結局、文化祭の最後までいる。
また明日から受験勉強の日々に戻るけれど、今は、八幡先輩たち知り合いが、裏方として働いているからこそ、スムーズに進んでいる文化祭を見ていたかった。そして、何よりも高校の雰囲気に、小町たちは憧れを抱いて感動していた。
最前列は高校生たちに埋め尽くされているので、俺たちは体育館の入口付近からバンドのライブを楽しんでいる。エンディングセレモニーも近いので、少しずつ一般参観客は帰り始めていた。
「んー? 放送?」
「……なにかあったのかな」
ライブの雰囲気を一度冷ますように、放送が入った。
内容は、実行委員長の捜索といったところか。
「相模、お前の姉だろ? なんか知らないのか?」
「いやいや、そんな仲良くないから」
男子の先輩たちの会話が聞こえてくる。
再び始まったライブで聞き取りづらいけれど。
「あー、でも最近、愚痴をネチネチと」
「へぇー、どういう?」
「ただの嫉妬。あの雪ノ下先輩とか由比ヶ浜先輩とか、あとクラスの三浦?って人だとか。」
「ふーん。なんかどんまい」
そこで、会話は切り上げられた。
相模という先輩が文化祭実行委員会委員長であり、エンディングセレモニー直前であってもその姿を見せない。恐らく先輩たちが、ライブの雰囲気を一度冷やしてまで、放送をかけたのは、緊急事態だからこそだ。
「小町、ちょっと外の空気に当たってくる」
「うん、わかったー!」
すでに演奏とボーカルに合わせて、ノリノリな小町に声をかけておき、夕暮れの近い外に出た。ステージの上では、アンコールに応えるように、再び葉山先輩たちが出てきた。
とはいっても、相模という先輩の容姿も知らず、総武高の構造にもあまり詳しくはない。いくら人が体育館に集まっていると言えど、女子トイレを探すのは気が引ける。有意義な時間を過ごしてほしいから置いてきたとはいえ、小町たちの力を貸してほしくはある。
恐らく教師たちや先輩たちが、少し足早にキョロキョロしているので、いまだ見つかってはいないようだ。もしくは、校外に行ってしまったのではという可能性が浮上する。
そして、この世界で最も同じ時間を過ごしてきた姉の姿が目に入った。体育館には行かず、手持ち無沙汰でスマホをスワイプしているが、その顔はどこか優しげだ。たぶん、1日クラスメイトたちに引っ張られて、あちこち行ったのだろう。
「姉さん、放送聞いたか」
「大志か。なに、相模のやつでも探してんの?」
俺は頷いた。
そして、姉さんは校舎から窓の外を見た。
「なんかみんな結構探してるみたいだけど、もう帰ったんじゃないの? まあ、雪ノ下たちならなんとかするでしょ」
「そう、だよな……」
俺が気にすることではないと伝えてくる。
探す義務なんてない。偶然聞いた話から気になって、少しでも自分も力になれるのではと思い上がって、また『うぬぼれて』、なんとなくここまで来てしまった。それでも、このまま文化祭がハッピーエンドじゃないのは、なんだか後味が悪いと思ってしまう。
代役を立てるという解決策はある。
でも、それは最終手段であって『逃げ』であり、今まで裏方で頑張ってきた先輩たちがそうしたくはないだろう。おそらく、相模先輩はリーダーに相応しい人物とは言い難い先輩だったかもしれないが、この学校の人たちが、たった1人をあれだけ必死に探している。
年相応に拗ねて、塞ぎこんだ。
たぶんそれだけのことだと思う。
それに。
「でも先輩も頑張ってるし、俺ももうちょっと捜してみる」
幸せじゃない八幡先輩を見ることで、小町が悲しむ。
ていうか、そんな先輩が、また頑張っているし。
「川崎……」
汗を手の甲で拭いながら、八幡先輩は息を整えている。
「あんたも探してるんだ」
「お前、前、屋上いたよな……」
