「………………………………んっ、かは、あっ………………」
………………あれ、私寝ちゃってた? 目を開けると、カーテンの切れ間からうっすらと白んだ空が覗いていて。………………えーっと、確か昨日は………………
「なんで私が呼び出されるのよ………………」
「まぁまぁ、いいじゃないの雪乃。」
「………………すいません………………こんなことで、いきなりお呼びして………………」
薬が回り始めたのか、ぼうっとして定まらない視線で2人の先輩を眺める。
「いいっていいって、ボクもけっこう苦しむほうだから気持ちはわかるし。………………それに、文化に任せたらもっと苦しませそうだしね。」
「………………いや、文姉に任せたくないのは………………」
「気恥ずかしいから?」
「………………そう、ですね。あとは、これ以上心配かけたくないから、というか………………」
「ふぅん………………姉妹って、そんな感じなんだ。」
墨森先輩が感心している脇で、白峰先輩は、
「望乃夏、なにボサッとしてんのよ。早くタオルとか片してあげなさい。」
「はーい………………」
と、墨森先輩が床に散らばったままのゴミやら何やらを片付けてくれる。もっとも、全部ゴミ箱に押し込むだけだけど。
「望乃夏は雑ねぇ。………………ところで、トイレとかは大丈夫?」
「………………あ、それぐらいなら、なんとか………………自分で、動けそうです………………」
だいぶ薬が効いてきたな………………ちょっとでも気を抜いたら、そのまま意識を手放しちゃいそう………………
「眠そうだね。………………無理せずに寝ちゃいなよ。不調を治すには寝るのが一番。」
墨森先輩がそっと話しかけてくる。その横で白峰先輩が、
「望乃夏は年中寝てるのに不調じゃないの。………………寝る前に、お水飲む?」
「あ、もらいます………………」
よっ、と自分で身体を起こそうとすると、すかさず白峰先輩の腕が背中に回されて、いっ、イテテテテ!?
「もう雪乃っ、そんなにいきなりやったら痛いでしょ? ほら、こうするの。」
すかさず墨森先輩が代わってくれて、なんとか身体を起こせた。
「もー、雪乃のヘタッピぃ」
「う、うるさいわねっ………………慣れてないのよ、こういうこと………………」
「うへぇ………………ボクは体調悪くならないように気をつけよっと………………でないと雪乃に………………」
「ど、どういう意味よそれっ!?」
そんな痴話喧嘩をよそに、私はペットボトルの水をこくり、こくりと飲み干して、またぽてっと横になる。
「………………あら、ごめんなさい。………………どうする? まだ、して欲しいことある?」
「あー………………とりあえず、尊っちの帰りを、このまま待ってます………………もうそろそろ、帰ってくると思うんで………………」
「そう………………なら私達は戻るわね。おやすみ。」
「おや、すみ………………」
そう言うのが精一杯で、扉が閉まるのとどっちが先だったか………………とにかく、私は夢の中に引きずり込まれた。
………………これが、覚えてる限りの昨日の記憶。白峰先輩達に「ありがとう」すら言えないままに寝落ちしちゃったし、後で文姉経由でお礼言っとかなきゃ………………
お腹に力を入れて、身体を起こしてみる。………………うん、昨日よりはずっと軽い。峠は、越したのかな?
「………………今日は学校行けるかな。」
一人でそう呟くと、とりあえず制服に着替えようとすると、足がなんだか重くて………………ん?
