桜が芽吹く縹の空に   作:楠富 つかさ

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#3

にゃあ、と黒猫が間の抜けた声で鳴いた。

 

 ひとりの少女が、吹きすさぶ風に紺色のローブをなびかせている。その内側から、白いブラウスとチェックのスカートがのぞく。星花女子の夏の制服だ。図書館の屋上には、彼女と一匹の猫以外誰もいない。そもそも屋上は立ち入り禁止になっているはずだが、彼女たちにとってそんなことはどうでもいいのだった。

 

 彼女には、まるで英語を理解するように、となりにいる黒猫の言うことがわかる。そして彼女は自分のことばを理解させることもできる。残念ながら、ほかの猫の鳴き声は分からない。彼女にドイツ語やオランダ語が聞き取れず、話せないように。

 

 出て来たよ、と黒猫は言った。ちょうど、ひとりの少女が背の低い離れから姿を見せたところだった。

 

「ほんとうにあの子なの?」

 

 彼女は黒猫に尋ねる。今回、彼女に課せられた仕事は、その少女を殺すことだ。これまで複数の殺人を行ってきた彼女にとっては、人を殺すこと自体にそれほど大きなためらいはない。しかし、あの少女が処理の対象であるということは、にわかには信じがたかった。

 

「間違いはないよ。同情しているのかい?」

「いや、そうじゃない。やれと言われればやる」

 

 黒猫は笑うように喉を鳴らした。黒猫が言うには、彼女は──|紙井(かみい)|縹(はなだ)は、将来的に黒猫たち“組織”を脅(おびや)かす存在らしい。いままで殺めてきた人間たちもみんなそうだった。その危険の芽を摘むことが、黒猫の目的であり、彼女がしていることだ。

 

「でも、あんなに人畜無害な顔してるのにね」

「そういうものだよ。ほんとうに危険な人間は、一般人と見分けがつかないものさ。そしてその危険には、本人でさえも気が付かない」

「ふーん。なるほどねー」

 

 黒猫が言うことを理解しているのかしていないのか、彼女は気のない返事をする。彼女自身も黒猫から多くのことを知らされていない。黒猫たちの組織とはいったい誰(何?)のことなのか。脅(かすとはどういうことなのか……。しかし、彼女にとっては、それもどうでもいいことだった。

 

 黒猫に言われたとおりの人間を処分する。その報酬として、彼女は不思議なちからを得ることができる。それが、彼女たちのすべてだ。

 

「しかし、わざわざこんなからくりを用意しなくても、もっとぱぱっとやっちゃえばいいのに。君にはボクが与えた|ちから(・・・)があるんだから」

 

 彼女を見上げて、黒猫が言った。彼女は手にワイヤーを握りしめている。そのワイヤーは、はるか上空につながっており、その先には、たくさんの風船によって浮かんでいる檻があるはずだった。

 

 ワイヤーを引っ張れば、檻が開き、|中身(・・)が落下するという仕掛けだ。それを思い返し、彼女は満足げにほほ笑む。

 

「そこは、『郷に入っては郷に従え』ってやつだよ。星花には星花のやり方があるんだ」

 

 黒猫がにゃあ、と相づちを打つ。彼女にとって、猫のあいづちは分りにくい。はいでもいいえでもにゃあだから。

 

「人間の都合はボクには分からないよ。……それで、どうして檻の中身が豚なんだい?」

 

 黒猫に尋ねられ、くくく、と彼女は含み笑いをした。

 

「豚が空を飛ぶことはあり得ないからね。これは私なりのユーモアであり、シニシズムなんだよ」

 

 ***

 

 ぷちぷち草むしりをする彼女のほうをなるべく見ないようにして、後ろを通り過ぎようとする。目が合ったりしても気まずい。後ろ姿に見覚えはないし、話しかけてくるようなこともないだろうけど……。それでも、念には念を入れ、すこしも気づいていないふうを装う。

 

 自慢じゃないけど、私の仕事場(?)である図書館は、この学校で一番新しい建物だ。もちろん、それは一番おしゃれって意味でもある。改築のときにデザイナーの卒業生が設計したとかで、白いタイルが壁一面に貼られていて、外からは現代的というか近未来的な雰囲気がする。中はいたってふつうの学校の図書館といった感じで、それもまた落ち着くのだ。

 

「……?」

 

 その屋上に、人影のようなものが見えた。

 