「屋上? まあ、たまに行くけど」
「あれ、どうやって入ったんだ!」
時間がないと言わんばかりに、八幡先輩は姉さんにぐいぐい迫る。突然な事に姉さんは涙目でおろおろし始め、俺に助けを求めているまである。普段はしっかり者だが、かなり押しに弱いところがある。
「あー、その、中央階段からの扉、鍵壊れてるんだよ。女子の中じゃ結構有名でさ」
それを聞いて、先輩は元来た道を引き返していった。
「サンキュー! 愛してるぜ川崎!」
急いでいたとはいえ、先輩にしてはかなり軽い発言だった。まるで男の親友もしくは、女性の恋人にかけるような言葉を、残していって。
いや、まあ、先輩は姉さんに気を許している証拠なのかもしれないが。
「は、はぁーー!?」
ひとけのない廊下に絶叫が響いた。
おかげさまで、姉さんの顔が真っ赤だ。
「追いかけよう」
「……ああ、そうする」
相模先輩のことが気になるだけだ。
決して、八幡先輩に言いたいことがあるわけじゃないから。決して。
姉さんが先導してくれて、屋上の階段までやってきた。文化祭関連の荷物置き場となっていることもあり、一般参観客に対して、屋上に立ち入り禁止代わりになっている。
しかし、人が通れるように、道ができていた。
「早く戻ろう? みんな待っているよ」
「そうだよ!」
「心配してたよ」
今、相模先輩を説得しているのは、葉山先輩と女子たちだ。優しい言葉を投げかけ、涙目で謝罪をしている相模先輩を宥めている。外野の俺からすれば、彼女たちが友情を再確認する光景に見えた。
八幡先輩は彼らの後ろから、じっと見つめている。
そして、スマホの画面に視線を一瞬落とした。
「でも、今さらうちが戻っても……」
「大丈夫。みんな相模さんのために頑張っているから。だから、大丈夫」
葉山先輩もできる限り優しい声色を保っているが、どこか焦りを感じる。いまだ体育館からはライブの音楽がほんの少し聴こえてくるが、それがいつ止まってしまうかはわからない。
ん?さすがに来るのが早くないか?
葉山先輩ってさっきまでライブしていたよな。
「そうそう、さがみんを待ってるって」
「ほんと?」
ともかく。
俺も姉さんも、八幡先輩に視線を向けたままだ。
俺たちはこうなった原因も知らず、偶然この場面に立ち会っただけだ。下手な手を打って悪化することは避けたい。それに、特に俺も解決策が思いつくわけがなく、葉山先輩と同じく時間のかかる説得くらいしかできない。
八幡先輩はこちらを一度も振り向くことはない。もうやるべきことを決めているのだろう。
「大丈夫だから、戻ろう?」
「うち、最低……」
「はぁー、本当に最低だな」
その溜息と言葉は、とてつもなく重いものだ。
「ちやほやされたいだけだったんだろ。かまってほしくてこういうことやってんだろ。そりゃあ、委員長として扱われないのも当たり前だ」
「なに、言って……」
「たぶんみんな気づいてるだろ。俺だってわかるくらいだ」
「あんたなんかと、同じにしないで」
「同じだよ。むしろ、お前に全く興味のない俺が一番早く見つけられた。すると、こう思わないか?―――誰も真剣にお前を捜していなかったって」
それはあくまで推論だ。
その客観的な評価に、相模先輩は頭を抱える。
「だから、お前は所詮その程度の」
「比企谷、少し黙れよ」
葉山先輩が怒りを隠さないまま、八幡先輩の胸倉を掴んだ。八幡先輩はその不敵な笑みを崩さず、視線は相模先輩に向いたままだ。相模先輩の背中を撫でながら宥めている女子たちからは、完全に敵意を向けられた。
「その辺にしときな」
「……すまない」
姉さんの声で、葉山先輩はそっと力を緩めた。
「とにかく、行こ」
「てか、あいつ誰?」
「知らない、何あれ」
