古城が呼びだした
危機を感じ取った阿夜が空間転移で距離をとった隙に、雪菜はサナを抱えて一跳びで古城たちの傍へ退避した。
「雪菜、無事だったのね! 何かひどいことされてない!?」
即座に駆け寄る紗矢華へと無事を伝えようとした雪菜は、そのまま言葉を失った。普段の紗矢華は着衣を乱すことなく、凛とした佇まいを崩さない女性である。しかし、今の紗矢華はまるで事情の直後のように着衣が乱れていた。肩を貸している優麻に至っては、薄い患者着しか身に着けていない。よほど鈍い人間でなければ、そして吸血鬼の性質に疎い人間でなければ、何が起きたのかを察するのはそう難しいことではないだろう。そしてその不埒な行為の予想に、雪菜はわけもなく胸が痛んだ。
雪菜と古城はあくまでも監視役とその監視対象であり、それ以上の関係ではない。紗矢華たちに対してそんな姿になってまで救出に動いてくれた事へ感謝の気持ちを忘れていないし、古城が無事に行動している姿を見て安堵の息を吐いたことは嘘ではない。しかし、苛立ちと嫉妬の気持ちを完全に押し殺すことができるほど、雪菜は大人ではなかった。
「紗矢華さん、ボタン掛け違っていますよ」
「へ!?」
雪菜が自分で驚くほどに、冷たい声が出た。指摘された紗矢華は慌てて胸元を隠し、そんな紗矢華へと無防備なサナを預け、雪菜は古城の隣に立った。
古城の背に何故か冷たい汗が流れるが、彼は努めてそれを無視した。闇誓書の影響が消えていない以上、今阿夜に立ち向かえるのは古城と雪菜、そしてバビル2世だけなのだ。今個人的な機敏を理由として、貴重な戦力を減らすわけにはいかない。
「よもや結界を破って、
憎々しげに火眼を細める阿夜に対し、古城は歯を剥き出しにして笑った。
「言っとくが、ここは俺らの学校だ。部外者はそっちだろうが、仙都木阿夜!」
古城の反論に、かすかな動揺を火眼の魔女が見せた。かつて盟友と雌雄を決した瞬間から、10年の年月が経過している。時間の感覚が曖昧な監獄結界にいたためか、時の流れを今初めて明確に実感したのかもしれない。
その動揺の中で、自らの道具と定義する優麻の首に着いた傷跡を見つけ出したのは、流石名の知れた魔導犯罪者といったところだろう。
「なるほど、
「ああ、おかげであんたをぶっ飛ばしてやれるぜ」
第四真祖と
「あんたにいいように利用されたユウマはボロボロで、那月ちゃんは幼女に変えられちまった。浅葱も、アスタルテも、祭りを楽しみにしてた島のみんなも、あんたのせいでその楽しみを奪われてる」
古城が一歩踏み出すたびに、雷光と暴風が荒れ狂う。彼の身に宿す眷獣が、怒りに呼応して破壊の片鱗を振りまいているのだ。
「しまいにゃ姫柊を拉致して俺の腹に大穴あけやがって、いい加減本気で頭にきてんだよ! あんたがユウマの母親だろうが、監獄結界からの脱獄囚だろうが関係ねェ。目的がなんだろうが知ったことか! 俺の大切な
ここから先は、
「吠えるな、未熟な真祖風情が」
古城の怒気を正面から受け止めた阿夜が、その美貌を歪めつつ腕を振るった。悍ましいまでの瘴気が瞬時に発生し、津波のような勢いで生意気な男子高校生を飲み込まんと迫る。吸血鬼、それも真祖の身体能力ならばこの程度の攻撃を避けることなど容易い。しかし迂闊に回避を選んだ場合、背後の紗矢華や眠ったままのサナは確実に瘴気の波に飲み込まれ、即死するだろう。
襲い来る瘴気を焼き払うために右腕を突きだした古城のさらに前へ、小柄な影が躍り出た。握る破魔の槍を振りかざし津波へと突き立てた瞬間、始めから無かったかのように瘴気は消滅し、手を突き出したままの古城を背に姫柊雪菜は魔女へと構えを取る。
「――いいえ、先輩。
古城は驚きを隠すことができなかった。普段であれば古城の行動を諌めるはずの雪菜が、自らの意思で古城の行動に協力するつもりなのだ。
「あなたは自分たちが魔女だから、それだけの理由で世界から蔑まれ、利用されてきたと言った。だったら、あなたが優麻さんにした行為は一体なんだというんですか!」
雪菜の目には、はっきりとした悲しみの色が窺えた。もしかしたら、火眼の魔女は本当に世界を変えるために行動を起こしたのかもしれない。異能さえなければ、魔女が蔑まれることはない。彼女が盟友と呼ぶ那月も、普通の女性として当たり前の幸せを享受できるだろう。その友人と隣で、彼女自身も笑う事ができたかもしれない。
しかし、その理想のために彼女は犠牲を強いた。自らよりも弱いものを利用し、傷つけてしまった時点で、彼女は自らにふりかかった理不尽を世界の歪みだと指摘する資格を失ったのだ。それは決して正義の行動ではなく、誰かによって阻止されるべき理不尽なのだから。
