夕方を前に、今日は特別に電車が混んでいた。
もし母さんの車でこの公園まで来ていたのなら、駐車することはおろか、そう簡単には近づくこともできなかった。そろそろ仕事から帰る時間で、姉さんやけーちゃんを連れて少し離れた場所から花火を見ることだろう。例えば、ショッピングモールの立体駐車場が穴場スポットだ。
「大志君、こっちこっちー!」
今日も笑顔満開の小町が大きく手を振っている。少し大人びた秋葉、大和撫子な神田さん、そしてありふれた見た目の中学男子、中学最後の夏はこの4人で過ごすことになる。
「悪い、遅くなった」
「さっき集まったばかり、問題なしでーす!」
もちろん、たどり着くまでに他に同級生がいたような気がするが、声をかけてはいない。この人混みであるし、家族で来ている場合も多い。
「神田さんは、浴衣なんだ。似合ってる」
「そうかな」
表情1つ変えずに、そう告げながらちょこんと首を傾げる。紺色を基調として花が描かれた浴衣は、お世辞抜きで似合っている。親に着付けてもらったのか、いつもと違って髪型も結わえていた。
「むぅー、小町も来年は浴衣買おうかな」
今日のところは、タンクトップに、黄色の薄手のパーカーを羽織っているラフな格好である。健康的な素肌を見せていて目のやり場には困る、そんな俺に気づかない小悪魔ではない。
「……まあ、見たい」
ボソッと呟くのが限界だ。たぶん、聞いた限りの人柄だと、彼女の父親にねだれば買ってもらえるだろう。
「ていうか、あんまりお祭りいかないんだな」
「うん、なんだかんだで小学校以来」
隣に来ると、自然と手を繋ぐ。さっきまでチラチラと神田さんを見ていた秋葉は、今度は俺たちを見て目をぱちくりさせている。
「えっと、もしかして?」
「あれ、大志君から聞いてないの?」
「男子同士だと、あまり恋バナしないからな。連絡してまで」
むしろ神田さんに伝わっているとは思わなかった。そんな彼女はじっと俺を見つめている。
「えっと、おめでとう?」
「えへっ、ありがと!」
どう言えばいいのか迷いながらも口にした、秋葉からの祝福の言葉に、小町は笑顔で言葉を返す。まあ、彼との関係は今までと変わることはないだろう。秋葉自身、まだ恋愛についてあまり深く考えていないから、少しばかりドギマギするくらいか。
「じゃあ、そろそろ行こっか。ちゃーんと、小町が計画立ててきましたから」
ガサゴソとポーチから出して見せてきたのは、メモ帳のうちの1枚である。ディスティニーのキャラクターのパンダが描かれているそのメモには、丸い字で箇条書きがされている。
「それって食べたいもの?」
「そだよ、奈月ちゃん。もし忘れてたら、来年まで食べられないからね」
通常運転の小町である。お祭りの屋台で買った食べ物は、なぜか美味しく感じるものだ。少々値が張るという、いわゆるお祭り価格なことは、今日だけのご愛嬌。
「まずはね、焼きそばなんだけど……」
1つの屋台に対してできている行列を見て、小町の表情が凍り付いた。これもお祭りの醍醐味ということ。どうやら周囲に、焼きそばを売っている屋台は他にないようだ。
それでも、小町が焼きそばを諦める理由にはならないだろう。
「大志君、秋葉君。これを託します!」
彼女から託されたメモに目を通す。
『小町の夏のグルメツアーリスト』という目立つタイトルの下に、焼きそばやたこ焼きなどが箇条書きされている。『でも、4人で花火を見た思い出が1番ほしかったり。きゃー!今の小町的に超超ポイント高い!』という追伸までちゃんと読んだ。
「できる限り早く戻ってくるけど、もし何かあったら連絡してくれ。」
「あいあいさー!」
あざとい敬礼で返事をしてくれたが、いつナンパされてもおかしくない可愛さである。先輩がシスコンになるものわかる。
秋葉に目配せをして、少し足早に屋台が立ち並ぶ道を歩いていく。少しずつ薄暗くなっていく空に、暖色にしているLED電球は幻想的な雰囲気を見せている。飲食系の屋台で衛生検査が行われており、どこか整然とした雰囲気がある。
くじ引きの景品にちらりと見れば、特等の任天堂のゲーム機が目に入る。そう簡単には出ないだろうし、むしろ本当に当たるかどうかが怪しい。だが、都会のお祭りならではの運営を考えると、そんな嘘と欺瞞はないのではないかと思ってくる。
