バビル・イン・ザ・ブラッド   作:橡樹一

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 2020/5/12 用語集追加


10話 模体の策略

 ヨミの模体が屋上から飛び降り、古城たちと阿夜を遮るように着地した。

 

「阿夜、今すぐその模体を消せ。それは制御できる人間ではないし、一部であろうともこの世に呼び出したことは看過できない」

 

 バビル2世の警告に、阿夜は薄ら笑いで答える。

 

「何を焦るバビル2世。それほどまでにこの男が恐ろしいのか?」

「ああ、恐ろしいさ。一部とはいえヨミを再現している以上、僕にとって油断ならない敵に他ならない。

 阿夜、かつてヨミを利用しようとした存在はいくつかあった。だがその全てがヨミの制御に失敗し、滅びの道を進んだ。悪いことは言わない、今すぐに消すんだ。制御できている間に」

「馬鹿な、そこまで(オマエ)の脅威になると分かっていながら何故消さねばらん?」

 

 バビル2世と阿夜が言葉をぶつけている間に、古城と雪菜はヨミと呼ばれた男の模体を観察することができた。そして、バビル2世の一部だけという言葉に納得する。

 立ってこちらを見ているだけでも、警戒を抱かせる何かを持っている男だ。しかし、何かが足りていない。初対面である古城と雪菜ですらわかるほど、目の前の現身はヨミという男としてどうしようもなく不完全なのだ。

 

「かつての連中がどのような方法で操ろうとしたのかは知らんが、一部分を不完全に再現しただけの人形がどう裏切るというのだ?

 やれ、かつて帝国を築かんと野望を燃やした英傑よ」

 

 焦燥を浮かべるバビル2世を嘲笑い、阿夜は現身に指令を送る。

 瞬間、模体の姿が消えた。

 

「……は?」

「えっ?」

 

 呆然とする古城と雪菜の背後で、重い打撃音が響く。咄嗟に振り返る2人の視線の先で、拳を繰り出した模体とそれを片手で受け止めたバビル2世が睨み合っていた。瞬間移動や超加速の類ではない。制止状態から動作の最高速度までほとんど間を置かずに移行したため、第四真祖と剣巫は意識の隙を突かれたのだ。

 

「中々早いが、ヨミはもっと早かったぞ!」

 

 バビル2世は受け止めた拳を握ろうと手に力を込めるが、僅かな時間差で模体は拳を引き戻し、一跳びで元いた地点まで戻った。

 

「完全再現できていないとはいえ、(オマエ)の足止めには十分だ。手駒はどれほどあっても困らんよ」

 

 阿夜の言葉と共に模体が古城へと襲い掛かり、跳び出したバビル2世に遮られ、同時に繰り出された蹴りの威力を和らげるために自ら阿夜の背後にまで飛び退いた。

 

「暁古城、これは僕が引き受ける。阿夜は任せたぞ!」

 

 そう言い残し、バビル2世はヨミの模体を追って闇に沈む体育館へと走り去った。

 

「ふふふ……バビル2世を欠いて、(ワタシ)に勝てるかな?」

「さっき俺と姫柊を止められなかったお前に、負けると思うか!」

 

 古城の挑発を受け、阿夜の表情が僅かに歪む。古城と雪菜の連携に押されていたことは事実であり、バビル2世の援護が無くなったとしてもその脅威が下がるわけではないのだ。

 

「その無駄口を叩けなくしてやろう」

 

 すでに怒りを表情に浮かべる領域すら過ぎ去ったのか、無表情のまま阿夜が文字を描いた。うっすらと光る文字の障壁は、今までとは違い宙を滑るように古城たちへと迫る。

 

「先輩下がってください、雪霞狼!」

 

 雪菜が振るった槍に、文字の障壁はあっさりと破られた。しかし、次いで迫る鉄の槍衾に雪菜は対応できなかった。霊視で予測自体はできるものの、対応できるかは別の話だ。

 

「姫柊!」

 

 すぐ後ろで眷獣を放つタイミングを見計らっていた古城が、雪菜を引き倒しながら衝撃波で全ての槍を吹き飛ばす。その後に迫る文字障壁で衝撃波が無効化され、その文字障壁は槍で掻き消される。

 

「どうした、負けないのではなかったか?」

 

 火眼の魔女が両腕を振るうたびに、文字の障壁と物理的な攻撃が生み出される。その波状攻撃を何とかしのぎ続ける古城たちだったが、なにも一方的に押され続けているというわけではない。古城たちの視界には、阿夜の額に浮かぶ汗がはっきりと捉えられていた。無茶な攻撃は、それ相応の魔力が必要となる。この激しい攻撃が古城たちを追いこんでいることは確かだが、凌ぎきられた場合阿夜に次の手は無いのだ。

 

「手が足りねえ!

