「庶民の目が異変に気づく前に片をつける。跳ぶぞ」
「跳ぶ?」
古城が疑問と共に振り返るが、直後に強烈な違和感に襲われる。強烈な眩暈と自由落下の不快感を合わせたような感覚は数秒で消え去り、古城は気がつくと高い塔の真上に放り出されていることに気が付いた。
「――な、え、はぁ!? い、いつの間にこんな!?」
足を踏み外しかけ、古城は慌てて近くにあった剥き出しの鉄骨にしがみついた。
赤と白に塗り分けられた鉄骨と、視界の端に映るテティスモールから、今いる場所が先程まで見ていた電波塔であることがわかる。那月が得意とする空間制御魔術により、一瞬で移動させられたのだ。
「先輩、上です!」
一緒に移動させられた雪菜が、頭上を見上げ警告を飛ばす。声につられて顔をあげた古城は、予想よりも近くで〝仮面憑き〟を目撃し、息を呑んだ。
2体の〝仮面憑き〟は、どちらも小柄な少女の姿をしていた。しかし、その背からは醜悪に歪んだ翼を何対も生やし、目玉を模した模様がいくつも彫り込まれている仮面が頭部を覆っている。剥き出しの四肢には不気味な紋様が幾重にも浮かび上がり、四肢や翼を振るうたびに歪な光刃や光球が放たれ、障壁によって打ち消されていく。
打ち消された攻撃がその場で消えるはずもなく、炎の塊と化したエネルギーが周囲に降り注ぎ、周囲の建造物や道路を瓦礫へと変化させていく。戦いが激しくなっていく中、周囲へと飛び散る炎は勢いと数を増し、倉庫街へと降り注ぎ始めた。今の所、人的被害が確認できていないことが幸いと言えるだろう。
「なんだ、この違和感は。このような魔術の術式、私は知らんぞ」
「僕も見たことがない。魔術や呪術では当てはまる系統すら見当がつかないのは初めてですね」
「私も見たことがありません。あれは魔術と言うよりも……どちらかといえば、私たちが使う神憑りに……」
「たしかに神憑りが一番近い。しかしそう簡単に神々は降ろせないし、神憑り特有の感覚がどうも違うような……」
那月と浩一が傍観者のように感想を言い合い、横合いから雪菜が声を挙げ槍を構える。浩一が考えを口に出しながらも、四肢の装甲に魔力を送り込み起動する。
「〝
那月は、返事を待たずに腕を振るった。
瞬間、彼女の周囲の空間が水面のように揺らめき、なにもない虚空から銀色の鎖が矢のように射出される。蛇のような機動で空中を舞う2体の〝仮面憑き〟をそれぞれ絡め取り、鎖はまるで虫を捕らえた蜘蛛の糸のように宙でその身を固定する。
直後、雪菜と浩一が同時に鉄骨を蹴り跳び出した。唖然とする古城を後目に、かたや女鹿のようなしなやかさで、かたや獅子のような力強さで細い鎖へと降り立ち、猛然と〝仮面憑き〟目掛け迫る。
「――〝
「――ハアアァァァッ!」
雪菜、そして浩一の詠唱する祝詞に反応し、彼女の槍が、彼の手甲が光を放つ。
〝雪霞狼〟の銘を持つ銀の機械槍――〝
浩一の身につける装甲もまた、通常の魔具ではない。霊力を通す事により起動するそれは、試作型の結界発生装置なのだ。真祖の操る眷獣でもなければほとんどの魔術的攻撃を防ぎ、真祖の眷獣であっても、逸らす程度であれば数回は耐える傑作である。それを客員先達の身体能力で叩きつける戦法は、単純であるが故に対処が難しい。
突然の乱入者に戸惑う〝仮面憑き〟に、鍛え上げられた2人の攻魔師の一撃を防ぐだけの余裕は無かった。それぞれの武器が吸い込まれるようにその頭部へと向かう、そして。
「えっ!?」
「くっ!」
そのどちらもが、鎖に囚われた〝仮面憑き〟の体を覆う禍々しい光の障壁によって阻まれていた。
浩一の振るう結界発生装置は、あくまで盾を腕力に物を言わせて叩きつけているようなものであるため、防がれることも当然ある。しかし、あらゆる結界を切り裂くはずの刃が、障壁と擦れ合って火花を散らしているのだ。
数秒にも満たない思考の空白だったが、それを眼前の敵が見逃すはずがない。悍ましい咆哮と共に〝仮面憑き〟が翼を広げると、衝撃波と共に拘束していた鎖が千切れ飛ぶ。当然至近距離にいた雪菜と浩一も巻き込まれ、その体は宙を舞った。
