星は明るく花は尊し   作:楠富 つかさ

5 / 9
#5

「はいはい、ちょっとお邪魔するよー」

 

「わっ、な、なんだ……もう、ちゃんとノックくらいしてよね、文姉ぇ」

 

 私が宿題をしようと自室の机に座った途端、勢いよく開いた扉から見知った顔が入って来た。いつもの事ながら何かを企んでいそうなにやり顔。血の繋がった実姉とはいえ、ルームメイトとシェアしているこの部屋にノックもなしとは……それなりに重大か、あるいは早急の用事なのかと身構えた。

 

 幸いにもまだルームメイトの尊は下校していない。もしも私が逆の立場だったら他人同然の人がノックもなしに入ってきたら、と想像すると尊に申し訳なさしか生まれない。

 

 ちらりと時計に目をやれば時刻はまだ四時を過ぎたところ。今日は部活だったんじゃ? と思い姉を見上げれば、なんとも満足げにふむふむと部屋中を見渡していた。

 

「文姉、今日部活だったんじゃないの? さっき帰る途中でジャージ姿の雪乃先輩とすれ違ったけど……」

 

「雪乃? あー、そうそう。部屋がやけに綺麗だったから要件を忘れるとこだった。明梨、もっかい制服着直して学校行くぞ」

 

「え? え?」

 

 やっと口を開いたかと思えば壁に掛けておいた制服をハンガーごとバサッと投げてよこす文姉。理由も分からず訳も分からず、しぶしぶとブレザーに腕を通せばそのままむんずと掴まれて「ほれほれ、急げって」と半ば引きずられるように部屋を後にした。

 

「痛いよ、文姉ぇ。私、まだ何も答えてもらってないんだけど……」

 

「おっと、すまんすまん。まぁついて来いって。姉ちゃんが理由もなく悪いところに連れて行った事があったか?」

 

「それは……」

 

 ない事もない……。そう言いたかったけど、今それを言ったらそれこそ悪い方向に進んでしまうんじゃないかという嫌な予感がしたので飲み込んだ。

 

 文姉は昔からこうだ。口も早いが手も早い……じゃなくて行動が早い。情報収集が上手いだけに、それに匹敵する行動力も備わっている。もちろん、良い方にも悪い方にも。

 

 だけど、私が憧れるその行動力には欠点だってたくさんある。知りたくないものも聞きたくないものも見えてしまう。見てしまったものを消化するか口外するか、情報収集係りは楽じゃないから。いっそ心を鬼にしてスキャンダル専門誌の張り込みを仕事にでもしたら割り切れるのかもしれないけど。

 

「いいか、明梨。これから目にする事は誰にも言っちゃダメだぞ。姉妹の契りだ、いいな?」

 

「し、姉妹の契りってなんか意味が違うように聞こえるけど……」

 

「誓うのか誓わないのかハッキリ言え。姉ちゃんは明梨を信用してここまで連れてきたんだ。その意味が分かるだろ?」

 

 そんな事言われても……本当に今日は強引すぎる。私だって文姉を信用してない訳じゃないけど、それを知る事によって生じるメリット・デメリットが全く読めないのだからおいそれと頷けない。

 

 つべこべやり取りをしているうちに校門に差し掛かった。下校途中の生徒に逆流する私たちを見てみんなが首を傾げている。取り分け鼻息を荒くしながら私を引きずる文姉は何事やらと注目を浴びていた。

 

 校舎の向こうに傾いている夕日が眩しくて、だけど綺麗で目を細めて見上げた。いつも背を向けて歩いていたから、こんなにオレンジ色なのだと気付かなかった。その夕日に照らされて文姉の髪がキラキラと黄金色に輝いている。後ろからとことことついて行く私の目には、その眩しい光景だけが映っていた。

 

「あれぇ? おっかしいなぁ……」

 

 文姉が足を止めたのは校舎の裏側にある焼却炉。あれだけの下校中生徒も、さすがにこんな人気

ひとけ

のない場所には誰一人としていない。知られてはいけない秘密の話なら、さっき私の部屋で言えばよかったのに……という疑問を抱きながら辺りを見渡した。

 

「キョロキョロすんなって。そのうち分かるから……」

 

「でも、文姉……あっ」

 

 見渡した文姉越しに、小さな影が一つ蠢いていた。思わず大きな声を出してしまい、しゃがみ込んだ文姉に人差し指を立てられた。

 

「しーっ。……あーぁ、隠れちゃったよ……。まぁいいさ。また顔出すだろ。ほれ、お前もあげるか?」

 

 ポイッと投げられたそれをキャッチする。バレー部で鍛えた文姉のコントロールが優れているのか、はたまた弓道部で鍛えた私の動体視力が優れているのか。

 

 手の内に収まったそれは、一瞬鼻を刺激する匂いがした。でもそれがなんだかすぐに分かった。

 

「にぼし……? じゃあさっきの黒い影って……」

 

「しーっ、だからお前は声デカいっつってんだろ。この前はこっちの茂みにいたんだけど……」

 

 文姉が覗き込んでいたのはツツジの垣根。時より細かい枝に頭を突かれては「いてて」と言いながら髪を整えている。その背中を見て思い出した。

 

 文姉と私は小さな農家の大きな家で育った。長女で面倒見のよかった文姉は小さいお母さんのようにいつも忙しなく走り回っていた。それでいて慌ただしい毎日に不満一つこぼさず、だけど堂々と仕事をこなしていく頼もしい姉だった。