結果的には、相模先輩は友人に慰められながら、体育館へ向かって行く。そもそもの目的であった『相模先輩を連れ戻す』は、こうして解決した。地面に座り込んだ八幡先輩のおかげで。
「どうして、そんなやり方しかできないんだ」
葉山先輩はそれだけ呟くように告げて、ゆっくりと扉に向かって歩き始める。なんだか悔しそうだったのは、俺の気のせいではないはずだ。
「葉山先輩、ここにいるのどうやってわかったんですか?」
「君は夏休みの時の……いや、後輩が教えてくれただけさ。俺の力じゃないよ」
それが聞けて、ほっとした。
「他に、何かあるかい?」
「いえ、呼び止めてすみませんでした。あっ、葉山先輩の劇もライブも、良かったですよ」
「……そうかい」
彼は貼り付けた優しい笑みを崩して、階段を下りていく。
ちょっとした疑問が芽生えてしまって、思わず尋ねてしまった。まあ、このようなトラブルが起きることをあらかじめ予想していたなんて、さすがに考えすぎか。
それよりは、また誰かのために人脈を駆使して頑張っていた方が、納得がいく。とはいえ、あの悔しそうな顔だけは本物だったと思う。
「もっと早く止めた方が良かった?」
「いや。解決だよ、これで」
「そ」
「……もう少し労わってくれ」
姉さんが差し出した手を、先輩は少し躊躇しながら握ると力強く立たされる。信じて待つというのはなかなか酷だとか、さっきの愛してる発言とか、言いたいことはいくらでもあるけれど。
今は。
「まあ、なに、あんたのおかげで上手くいくんじゃない?」
「これも仕事の範疇だよ」
「雑務って大変ですね」
先輩は痺れた腕をふらふらさせながら、スマホを操作している。八幡先輩に協力してくれた人は、他にもちゃんといたのだろう。
「先輩はがんばった!」
「ちょっ、頭撫でようとするな!? お前は小町か!」
さすがに同姓からされるのは嫌か。
姉さんはしないだろうし。
「だって、小町の受け売りですので」
「お前、ずいぶんと小町に毒されたな」
シスコンの先輩にとっては、これはわりと好印象なのではというような、ポジティブシンキングは置いておいて。
「で、その小町が『雪乃さんと結衣さんがライブだよっ!』ですって」
読めないだろうが、スマホの画面を見せてアピールした。
スクロールしていけば『どこにいるの』というメッセージが乱立しているが、実はヤンデレの気質があるか心配になる。まあ、俺の方が重いと思うけれど。
「ああ、知ってる。間に合うか分からんが、行くか」
体育館へ向かう背中に、俺たちは付いていく。
いつもよりまして猫背な先輩が心配だ。
相模先輩の事情を最も知っていて変化のきっかけを起こせるのは、あの場では八幡先輩だけだった。俺は葉山先輩のように波風立てないような説得しかできず、姉さんは、まあ、たぶん喝を入れて逆効果になりうるというか。
先輩に任せることが一番だったけれど、だからこそやるせない気持ちが残っている。
「盛り上がってるね」
「これでは大トリですね、雪乃先輩や結衣先輩たち」
『見つめるたび ドキドキしてる!
キミにもっと近づきたいよ
いつかSweetな未来に会いたい
ありのままの言葉で届けるよ
君の隣にいたいみたい……』
もう数ヶ月前だが、カラオケで歌った曲だ。
でも、以前よりも生き生きとしている気がした。
2人で一緒に歌っている雪乃先輩や結衣先輩は、光輝くステージの上にいる。平塚先生や、めぐり先輩と雪ノ下さんもそこにいる。そして、満員の体育館のずっと後ろにいて、俺たちはその眩しさを目に焼きつけるだけだった。
「上手くいったどうかか見てるかもですよ。
ほら、何かしら合図でも」
「見えるわけねぇだろ……おい」
先輩の腕を掴んで高く上げる。
こっちを向いている人たちにだけは、ちゃんと見てもらえるように。