「………………みこ、とっち?」
身体をそっと起こすと、私の足元で尊っちがベッドに倒れ込んでて、私の足に尊っちの頭が乗っかっていた。
「………………みことっち、みことっち………………」
そっと足を引き抜いてゆさゆさと揺すってみるけど、尊っちはむにゃむにゃと夢心地。そういえば、と枕元の目覚まし時計を覗き込むと、針はまだ5時を指していた。
「………………まだ早いか。」
もう一眠りしようかな、と横になりかけて、ベッドにもたれ掛かりっぱなしの尊っちが気にかかる。………………尊っち、昨日も私のこと心配して看病してくれたし、私が寝た後に帰ってきた後も、私のことを看病しようとして、力尽きちゃったんだと思う。
「………………冷たい。」
尊っちの手を取ると、ひんやりとして芯まで冷えきってて。………………こんなんじゃ、風邪ひいちゃうよ………………
私の掛け布団を、そっと尊っちの肩から被せてあげる。………………はぁ、私ったら、尊っちのベッドまで奪って、その上こんな所で寝かせて………………ほんとに、悪い子だ………………
「………………寒い。」
ぶるりと震えると、まずは部屋のエアコンを入れて、とりあえずトイレに立つ。………………でも、その後は? 私もまだちょっと眠いし、帰ってきたらお布団もぐりたい。でも、本来の私の布団は寝れる状態じゃないし………………尊っちからお布団を強奪なんてできないし、どうしよう………………
とりあえずトイレを済ますと、急いでお部屋に帰る。ほんのりと温んだ空気の中、尊っちにかけたお布団が微かに上下するのだけが、私の目に入る。
(………………尊っち、起きてないかな………………)
こっそりと覗き込んでみるけれど、寝息が聞こえてくるだけ。悪いとは思いつつ、ゆさゆさと揺さぶってみる。
「みことっち、みことっち………………」
「うぅん………………あと2周………………」
………………尊っち、夢の中でも走ってるんだ………………ふぅん、なら………………
「よーし、ラストスパート、今ゴールっ」
「んっ、やっ、た………………?」
尊っちがバンザイするように手を微かに動かしたかと思えば、重そうなまぶたをぱっちりと開いて、
「………………あれ、ゴールテープは?」
きょとんとしてお部屋の中をキョロキョロする。
「おはよ、みことっち。」
「あ、明梨ちゃんおはよ………………って、明梨ちゃんっ!?」
「おわっ………………み、耳元でいきなり怒鳴らないでよっ。それにまだ、朝の5時だし………………近所迷惑。」
「ご、ごめん………………」
一瞬しょんぼりする尊っち。だけどすぐに立ち直って、
「………………………………そ、そんなことより、明梨ちゃん………………もう大丈夫なの?」
「ん。まだ身体は重たい感じするけど、昨日に比べたらぜんぜん元気。」
調子にのって両腕をぐるぐる。あっ、今なんか変な音が………………
「そっか………………よかった。」
尊っちの顔がほころんで一瞬ドキッとする。
(み、尊っちってこんな顔できるんだ………………)
ほんのりとぶり返してきた熱を感じつつ、ひとまず尊っちにありがとうを伝えようと一歩踏み出すと、
「………………へっくちっ」
尊っちのくしゃみが一つ。
「うう、寒いよぉっ………………」
「もう、そんなとこで寝てるからだよ。」
「あ、明梨ちゃんっ………………誰のせいだと思ってるの!?」
「ほらほら静かにっ!? ………………んまぁ、それに関しては私が悪いよね。だから、さ。」
尊っちから掛け布団を強奪して、寝っ転がって自分でひっ被る。
「あっ、明梨ちゃんっ!? 」
ぶるぶると震える尊っちに、意を決して話しかける。
「………………尊っち、こっち来なよ。一緒に、あったまろ?」
「………………ふぇっ!?」
目を大きく見開いて後ずさる尊っち。
「………………さっきまで私が寝てたからあったかいよ? それに………………ここ、尊っちのお布団だし。」
「そ、それはそうだけどっ!? ………………お、お布団なら明梨ちゃんの方があるから、そっち使うよっ」
「だーめ。昨日濡らしちゃったじゃん。そっちは一回洗濯しないとダメだよ。………………………………それとも、私と一緒はヤダ?」
「そ、そうじゃないけど………………うー………………」
尊っちがあわあわしてるのを、お布団の中から眺める。よし、もう一押し。
「………………みことっち、一緒に寝よ?」
空いたスペースをぽんぽんと手で叩くと、さんざん迷った末に尊っちはベッドの方に歩いてくる。
「お、おじゃまします………………」
恐る恐る布団に身体を差し込み始めた尊っちに思わず笑っちゃって、
「な、なにがおかしいのっ!?」
「いや、たかがお布団入るのに『おじゃまします』って………………」
「わ、悪いっ!?」
「………………いや、尊っちらしいなぁって。」
「………………むぅ………………あ、もうちょっと奥につめて?」
「はいはい。」
よっ、と動くと、尊っちは私の方に背中を向けて寝転がる。
「尊っち、こっち向いてよ。」
「や、やだっ!!」
「………………えー………………」
私は尊っちの方を向いてころんと寝っ転がる。そしてそのまままぶたを閉じて二度寝モードに入る。
………………寝れなかった。
(………………うぅぅぅ)
ごろんと寝返りを打って尊っちに背中を向ける。それでも背中越しに尊っちの呼吸が伝わってきて、頭の中が沸騰していく。
(………………い、一緒に寝ようって言ったのはいいけど………………尊っちが近すぎて、落ち着かないんだけどっ!?)