様々な食べ物の香りが入り混じった空気に、ソースの香りが一際漂ってきた。外国人も郷に従って並んでいる2列は、やはり夏祭りの人気屋台であることを示している。
「たこ焼きも並んでるな」
「ああ。こっちは俺が並ぼうか」
並ぶことも祭りの醍醐味だろうが、時間制限と焦りがある。花火が始まるまでというより、できる限り早く小町たちに合流したい。
「そうなると、残りはラムネと綿飴か。ビニール袋にラムネは入れるし、綿飴2袋なら持てる」
「さすが。用意周到だな」
「まあ、」
『これでも年上だからな』という言葉を口にすることはなく、背を向けた。そっちは任せたという意味合いを込めて、手を軽く振る。
ある程度歩けば、すぐに目的の屋台の1つが見つかった。他の屋台と比べて並んでいないのは、調理を必要としていないからだろう。ラムネ以外にもペットボトルの清涼飲料水を売っているが、この都会には自動販売機も探せば近くにある。
「どれにする」
「ラムネ、4本で」
ちょうどの金額の小銭を机に乗せながら、告げる。
「友達か?」
「ですね。みんなで手分けして」
氷水でキンキンに冷えたラムネを丁寧にタオルで拭き始めた。そして、少し無愛想な店主から手渡される。ビニール袋に詰めて持つと、ずっしりと重みを感じた。
「ありがとな」
「いえ」
瓶が極力揺れないようにしても、カランカランと音を立てる。指を差す年下の子どもが指を差して欲しがり、すれ違う大学生の歩行がゆっくりになった。
「いらっしゃい」
少しだけ目が合った店主は、今はちょっとした作業中のようだ。年季の入った機械の中では白い糸が舞っている。ザラメからできたそれを集めれば、まるで雲のような砂糖菓子ができていく。
アニメキャラクターやゲームキャラクターがプリントされた袋が目を惹く。ぶっちゃけ中身は同じなのだが、違いを感じさせる。プリキュア、それもキュアグレースだなんて、身体と心に癒しをくれそうだ。恐るべき心理的な付加価値である。もし色のついたザラメを使っているならば、見た目は劇的に変化していることだろう。しかし、その工程は行っていないようだ。
「あっ!やっぱり大志君じゃん!」
聞き覚えのある声の方向を向けば、もはや桃色にも近い茶髪の女子高生がいる。薄桃色の浴衣は、明るいその美少女に似合っていた。その隣に、これまた見覚えのある男子がいる。
「やっはろー!」
「やっはろーです、先輩」
ニコニコした顔の横でぱっと手を広げながらの挨拶は、いつも通りの結衣先輩である。八幡先輩は気にせず、綿飴の袋を見ながら顎に手を当てている。
屋台の店主は、まだかまだかと待っている。
「あっ、プリキュアと仮面ライダーください」
「じゃあ、俺もプリキュアで」
機を逃さんとばかりに、先輩が乗ってきた。
「わぁ、懐かしい。今ってこんなプリキュアなんだ~」
結衣先輩も、昔は、見ていたらしい。
「プリキュア見ると、生きてるって感じするんだよな」
「見るだけで夢や希望をチャージしてくれる栄養剤のような作品、ですよね」
「希望ってさ。大人になるとかき集めなければ手に入らなくなってくる、らしいぜ」
「あたし以外、みんな見てるの!?」
まさか、屋台の店主まで見ているとは思わなかったけれど、ここに絆が生まれたのは確かだ。
自然と来た道を戻っていこうとすれば、先輩たちも付いてきた。特に行き先も決めていなくて、ぶらぶらと2人して遊びに来たのだろう。それにしては、結衣先輩はかなり気合いが入っているけれど。
「あれ? 小町ちゃんたちと来たんじゃないの?」
「手分けして、買い出しですよ」
小町から聞いたのだろう。昔風に言えばメル友、現代風に言えばLINE友達だから、女子間でそういう情報はすぐに伝わっている。
「先輩たちも来ます?」
「うーん、どうする、ヒッキー?」
「いや、邪魔しちゃ悪いんじゃないか」
八幡先輩はラムネの本数を見て、そう答えたのだろう。もし2本だったのなら、付いてきたはずだ。相変わらず鋭いけど、人の好意には鈍いというか。いや、好意の裏を読もうとするうちに、どっちつかずの答えを選ぼうとする。
「じゃあ、俺行くんで。」
「ん、ああ、気をつけろよ」
「またね、大志君!」
「楽しんでくださいね、2人で」
まあ、俺としても、2人のデートの邪魔をしたくはない。先輩の良いところを知る人だから、殊更にだ。
「あ、ゆいちゃんだ!」
「えっ……さがみん!」