 

 文姉がこの星花女子学園の寮に入ってからは、次女である私が文姉の代わりとなって後を継いだ。でもずっと文姉におんぶに抱っこだった私が後任になれる訳がなく、弱音を吐いては文姉を尊敬し、同時にここにいてくれないというもどかしさから恨む事さえもあった。

 

「いたぞ。静かにこっち来い」

 

「う、うん……」

 

 文姉は茂みの奥で蠢く黒い影に向かってにぼしをふりふりし始めた。真剣な事にも楽しさを隠せないという横顔は小さい頃から何も変わらない。「ほれ、こっちだ。ほれほれ」と嬉しそうに覗き込んでいる。

 

「文姉、人間に慣れてないんじゃ出て来ないよ……。そんなに食べさせたいなら置いてってあげよ?」

 

「バカだなぁ、明梨は……。エサってのは手からあげる事に意味があるんだぞ。それは猫も人間も同じさ」

 

「人間も……?」

 

 私と会話しているはずなのに、文姉の視線は茂みから一時も離れていない。ううん、視線だけではなく、心すらも離れていない。まるで私ではなく、その奥の自分自身に言い聞かせているような……。

 

「ふ、文姉っ、あっちあっち。左の方でカサッて言った……」

 

 私が耳元で囁くと、「よぉーっし、でかしたぞ」とにんまり笑ってそちらへにじり寄って行った。私も抜き足差し足でついて行く。その先では、茶トラの猫が「ンナー」と鳴いてこちらを覗いていた。

 

「いい子だ。ほれ、今日はにぼし持って来てやったぞ?」

 

 今日は? という事は以前にも来ていたのだろうか。距離を保ちつつ辺りを警戒しながら少しずつにじり寄ってくる茶トラ猫。文姉も警戒を解く為か、ふりふりしていたにぼしを地面すれすれまで下げ、じっと忍耐強く反応を窺っている。

 

 どこかで見た事がある。ハッキリとは思い出せないけど、小さい頃にも同じようなシチュエーションがあったはず。あの時は確か……確か猫は結果的に逃げてしまったんだった。背中におんぶしていた妹が泣き出して、驚いた猫は二度と姿を現さなかった。

 

「なんだ……お前もか……。まぁいいさ、ほいっ、ここ置いとくから好きな時に食べな」

 

 そんな事を重ねているうちに、猫との忍耐合戦を諦めた文姉が立ち上がった。投げたにぼしは、ビクッと数歩後ずさった猫の前にぽてりと落ちていった。茶トラ猫は一旦にぼしの匂いを嗅ぎ、それからちらりとこちらを見ながら垣根の奥へと咥えて行った。『いいの?』そう言っているようにも見えた。

 

 満足げにパンパンと手をはらう文姉の横顔を眺めて思う。『お前も』とは誰の事なのだろう、と。でも、聞いていいのかは分からない。先程より傾いた夕日は、相変わらず私の小さいお母さんを綺麗な黄金色に照らしていた。

 

「誰にも言うなよ、明梨」

 

「え、う、うん……。でも、どうして……?」

 

「どうしてって……あいつの特別になりたかったからさ。誰か他の奴があいつを手名付けちまったら、あいつももうあたしからはエサを食べなくなるだろ。……エゴ、だがな……」

 

 楽しそうだと思ったのに……。文姉に面倒を見てもらえて幸せになれたかもしれなかったのに……。与える側と受ける側、どちらかが傾いてしまっていては成り立たない事もあるのだと、そんな当たり前の事を私は改めて思い知った。

 

 綺麗だと思っていたオレンジ色が切なくて、そっと文姉から顔を逸らした。

 

「なぁ、明梨」

 

「……何?」

 

「お前、大切な人がいんだろ?」

 

「え、え? え? い、いない……よ……?」

 

 あわあわとどもる私を見て、文姉がまたにやりと笑う。こ、この情報通の姉に知られていない訳がないと思っていたけど……。

 

 恥ずかしくて言えない……。

 

「ふん、まぁいいや。あたしはさ、いたんだな、これが」

 

「えっ? ふ、文姉にもっ?」

 

「も?」

 

「え、う、ううん、何でもない……」

 

 口を開けば開く程、墓穴を掘り進んでいく私。見透かされてるとは思ってもやっぱり本当の事は言えない……。

 

「その大切な人にも言えない事があったら、いつでも姉ちゃんとこ来いよな。切なさの乗り越え方くらいは教えてやるから」

 

「……文姉?」

 

「……さっ、帰って宿題しておけ。あたしはこれから部活に行くから」

 

「え、これから? もうそろそろ終わっちゃうんじゃ……」

 

「じゃーなー」

 

 きょとんとする私を一人残し、文姉はダンダンというボールの音のする方へ駆けて行った。最初から最後まで振り回されちゃった……。だけど悪い気はしない。

 

 きっと文姉は、『大切な人の特別になりたいのなら、自分から手を差し伸べろ』って伝えたかったんだ。ガサツで面倒見のいい文姉らしい、遠回しなお節介……。

 

「じゃあ……帰りますかね……」

 

 大切なルームメイトの待つ、私たちのあの部屋へと……。




黒鹿月木綿稀様作 『From your roommates』より、姉妹関係をクローズアップしてみました。
姉に諭された明梨がどうなっていくのかお楽しみに!

次はらんしぇ様です。
きっとかわいい百合世界が待っていますよ♪
こうご期待!


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。