける羽目になる。

 そんな彼らの前にポレヴィト星系方面からやってきたのは、十万隻を超える敵艦艇ではなく直径四十五キロメートルの巨大な鉄塊であった。

 言わずと知れたガイエスブルク要塞である。

 フェザーン攻略の二番煎じのヴェルの仕掛けた天丼作戦となる。

 

 ホームの地の利を活かして先に帝国軍本隊を捕捉し、その進軍中の長蛇の陣の横腹を食い破っての中央突破を企図していた同盟軍は、予期せぬ要塞の出現に面食らう。

 そうこうするうちにガイエスブルク要塞からはミュラー大将率いる駐留艦隊一万六千隻が出撃。

 同盟軍の居場所を探るべく、周辺区域の索敵を開始し始める。

 

 短くも濃い激論を交わした後、帝国軍本隊の到着前に眼前の要塞とその駐留艦隊を各個撃破する作戦に出る同盟軍。

 ミュラー艦隊に向けての攻勢を開始する。

 しかし半ば狂騒を持って行われたその突撃は、ケンプ大将の指揮によって放たれたガイエスブルク要塞の超必殺技ガイエスハーケンによって見事に牽制されてしまう。

 ガイエスブルク要塞との戦闘経験が全く無かった同盟軍は、その戦闘能力を見切れていなかったのである。

 そして同盟軍に長年染み付いていたイゼルローン要塞恐怖症が、この時に悪い方向に出てしまった。

 トールハンマーに匹敵するガイエスハーケンの威力に尻込みしている間に、帝国軍本隊のランテマリオ星域への到達を許してしまう。

 

 完全に互いの位置が判明している状態での接敵。

 ガイエスブルク要塞及びミュラー艦隊と向き合って横腹を晒している同盟軍に対し、帝国軍本隊は魚鱗の陣を敷いて攻勢に出る。

 情報封鎖とガイエスブルク要塞投入の奇策により、原作でラインハルトが採用した“後の先”ではなく、“先の先”でランテマリオ星域会戦に臨んだヴェル。

 大軍に確たる用兵は必要無し、と余裕の采配であった。

 フェザーンのケッセルリンクの取り込み時に、ヤン・ウェンリーの同盟軍復帰は最早起こりえない旨の確定情報を得ていたが故の大胆な用兵となる。

 

 ケッセルリンクはかつてルビンスキーの指示で同盟領内の地球教徒と憂国騎士団を手なづけており、その先にいるトリューニヒトの側近たちからヤンに関する情報を仕入れていた。

 有り体に言えば、ヤンの所在の情報その一点をヴェルに提供出来た功績で、ケッセルリンクはフェザーン代理総督の地位を与えられていた。

 ヴェルにとっては、ヤン・ウェンリーの動向を把握する事は、同盟領全土の掌握と等価であったからである。

 余談だが、己の上に立つ同年代のヴェルへの対抗心ゆえ、ケッセルリンクはヴェルに対して「そんなに同盟の名将の行方が気になりますか」と揶揄するも、真顔で「なる」と即答されて逆に鼻白まされる一場面があり、ヤン失脚の契機となった過去の己の行動が果たして正しいものであったのか、ケッセルリンクは己の子に殺されるまで生涯悩み続けるところとなった。

 

 

 

 要塞と大軍に挟まれた不利な状況下で、かつ数と火力の差は如何ともし難く、同盟軍は次々と撃ち減らされて押し込まれていく。

 あまりに不利な状況に、ビュコックも攻勢を諦めて仕切り直しを決断せざるを得なくなる。

 ランテマリオ星域の恒星風のエネルギー流と、アムリッツァの苦い戦訓を取り入れて予め用意していたワイゲルト砲もどきを利用した布陣を敷いて、勝てないまでも負けない戦さに転じた。

 そしてイゼルローン要塞を離れたはずの旧ヤン艦隊が帝国軍別働隊へ上手く対処をしてくれる事を祈りつつも、持久戦に持ち込んで帝国軍本隊の兵糧とエネルギーが尽きるのを待ちながら、ハイネセンに講和の道を探るよう打電する。

 

 しかし、そうは問屋が卸さない。

 ヴェルは同盟軍をその陣地に押し込めたまま、自軍を再編成。

 ミッターマイヤー上級大将にアイゼナッハ大将とシュタインメッツ大将を率いさせ、ガイエスブルク要塞から補給を受けさせた後、三個艦隊四万隻をガンダルヴァ星域方面に進発させてしまう。

 

 ビュコックら同盟軍主力は、二万隻程度まですり減らされた状態で有利に戦えるはずの陣地から這い出て、ヴェル自らが率いる“暴竜の爪と宝珠”の帝国軍八万隻とガイエスブルク要塞を突破して、“暴竜の尻尾”たるミッターマイヤー艦隊四万隻を追わざるを得なくなる。

 最初から無理の有り過ぎる戦いではあったが、これで更に難易度が跳ね上がり、同盟軍は絶望的な状況に追い詰められてしまった。

 

 尚、ランテマリオ星域の主戦場から急速に離脱していくミッターマイヤー艦隊の旗艦ベイオウルフには、元同盟軍の男性士官が一名同乗していた。

 かつてアスターテ会戦に同盟軍第六艦隊の参謀として参戦し、ヴェルの策によって帝国の虜囚となったジャン・ロベール・ラップ元少佐。

 その人である。

 

 

 


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