「姫柊! 浩一さん!」
「ばかな……〝
古城と那月が同時に叫ぶ。
空中に投げ出された雪菜は、槍を振るった反動で軽やかに電波塔に着地した。浩一は、戦闘服に仕込んであった鎖を利用し電波塔へ復帰する。
鮮やかな技を繰り出した2人の表情は、酷く強張っていた。それも当然と言えるだろう。必殺のはずであった自らの刃は通用せず、絶対の信を置いていた友の鎖は容易に砕け散ったのだ。
攻め手2人が硬直する中、こちらの番とばかりに〝仮面憑き〟の1体が電波塔目掛けて突っ込んできた。もう1体は状況を把握するためなのか、高度を上げて制止している。
「いかん!」
〝仮面憑き〟の全身が紅く発光し、咆哮と共に繰り出された光弾が電波塔の根元部分をごっそりと抉り取った。当然バランスは崩れ、塔全体が徐々に傾きはじめる。
「暁、奴らは任せた。殺さないようになどと考えるなよ、お前が死ぬぞ!」
珍しく焦りを見せる那月は、一方的に言い残すと空間転移を発動し、そのまま姿を消した。どうにかしろと言われたものの、今の古城は傾く塔から落ちないよう鉄骨にしがみつく事しかできない。
しかし、鉄塔の傾きが突然止まった。地面から突如出現した無数の鎖が、絡め取るようにして固定したのだ。
ピサの斜塔のように不安定な状況ながらも、鉄塔はなんとか倒れず踏みとどまっている。鎖からして那月の尽力だが、彼女をもってしてもここまでが限界だろう。いくら空隙の魔女と言えども、推定数百トンを超える物体を固定しつつ、飛びまわる〝仮面憑き〟を相手にするほどの余力は無い。
好機と見たのか、先程電波塔を抉り取った〝仮面憑き〟が悍ましい笑い声と共に降下を開始した。みるみるうちに距離を詰め、体も先ほどより強く発光している。それを見る古城の瞳が、怒りと恐怖で紅く染まった。
「くそっ!
主の呼びかけに応じ、古城の血に宿る眷獣が迸る血流を媒介に顕現する。まるで陽炎のような印象を与える不安定ながらも力強い巨躯に、雄々しく伸びる2本の角。緋色の
並大抵の相手であれば、この衝撃波だけでも決着はついただろう。しかし、〝仮面憑き〟はそれをものともせずになおも距離を詰める。
吸血鬼の眷獣を知るものであれば、呆れかえるほどの愚策である。魔族の中でも最強と謳われる吸血鬼。身体能力的にはむしろ脆弱な部類に入る彼らが、それでもなお最強と呼ばれる所以こそが眷獣なのだ。最弱のものですら、その攻撃力は最新鋭の戦闘機を凌駕すると言われる異世界からの召喚獣。世界最強と謳われる第四真祖のものともなれば、それはもはや荒れ狂う天災と何も変わらない。
全身を振動で構成した破壊の化身が、迫る〝仮面憑き〟を睨みつけ咆哮を放った。指向性を持たされた衝撃波の塊は、不可視の砲弾と言っても差し支えない。その余波ですら周囲一帯の窓ガラスを粉砕し、脆い壁面には亀裂すら刻み込む。古城たちの乗る電波塔も、激しく振動した。
だが。
「なにっ!?」
衝撃波の奔流が通り過ぎた後には、無傷の〝仮面憑き〟が悠然と宙を舞っていた。牽制とはいえ、第四真祖の眷獣が放った攻撃を真正面から受けたにもかかわらずだ。
「そんな、真祖の眷獣の攻撃に、無傷で耐えるなんて……!?」
雪菜が声を震わせる。なまじ古城の眷獣が引き起こす破壊を繰り返し間近で見てきただけに、その動揺は古城以上かもしれない。
咆哮ついでの牽制とはいえ、自らの攻撃を無傷で凌いだ小癪極まりない敵を睨みつけ、
眷獣の攻撃が〝仮面憑き〟に通用しない。いや、触れる事すら叶わない。その事実に古城は絶句する。
「――やばい!」
古城の眼前で、〝仮面憑き〟が巨大な光の剣を生み出した。ただ振り下ろすだけでも電波塔直下の倉庫街は壊滅するだろうし、僅かに離れた大通りも被害を免れ得ないだろう。結果としてどれほどの被害が出るのか、古城には想像もつかない。