 図書館の屋上は、危ないから立ち入り禁止になっている。図書委員の私だって上ったことはないし、そもそもどこに屋上への階段があるのかも知らない。そんなところにいる人なんて、掃除のひとくらいだろう。

 

 つい、足を止めてしまった。目を細めて見ると、その人影は線が細くて、身長も私とたいして変わらないくらいだ。女の子のようにも見える。ここの生徒なのかもしれないけど、何かの衣装のような──黒いマントかローブみたいなものを着た、変なかっこうをしていた。

 

 ふ、不審者さんかな。不審者さんだとしたら、早く先生に言わないと……。

 

 あんまりじっと見ていたからか、その人影と目が合った気がした。彼女も私の視線に気が付いたらしく、軽く手を振ってくる。

 

 振りかえしたほうがいいのか、と迷っていると、彼女は何かを引っ張るような仕草をした。それから、上を見ろ、というように空を指(ゆび)さす。

 

 不審に思いながらも、指図されたとおり見上げる。初夏の青く澄んだ空に、白く光る点のようなものが浮かんでいた。飛行機だろうか。それにしては動かないというか、動いていないのにだんだん大きくなっているような……。

 

 ……もしかして、落ちてきてる?

 

 真上から、私に向かって一直線に。

 

「ど、ど……っ!?」

 どういうこと!? どうして!?

 

 とか、いろんなことが頭の中を駆け巡る。そしてそれが私に直撃したら──いや、もし直撃しなくても、私のすぐ近くに落ちたとしたらどうなるか、いやでも想像してしまう。

 

 死ぬ。

 

 間違いなく死んじゃう……!

 

 ここから走って逃げるのが一番の選択肢なんだというのもわかっていた。でも、自分の死を想像した瞬間、足がすくんで動けなくなった。今から数秒後には、いままで私だったものが、ただのお肉の塊になってしまっている。死ぬっていうのはそういうことで、それはとても怖いことだ。

 

 逃げなきゃ死ぬ。でも、逃げられない。

 

 今までに食べたいろんなメロンパンのことが、走馬灯のように頭をよぎる。三歳の時に初めて食べた、おばあちゃんちの近くのパン屋さんのメロンパン。あれをひとくちかじったとき、私はメロンパンが好きになったんだっけ。カリカリのクッキー生地に、ふわふわのパン生地と、ほのかに甘いザラメ。お盆に帰省した時にまた買いに行こうと思っていたのに、もう私があのメロンパンを口にすることはないのか……。あれから、街のパン屋さんを見つけては、メロンパンを買いに行ったなあ。今思えば、限られたおこづかいという条件が、私のメロンパンへの愛情を燃え上がらせていたのかもしれない。

 

 星花を受験するために、空の宮に初めて来たときのことも思いだす。試験の前日に、空の宮中央の駅前のパン屋さんで買って食べたメロンパンもおいしかった。あそこのメロンパンはしっとりしていて、はちみつの香りがする。このメロンパンを好きな時に食べるため、何としても合格したい──そんなモチベーションにもなった。今でも、月に数回は食べたくなる。

 

 そして、今カバンの中に入っている、星花購買部の夕張メロンパン。購買でいつも売ってるやつもいいけど、この夕張メロンパンはいくつでも食べられてしまう。もちろん高級なやつだから、お値段もそこそこする。でも、このメロンパンを食べるためなら、ほかのものを我慢することだって、全然苦じゃない。それくらいおいしいのだ。

 

 もっとメロンパン食べたかったなあ。きっと世界には、まだまだ私が知らないようなメロンパンがたくさんあるんだろうな。それを食べることなく、人生の幕を下ろしてしまうのは、とても悔しい。

 

 でも、同時に、私の人生は幸福だったとも思う。メロンパンのおいしさを知ることができたから。神様、私はメロンパンに出会えて幸せでした。どうか来世でも、メロンパンをたくさん食べさせてください。

 

 実家の近くのパン屋のおじさん、空の宮の駅前のパン屋のお姉さん、購買のおばちゃん……先立つ不孝をお許し下さい。

 

「………?」

 

 ……走馬灯ってもっと一瞬な気がするんだけど、どうなのかな。さっきから、カバンを開けて、メロンパンをひとくちかじれるくらいの時間は経っているような……。

 

「……大丈夫ですの?」

 

