第7話 初夏に奈良・京都へ
修学旅行という特別活動がある。
知識を広げること、集団生活のきまりを守れるようになること、公衆道徳を体験するために行う学校行事の1つだ。行先によっては、歴史学習や理科学習、さらには国際学習といった目的を付随する場合もある。
近年では教科横断的に、社会科や美術などの授業と絡めることが多くなっている。目的地の歴史や地理について事前学習を行ったり、各自持たされた使い切りカメラで撮った写真を使って日記として纏めたり。
端的に言って、学ぶために修学旅行に行く。
「大志、忘れ物はない?」
まあ、旅行ではあることは確かだ。
この歳になってもワクワクする。
中学3年になるまでには、小学校における修学旅行といった集団宿泊を数回経験している場合は多い。しかし家族からすれば、3日も遠く離れた場所へ単身行くことになるのだから、心配することなのだ。
「だいじょーぶだって。」
5月末ということで少しずつ暑くなっている。最近、黒いタンクトップ姿で家の中をうろつくようになった姉を安心させるように、俺は返事をした。ありふれた中3男子だからこそあまり重くはない、そんな肩掛けバッグを手に持つ。
「たーちゃん、りょこういいなー」
「……けーちゃんは、小学校に入学してからだな。」
園児服ではなく、ゆったりとした私服を着た妹の頭を撫でる。姉の影響を受けてか、黒といった落ち着いた色を好むようになっている。俺と父さんは水色とか白色が良いと思うんだけど。
そのうち、妹もタンクトップで家をうろつくようになると予想できるほどの、シスコンっぷりである。
「えっとー?」
「奈良、そしてきょーと、だな。」
千葉県の中学・高校の場合は、九州や関西だったり。
はたまた、海外だったり。
「なら?きょーと?」
家族旅行で行ったことのある場所は、千葉県が多い。もちろん、ディスティニーランドも千葉県である。一番遠くて栃木県の日光といったくらいだ。いくらテレビの中で奈良県や京都府の風景が映ったとしても、妹にとっては印象深い場所とはならなかったらしい。
「じゃあ、いっぱい写真撮ってくる。」
「うんっ!けーか、いい子でおるすばんしてるね!」
やっばい、うちの妹のためなら将来いくらでも働ける気がする。今でさえ生徒会の仕事帰りに、おかえりって玄関まで来てくれる。
「時期が違うけど、姉さんも京都なんだろ?」
「そうらしいね。」
あっけらかんと言い放った。中学・高校の思い出ランキング上位だろうにとも思った。しかしまあ、学校生活が楽しくて充実していた場合に限定されるのは確かだ。
「……まあ、それなりに話すやつは、できた。」
俺の心配に気づいたのか、ぶっきらぼうにそう告げた。
「じゃあ、いってきます。」
「いってらっしゃーい!」
元気よく送り出してくれる妹と、いまだに心配そうに見ている姉がいる。両親からは昨晩のうちにお小遣いとともに、楽しんでこいという激励を貰った。
ほんと。
おみやげについて、あれこれ考えてしまうじゃないか。
****
今日が平日でも、おじいさん・おばあさん、そして外国人観光客が多くて、この東大寺もずいぶんと賑やかである。初めて訪れる場所ではぐれないよう、計6クラスもの団体が、ツアーガイドによって誘導されていることが現状だ。
「なあ川崎! 早くUSJ行きたいよな!?」
「残念ながら、USJは大阪府だ。」
年頃の発言をする男子にそう返事をした。
こういう、趣深い場所が楽しくないと思う生徒も多い。
まあ、東大寺の大仏は、興味を惹く傾向にはある。
「鹿かわいいねっ!」
「えー、なんかくさくなーい?」
俺は一言二言交わして、将来、動物園好き嫌いがはっきり分かれそうな女子2人を列に引き戻す。できる限り、4人班の班長が仕切って班員と固まって動くことが求められているが、昂るテンションによってそんなことは忘れ去られている。
生徒会だからなのか、そう評価されているのか、どうにもこういう役回りにされる。
今か今かと鹿せんべいを狙っている鹿が、俺を睨んだように思えた。
「野生の鹿なの?」
「放し飼いってやつだ。近づきすぎると舐められるかもな。」
「うぇぇ……」
「まあ。それだけ、マナーのいい観光客に慣れているということだな。」
