<宇宙暦787年/帝国暦478年>
ヴェレファング・フォン・クロプシュトック十六歳。
ゴールデンバウム朝銀河帝国軍士官学校の新入生。
クロプシュトック侯爵家用の寄宿舎には、士官学校の敷地内で一番辺鄙な場所にあり、現在は使用されていない古臭く煤けた迎賓館が充てがわれる。
主流派貴族たちの圧力と、揉め事を避けたい士官学校上層部の思惑による決定である。
日々の生活は不便となるが、アンネローゼらを含めた使用人たちが他領の人間の目に触れる機会が少なくなる為、ヴェルには好都合であった。
士官学校での学業の合間に、美貌のアンネローゼとの関係性を日々深めていくヴェル。
ヴェルはアンネローゼとの幸せな日々を守るべく、ラインハルトが往くはずだった道を己が歩む事を決意。
少なくとも自由惑星同盟軍のイゼルローン攻略だけは阻止するべく、密かに行動を開始する。
イゼルローンを攻略したのは、かのミラクル・ヤンこと同盟最強の将星ヤン・ウェンリー。
彼は来年行われるはずのエル・ファシルを巡る戦いで、アーサー・リンチ少将麾下の艦隊を囮にして民間人の脱出を成功させ、名を挙げるはずであった。
この武勲を阻止する事が出来れば、後の彼の栄達も断ち切れ、ひいてはイゼルローン要塞も無事なはずである。
だが、まだ学生のヴェルには、遠く同盟領のエル・ファシルに介入する力など無い。
士官学校での戦術教練での課題で、ヤン・ウェンリーがエル・ファシルで使うであろう艦艇の群れを隕石群に誤認させる作戦をレポートで提出し、教官たちを唸らせるのが関の山であった。
<宇宙暦788年/帝国暦479年>
ヴェレファング・フォン・クロプシュトック十七歳。
ゴールデンバウム朝銀河帝国軍士官学校の学生。
クロプシュトック侯爵家の初代アルブレヒトは共和派の粛清で名を挙げ、爵位と領土を得た貴族である。
その成り立ちもあって、クロプシュトック伯爵領には共和派を収監する施設が数多く存在する。
自由惑星同盟との戦いで得た重要度の低い捕虜たちは、これらの施設に送られて更生プログラムを受ける段取りになっていた。
厳しい対処は今は昔となっており、大方の捕虜はそのままクロプシュトック侯爵領の領民として生きていく道を選択している。
銀河帝国軍のエル・ファシル占領に伴い、クロプシュトック侯爵領の捕虜収容所にも大量の捕虜たちが送られてくる。
原作と違い、一部帝国将校がヤンの隕石擬態作戦を怪しんで追跡を行っていた。
そこで民間人を乗せた艦艇の群れを発見し、エンジンに不調をきたしていた一隻の拿捕に成功した結果であった。
先年ヴェルが士官学校で提出したレポートの影響である。
そのバタフライ効果に驚きつつ、ヴェルは次期当主の責務として、祖父ウィルヘルムから転送されてきた領内へ受け入れを行う捕虜のリストに目を通す。
そして偶然そのリストの中に、フレデリカ・グリーンヒルという十四歳の少女の名前を見つけるに至る。
フレデリカは将来同盟の士官学校を次席で卒業し、ヤンの副官に、次いでその妻の座に収まる才色兼備な女子だ。
また帝国軍の調査から抜けていたが、フレデリカの父はいずれ同盟軍の大将に収まるドワイト・グリーンヒルでもある。
そのフレデリカが病気の母と共に虜囚の身となっている。
将来において同盟軍のグリーンヒル一派と交渉するときに役に立つ可能性がある為、ヴェルは彼女たちの身柄の大至急の確保を決断する。
幸いにして祖父のウィルヘルムは優秀な孫であるヴェルを猫可愛がりだ。
彼の要求は可能な限り受け入れてくれる。
ヴェルのお願いにより、早急な治療が必要な捕虜とその介護役の親族一名は、特例として収容所への入所が免除された。
そしてフレデリカの母を始めとする数組がクロプシュトック侯爵家保有の保養所に入れられ、手厚い治療が続けられる運びとなる。
クロプシュトック家当主のウィルヘルムは宮廷闘争では風を読み違えた敗残者であったが、民政家としては中々の手腕を持っている貴族である。
原作でのクロプシュトック事件では、敗れはしたものの一丸となって帝国軍に抵抗したほど、自領の民衆から慕われていた。
また四百年以上の間、労働力確保のために共和派を表向き改心させて領民として次々と受け入れて来た歴史もあり、帝国の他の貴族領に比べて自然と開明的な風土となっていた。
フレデリカらの扱いに関しても、領内においては取り立てて問題視されなかった。
虜囚の身になったフレデリカは、心細いながらも母のために気丈に振る舞っていた。
故郷や父ドワイト、そしてエル・ファシルで珈琲を差し入れた中尉さんへの思いも、ひとまず心の棚に蔵う事にする。
そして、誰かはわからない貴族の温情に縋ってでも、この異国の地でまずは病気の母の介護に専念しようと決心した。
ちなみにヤン・ウェンリーの方は、原作どおりエル・ファシルの英雄と賞賛され、二段階で昇進を果たして少佐となっている。
拿捕された民間の船一隻については、脱出行中の推進系トラブルで生じた不幸な事故として片付けられていた。
逆にそれくらいの窮地に立たされた中で、たった一隻を除いて大多数の民間人の脱出を成功に導いた有能な新米中尉として、ヤンは大いに讃えられる。
ヤン本人は忸怩たる思いを隠せず、酒量が増え、親友のジェシカ・エドワーズやジャン・ロベール・ラップに心配される。
自分はあの珈琲を差し入れしてくれた名前も知らぬ少女を助けられたのだろうか、と酔い潰れながら思うヤンであった。
未だイゼルローンが失陥する未来への道は絶たれてはいなかった。