 振り向くと、すぐ後ろに知らない女の子が立っていた。驚いて、ひっ、と引きつった声が出そうになる。私よりも十センチは背が高い。私は小柄なほうだけど、それを抜きにしても彼女はけっこう大きく見えた。

 

 彼女は何かを掲げるように、片手を挙げていた。視線を持ち上げると、途端に家畜小屋のようなすえた匂いがする。私と彼女を押しつぶすくらいの大きさの、ふさふさの毛のかたまりみたいなものが、まるで呼吸をするかのようにうごめいていた。

 

 状況についていけない私を気にとめず、女の子は「なんですの、これは」とかつぶやきながら、巨大なふさふさを地面に下ろした。重めな音がする。やっぱり、これが落ちてきてたらつぶれてたかも。それを片手で受け止めてたこの子もこの子だけど。

 

 この子が、私を助けてくれたってことだろうか……。

 

「あ、あの……」

 

 ありがとうございます、と言おうとしたが、彼女はもう、地面に横たわるそれにしか興味がないみたいだった。

 

 私も彼女の脇から、おそるおそるそれをのぞき見る。

 

「……え」

 

 豚だった。

 

 空から、私めがけて一直線に降ってきたのは、豚だった。死んでしまったのか、それとも気絶しているのか、まぶたを閉じたまま動かない。

 

「驚きましたわね……。まさか、本当に豚さんが降ってくるだなんて」

 

 女の子は意味深長なことを言う。そのせいで、この状況がつかめていないのが私だけなような気がしてくる。

 

 実は、今日は全国的に豚模様だったとか?

 

 天気予報を思い出そうとしたけど、ダメだった。今朝は眠くて、まともにテレビのニュースを見られなかった。微妙に暑かったせいで、昨夜よく寝つけなかったのだ。

 

 思い出すのをあきらめて、落ちてきた動物に目をやる。豚の実物を見るのは初めてだった。まるまると太っていて、思っていたよりふさふさ毛が生えている。スーパーのお肉のコーナーで切り身になってるやつとか、豚(とん)コレラが流行ったときにニュースで流れてた、殺処分待ちのやつくらいしか見たことがなかったけど、こう見ると意外にかわいい。もっと小さいサイズのやつなら、ペットとして飼うのもありかもしれない。

 

 みたいなことを考えていると、背後から誰かが駆けてくる音がした。別にやましいことをしているわけではないけど、少し慌てて振り返る。別の人に見られたら、騒ぎが大きくなってしまうかもしれない。

 

 でも、その心配はなかった。そこにいたのは変な格好をした女の子で、私に数メートルの近さまで迫っていた。ちょうど図書館の屋上に見た人影のような、ローブかマントみたいなものを被っている。そして、その手には銀色に輝く刃物のようなものを持っていた。

 

 刃物のようなものというか、まぎれもなく包丁だった。彼女と目が合って、むき出しの殺意が伝わってくる。どう考えても狙いは私だ。

 

 今度こそ、死んじゃう。死んじゃう死んじゃう死んじゃう死んじゃう!

 

 しかも、今度は空から豚が降ってくるとかそういうわけの分からない方法じゃなくて、ただ学校に侵入してきたヤバい人にナイフで刺されるという──なんというか、|ふつうの(・・・・)方法で──。

 

 あっけに取られているうちに、そのヤバいひとは私のすぐそばに来ていた。もう避(よ)けられない。痛みをこらえる準備をする。不審者のひと、なるべく痛くないところを刺してください。できれば一撃でお願いします……。

 

 目をつぶろうとした瞬間、横から突き飛ばされた。砂の上にしりもちをつく。ローブをまとった不審者さんが、ふわっと宙を舞った。包丁がその手から滑り落ちる。

 不審者さんが地面に背中を打ち付ける。がはっ、と肺から空気が漏れるような声が聞こえた。

 

「危ないところでしたわ……」

 

 殺人(未遂)鬼を投げた本人──さっきまで豚を眺めていた女の子は、ふぅ、とため息をつく。

 彼女が地面に転がる不審者さんのほうへ歩み寄ろうとしたとき、どこからともなく黒猫が彼女の顔に飛びついた。まるで彼女を邪魔するように。

 

「クソっ!」

 

 不審者は弾かれたように飛び起きて、包丁をひろう。それから黒猫を引っぺがしてローブの内側にしまい込み、風のように図書館のほうへと走っていった。

 

