第16話 重ね合う日常 前編
夏休みの半分が過ぎた。
全国各地の児童・生徒はまだまだ休暇を満喫していることだろう。長期休暇だからこそ、家族や友達と過ごす時間を、普段より多く確保できる。家族旅行や里帰りとして、お出かけすることも増える。
かくいう俺も、けーちゃんを連れて、同級生の家に遊びに来ている。
小町が新たな来客のお迎えに行くと、数日ぶりに会う先輩がやってきた。夏ということもあって、ずいぶんとラフな服装である。
「来ちゃった」
結衣先輩のそんな言葉を聞いてもなお、先輩は動じない。
むすっとした表情なのは、ここに俺がいるからだろう。
「大志君たちも来てたんだ!」
「おねえちゃんひさしぶりぃ!」
結衣先輩とけーちゃんが、手のひら同士でタッチする。
『お母さんといっしょ』でよく見る光景である。
「……お前は何しに来たの?」
「えっ、私連絡したよねっ!? てか、なんかフキゲン?」
いつも通り腐った眼で、先輩がスマホのLINEアプリを開いている。
この先輩、全て通知オフにしてそうだ。
「で、何の用?」
絵文字やスタンプたっぷりの文章をさらりと読み飛ばして、結衣先輩へ直接尋ねる。
「サブレを預かってほしいって話だよっ! 家族旅行に行くんだ。」
「そんなこと許可して……」
先輩は言い淀んだ。
思い当たる節がある。
さっき玄関に行って、今この場にいない先輩の妹がいる。
「小町ぃ!事情説明―!」
キャン、キャンと犬の鳴き声がこちらへ近づいてくる。
俺の膝の上で丸まっている猫が、ビクッとした。
「はい。お兄ちゃん、よろしくー」
「おまっ、暴れるなっ、毛玉っ!」
この犬、先輩にすっごい懐いているようだ。
腕の中で、バタバタと遊んでいる。
「わんちゃんだぁー!」
うちではペットは飼っていない。
妹は目の前でペット犬を見て、目を輝かせた。
「小町ちゃん、サブレの足拭いてくれてありがとうね!」
「いえいえいえー、うちの猫とお兄ちゃんで慣れていますのでぇ! 昔、犬飼ってましたし。」
なにかと、世話焼きだからな。
「昔、どろんこ遊びして足拭いてやったのは俺だろうが。」
「いやいや、一緒になってお母さんに怒られただけじゃん。」
懐かしんでいるような表情だ。
ちなみに、比企谷家の両親は、お盆休み前でも仕事である。
「あっ、ただいまお茶出しますからー!」
「小町ちゃん、ありがと。おかまいなくー」
すでに、結衣先輩が馴染んでいる。
……えっ、異性の友達の家って緊張しないの?
姉さんはバイトである。そして、けーちゃんが小町に会いたいって言ったから、俺も会いたくなって、ドキドキしながら連絡を取った。軽く了承された。
「で? こいつ、預かればいいの?」
けーちゃんとサブレに遊ばれながら、先輩が呟くように告げる。
「うん。ペットホテルは予約いっぱいでさ。ママったらすっかり忘れててさ。だから、たすかったよ!」
「結衣さんのためならぜひぜひ。ねっ、お兄ちゃん!」
小町から、キンキンに冷えたお茶のコップを結衣先輩は手渡されている。
「……旅行から帰ってくるまでだからな。あとで、いろいろ教えてくれ。」
サブレを軽く撫でながら、その言葉を伝えている。
数日間だけの新たな同居者をふまえて、方針を立てているのだろう。散歩やご飯のこと、寝床のこと、猫とはいえペットを飼っているからこそ、考えてしまう。
世話焼きだからな、この先輩も。
「あれ? カー君、どうしたの?」
「あー、どうなんだろ。」
膝の上の猫は、サブレと真逆で全く身動きしない。
「へい、パス。」
「お、おう。」
扱い方がよく分からず、恐る恐る腕に抱え込んで渡す。
猫は、小町の腕の中へ。
あれ、なんか、こういうのドキドキするんだけど。
「カー君、ねむいのかな。ごはんにする?お風呂にする?それとも小町?」
最近よく小町と添い寝しているらしい、そんな猫のカー君はだらけた鳴き声を出す。
「えっとさ、迷惑だった?」
結衣先輩が声をかけてきた。
猫と犬、別種のペットを同時に飼うことは影響を及ぼす可能性がある。
「いえいえ、カー君のことはお兄ちゃんに任せるので。お兄ちゃんの部屋にいれば問題なしです。」