 疾く在れ(きやがれ)獅子の黄金(レグルス・アウルム)! 双角の深緋(アルナスル・ミニウム)!」

 

 攻撃の激しさに耐えかねた古城が、掌握する2体の眷獣を呼び出した。文字の障壁に触れれば即座に消滅する魔力の塊を呼び出し、膨大な第四真祖の魔力も確実に目減りしている。その事実に阿夜は裂けるような笑みを浮かべ、次いで眉を顰めることになる。

 眷獣が、襲い掛かってこないのだ。ただ古城の横に立ち、阿夜を睨みつけている。

 

「どうした第四真祖、そうすれば(ワタシ)が怯えるとでも思ったか?」

 

 嘲る阿夜に、古城は不敵な笑みを返す。

 

「どうした、攻撃が止まってるぜ!」

 

 宿主の意思に従い、2体の眷獣が咆哮を放つ。雷の獅子が放った雷撃と振動の双角獣が放った衝撃波がほぼ同時に飛来するも、阿夜は文字障壁であっさりとそれらの脅威を無に帰す。

 

「つまらんな、その程度で我が守りを破ることなどできないと理解していると思っていたが」

 

 阿夜が無造作に放った光の障壁は、いままでの繰り返しと同じく雪菜が切り裂く。次いで飛来した無数の矢を獅子の黄金(レグルス・アウルム)が焼き尽くした。

 間を置かずして阿夜は再び文字障壁を放ち、次いで鉄の礫を放つが、礫は双角の深緋(アルナスル・ミニウム)の衝撃波によって見当違いの方向に吹き飛ばされる。

 

「まさか……」

 

 阿夜は気がついた。迎撃する眷獣は、その身を使っていないのだ。自らの行動の余波を利用して物理攻撃を迎撃しているため、たとえ文字障壁が当たっても消え去るのは余波のみ。眷獣はその場に存在し続け、しかも迎撃は2体が交互に行っている。

 そして、迎撃手段が増えた古城と雪菜は、徐々に阿夜との距離を詰めているのだ。

 

「考えたな、第四真祖!」

 

 焦りを隠し攻撃を激化させるも、古城たちの侵攻は速度を僅かに落としただけで止まらない。絶え間ない物理攻撃のすべてを雷と衝撃波が押し留め、脅威となる文字障壁は霊視を使った雪菜が的確に処理する。

 追い詰められた阿夜が十二単の袖口に手を入れようとしたところで、甲高い鳴き声が響き渡った。古城も、雪菜も、阿夜も、その鳴き声にどうしようもない危機感を覚えて弾かれるように頭上を見上げる。

 月を背に、巨大な怪鳥がさらに巨大な人型を吊り下げ学園目掛けて突っ込んでくる光景が、眼前一杯に広がっていた。

 

「なんでだ、バビル2世がここに入れるわけにはいかないって!」

「先輩、伏せてください!」

「どういうことだ、何故奴のしもべが!」

 

 三者三様に混乱する中、凄まじい勢いのまま人型……ポセイドンが結界へと突っ込んだ。魔術防御の装甲が結界と干渉し、質量と加速がそれを後押しする。音のない衝撃が、不気味に大気を揺らがせた。

 

「流石に、止め切れんか!」

 

 ポセイドンを押し留めることを諦め、阿夜は結界の一部を解いた。かなり勢いを殺すことができていたとはいえ、相応の速度でポセイドンが校庭へと落下する。土を抉り取りながら、ゆっくりと巨兵は制止した。解かれた結界が修復されない隙を突いてロプロスも結界内部へと侵入を果たし、ポセイドンの横へ着地した。

 

「先輩、下がってください! 何か様子がおかしいです!」

 

 魔力消失領域に入れるわけにはいかないと言われていた、ロプロスとポセイドンがその中心点に降り立っている。それだけでも十分な異常事態にも拘らず、雪菜はさらに不気味ななにかをしもべたちから感じ取っていた。

 

 

 