 すべてのことが、口を半開きにしてぼーっと眺めている間に終わってしまった。中庭には、また、女の子と豚と私だけが取り残される。

 

「……猫さん?」

 いや、それはもう終わりましたけど……。

 

 スカートが汚れるのにも気づかず、地面にへたりこんだままの私に、彼女は手を差し出す。土いじりのときは軍手でもしていたのか、白い手のひらは汚れていない。ありがたくつかまらせてもらうことにした。

 

「お怪我はありませんこと? さきほどは乱暴なことをして、申し訳ありませんでしたわ」

 

 思いのほか強い力で引っ張られて、今度は反対側によろけそうになる。彼女に肩を支えられ、今度こそ自分の足で立とうとしたが、うまくいかなかった。

 

 膝ががくがく震えている。怖かった。死ぬかと思った……。空から豚が降ってくるなんて現実感がなかったけど、ヤバいひとに刺される方はとんでもなくリアルだった。恐怖の余韻でこんなふうになってしまうぐらい。まだ、まぶたの裏に、ローブの不審者さんの姿が焼き付いている。

 

 私のからだの震えが止まるまで、女の子は支え続けてくれていた。立てるようになってから、そろそろと手を離す。

 

「……ご、ごめんなさい」

 

 私が謝ると、彼女はほほえみながら首を横に振る。投げ技を決めるところを見たから、けっこう怖い人なのかと思ったけど、とてもやさしそうな笑顔だった。私はやっと、日常に引き戻されるような気がした。

 

「……えっと、その、ありがとうございます。二回も、助けてもらって……」

「いえいえ、お気になさらず」

 

 お気になさらず。なんだか、育ちがよさそうなことばづかいだ。お嬢様なのかもしれない。この学校、そういうひと多いし……。お嬢様がぷちぷち草むしりしてたのもシュールだけど。

 

 さっきまであり得ないことが起こりすぎたせいか、この子の変なところにも気が付かなかった。彼女は、髪が真っ白だった。染めてるのかな。染めるのって校則では大丈夫なんだっけ。それとも、お嬢様パワーで校則もひとりでにねじ曲がってしまうとか?

 

 くだらないことを考えていると、彼女はまた豚のほうに視線を注いだ。死の危険はとりあえず去ったけど、残された問題はちっとも解決していない。

 

「この豚さん、いかがいたしましょうか……」

 

 豚は相変わらず、庭に寝そべっている。ここは人目に付きにくいところだから、まだ誰にも見られずに済んでいる。騒ぎが大きくなるのはごめんだった。いや、騒ぎは大きくなってもいいけど、その中心で有名人になるのはいやだ。

 

「……とっ、とりあえず、早く先生に言って、片づけてもらいましょう」

「えっ」

 私が提案すると、彼女が驚いた声を出す。ダメなの……? 一番いい案だと思うんだけど。

 

「それはいけませんわ」

「……どうしてですか?」

 

 彼女は豚に愛着を持っているみたいだし、もしかしたらかわいそうだと思ったのかもしれない。このまま先生に報告したら、豚はたぶん回収されて、どこかへ連れ去られてしまう。こんな大きな動物に引き取り手なんてそう見つからないだろうし、育てるのもお金がかかる。たぶん殺されてしまうだろう。それは無慈悲だ。

 

 しかし、彼女は予想外の発言をした。

 

「食べられなくなってしまいます」

「……は?」

「豚さんが食べられなくなってしまいますわ! 先生には言わずに、私たちで何とかいたしましょう」

「えー……」

 

 食べるって……この豚を? 空から飛んできて、私を押しつぶそうとした、この豚を……?

 この子もたいがいふつうじゃない。関わらないほうがよかったかも。

 

「で、でもどうするんですか? 早くどこかへやってしまわないと……」

「そうですわね。ひとまず、豚さんには、もっと目立たないところに移動していただきましょう」

 

 どうやって、というのは聞くまでもなかった。彼女は空から降ってきた豚を片手で受け止めたのだ。物陰まで引きずっていくなんて、大したことじゃない。問題は場所だった。

 

「どこかいいところは……」

 

 ちらっ、と助けを求めるような目で見られる。場所の心当たりが一つだけあった。教えたくはないけど、彼女は命の恩人だ。しかも命二つ分。メロンパンに換算すると、私がこれからの生涯に食べられる個数を計算に入れれば、二千個分は優(ゆう)に超えてしまうだろう。