結衣先輩を呼ぶ女子の声がしたが、あくまで先輩の知り合いだ。同じ高校の比企谷先輩ならともかく、俺には関係のない交友だ。どういう言葉を使うとして、人の印象を変えることができる。
「いいなー、あたしも青春したいなー!」
「ねー」
明るくも、トゲトゲした言葉が聞こえてくる。
一度立ち止まって、彼女たちから距離をとっていく先輩を見る。逆方向に去っていく彼の背中は、やがて人混みに紛れていった。
「どうした?」
「いや。行こうか。」
合流してきた秋葉と、再び歩き始めた。
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花火を見るスポットは、できるだけ海に近いことがいいのだろうか。
ビニールシートで陣取り、すでに宴会を始めている人もいる。逆に、木々で空が隠れない場所を探してキョロキョロしている人がいる。どちらにしても、道路に出てしまいそうなくらい、人でごった返していた。
ここは、のんびりとした雰囲気だが。
赤い布が被せられた上質そうな椅子に、隣り合って座っていた。
「あーん」
さながら、餌を待つ小鳥のような女子の口に、たこ焼きを入れる。閉じると、軽く刺していた爪楊枝を慎重に引き抜いた。モグモグしている姿を見ながら、ほっと息をつく。
風情のないことを思うのだが、歯医者はこんな気持ちでやっているのだろうか。
「ぷはぁ!」
ラムネをゴクゴクして、そんな声を出す。あざとい時もあるけど、小町は基本的に自然体でいる。楽しいことを全力で楽しむ姿を見ると、あれこれ考えている俺も自然と楽しくなる。1人ではない時に自分を出すことが得意ではない人にとっては、輝いて見える。
にへらって笑みを零すのは、俺が微笑んでいるからだろうか。
「……甘いね」
綿飴を食べながらボソッと喋った神田さんに、秋葉も含めてみんなでくすりと笑う。そして、19時40分、10分後に花火大会の開幕を告げるアナウンスが聞こえた。
「奈月ちゃん、お父さんとお母さんにありがとうって言っておいてね」
改まって言うのは、今頃ゆっくり腰を落ち着ける場所を探していることになっていたからだろう。そして、この花火大会に誘ってくれたことに対してだ。
「神田さんもありがとう。誘ってくれて」
「ああ、ほんとな」
都会の祭りならではなのか、有料エリアというものがある。打ち上げ場所から正面に位置しているこのエリアは、花火愛好家たちにとって、絶好のポジションである。その数少ないチケットは予約するか、主催者側でないと手に入れることはできない。
「お父さんたちも来てるの?」
「うん。挨拶まわりしてると思う。一応、地方議員だから」
このエリアよりさらにランクが上、いわゆるVIP席には主催者や地方議員がいる。仕事として来ているということだ。もしかすると、雪ノ下先輩と姉のあの人もそこにいるかもしれない。
「へぇー、地方議員だったんだ。小町も初耳」
「……言ってない。だれにも言えなかった」
小町が知らないなら、俺たちが知るはずはない。学校では決してボッチというわけではなかったはずだ。それでも、誰かの顔色を窺うことは多かった。俺と同じように秘密を隠したままだった。
「修学旅行の時の写真を見られて、その……」
打ち上がり始めた花火を見るよりも、俺たちは彼女の言葉を待つことを選ぶ。
「……ともだちを誘えって」
気恥ずかしそうに顔を逸らす、そんな着物の美少女を見て唾を飲み込んだのは誰だったか。
感極まった小町が席から立ち上がって、前の席にいる神田さんの隣に移動する。
「小町たち、ずっ友だよー!」
「……ちかい」
小町から離れたとしたら、秋葉への距離が縮まることになる。これで、神田さんも八方塞がりだ。
「ほら、大志君もこっち座って!写真撮るよ!」
3人ならともかく、4人ならその椅子は狭い。小町が持つカメラに皆が写るように、2人の距離を縮める。
「はい、ピーナッツ!」
ほんと、小町はかたい表情もほぐしてくれる。
「ところで。ピーナッツって、なんだ?」
撮れた写真を覗き込んでいると、秋葉が呟いた。
「えっ、写真撮るときはこれだーって、お兄ちゃんが言ってたけど」
「えっ、さっきの素だったの」
不思議そうに顔を見合わせる俺たちの横で、神田さんは肩を震わせて手で忍び笑いをしていた。
「ふふっ……ピーナッツって……」