 時は僅かに遡り、バビル2世はヨミの模体と体育館で向かい合っていた。

 

「やはり模体……しかも一部しか再現できていないか」

 

 こうして向かい合うことで、バビル2世は眼前の模体の不完全さを改めて感じ取っていた。たしかに、異能を扱った戦闘力の高さも実力に裏打ちされた威圧感も、並の犯罪者を容易に超えるだろう。だが、本物と幾度も死闘を重ねたバビル2世には、現身との差が手に取るように分かった。

 弱いのだ。威圧感も先のやり合いで受けた衝撃も速度も、本物のヨミに比べればどうしようもなく弱い。せいぜいが、ヨミの帝国に所属していた戦闘員の最上位と同じ程度だろう。

 

「はあっ!」

 

 掛け声と共に、今度はバビル2世が攻撃を仕掛ける。地を這うように低い体勢から、拳、肘、蹴りを流れるように連打する。模体は危なげなくその全てを受け流し、2人は再び距離をとっての睨み合いとなった。

 そう、弱いと言ってもそれはバビル2世やヨミの基準においてだ。それに、一定以上の実力があれば勝てはせずとも時間を引き延ばすことはできる。特に、今のようにバビル2世が追う側であり、攻撃を凌ぎ距離を開け続けるともなれば、即死はしない以上かなりの時を稼ぐことができるだろう。

 

「……やはりお前は模体だ。ヨミならば、そうも無様な逃走を続けることはなかっただろう」

 

 バビル2世の声が響く。本物のヨミであれば、先の連撃中に反撃を試みただろう。この体育館に飛ばされた際に、何かしらの罠を仕掛けていた可能性もある。今のバビル2世の挑発に、尊大な声で舌戦を開始したに違いないのだ。

 前触れなく、ヨミの模体が笑みをこぼした。かつてのヨミを彷彿とさせる、敵対者を倒す策を腹に抱えた征服者の笑みだ。

 

「……ロプロス、ポセイドン」

 

 しもべの名が呼ばれた瞬間、バビル2世は反射的にヨミの模体へと飛びかかった。まさか、と脳裏で最悪の予想が組み立てられる。その予想があっているのか確認することはできない。万が一予想通りであった場合に備え、敵の策が完成する前にそれを叩き潰さなければならないのだ。

 

「どうした、バビル2世。ずいぶんと、焦っているな」

 

 徐々に模体も学習しているのか。挑発するようにバビル2世の名を呼ぶ。バビル2世は答えない、そのような余裕が無いのだ。

 

「ロプロス、ポセイドン、我が命に従え。我が前に馳せ参じよ」

 

 模体の声が闇夜に溶けていく。それを止めようと攻め続けるバビル2世だが、中々決定打が決まらない。

 例え弱体化していても、模体には記憶から読み取った経験が与えられている。そう、敵であるバビル2世の動きのほとんどを把握している模体にとって、攻撃を捌き続けることはそう難しいことではない。

 

「ロプロス、ポセイドン! 大人しく……ちいっ!」

 

 バビル2世の命令を阻止するように、ヨミの模体が近接戦闘を仕掛ける。この行動でバビル2世は確信を得た。 

 バビル2世とヨミは、かつて存在した強大な過適応能力者の末裔同士であり、遠い遠い親戚ともいえる存在だ。仮にバビル1世と呼ぶ人物は、自らが死した後に残された技術を誰が扱うのかと悩んだ。そして、コンピューターに自らの後継者……自らと同じ体質を持つ人間が生まれた場合、その者に自分が遺した全てを与えるとインプットしたのだ。そして選ばれた後継者こそ、バビル2世である。

 ほんの僅かな資質の差で後継者に選ばれなかったヨミは、しかしその僅かな資質以外完全に同質の能力をその身に秘めていた。そう、しもべへの命令権も、彼の男は持ち合わせていたのだ。

 そして今、かつての頭脳の残滓をもってヨミを模した男は、自らを操ろうとしている女へ最大の報復を実行しようとしている。それを看過するほど、バビル2世はお人よしではない。

 

「ロプロス、ポセイドン! 待機していろ、こちらへ近づくな!」

「来い、ロプロス、ポセイドン!」

 

 互いの命令が拮抗し、しもべは混乱しているだろう。しかし、ヨミの模体を打ち倒す事を優先するバビル2世に対し、ひたすらに時間を稼ぎしもべを呼び続けるヨミの模体では命令の強さにどうしても差が出てしまう。