剣を構える〝仮面憑き〟を打ち落とすべく、雪菜は槍の投擲体勢に入った。しかし、〝
「――――――!」
初めての訓練で、浩一から駄目出しを喰らった簡易的な衝撃砲だ。口腔を即席の砲口とし、指向性を持たせて解き放つ。あの時と違うのは、衝撃波はあくまでおまけであり、主眼を攪乱に置いている点である。眷獣の能力で増幅された高周波が、耳から体内を直接揺さぶる。古城たちの目の前で、〝仮面憑き〟が僅かに体勢を崩した。
「叩き落とせ! 〝
眷獣として実体化させる時間すら惜しいと感じる古城の意を
「おい、嘘だろ!?」
しかし、それでもなお〝仮面憑き〟は健在だった。何事も無かったかのように無傷で羽ばたき、勢い任せに剣を振り下ろそうと腕を掲げる。
次の瞬間、その無防備な背を数発の光弾が貫通した。突然の不意打ちに対応できず、光の剣を霧散させながら〝仮面憑き〟は落下し、電波塔の中層部へと叩きつけられた。
驚きに声も出せない古城を後目に、雪菜と浩一は鋭い目を空中に向けていた。
高所から推移を静観していたもう1体の〝仮面憑き〟が、追撃のために電波塔目掛けて突っ込んでくる。血を流しのた打ち回っている〝仮面憑き〟は、それを避けるどころか察知することすらできなかった。宙にいた〝仮面憑き〟の勢いに乗せた膝蹴りが、撃ち落とされた〝仮面憑き〟の胸部に深くめり込む。衝撃で鉄塔が揺れるほどの1撃を急所に食らったにも拘らず、落ちた〝仮面憑き〟は未だに抵抗ができるだけの余力を残している。
恐るべきタフネスに戦慄する獅子王機関の2人だったが、古城は別の点に思考が向かっていた。
「今、俺達を助けてくれたのか……?」
不意打ちをするのであれば攻撃を放った直後、古城たちを仕留め、最も気の緩んだ瞬間を狙うのが賢いやり方だろう。上空から見ていたのであれば、古城たちの攻撃が通用しないことはわかりきっており、助ける意味などどこにも無い。
にもかかわらず、攻撃の直前という最も気が張り詰めているタイミングで〝仮面憑き〟は行動を起こしたのだ。それが、古城には腑に落ちなかった。
古城の疑問をよそに、電波塔の中腹で〝仮面憑き〟たちは接近戦を行っていた。とはいえ、すでに勝敗は決していると言っていいだろう。打ち落とされた〝仮面憑き〟はすでに動きが鈍くなっており、もう一方はまだまだ余力を残している。打ち落とされた方の苦し紛れの一撃も易々と避けられ、仮面を掠る程度の損傷しか与えられなかった。
最後の力を振り絞ったのか、力なく倒れ込んだ〝仮面憑き〟に馬乗りとなり、もう一方の〝仮面憑き〟は執拗に攻撃を続ける。その衝撃で傷が広がったのか、大振りの攻撃の直後、音も無く仮面が剥がれ落ちた。
淡く光を放つ体の紋様が、露わになった素顔を照らし出す。
「……なんで、あいつ、あの顔!」
「嘘……」
「馬鹿な……」
〝仮面憑き〟と呼ばれていた少女の素顔は、この場の3人には見覚えのあるものだった。月明かりを美しく反射する銀色の髪に、氷河の輝きを思わせる淡い碧眼。幼さを残した美貌は、返り血に塗れてもなお、妖しい魅力を放っていた。
歪な翼を背負い、奇妙な紋様を素肌に纏う少女は、叶瀬夏音だった。
あまりの衝撃に言葉を失う傍観者たちをよそに、穏やかな笑みを浮かべていた顔に歪んだ笑みを張り付けた夏音は、倒れ伏した〝仮面憑き〟を足で踏みつける。動物好きの彼女からは考えられない行動に、雪菜の口からは小さな悲鳴が漏れた。
「やめろ、叶瀬……」
古城が夏音の視線に気が付き、震える声で制止する。
整った顔立ちを歪め、夏音は口を大きく開いた。口腔には鮫のような無数の牙が密生し、否が応でも次に起こる光景をイメージさせる。
「叶瀬―っ!」
古城の声も届かず、夏音の牙は倒れ込んだ
古城は、雪菜は、浩一はここではっきりと〝仮面憑き〟の目的を思い知った。彼女たちは喰らい合うために戦っていたのだ。必ず2体で出現し、どちらかが倒れるまで戦い続けていた理由としては、納得がいく説明だ。だが、何故。何の目的で?