尊っちの方を向いて寝ると、どうしても尊っちのうなじが目に入って………………昨日はゆっくりお風呂出来なかったのかな、汗の匂いも鼻の奥をくすぐってくる。少し手を伸ばせば、尊っちのどこにだって触れられる。そんな距離感に戸惑って、さっきからずっと心臓のリズムが跳ねっぱなし。
(………………い、一緒に寝るのなんて、文姉や風(ふう)で慣れてるのに………………な、なんで尊っちのことは、こんなに気になるんだろ………………)
また回らなくなってきた頭で考える。………………私の身体の全部を見られたから? ………………いや、文姉や風と一緒にお風呂なんて何回もあるし………………けど他の人に見られるのは………………うん、修学旅行で何回かあったし………………あとは、身の回りのことをやってもらったから?
………………分からない。これが『スキ』なんだってことははっきり分かるのに、その後何をしたらいいのかが………………『仲睦まじくなる方法』だったら、文姉がどこからか集めてきた情報を、これでもかと聞かされたから一応は分かるし、私自身もそういうのスキだけど………………ただ、尊っちと『そういうコト』したいかって言われたら………………答えはノー一択。だって、尊っちはそういうの苦手そうだし………………第一に、尊っちの『スキ』と私の『スキ』が同じかなんて、尊っちに聞いてみなきゃ分かんない。
(………………この先、尊っちに面と向かって『スキ』って言う自信が無いよ………………)
二人分の温もりを包み込んだ掛け布団をぎゅっと握りしめた。
「........................っふぅ................」
張り詰めていた「気」を緩めると、今まで隠れていた疲れと汗がどっと出てくる。
................ふぅ、今日の練習終わり。弓を袋へと収めてロッカーに押し込むと、汗だらけのシャツと道着を脱いで制服に着替える。………………やっぱり数日休んでると、どうしても力の使い方とか忘れちゃうなぁ………………
「お疲れ様でーす、お先失礼します。」
すれ違う先輩達に挨拶して弓道場から出ると、寮への道をゆっくりと歩いていく。今日の夜ご飯はなんだろなぁ、なんて考える余裕があるぐらいには私も回復してて。………………ほんとに、尊っちには感謝しないとね。
「………………ん?」
後ろから一団が走って来るのが見えて、慌てて道を開ける。陸上部かな? だったら、尊っちがいるかなぁ………………とかのんびり考えていると、その集団の中にもはや見慣れたを通り越して見飽きたニヤケ顔を見つけて................うん、逃げよっと。
「おーいー明梨ー!?無視はないんじゃないの無視はー?」
「................文姉、練習中なんでしょ。」
足早に通り過ぎようとすると、
「おっと、連れないねぇ................昔みたいに『おねえちゃーん♡』って呼んでくれてもいいんだぞ?だぞっ?」
「だ、だれがっ!?」
................くぅ、やっぱり文姉はニガテだ................
