黄金獅子はもういない   作:夜叉五郎

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原作一巻
上級大将編


<宇宙暦796年/帝国暦487年2月>

 

 ヴェレファング・フォン・クロプシュトック二十五歳。

 ゴールデンバウム朝銀河帝国軍における階級は上級大将。

 爵位は侯爵。

 

 銀河帝国の宮廷におけるヴェルに対するヘイトは止まるところを知らない。

 戦略目的も曖昧なまま、ヴェルは二万の艦艇を率いて同盟領のアスターテ星系に赴いていた。

 更に何者かがフェザーン経由で同盟に対して進軍情報をリークした為、同盟軍三個艦隊四万隻の軍勢で包囲されつつあった。

 同盟の戦訓史に燦然と輝く「ダゴンの殲滅戦」と同じ布陣である。

 

 また今回の出征に先立っての軍務省の人事により、ヴェルはシューマッハ以外のクロプシュトック派の将官たちと引き離されている。

 配下として率いる将官はメルカッツ大将、シュターデン中将、フォーゲル中将、エルラッハ少将、ファーレンハイト少将の五人。

 初めて戦陣を共にする者ばかりで、若輩ながら戦功著しいヴェルに対して反感を抱いている者らがその内の過半を占めていた。

 

 シュターデンを中心にしたその五人が、三方から攻め寄せてくる同盟艦隊に恐れをなして、揃って撤退を進言してくる。

 メルカッツとファーレンハイトは取り込むべき将星と認識しているヴェルは、彼らに対して懇切丁寧に作戦を説明する。

 当然ながら原作でもラインハルトが選択した各個撃破戦術である。

 一度でもこの戦法を見せられると不思議なもので、この各個撃破以外の方法は思い付かなくなってしまう。

 その利点を説明しながらも、これが固定観念と言うものかと自戒するヴェルであった。

 

 机上の空論と喚くシュターデンをシューマッハに宥めすかさせ、なんとかこちらの指揮に従う事を納得させる。

 彼らを引き下がらせる為には上官の権限をチラつかせ、最後には皇帝の名まで出さざるを得なかった。

 自分の指揮能力の低さをヴェルは痛感させられる。

 ひとえに各個撃破と言っても、シュターデンらが懸念するとおり、それを行うには余程の指揮能力が必要であった。

 そこら辺の難易度の高い艦隊運用は、全て便利なシューマッハに丸投げする事をヴェルは改めて決意する。

 

 ヴェルにはそれよりも、このアスターテ星域会戦で絶対に達成しないといけないミッションがあった。

 どうやって同盟のヤン・ウェンリー准将に名を成さしめないか。

 ヴェルはその方法を考える事だけに集中する。

 

 

 

 正面のパストーレ中将率いる一万二千隻の同盟軍第四艦隊に対して、急進して通信妨害を掛けつつ襲いかかるヴェル艦隊。

 防戦体制の整わない敵軍を一気に蹂躙し、旗艦のレオニダスを撃墜して組織的抵抗を排除。

 その後、掃討戦を放棄して戦場の移動を開始する。

 もちろんその間タンクベッドで将兵に休息を取らせる指示を出しておくのも、ヴェルは忘れなかった。

 シューマッハはキルヒアイスではないので、そこら辺の気配りは自分の役目と心得ているヴェルであった。

 役割が逆である。

 

 同盟軍第四艦隊を鎧袖一触で片付けたヴェル艦隊は勢いに乗り、次いでムーア中将率いる同盟軍第六艦隊一万三千隻の右側背に奇襲を敢行する。

 指揮官のムーア中将が呑気にディナー中だった為にまともに指揮出来ず、甚大な被害を受けてしまう同盟第六艦隊。

 ラップ少佐の進言も受け入れず、ムーア中将がその場で反転攻勢を選択してしまって大勢が決する。

 

 ヴェルにはこのタイミングで試してみたい事があった。

 勝敗が決した後に通信妨害を一時解除する。

 被弾しつつもまだ抵抗を続ける第六艦隊のペルガモンに対して、ヴェルは原作と同様に降伏勧告を行う。

 無視して光学目視で砲撃を続けるペルガモンを確認した後、徹甲戦弾での砲撃ではなく指定の電文を送信するよう通信兵に指示を出す。

 その電文の内容に通信兵は激しく戸惑うも、ヴェルは重ねて送信を命じる。

 それはムーア中将に向けてではなく、ペルガモンの艦橋にいる士官たちに対してのメッセージであった。

 

