身体よりも心に胃もたれを抱えた状態で寮部屋に戻ると、
ルームメイトの
寝言に対する整合性は置いといて、なんとも幸せなそうな夢を見ているわけだから、風邪を引いて目覚めの悪くなるようなことはしたくない。とは言っても、明梨の寝込みの良さと寝起きの悪さは実証済みなので、とりあえずは恥を知るべき姿をどうにかする必要があった。
(なんだかんだ言ったけど、やっぱり何か着せたほうがいいよねー……)
いいよね、と決意したわりに実行に移すにはそれなりの時間を有した。ルームメイトのクローゼットを見た瞬間、良識的な後ろめたさが尊を支配したからである。やむを得なしとは言え、自分は今から他人の私物をまさぐろうとしているのだ。
心の中でルームメイトに両手を合わせてから、尊はクローゼットの中をまさぐり、下着とパジャマを引っ張り出す。他人に服を着せるシチュエーションなどそうそうないから、かなり手間取るであろうことは予測できたが、飾り気のないショーツを広げて彼女の片足にくぐらせようとしたとき、思いもよらない方面で尊は蹴つまずきそうになった。
「うぅぅうん……っ」
間延びした声が明梨の口から漏れる。まるで夢の中で目を覚ましたような声音だが、その絶妙な艶っぽさに尊は経験したことのない熱を心臓に感じていた。
(あうぅ……なんかマズイことしてるような……)
善意の免罪符をもってしても、この厄介な感情をはらうことはかなわなかった。偶然の産物とはいえ、今の自分は産まれたままの姿であるルームメイトを好き勝手にできる立場にあったのだ。むろん、尊にはいかがわしいことをする意思はなかったが(そもそもそういうものが正直よくわかっていない)、片膝を持ち上げてショーツを通しながらつい明梨の裸体に目をやってしまうと、そのことに後悔しつつも、もう一度見たくなってしまうのであった。
なんとかショーツを穿かせた間にいくつもの『もう一度』を積み重ねてしまった尊は、ついに耐えきれず眠れるルームメイトの姿をまじまじと見下ろした。
庇護欲をかき立たせるような寝顔をしている明梨。ようやくショーツ一枚を穿かせられた肢体は運動部に所属しているものとしてはほっそりとしているが、少女らしい色香は確かにあり、すべすべとしたおへそ周りやほのかな胸部のふくらみも健康さを匂わせている。きめ細やかな肌は室内照明を受けてつるりと照り返しており、身体を拭いたあととも寝汗ともとれそうだが、まさか舐めて確認するわけにもいかない。
そして、生乾きの体躯から放たれる匂いはボディーソープとも異なる独特の芳しさをまとっていて、尊は自分と本当に同じ少女なのだろうかと疑ってしまったものだ。
「……わわわ、やばやばっ!」
思わず声が出てしまった。気づけば頭は熱く震蕩
しんとう
しており、ねめつけるような視線を明梨の肌色に余すところなく注いでいたのであった。これだけ注視されても一切目を覚ます素振りをみせないのはさすがだが、尊のほうは何とも疲れ切った気分になり、ブラジャーを付けてやる気力も湧いてこなかった。
パジャマを着せるのは、下の部分に関してはショーツと同じ要領で、しかもぶかぶかであったから楽であったが、上に関しては明梨の身体を起こさなければならなかったので難儀した。さすがに起きるんじゃないかとひやひやしながら腕に袖を通し、背後に回り、二人羽織の要領でボタンを留める。運動部で鍛えているとはいえ、なかなかの重労働であった。
最後に毛布をかけて、これでやるだけのことはやった。健やかな目覚めを迎えるかは彼女の持ち前の抗体に期待するしかなかったが、結論から言えば、その期待はものの見事に裏切られた。
翌朝、ぼやけた意識が可愛らしいくしゃみの音に揺れて、尊は上体を起こした。隣のベッドを見ると、寝間着を着せたくしゃみの主が自分の身体を抱きなから打ち震えているところであった。
「ううー……喉がやけるー身体がひえるー頭がぐらぐらするー意識がもーろーとするー」
「見事に風邪じゃん。わたしがパジャマを着せなかったら命がなかったんじゃないの。ちゃんと感謝してよね」
尊の軽口に、明梨は気軽に反応ができないようであった。肩で息をしながら一番上のボタンを外して何とも言えない表情で自分の胸を見る。
「着せたって言ってもノーブラなんだけど私」
「ぜいたく言わない。文句言うなら今度寝てるわたしにブラ付けてみなさいよ。すっごく大変なんだから」
「……いろいろ現実を思い知らされそうだから遠慮する。それより頭が岩になったように重くって。今なら地面割れるかなー……」
どうやら目を開けていてもルームメイトは夢心地のようである。寝言めいたぼやきはともかく彼女の体調を取り戻すのは大事な課題だ。
ベッドから降りて、尊は言った。
「食堂の人に風邪にいいものを用意してもらうよう頼んでくる。あとは医務室で体温計と冷えぴったんね。汗出てる? 出てるんなら身体拭いたげるけど」
「いい。尊っちの摩擦っぷりは痛くなるから自分でやる」
「はいはい逞しいことで」
摩擦めいたやり取りになったが、明梨相手だとなぜか心地よい気分になる。いってくるねとドアに向かおうとしたとき、明梨が背後に真面目な声を投げかけた。
「尊っち」
「どしたの?」
「……寝ている間に私に何かした?」
やましいことはないはずなのに心を針で突かれた気分だった。
声のうわずりを抑えながら尊は答える。
「何もしてない。風邪引き明梨に服を着せただけ」
「…………そう」
よくわからない声音である。安堵したのか呆れたのか、いいのか悪いのかすらわからない。問いただそうと尊が振り返ったときには彼女は仰向けに寝崩れ、可愛らしい寝息を再発させていた。タヌキ寝入りの可能性もあったが、いちいち疑って友人を傷つけるような真似はしたくない。
したくはなかったが。
「……ずるいや」
思わず小声でこぼしてしまう。一方的にもやもやを押し付けて、回答を煙に隠してしまう。身体のほうは無防備のくせして内面はなかなか守りが堅いらしい。
寮部屋から出ている間も、尊の頭にはシーツの上で仰向けに浮かぶ明梨の裸体がちらついていた。熱の発生源もわからずがむしゃらに煙を払おうとするさまだ。追い払うごとに煙は濃くなり彼女の体躯を鮮明に色づかせてしまう。
(うう……本当にどうすればいいの〜!)
尊が話したことで、明梨が熱で学校を休むことは知れ渡ったが、その中で原因不明なピンク色の熱病と闘っている少女がいる事実に気づくものは誰一人いなかったのである。