疑問に埋め尽くされる古城たちを後目に、浩一は行動を開始した。とにかく今は共食いを止めなければならない。四肢の装備はまだ生きており、即座に霊力を流し込んで起動する。
「浩一さん!?」
雪菜を無視し、結界の力場をブーツ代わりに夏音の頭部目掛け跳び蹴りを放った。しかし、浩一渾身の一撃は紋様の障壁に阻まれあっさりと受け止められてしまう。あろうことか、夏音は視線を向ける事すらせず、捕食を続けている。
ならばと両腕の装置を組み合わせた浩一の前で、捕食活動を終えた夏音が立ち上がった。構える浩一をよそに、彼女は歪な翼で空へ飛び立つ。淡い光とともに飛び立った夏音は、あっという間に夜闇に紛れて見えなくなってしまう。
現状考えられる最高戦力での作戦失敗。古城と雪菜は、夏音の飛び去った方向をただ見つめる事しかできなかった。
残されたのは、大規模な破壊の跡と、瀕死の〝仮面憑き〟だった少女のみ。あまりにも苦い、完全な敗北だった。
ストライク・ザ・ブラッド 用語集
種族・分類
双角の深緋 アルナスル・ミニウム
第四真祖がその身に宿す12の眷獣の内9番目の眷獣。
今作オリジナルである口から放つ怪音波は、古城がロプロスの攻撃を参考にして編み出した。
この小技のように、部分的に眷獣の力を引き出す行為は原作でもあまり見られない高等技術である。
仮面憑き かめんつき
未知の術式で宙を舞い、一切の攻撃を受け付けない謎の存在。
ただの人間である叶瀬夏音がその身を変じていることから、何かしらの魔術的改造の結果とみられる。
七式突撃降魔機槍 シュネーヴァルツァー
世界に3本しか存在しない、獅子王機関の秘奥兵器。
この槍を操る使い手はその全てが特殊任務に動員されるほど、替えの利かない特殊兵装である。
貴重な兵装をただ大切に保管するのではなく常に実戦投入し続ける点で、獅子王機関の覚悟と対面している現状の危険性がわかる。
雪霞狼 せっかろう
姫柊雪菜が持つ七式突撃降魔機槍の銘。
この槍に強い適合性を持ったことが、未だ剣巫見習いだった雪菜が第四真祖の監視役として抜擢された大きな理由の1つである。
獅子の黄金 レグルス・アウルム
第四真祖がその身に宿す12の眷獣の内5番目の眷獣。
本来であれば第四真祖の眷獣の中でも一際狂暴であり制御が難しいとされる存在なのだが、霊媒として与えられた雪菜の血をよほど気に入ったのか古城が掌握している眷獣の中でも特に扱いやすい一体となっている。
戒めの鎖 レージング
南宮那月が振るう魔術道具の内、最も多く扱われる武装。
神々が鍛えたとされ、那月の反応から断ち切られたことはほとんどなかったほどの頑強性を誇り、捕らえられれば脱出はまず不可能といえる。