「卿らの指揮官は捕虜になる事を恐れる惰弱者である。また死手の旅路を一人行くのも寂しくて選べず、卿らを無理やり供させようとする卑怯者である。故にこの場で指揮官を討って降伏すれば、卿ら旗艦の乗組員全員への寛大な処置を約束する」

 

 まさに悪魔のような甘言である。

 無能であっても卑怯者にはなりたくないムーアに対し、それこそ卑怯と嘲弄して激昂させる事で、周囲との不和が生じやすい状況が作られる。

 

 暫くしてペルガモンから返信が入る。

 寛大な処置をお願いする、との降伏の宣言がオールレンジ通信で戦場に流れた。

 通信の送り元の同盟士官は、ジャン・ロベール・ラップ少佐と名乗った。

 

 望み通りの結果を得て満足したヴェルは、第六艦隊の旗艦ペルガモンの武装を解除して曳航するよう指示を出す。

 開戦前と異なり、悠長な事をしていないで残る第二艦隊を討つべしと訴えてくるフォーゲル中将ら。

 しかしヴェルはそれに応じず、撤退を宣言する。

 

 我が帝国軍は寡兵にも関わらず二個艦隊を打ち破っており、戦果は充分である事。

 艦隊には被害はほぼ無かったが、二連戦で末端の将兵は確実に消耗している事。

 第二艦隊の数は一万五千隻であり、これまでとは異なり数の優位がそれほど無い事。

 また第四・第六のように油断した状態での第二艦隊への先制攻撃は難しい事。

 

 色々と理由を重ねてフォーゲルらを黙らせるヴェル。

 要するにヴェルはヤン・ウェンリーとの戦いを避ける選択を取ったのである。

 第二艦隊と戦わなければヤンが昇進する事も無く、近々に第十三艦隊は組織されないという読みであった。

 

 

 

 悠々とアスターテ星域から撤退を開始する帝国軍ヴェル艦隊の二万隻。

 残る同盟の一万五千隻の第二艦隊は、それをただ指を咥えて見送るしか無いはずであった。

 逆に言うとここで帝国軍の帰還をただ見送ったとしても、多大な犠牲を払いつつも帝国軍をアスターテ星系から追い払った、という同盟なりの大義名分が立つはずであった。

 

 誰もがこれで幕引きかと思っていた。

 だがそれを第二艦隊の主将であるパエッタ中将がひっくり返してしまう。

 このままおめおめと勝ち逃げを許すものか!と、ヤンたち幕僚の制止を振り切って追撃の命令を発し、帝国軍の後背を襲おうとする。

 

 パエッタの無能ぶりに頭が痛くなるヴェル。

 数瞬の間を置いて、そこまで決着を付けたいのであれば仕方ないと、ヴェルは気持ちを切り替えた。

 要はパエッタを負傷させず、彼に最後まで第二艦隊を采配させれば良いのである。

 

 ヴェルは予め各艦艇のデータベースに入力しておいた反転包囲の陣形への移行を命じる。

 同盟の第二艦隊が攻勢に入ろうとした頃には、帝国軍は万全の迎撃準備を整えていた。

 ヴェルは味方の数の利を生かし、第二艦隊を半包囲してじわじわ外側から敵の兵力を削り取る作戦に出る。

 これなら敵の旗艦パトロクロスを討つのは一番最後になるはず。

 

 しかしヴェルの思惑は外れ、最初の一合で運命が決する。

 第二艦隊の旗艦パトロクロスが被弾してパエッタ中将が負傷。

 パエッタは味方の士気を上げて敗勢を覆すべく、自ら最前線に出てきていたのである。

 

 

 

 ヤン・ウェンリー准将が指揮を取る旨がオールレンジ通信で戦場に流される。

 最後に勝てば良いというヤンの不敵な発言にメルカッツやファーレンハイト、シューマッハらは感心する。

 

 だが、ヴェルはそれどころではなかった。

 戦慄がヴェルの体を包んでいた。

 一手でも間違えると、こちらが死ぬ。

 