ふーん、と声を出しながら背後の鹿を一瞥したのは、将来動物園嫌いになりそうだった女子。
『この東大寺は……』という解説がツアーガイドさんによって最前列で行われているが、俺のいる最後列の生徒の耳には届くことはない。特に目ぼしいものもなく、石畳の敷かれている広大な敷地をキョロキョロと見渡しているだけだ。
俺たちの前を行く集団には、我らが生徒会長によって会話する雰囲気を作られている。そんな彼も、大仏殿、いわゆる本殿に入った後は巨大な仏像を思わず見上げた。
誰もが息をのみ、一度静まり返る。
「すっげー!」
特に男子を中心として、巨大さに感動する。
お台場のガンダムといい、でっかいものはいい。
順路に従って、ぐるりと本殿を周回することになる。他にも様々な像があるが、それらには目もくれず大仏を様々な角度から見ていた。回数制限のあるカメラを自然と構えて激写するやつも多い。もちろんスマホでもいいのだろうが、古めかしいカメラで撮りたいのだろう。
微笑みながら、教師たちは軽く忠告している。
一度見た、俺の目にも焼き付いているし、この大仏は印象深いものとなるだろう。しかし、だからといって、その歴史的な背景や、建造についての内容など、深く学ぼうとする生徒はほとんどいない。
「すごいよな。」
「えっ、……うん」
少なからずいるということだ。説明文をじっと読んでいた比企谷さんの考えていたことはわからない。でも、彼女がすごいと思ったことは、この大仏がここにあるという結果ではなく、その作る過程にあるのだろう。
俺にとっては、保存方法について関心がある。
ここには、歴史がちゃんと残っている。
「写真、撮らないか?……一緒に」
「うんっ!」
比企谷さんは俺の隣に立って、カメラを構える。
古めかしいシャッター音が、たった1度だけ鳴った。
誰もが携帯を持っているわけではなかったあの頃と、同じ音だ。
****
東大寺と法隆寺、たぶん奈良の二大名所に行った後、バスで宿に着いた。それ以外の奈良県の観光名所についてはあまり知らないので、後でググってみることにする。大きく欠伸をしながら、土汚れが刻み込まれた絨毯を歩く。
京都だからといって、古きよき木造の旅館というわけでもない。会社員が格安で泊まるようなビジネスホテルかな。
まあ一応、畳の部屋があってそこで揃って和食を食べた。野菜に何かと好き嫌いのある男子が多く、おかず交換とか行われていて混沌とした夕飯だった。
「ようやく見つけた……」
地下1階、できる限り人気のない自動販売機に来た。そしてマックスコーヒーが売っていないことに、違和感を覚えた。千葉県にあるこのメーカーの自動販売機なら基本的に売っているはずなのだ。何にせよこの1年は、ずいぶんと俺に影響を与えているらしい。
全国どこに居ても変わることはない、ありふれた緑茶の苦みが喉を通っていく。急須で淹れたお茶を再現するっていう工程が、気になってきたのでスマホをポケットから出す。いろいろな緑茶を飲んできたが、これが一番だと思う。
ちなみに、ミント入りの天然水緑茶は、個人的には全く受け入れられなかった。
「なに、調べてるの?」
「お茶。」
水分を含んだ髪が、俺の視界に入った。
つまり、画面を俺の後ろから覗き込んでいるということだ。容器であるペットボトルの製法についても精査しているなんて食品系科学は奥が深いなとか考えつつ、もちろん俺は動揺していた。
「なるほど。京都と言えば、お茶だよね。」
腰に手を当てて、うんうんと頷いた。
学校指定の体操服に身を包んでいる。いつも体育で見ているとはいえ、それ以上にお風呂上がりというのは、かわいく見えてしまう。
「うーん。牛乳とかないんだ、ここ。」
夕飯の買い物に一緒に行ったとき、彼女が一早く籠に入れるのは牛乳である。その理由を聞けば中学生女子特有の悩みであることを、ジト目で伝えられた。2歳年上の由比ヶ浜さんを見て焦って、2歳年上の雪ノ下さんを見て応援して、最近彼女は一喜一憂している。
「マッ缶もないんだよな。」
「あれ飲みすぎたら、お兄ちゃんになるよ。」
「先輩みたいになれるなら、本望かもな。」
自動販売機をじーっと見つめていた比企谷さんは、お茶のボタンを押した。思わず押してしまったような、そんな感じ。