「あなたが呪われていると感じているのは、魔女だからではありません。自らの不幸を言い訳に他人へ理不尽を強いる限り、あなたは受け入れてくれたはずの人たちですら敵に回してしまいます。
間違いを間違いのまま終わらせないためにも、闇誓書を解除して投降してください!」
雪菜の必死な呼びかけに、阿夜は目を顰めた。絶望と痛みをこらえる阿夜の表情が、雪菜とバビル2世が知る10年前のそれと重なる。那月とバビル2世、信じていた2人に裏切られたと思い込み、悲鳴を押し殺して訣別した悲壮な覚悟を決めた表情と。
帰り道を失った幼子のような目で、阿夜はバビル2世へと視線を向けた。
「また……
10年前と同じだ。よくもこう都合のいい手駒を教育できるものだ」
「僕は何も特別なことは教えていない……ただお前が間違っているだけだ。
こうしてたった1日にも満たない時間で間違いだと指摘される行為に、何故自分だけが間違っていると気がつけない」
珍しく、バビル2世の悲しげな声が響く。人前で彼が感情を表に出すこと自体が珍しい中で、悲しみをここまでわかりやすく露にすることは初めてかもしれない。それだけ
しかし、その心も今の阿夜には届かない。自らの歩みを邪魔するものは全て敵だと認識する火眼の魔女は、怨敵を見るような目でバビル2世を、次いで古城と雪菜を睨みつけた。
「そちらもだ。たかだが十数年しか生きていない分際で、随分と知ったような口をきいてくれるな。
まさか忘れたわけではあるまい。ここはいまだ我が世界の中ぞ!」
火眼の魔女の指先が、空中に文字を描く。一瞬金に輝く文字から、次々と攻撃呪術が放たれる。いや、それだけではない。彼女の記憶にある対魔族の矢が、人を効率的に殺すために造られた槍が、呪いそのものと言えるまでに汚染された呪符が、生み出されては古城たち目掛け飛来していく。
「甘いんだよ! 吹き飛ばせ、
しかし、それらは第四真祖の放つ雷の獅子に一瞬で消し飛ばされた。いかに高威力の呪力であれ、どのようにおぞましい呪物であれ、天災とまで例えられる破壊の化身を止めることはできないのだ。
勢いのままに阿夜へと襲い掛かった獅子は、いつのまにか描かれていた文字によってあっけなくその身を散らせる。
「くそっ、あの文字の結界か!」
倉庫街で一度見たが、再び使われた今でも古城が打開策を思いつかないほど一方的に、そして瞬時に眷獣が無効化される。よく見れば校舎を護るように似たような文字が展開されているため、眷獣の暴走で学園が消滅する心配はないようだ。
ある程度制御せずに眷獣を放つことができると分かったのはいい情報だが、その文字の結界を突破する方法が無ければ最大の火力を封殺されてしまう。悩む古城に、あっさりと打開策が実例をもって提示された。
「先輩、下がってください!」
掛け声と共に雪菜が飛び出し、雪霞狼で文字の展開されている空間を薙ぎ払う。ただそれだけで、真祖の眷獣すら容易に防いだ文字の結界は雲散霧消した。彼女が操る槍は一切の結界を無効化する破魔の槍、魔力に頼った防壁は、その全てを無効化されるのだ。
迫る雪菜に向かい、阿夜は新たな文字を空中に描いた。文字が発光し、透明な壁が雪菜を遮るようにせり上がる。反射的に槍を突きだす雪菜だが、その穂先はあっけなく弾き返された。雪菜はその感触から、壁の正体を直感する。
「水晶の壁!?」
いかに魔力を無効化する槍とはいえ、物理的な強度を持つ物体にはただの槍以上の力を発揮することはない。雪菜は檻を破壊できなかった時と同じ無力感を噛みしめ、しかし背後から迫る気配を感じ取り静かに目を閉じた。
「お願いします、先輩」
「任せろ! 砕け、
古城の声を媒介に、衝撃波が雪菜を掠めつつ水晶の壁へと突き進む。空中で双角獣の姿を取った衝撃の塊は、硝子を砕くようにあっさりと水晶の壁を粉砕した。即座に描かれた文字の障壁によって双角獣は消失するも、ほぼ間を開けずに吶喊した雪菜が振るった雪霞狼により障壁は掻き消される。
「物理障壁は真祖の眷獣が……魔力障壁は剣巫の槍が砕く……か。むっ」
砕かれた水晶の破片が、突如空中で制止する。違和感に気がついた阿夜だったが、言葉を発する間もなく破片が鋭い動きで阿夜へと襲い掛かった。
咄嗟に文字の障壁を生み出しつつ、阿夜は視線を第四真祖たちの背後へと投げかける。彼女の予想に違わず、眼と髪を赤く染めたバビル2世が鋭い目つきで阿夜を見ていた。原理不明の
「流石はバビル2世、上手く隙を突いてくる。世界に拒絶された異物共の連携が、これほどまでにやっかいだとは。