 この瞬間、ヴェルは潔く全てを諦めた。

 同盟の第十三艦隊の設立も、イゼルローンの失陥も、同盟の帝国領侵攻作戦も。

 ヤンの声が聞こえた時点でそれらは全て既定路線となってしまった事を悟り、覚悟を決める。

 必ずこの戦場から生きて帰って、アンネローゼや小ラインハルトの顔を見る。

 そう決めた。

 

 全軍に紡錘陣形を取る事を通達するヴェル。

 敵中央の一点突破を麾下の将兵に命じ、艦隊運用を開始するようシューマッハに指示を出す。

 

 その帝国軍の楔を打ち込む勢いに圧迫され、瓦解していくように見える同盟第二艦隊。

 その実そのままの勢いで帝国軍の周囲を猛進し、帝国軍の後背に出て再集結し、後ろから襲いかかってくる。

 

 驚愕する帝国軍将官たちの中で、ヴェルはやはりこうなったかと一人安堵の吐息を漏らしていた。

 指示を求める配下の将官たちに、こちらも同盟の後背に着くよう艦隊運動を指示を出す。

 反駁したエルラッハ少将が、同盟の第六艦隊のムーア中将と同じ様にその場で麾下の艦艇を反転させようとする。

 そのまま同盟の艦艇の攻勢に晒されて散っていったが、ヴェルにとっては些細な事であった。

 

 座標は違えど原作通りにウロボロスの輪状態となり、単なる消耗戦に移行する戦場。

 頃合いを見て帝国と同盟軍が互いに軍を引いていった。

 

 

 

 ヤンに対してその勇戦を讃える通信を入れる余裕など、ヴェルには全く無かった。

 あるのは安堵だけである。

 

 あまりにも晴れやかな顔になっていた為、完勝出来なかった事は悔しくないのですかとシューマッハに尋ねられてしまう。

 悔しくないとヴェルは即答する。

 

 実際十分すぎる戦果であった。

 アスターテ星域を巡る会戦において二勝一分。

 更に第六艦隊の旗艦ペルガモンの拿捕のおまけ付きである。

 

 この功により、ヴェルは元帥に昇進し、元帥杖を手にして元帥府を開設する権利を得た。

 また宇宙艦隊副司令長官として、銀河帝国の軍権の半分をその手中に収める事となった。

 

 生き残ったメルカッツらも階級が一つ上がり、シューマッハも中将に昇進する。

 メルカッツとファーレンハイトはヴェルの力量を認め、シュターデンとフォーゲルの両将は反駁を強める。

 そんな中でヴェルの副官を務めるシューマッハは、望んでもいないクロプシュトック派のナンバー2の地位に何故か追いやられつつある己の境遇に、どこで道を間違えたのかと困惑するばかりであった。

 

 

 

 

 

<宇宙暦796年/帝国暦487年3月>

 

 同盟領でアスターテでの戦没者式典が行われる。

 婚約者のジャンの名前が戦死者のリストに掲載されていなかった為、原作と異なりジェシカは式典には参列していない。

 当然ジェシカがヨブ・トリューニヒトを弾劾する事も無かった。

 

 ジェシカが式典に出れなかった理由。

 それは幸運にも生き残って拿捕もされなかった第六艦隊の兵士が、ムーア中将殺害の犯人がラップ少佐であるとを証言した為であった。

 ジャン・ロベール・ラップ少佐の婚約者のジェシカの立場は、これで非常に危うくなってしまっていた。

 もし彼女が式典に参加していたならば、第六艦隊勤務の将兵の遺族たちによって袋叩きにされていたであろう。

 幸いな事にそのような事態に陥る前に、ヤンがそれとなくジェシカを説得して、式典への参加を諦めさせていた。

 

 実際のところムーアは他の部下に撃たれており、ジャンは瀕死のムーアを介錯したに過ぎない。

 しかし、それを証言できる者は皆、帝国の捕虜となってしまっていた。

 

 ヤンはジェシカの身を案じつつも、シトレ元帥の呼び出しを受けて統合作戦本部に赴いた。

 そこでヤンはアスターテ星域会戦での功績により少将に昇進を果たす。

 そして新設される第十三艦隊を率いての第七次イゼルローン要塞攻略の命令を受領する。

 

 ヴェルがアスターテで覚悟を決めた通り、イゼルローン要塞の失陥は避けられない情勢になりつつあった。

 

 


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