家でお留守番している先輩のことを思い出させてしまったからだろうか。川崎家の場合は姉妹なのだが、先輩は家でもボッチだし。
「えーっと……ここ、いい?」
「いいもなにも。俺以外、ここにはいないぞ。」
「そ、そうみたいだねっ!」
隣のソファにちょこんと座ってペットボトルの蓋を開けて口に含む。そして、体温との温度差にほっこりしている。少しずつだけれど、お風呂上がりで火照った顔も、いつも通りに戻っている。
「ところで、こんなところでどうしたの? まだ早いけど。」
クラスごとに入浴時間があり、まだ残りのクラスは順番待ちだ。手持ち無沙汰となっている生徒は、部屋で待機することになっている。学校で定められた消灯時間前には、班長会があって、俺たち中3の生徒会メンバーも参加するのでそれを待っている。
「こっちの部屋では男子10人くらい集まって、人狼だ。」
最近は、LINEでもできるゲームだ。
何かしら役割を持たされ、心理戦を行う遊び。
「へぇー、苦手なんだ?」
「いや、むしろ得意。せめてトランプだったら、運が絡むんだけどな。」
ポーカーフェイスを極めている大学生同士でやる場合、些細な変化すら見逃さないことが求められる。1日1日過ぎていく状況を常に把握し、嘘と真実を織り交ぜていく。そういう激戦を経験したから中学生相手に必ず勝てると言いたいのではなく、すでに知っている『人となり』に影響される感情論で発言する場合が、はるかに多いのだ。
そんな『人となり』なんて、本当にその人を知っているのかどうか怪しいところだ。ちゃんとその人を理解しているだなんて、思い上がる。そして、知らなかった一面を指して『そんな人だったんだ』と言って、裏切る。
「……そっちはどうなんだ?」
「えっと、小町は……まあ、恋バナが……ね?」
「そういうものか。」
いわゆるお泊り会であって浮ついた気持ちにもなるだろうし、女子だとそういう話題があがることが多いのだろう。『牽制』なのだという言葉を聞いたこともあるが、俺は男子の1人として、そういう場面に立ち会うことはこれからもないだろう。
人の評価を聞くのではなくてちゃんと自分で考えるべきだと思ったが、まあ、それも持論にすぎない。
小町さんなら嬉々として参加しそうなものだが、今回は抜けてきたのだろう。
「大志君はさ、聞かないの?」
「言いたいなら、言ってもいいぞ。俺、それなりに口が堅いつもりだし。」
それにしても生徒会役員として、昼にかなり疲れが溜まったのだろう。俺の口調が年相応ではない。意識しないと、素が出てしまうな。
先輩と違って友達が多いけれど、それなりに単独行動も好むのが比企谷さんだ。その習性くらいは、俺は知っている。この地下一階の休憩所をわざわざ選ぶのだから、今この瞬間は1人になりたい時間なのだろう。
残念ながら、俺がいたけれど。
「ううん、いい。」
お茶を口に含んでいる彼女の、そのホッとしたような表情からは、考えを理解できない。まあ、踏み込んでほしくない瞬間なのなら、これ以上理解しようと努めることはしない。
班長会資料の字を目で見ながら、時折り会話をする。
もし誰かが俺たちを見たなら、どう見えるのだろうか。
クラスメイトや生徒会役員といった関係性は、ここに確かに存在する。比較的仲の良い男女のようにも見えるだろう。この程よい距離感を好んでいるのは、俺だけではないはずだ。
だから、変わらない現状に甘えている。
関係が変わることを選ばない。
「ここにいたんだ。比企谷さん、川崎君。」
目の前で、爽やかな笑みを浮かべているのは我らが生徒会長。ほんの少し耳にかかる程度の長さの黒髪であり、中学生にしては少し大人びていて整った容姿は、女子から大人気である。
「うん。そろそろ時間?」
「そうだね。先生たちと打ち合わせしないとね。」
彼の手に、荷物は何もない。
本当のところは、通りがかっただけなのだろう。
いろいろと書き込んでいる俺の資料を、彼は一瞥した。
「ああ。行くか。」
今日1日どうだったかについての会話をしながら、3人で階段を上がっていく。
俺よりずっと、彼は比企谷さんに踏み込んでいく。
まちがいなく、同級生だから。