「こら文化、サボらないの。」
ごすっ、とものすごい音がして文姉が地面に沈み込む。
「イテテ................もー雪乃っ!?アタマ凹んだらどうすんだよっ」
「ほんとにへっこんで、えっちなこと考えられなくなったらよかったのに。」
「ひどいなっ!?」
なんてやり取りを横目に見つつ、白峰先輩に向き直る。
「あの、白峰先輩………………………………昨日は、ありがとうございました。」
「あら、弓を背負ってるってことは………………体調の方はもういいの?」
「ええ、まぁ、お陰様で………………」
「そう………………なら、よかったわ。」
「えーなになに? 雪乃と明梨で何かあったの? ん?」
「………………文姉は黙ってて。」
ぐいっと押しのけると、去りゆく白峰先輩に、墨森先輩へのお礼も伝えてもらうように頼んで、その場を離れる。………………なお、文姉はしっかりと白峰先輩に首根っこ掴まれて連れてかれたけど。
その後は何事もなく寮に帰りついく。………………あー疲れたー………………あれ、鍵かかってないや………………尊っちが先に帰ってきてるのかな?
「ただいまー………………あれ? 」
おかしいな、電気ついてない………………開けっ放しでどこ行っちゃったんだろ………………そう思って一歩部屋の中に踏み出した途端、ぐにっとしたものを踏んづける。
「っ!?」
慌てて飛び退いて床に視線を向けると、
「................尊っち?なんでそんなとこで寝てんの?」
文字通り、尊っちが入口の床に『落っこちてた』。
「................んぁ、明梨ちゃん................帰って、きたの?」
腕に力を入れて尊っちが身体を起こす。そして立ち上がろうとして................足がプルプルしてまた倒れる。
「もぅ尊っち、なにしてるの................」
「ごめん................ちょっと肩貸して................」
言われた通りに腕を貸すと、なんとか尊っちは立ち上がってよろよろと自分のベッドまで這っていく。そして、ベッドに豪快にダイブする。
「どうしたの、そんなへろへろになって………………」
「横を長木屋先輩が走ってたからペースを合わせて走ってたんだけど................突然ニヤっと笑ってペース上げてきたの................慌ててこっちもギア上げたら、更に向こうが上げて................この繰り返し。」
「うわっ、そりゃキツいね………………」
「『朝練に来なかった分もここでトレーニングしてきなよ〜』って言われて………………」
「………………それに関しては、ほんとにごめん。」
そう、結局あの後ウトウトしてきたのはいいけど、ふと目線を上げたらいつも起きる時間はとっくに過ぎていて。慌てて尊っちをたたき起こしてダッシュで登校したけど………………ほんとにギリギリで、午前中はお腹の虫との戦いだった。
「................そ、それよりも明梨ちゃん................れ、冷蔵庫から水取って………………あと、ちょっと太ももを揉んでくれない? り、寮までは意地で歩いてきたんだけど、部屋着いたらガクガクになっちゃって................」
「えぇ................私だって久しぶりの部活で疲れてるのに................」
「お、お願い、尊っち………………昨日、看病してあげたじゃない………………」
「はいはいわかりましたよっと。」
冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して尊っちの首筋に当てる。それから、尊っちの足元に膝をついて、太ももを力を込めて揉んでいく。
「い、痛いよ明梨ちゃんっ、もっと、丁寧にっ!?」
「………………注文が多いなぁ………………」
ちょっと力を抜いて揉んであげると、
「あー、きもちいー」
尊っちがしんなりする。
「しんなりみことっち。」