「……ったく。」
それにしても、ペットって家の中で飼えるんだな。
「そ・れ・で、ですねー?」
なにかしら、企んでいる顔だ。
今は午前10時。
「結衣さんどれくらい時間あります? お昼のことなんですけども。」
「えっと、ママがご飯作ってるから、そろそろ……」
「うぅ、残念です。兄とお買い物に行ってほしかったのですが……」
涙を流す仕草をする。
合宿以降は先輩がずっと家にいるって、嘆いていたからな。今年の夏休みも、誰か女子と出かける様子がないということだ。
「あはは……ごめんね?」
「いえいえ、いつでもどこでも兄を連れて行っていいですからね!今年の夏休みもずっと暇ですよっ!」
「俺の予定、勝手に決めるな。俺は家がいいんだ。」
先輩は小さく溜息をして、お兄ちゃんっぽい目を見せる。両親が共働きということもあって、学校からの帰りが早かったのは小町のため。
それは、今の俺にもわかる。うちの姉はバイトに行っているから、極力俺にけーちゃんといてほしいみたいだし。
「じゃあ、サブレのことよろしくね!」
「はーい、言ってらっしゃーい!」
「ばいばーい!」
「お気をつけて」
俺も彼女たちのように手を振り、先輩が軽く手のひらを見せる。
「ばいばーい! ヒッキーもまたねーっ!」
サブレも賢いのか、飼い主さんとしばしの別れになることをわかっているようだ。名残惜しそうに、歩いていく結衣先輩の背中をじっと見つめている。
「で、お兄ちゃんさ。」
「なんだ。」
「買い物。大志君もいける?」
その提案に、俺は頷く。
将来、尻に敷かれると自分でも思う。
「……なんでこいつと。」
「小町は、サブレのお世話をしたり、けーちゃんと遊んだり、忙しいのです!」
「ですー!」
先輩は軽く頭をかきながら、小町から『いつもの買い物バッグ』を受け取る。
「車に気をつけてねー!」
俺たちにとっては『身に染みる言葉』を聞きながら、近くのスーパーまで2人で歩き始める。
蝉の音が耳に入り、それが暑さをさらに感じさせる。
太平洋に面している千葉はかなり気温が高い。人口密度的に、ディスティニーランドは炎天下だろう。千葉村は日陰が多くて、過ごしやすかったな。
「あっちぃー、まじっ、べーわ」
戸部先輩の口癖っぽい声を発している。
遠くから見れば、ゾンビと見間違えるのではないかというくらい、先輩がふらふらと歩いていた。タオルも水筒も、帽子も持ってきていない状態だ。けーちゃんについては、ちゃんとタオルと水筒と、麦わら帽子を持たせてきた。
「で、何を買ってくればいいんだ?」
「聞いてないですね。まあ、先輩が食べたいものを選んでいいのでは。」
「なるほど……よくわかってるな……」
先輩ほどではない。
決して鈍感じゃないしな、この先輩。
好意を訝しむという、捻くれものだ。
「熱いし楽だし。冷やし中華、そうめん、あー、うどんもいいだろうな……」
小町の食べたいものを考え始めた先輩は、シスコンである。
「あれ。雪乃先輩では?」
「ん、ああ、そうだな……」
公園の日陰で、猫たちと戯れている美少女がいる。
清楚な白いワンピースの上に、日焼け防止の紺色のカーディガンを羽織った彼女は、通行人の目を惹きつけていた。上質そうな白い帽子を被った黒髪ロングの彼女は、どこかのお嬢様なのかと思わせる。
正真正銘、令嬢だけど。
「行くぞ……」
「いや、なんで気まずそうに立ち去るんですか!?」
遠回りするべく、来た道を引き返そうとしていた。
「ばっかお前。休みに同級生に出かけているのを見られるとか、超噂されるだろ。夏休み明け早々、俺はそんな話に付き合うつもりはない。」
『この前、ファミレスいたよね!』みたいな話を聞くことは、俺にもある。相手からすれば単なる世間話なのだが、どのような言葉を返せばいいのか迷うことはあった。
「卑屈すぎませんかね。そういうのは適当に流してください。」
「誰にでもできると思うなよ? ボッチなめんな。」
「逆ギレしないでください。」
まあ、小町や雪乃先輩と出かけていたら、噂されることも多いだろう。新学期から覚悟しないとな。
「気づかれたじゃねぇか……」