先輩たちは一度の会話をすることなく、ショッピングモールに併設された映画館へ着いた。ゴーイングマイウェイする八幡先輩を、雪乃先輩が数歩遅れて歩いていたのだから、お互いに世間話や雑談をするきっかけが生まれない。
映画館全体にキャラメルの甘い香りが充満しており、食欲を誘ってくる。もしこれが家族と来ていたのなら、親にねだる中学生も多いのだろう。残念ながら、個人のお小遣いから支払う余裕はない。
「で、何見るんだ、小町」
「お兄ちゃん、ポイント低いよ。小町たちは採点してるんだから」
4人で同じ映画を観ることは確定。だからこそ、シスコンな先輩は小町に尋ねたのだろうが、今回の主役の先輩たちを優先するらしい。
「毎年恒例のポケモンに、仮面ライダー、戦隊もの、どれも次の上映まで時間かかりそうだな」
先輩たちは独りで観るには映画好きのようで、まずは一覧から観るものを決めようとしているらしい。ここでプリキュアでもやってたら、八幡先輩はすぐに選びそうだった。
秋だったな、確か。
「例えば。アポロ11、アルキメデスの大戦は良かったのだけれど」
「さすがユキペディアさん、興味深そうなタイトルはチェック済みのようで」
俺的にも気になるな。Blu-ray借りれるようになったら、観てみるか。
「上映してから時間の経ったものはレイトショーに近いわね。それか、早朝」
「みたいだな。このまま待つほどのものでもない」
今は夏休みも後半だ。人気作品や気になる作品はどれも、7月半ばという夏休み前に放映開始されている。
「これはリケコイと読むのかしら。もうすぐ上映させるらしいわ」
「といっても、このドラマは見てないんだが」
『理系が恋に落ちたので証明してみた。』の実写映画か。コミック版しか知らないが、最近ドラマ化したんだったな。アニメは年明けからだったはずだ。
「正直に言ってくれ。俺と2人で恋愛ものの映画を観ることの是非について、どう思う」
「ないわね。別のものにしましょう」
「いやー、仲の良い友達同士ならこういうの観ますよ、雪乃さん」
「原作を知らなくても、たぶん見れる感じですね」
小町的にはこれが観たいんだなと思いつつ、話を合わせる。シャツの袖を上下させて合図してきた。
「なるほど。確かに証明というからには、学術的な映画かもしれないわ」
「それはお友達というより、学友だな。しかし理系ねぇ...」
成績が文系に傾いている先輩的にはあまり気が進まないらしい。
「まあ、ここで悩んでいても仕方がないしな。結局小町の観たいものになったけど」
「なんのことかなー、お兄ちゃん。さあ、はやくはやく」
前後2席ずつを画面でポチポチと選択している、小町の行動力はさすがである。
「あの、私は前で見たいのだけれど」
「俺は後ろなんだが」
「じゃ、間とって真ん中ですよね!」
先輩たちの逃げ道はこれで塞がれた。
****
映画の半券はショッピングモール内の店で使える場合がある。俺たちもそれを無駄にすることはなく、フードコート内でドリンクSサイズを片手に、4人がけをしていた。
「小町さん、どうだったかしら」
ここで聞いてきたのは映画の感想ではない。お友達ごっこの採点だ。
「そですねー、始まる前に一緒に映画のこと調べたり、ポップコーン一緒に食べたりしなかったのは、ポイント低いかなと」
「えっ、君たち後ろでそんなことしてたの」
ちらりと先輩がこっちを見てきた。
「映画観賞にお菓子を食べるというのは、私には合わないわ」
「いや、まあ、小さいサイズでしたよ。俺たちも」
ポップコーンについては、小町は誘惑に耐えられなかったらしい。わざわざ一度出て、買いに行った。
「それは置いておいて。雪乃さんたち、映画の感想とか話したりは...?」
一度それぞれ解散した後は、小町は興奮したままだった。先輩たちが気になったから集合したわけで、もちろん今も続けている。
「興味深い話だった、くらいかしら」
「文系なめんなよ、くらいだな」
基本的に個人で思考する人たちだから、感情を言葉にして述べないのだろう。めんどくさい理系大学生の青春ラブコメに、個人として感じたものはあるはずだ。
「同じものを共有して、そこで新しい会話が生まれて、その繰り返しが友情を育むのです」
「なるほど。複数人での映画観賞にはそういう意図があったのね」
「だが、映画の感想なんて、人それぞれだろ」
同じ場所と同じ時間を共有しても、感情を共有できるとは限らない。感傷に浸っているからこそ、干渉するべきではないということか。
「他の人の考えを聞いて、へぇって思ったりとかないんですか」
「思わないな」
「思わないわね」
小町は一度肩を落とした。趣味を共有する人が、先輩たちには今までいなかったんだろうな。
「うー、例えばですね。あのシーンすてきだったねって言って、なるほどって言ってくれるとか、映画ってそういうのがいいんですよ」
「多角的に観るための情報交換、ということかしら」
考え方が理系的だな、この先輩。ちなみに俺は同意できる。ソースは、仮面ライダーのストーリーに隠された伏線や意図の話し合い。
「いいなって思ったものを他の人もわかってくれたら、うれしくないですか?」
「そうね...」
顎に手を当てて、雪乃先輩は今までのことを思い起こしているようだ。
「小町は……小町も普段からそう思っているのか」
「そだよ。小町の好きなものがすてきものなんだって知ってほしい。お兄ちゃんや大志君のいいところ、もっといろんな人に知ってもらいたい」
俺の問いに、真剣な声色で答えた。そして、彼女は頬を染めながら慌てて目を逸らした。
「なーんて、小町的にポイント高いですよね!」
ポイント高すぎるくらいだ。それが照れ隠しであることはわかっている。一度やろうと決めたことをがんばる姿は、見ていたくなる。
俺ももう少しがんばらないとな。
「小町さん...自分の好きなものを分かってもらうこと、私もわるくないと思うわ」
外出時にたまに見かけるツインテールを指でいじりながら、少し俯いて彼女は告げる。いつだったか、4人で初めて出かけた時に見せた、感情だ。
「これから本屋に行くのはどうですか。どうせ原作本買うんですよね、おふたりとも」
「...まあな」
ラブコメの感想を述べることはしないけれど、いまだ年相応に興奮しているのは確かだ。それはわかりにくいけれど、年上の目を誤魔化せるほどのものじゃない。
「えっ、そなのお兄ちゃん」
「せっかくだからな。冒頭や途中で原作にあったシーンがあったんだが、そこが気になる。上手い商売だ」
「それは同意見ね。あの映画は、過程を踏まえたものなのだから」
自然と席を立って、次の目的地へ歩いていく。
「せっかくですから、1冊だけ買って読み回したらどうですかね。小町には今度電子版で見せるけど」
「大志君、ナイスアイデア!お兄ちゃんのお財布事情もこれで解決だね」
「私は紙で読みたいから、どっちにしろ買うことになるわね。その場合、比企谷君が取りにくるなら、貸してあげるわよ」
「どっちかと言えば、俺も紙がいいんだが。その、雪ノ下はいいのか?」
本屋の前に来て、雪乃先輩は振り返った。
「ええ。物の貸し借りというのも、友達の間では当たり前なのでしょう。比企谷君は意外と丁寧に物を扱うから、信頼もできるわ」
「意外と、は余計だ」
その信頼は、一緒にいる時間を積み重ねた結果なのだろう。いつのまにか、友達以上の関係になっていることは、元ボッチ2人にも当てはまるらしい。