「だって、気持ちいいんだもん………………」
ぐでーっと全身の力が抜けっぱなしの尊っちを見て、ちょっとイタズラしたくなる。
「尊っち、腰とか背中もやってあげよっか?」
「おねがーい………………」
うん、そう言われたからにはちゃんとやらないとねっ、うひひ………………
「よっ、と」
腰に両手を当てて体重をかける。
「ぐっ、あ、明梨ちゃん、もっと下ぁ………………」
「ここかな?」
「もうちょっと下………………」
「あーもう分かりにくいなぁ………………脱がすよっ」
そう言うが早いか尊っちのジャージを腰の骨のあたりまで下ろす。
「にゃぁっ!? 」
「今日はイチゴちゃんかぁ」
「あ、明梨ちゃんのえっち!!」
「えー、だってどこまでが腰か分かんなかったんだもん。」
「それ絶対ウソだよねっ!?」
尊っちがきゃんきゃん騒いでるのをサラッと聞き流して、背骨の終わりの方をぐっぐっとマッサージする。
「………………あ、そこっ………………」
「お、やっぱりここだったんだ。」
更に強めに押すと、流石に尊っちが悲鳴をあげる。………………ん、これぐらいがいいのか………………
「やっぱりって………………」
「あぁ、うちの父さんがお風呂上がりにやっぱり腰もんでくれーって言うんだけどさ、だいたいこの辺を揉むと満足してくれるんだ。」
「へぇ、明梨ちゃんって優しいんだね。」
「そ、そうかなぁ………………」
………………実はマッサージ代が貰えるからってのは、黙っておこう………………
「………………ん、おしまい。」
「ありがと、明梨ちゃん。」
尊っちが恐る恐る立ち上がろうとして………………あ、立てた。けどなんだか危なっかしい………………
「うぅ………………明梨ちゃん、肩貸して………………」
「いいけど、ちゃんと洗って返してね?」
「そういう意味じゃないよっ!?」
疲れていても尊っちのツッコミは健在みたいで、
「はい、そっち掴んで。………………ぐっ、尊っちって意外とおも」
「流石に怒るよ?」
「………………重くないねって言おうとしたのに………………」
尊っちの腕を私の方に回して担ぐと、ほんのりと尊っちの香りが鼻をくすぐって………………
「あ、明梨ちゃんも大丈夫? ふらついてるけど………………」
「だ、大丈夫だよっ!? それより尊っち、もうこんな時間だけど………………」
「………………あ、ほんとだ。………………うーん、どうしようかなぁ。」
「………………尊っちは、先にお風呂とご飯と私と………………どれがいい?」
「うーん………………お風呂とご飯と明梨ちゃんかぁ………………………………って、明梨ちゃん!? な、なななななにいってるのっ!?」
「………………いや、冗談だけどさ………………お風呂とご飯だとどっちがいい? 」
「うーん………………明梨ちゃんはどっちがいい?」
「私? 私は、先にお風呂かなぁ。尊っちだって、背中汗びっしょりだったよ?」
「………………そうだね、先にさっぱりしよっか。」
尊っちが自分のクローゼットをごそごそするのに合わせて、こっちも着替えを用意する。………………尊っちの汗の匂いをかぐと、なんだか頭がくらくらしてくるんだよね………………あと、私の汗の匂いを尊っちにかがれたくないし。………………明日、制汗剤買ってこよっと………………
「明梨ちゃん、早く早くっ」
「………………はいはい。」
………………なんか不思議だなぁ、自分の汗の匂いは隠したいのに、尊っちの汗の匂いだと嗅ぎたくなるって………………
「うわぁ、混んでるねぇ………………」
大浴場に一歩足を踏み入れると、むわっとした熱気に襲われる。尊っちと一緒にシャワー浴びれそうなとこは………………ないか。
「あっ、尊ちゃーん。」
その声のする方を振り向くと、
「………………あ、犬飼先輩………………………………と、長木屋先輩………………」
「………………新崎ぃ、なんであたしはそんなテンション低いの? 」
「………………長木屋先輩にいじめられたからに決まってるじゃないですか………………」
「ええっ、有里紗ちゃんそんなことしたの!?」