ならば、これはどうする?」
阿夜が新たな文字を宙に描く。文字か強く発光し、虚空に次々と影を生み出し始めた。
「人……なのか?」
古城の呟きの間にも、人影は増え続けていく。その中に見覚えのある顔も交じっていることに、古城たちは早々に気がついた。ヴァトラーと戦っていた
「記憶から、魔道犯罪者たちを再現したというのですか……!?」
雪菜は驚きを隠すことができなかった。人間1人、しかも異能までも再現しているとなれば、まさしく神の御業に他ならない。たとえ本物ではないとしても、異能を持った超人たちの集団はそれだけで十二分な脅威と言える。
「もちろん、魔道犯罪者だけではなく今まで
やれ、我が記憶の
阿夜の一声の元、異能を身に秘めた操り人形の軍団が一斉に動きだした。それぞれが得意とする異能を発露させ、眼前の敵を排除するためだけに暴発とも思える勢いで解き放つ。光が、熱が、瘴気が、呪符が。どれか1つでも容易に人の命を奪い去る攻撃が、雨霰と古城めがけて降り注いでいる。
しかし、古城はこの状況下でも笑みを崩さなかった。敵は阿夜に操られる人形であり、すでに人間ですらない。ただの質量を持った幻影に対し、手加減をする必要などどこにも無いのだ。
その状況下では、第四真祖の眷属はこれ以上ない働きを約束する。
「ぶちかませ、
宿主の呼び声に従い、緋色の双角獣が咆哮を放った。真祖の眷獣が放つ咆哮がただの音波で済むはずがなく、双つの角が共鳴し轟音を増幅する。通常の咆哮ですら彩海学園の硝子を残らず粉砕し、校舎にダメージを与えるほどの威力を誇るのだ。増幅され、訓練によって磨かれた古城の指向制御能力が合わさり、前方のみに集約した衝撃波の砲弾とも呼べる一撃が撃ち出される。
天災とも称される第四真祖の眷獣、牽制程度とはいえその一体が放った攻撃に対応できる者はほとんど存在しない。そして阿夜が再現した猛者の中にも、そのわずかな存在は含まれていなかった。
自らが信を置く攻撃が一瞬で掻き消され、その破壊の渦が迫る状況下でありながら、阿夜の操り人形たちは動こうとしない。彼らはあくまでも阿夜が打ち倒してきた、もしくは間接的に知るだけの存在だ。敵に自らの攻撃が掻き消され、その攻撃にさらされるという状況がそもそも想定外であり、よって阿夜の命令が下されていない今避けるという思考が存在しないのだ。
まるで台風に薙ぎ払われるように、衝撃波に呑まれ消滅していく操り人形の中で、一体だけがとっさに反応を見せた。迫る衝撃波を間に瓦礫を浮かせることによってその威力を僅かにやわらげ、暴風に流される要領で衝撃を殺し校舎を守る文字の結界に飛び込んだ。結界に触れてしまえば、暴風も衝撃波も存在しなかったかのように消滅する。
あまりにも見事な回避に、古城と雪菜は目を見張った。まるで、
「ほう、やはりこの者は避けるか。経験が生きたということだな」
納得がいった表情の阿夜は、得意げな視線をバビル2世へと向けた。一切の反応を示さないバビル2世へ、疑問を抱いた古城たちも視線を向ける。彼の男であれば、回避した男目掛けて瓦礫の追撃を浴びせてもおかしくないのだ。
3人の視線に晒されたバビル2世は、明らかに動揺していた。表情はこわばり、眼は見開かれている。
「馬鹿な……阿夜、あの男をどこで知った」
奇妙な印象を抱かせる男だった。雰囲気は100を超える老人のようでありながら、外見は50代よりも少し若く見えるだろう。覇気に満ちた瞳の輝きを持ちながら、あごには立派な黒ひげを蓄えている。
「犯罪者の中には情報通の者もいたからな。少しずつ情報を引き出したのだよ。
そして
民族衣装のような珍しい衣装を身に纏い、黒髪は短く撫でつけられている。その男の名を、バビル2世は誰よりもよく知っていた。
「本人じゃないことだけはわかる。まさかこんな形でお前と相対するとは思っていなかったぞ……ヨミ」
バビル2世宿命のライバル……ヨミが存在を再現され、校舎の屋上に立っていた。
ストライク・ザ・ブラッド 用語集
人物
メイヤー姉妹
血のつながらない姉妹である姉のエマ・メイヤーと妹のオクタヴィア・メイヤーの2人組であり、LCO第一隊“哲学”に所属する魔女。
アッシュダウンの惨劇と呼ばれる事件で森そのものを守護者と化しており、ほぼ無尽蔵に湧き出る防衛力として恐れられていた。
紗矢華とラ・フォリアのコンビをその量で追い詰めるが、属性を見抜かれ煌華麟により守護者は全滅、特区警備隊に捕縛された。
魔女としての実力が低く、老化に対する耐性を持たないことがコンプレックスとなっている。
バビル2世 用語集
人物
ヨミ
次回本文まで、解説は控える。