 

 メロンパンの恩は大きい。私も共犯者か……。

 

 ずるずる、跡を残しながら、二人して──二人と一匹して?──来た方向に引き返す。茶道部の部室がある離れの裏なら、誰も通らない。学校の敷地と外を隔てる塀との間に置いておけば、どこからも見えないだろう。

 

「爺やを呼びますわ。豚さんをおうちにご招待して、お料理になってもらいましょう」

 

 爺やって、執事みたいな人のことだよね。ほんとにお嬢様らしい。でも、私は正直、もう関わるのはごめんだった。一応義理立てはしたから、もういいんじゃないかとも思う。

 

「は、はあ。もう勝手にしてください……」

 

 私が投げやりに言うと、彼女はまたも私の想像を超えた言った。

 

「あなたもいらっしゃるんですわよ?」

 え?

 

「あなたも、この豚を食べなくてはいけません。ひとりじめはよくないと教わりましたわ」

 えー。

 

 ***

 

 桜花寮の一室に帰った彼女は、制服を脱ぐこともせず、ベッドに寝転がった。地面にたたきつけられた背中は痛むが、それよりも紙井縹の殺害に失敗したことが彼女の心に大きな傷跡を残していた。

 

 壁にこぶしを打ち付けると、ひりひり痛む。黒猫が彼女のおなかの上へ、なだめるように飛び乗った。

 

「いやはや。豚が空を飛ぶこともあるもんだねー。ああ、あと君も空を飛んだね。見事なもんだったよ」

 

 なだめてくれると思っていた黒猫に煽(あお)られ、彼女はぶち切れそうになるところを、何とかこらえた。もう高校生だ。猫相手に逆上するほど、ヤバいやつではない。

 

「……ぬかったよ。あんな変な護衛が付いているとは思わなかった」

 

 君を投げ飛ばした生徒のことか、と黒猫が尋ねると、彼女は露骨にいやそうな顔をする。

 

「……あれはふつうの人間なのか? 子豚とはいえ百キロはある。しかもかなりの落下速度だったはずだ。それを片手で受け止めるなんて……」

 

 黒猫はつまらなそうにあくびをした。こいつ、態度がデカいな、と彼女は思った。失敗に付け込んで、足もとを見てくるタイプの猫だ。今日はちゅーるの日だったが、これでは与えるものか迷ってしまう。

 

「その答えは、君もわかっているはずだよ」

「………」

 にゃあにゃあ、猫は彼女の胸のあたりをふみふみした。雄だったらぶっ飛ばしているところだ。

 

「君はなぜ、わざわざ彼女をその手で殺そうなんて思ったんだい? そんな危ない橋を渡らなくても、君のちからがあれば簡単に済む話だろう」

 肉球がだんだん彼女の顔に近づいてくる。ふみふみ、ふみふみ。

 

「………」

 やがて、ぺた、と黒猫は彼女の鼻の頭に前足で触った。

 

「君はちからを使わないんじゃない。使えないんだ。ここでは、|常識的に(・・・・)起こりえないことを起こすのが禁止されている──君たちにしかわからない、ある実体によってね。なら、あれも、常識の|範疇(はんちゅう)を出ないふつうの女の子だよ」

 

 彼女は猫のわきに手を入れて、持ち上げた。みょーん、と体が伸びる。これをやるたびに、ゴムみたいだな、と思う。

 

「……その通りだよ、エロ猫」

 

 黒猫を枕元に座らせ、立った耳の間を撫でる。黒猫は心地よさそうに目を細めて喉を鳴らした。

 

「それで、どうするんだい? ちからが使えなければ、君はただの女の子だよ。ボクとしては、あきらめてもらっても構わないけれど──その場合、君も晴れて一般人の仲間入りだ」

 

 からかうような口調だった。まるで彼女があきらめないことを知っているような、そんな言いぐさだ。

 

 黒猫の思惑通り、彼女は不敵に笑う。そして、天井を強い視線を注ぎながら──まるで、その向こうにいる誰かを睨みつけるようにしながら、つぶやいた。

 

「それもいい考えかもだね。まあ、心配いらないさ。殺すべきはあの怪物じゃなく、なよなよしたほうだ。私はやり遂げるよ。|おまえたち(・・・・・)がどんなルールで縛ろうとしてもね」

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