「だぁぁっ!? し、志乃先輩、誤解っすよぉ!?」
おっきい方の先輩がうろたえる。
「………………き、昨日休んだ分の埋め合わせを新崎にやらせただけですよ………………」
「いや、ペース併せようと横に並んだ途端ギア上げて私をグロッキーにしたのは誰だと思ってるんですか!?」
「有里紗ちゃん、それはどうかと思うよ………………?」
「………………いや、横を走ってる人に釣られて自分のペース乱すようじゃまだまだだよってことを気づかせたくて………………」
「それなら言ってくれればよかったのに………………」
「………………………………あのー、尊っち? そろそろお風呂入りたいんだけど………………」
「………………あ、ごめん明梨ちゃんっ。それじゃあ先輩、また明日。………………あと、長木屋先輩はいつかタイムで上回るんで覚悟しといてくださいね?」
「お? やれるもんならやってみな?」
「有里紗ちゃんも尊ちゃんもケンカしちゃダメっ、ほら行くよ有里紗ちゃんっ」
ずるずると引っ張られていく先輩を横目で見送ると、空いたシャワーの前に腰を下ろして身体を洗い始める。
「尊っちはそっち使って。」
「うんっ」
………………ほんとは「洗いっこしよっか」って言いたかったけど、そんなこと言い出す勇気もなくて………………やっぱ私はヘタレなまんま。
「………………明梨ちゃん、終わったよっ。」
「わかった。………………今日はあんまり長湯できないから、サッと入ってあがろっか。」
「えー、ゆっくり入りたいよぉ。」
「んぅ………………わかった、付き合うよ。」
ぬるめのお風呂に足を突っ込んで、尊っちの横に腰を下ろす。
「ふぅー………………」
尊っちが足を思いっきり伸ばしてため息をつく。
「………………尊っちって、身長の割に足長いよね。」
「………………それ、褒めてるの?」
「もちろん。」
うっすらと日に焼けた両足は微かに筋肉がついていて、目線を上げればぷにっとした太ももが見える。更にその上は、
「………………明梨ちゃんのえっち。」
「………………昨日、さんざん人の胸とか大事なとことか眺めて息荒くしてた尊っちに言われたくなーい………………」
「あ、あれはしょうがないでしょ!? 」
これ以上いじめると尊っちがパンクしそうだからやめといて、ひとまずお風呂から上がることにした。
「あ、今日は野菜炒めなんだ。ラッキー。」
夕飯に好きな物が出ると知って、自然とテンションが高くなる。
「野菜炒めかぁ………………」
「尊っちはお肉の方が好きなの?」
「そうじゃないけどさ………………」
おや? 尊っちのテンションが低めだな………………
「いただきますっと。」
はらぺこのお腹にご飯と野菜炒めを詰め込んでいく。お味噌汁も流し込んで………………あれ、尊っち?
「尊っち、ご飯しか食べてないじゃん。」
「………………明梨ちゃん、実は私、お野菜全部嫌いなの………………」
「ふぅん。………………わかった、じゃあ尊っちの野菜炒め全部貰っていい? 大好物だからさ。」
「い、いいの? なら全部あげるっ」
返事を待たずに尊っちのお皿から野菜炒めが送られてくる。いやー、ラッキー。
「それにしても明梨ちゃん、野菜炒め好きなんだ。」
「んぐ、まぁね。親が遅くなった時に文姉が売れ残りの野菜とかクズ野菜を刻んでテキトーに胡椒振って作ってくれたの。だから決まった味は無いんだけどさ、あれが不思議と美味しいんだ。………………………………時たまモロヘイヤとかキュウリとかトマトとかの、ゲテモノが混ざるのを除けばね………………」
「い、言わないでよぉっ!? お野菜ほんとに嫌いなんだから………………」
「そんなんだから尊っちはちっちゃいんだよ。」
「あ、明梨ちゃんだってそんなにおっきくないじゃん!?」
「………………尊っちはどこの話をしてるのかな? 私は身長のことを言ったんだけど………………」
「し、身長に決まってるでしょ!?」
………………そう言いながら胸を押さえるあたり、やっぱりそういう意味じゃん………………………………いいもん私はこれから栄養沢山とって成長するもん………………
「うー、つかれた。」
部屋に帰るなり、尊っちが自分のベッドにバタンキューする。
「どうする? またマッサージする?」
「んー、おねがーい………………」
「今度はふくらはぎと太もも行くねー。」
一応断ってから、尊っちの足の間に膝をついて太ももをマッサージする。時折「あー」とか「んっ」とか尊っちの声が漏れるのを受け流しつつ、次はふくらはぎに行こうとした時に、
「………………ねぇ、明梨ちゃん。」
「………………なぁに?」
「………………なんでもない」
「何さぁ、気になるじゃん。」
「………………明梨ちゃんは、女の子を好きになるのってどう思う?」
ぎくっ。思わず指に力が入って尊っちが暴れる。
「ご、ごめん………………それで、それがどうしたの?」
「………………んっと………………やっぱりそういうのって、相手にちゃんと伝えるべきなのかなぁ………………でも断られたらって思うと………………」
尊っちの歯切れが悪くなる。………………………………ほんとにしょうがないなぁ、『私の』尊っちは。ベッドから降りて、尊っちの枕元の床に膝をつく。そして、
「………………私も好きだよ、尊っち。」
一世一代の勇気を酷使して、耳元で伝える。………………あ、尊っちが飛び上がった。
「あ、ああああああ明梨ちゃんっ!? い、今なんてっ!?」
「………………二度も言わせないでよ、バカみことっち。けっこう、ハズいんだから………………」
流石に二度目を言えるほどの気力は無くて。ひとまずベッドの上の尊っちの足元に座って、返答を待つ。
「………………明梨ちゃん。」
尊っちが起き上がってベッドの上に座り直す。
「………………私、新崎 尊は、………………安栗 明梨の、ことが、好きです。」
全身カチコチになった尊っちが、一言一言噛み締めながら言う。そんな尊っちについ吹き出しちゃって、
「………………あ、明梨ちゃんっ!! わ、私が勇気振り絞ってるのにっ」
「………………ごめんごめん。いや、堅苦しいなって。………………いつもの尊っちらしくしてよ。私もそういう堅苦しいの苦手だからさ………………」
「………………あ、明梨ちゃん………………………………………………大好き。」
「私も大好きだよ、尊っち。」
お互いに見つめあって、少しずつ距離を詰めていく。尊っちの日焼けした顔がぼんやりする距離になって、手と手がぶつかって、軽い音が一つ。
尊っちは、ミカンの味がした。
数分か、はたまた数秒なのか。一瞬の時間が過ぎて、尊っちから唇を離す。ぽへーっとして気が抜けたままの尊っちを、軽く揺すって起こす。
「………………なんだか、ぽわーってした………………」
「………………こっちは、なんだか頭の奥がふわふわして………………」
………………わたし、ほんとに尊っちと………………そう考えると、まともに尊っちのことを見れなくなって、
「………………わ、私もう寝るっ!!」
布団をひっかぶってベッドに横になると、尊っちが慌てて掛け布団を引っ張る。
「ちょっと、明梨ちゃんのベッドはあっちでしょっ!?」
「ま、まだあっちの敷き布団洗濯してないから、今日はこっちで寝かせて?」
「き、今日も、2人で寝るの………………?」
「し、しょうがないでしょ?」
………………ウソ。実は向こうの布団はもうとっくに乾いてるし、こぼしたのはスポーツドリンクだから特にシミなんてできてない。………………尊っちと、同じお布団に入ってたいだけ。
「も、もう………………今日だけだからね? 明日は、ちゃんと向こうのお布団で寝るんだよ!?」
「はいはい。………………あ、それとも明日は私のベッドで尊っちも一緒に寝る?」
「寝ないよっ!?」
そう口では言いつつも、私の方に身体を寄せてくる尊っち。布越しに伝わる尊っちの熱が、私を暖めていく。
「………………明梨ちゃん、私が寝てる間にえっちなことしないでね?」
「しないからね!?」
そう言って部屋の電気を消す。暗闇の布団の中でそっと伸ばした手は、尊っちの手のひらと重なって、そのまま結ばれる。
明日も、尊っちの明かりになれますように。