 さらに、結界という要素もバビル2世には大きな不利として働いている。バビル2世の命令は声と思念波によって行われるのだが、結界はバビル2世を敵として認識している。その声を結界は減衰させるが、ヨミの模体はあくまでも阿夜の手下として認識されている。味方の声を素通しする結界の選別も合わさった結果、ついに命令の均衡は破られた。並の獣人を遥かに超えるバビル2世の耳が、飛来する羽音を捕らえる。

 既に相手の命令が優先されていることを悟ったバビル2世は、一切の手加減を投げ捨てた。周囲の被害を考慮せずに瞬時に発動された念動力(テレキネシス)……軍事基地すら崩壊させる力が戦場であった体育館に干渉し、建材のすべてがヨミの模体へと襲い掛かる。とっさに念動力(テレキネシス)で対抗するヨミの模体だったが、能力を使う一瞬の隙を突いたバビル2世の接近を許してしまった。バビル2世により無造作に腕を掴まれたヨミの模体は振りほどこうと足掻くが、すでに遅きに失している。

 

「眠れ」

 

 バビル2世最大の攻撃手段である、エネルギー衝撃波が模体の全身を貫いた。同時に、結界の揺らぎが生んだ不快な圧力が大気を揺らす。バビル2世は油断なく倒れ伏す模体を観察するが、荒れ狂うエネルギーに内臓を引き裂かれ、余波で皮膚が焦げ付きすらしている肉体が生命活動を続けられるはずがなかった。息の根を止められた模体が、僅かな焦げ跡を残して突如消失する。所詮は阿夜の能力によって生み出された質量を持った幻影にすぎない彼らは、命を失えば消滅するのだ。

 模体が消えた位置を手で触れ身を隠したことでないことを確認し、バビル2世は半壊した体育館を飛び出した。校庭に降り立った、ロプロスとポセイドンの元へと。

 

 

 

 古城と雪菜、そして阿夜は、しもべ2体を挟んで奇妙な膠着状態に陥っていた。どちらも、不気味に沈黙する巨大な影に警戒し行動できない。

 

「先輩、装甲を見てください」

 

 雪菜の視線の先で、ロプロスとポセイドンの装甲に描かれていた魔術文字が徐々に薄れている。凄まじい密度を誇るがために今まで消滅しなかったようだが、流石に魔力消失の影響を受け始めているようだ。

 

「あれ、まずいんじゃないか?」

「ふふふ、装甲が無くなれば……いや、魔術が完全に無効化された世界で、この巨体が維持できるのか見ものだな」

 

 焦る古城と余裕の阿夜の声が重なり、さらに2体の主の声が響く。

 

「ロプロス、ポセイドンを連れて退避しろ!」

「させんよバビル2世。すでに結界は修復しているのだ、このまま装甲魔術が完全に消失するまで逃がさん」

「これはヨミの模体が仕組んだ攻撃だ! すぐに結界を……遅かったか!」

 

 しもべの装甲、その表面に浮かぶ魔術文様から全ての光が失われた。あ、と声を上げたのは誰だったか。強固に固定されているはずの装甲がゆっくりと剥離し、空中で解けるように消え去っていく。崩壊は止まらず、それにより装甲内部に隠されていた()()()が姿を現した。

 それは、巨大な2体の人型だった。

 ポセイドンは分厚い装甲を失ってもなお堅牢であろう装甲を身に着けた巨人であり、細身になった分機動力は向上しているだろう。装甲の形状から読み取るに、海中での移動速度も大幅に上昇していることが予想できる。

 ロプロスは飛行ユニットを装備した巨兵であり、胴体部分に蹲って収められていた体を伸ばせばポセイドンに迫る大きさだ。翼に偽造されていた飛行ユニットは複数の動力部分が連結された羽を模した構造となっており、羽ばたくことなく高速の移動を約束するだろう。

 2体の巨兵は周囲を見渡すように頭部を動かし、バビル2世を視界に収めるとその動きを止めた。




 バビル2世 用語集

 人物

 ヨミ
 バビル2世最大のライバルであり、唯一彼に匹敵する能力を持つ男。
 バビル2世と同質の力を持ちながらも最大出力で敵わない彼の持つ最大の脅威はその頭脳であり、作戦と新兵器の2本柱をもってバビル2世を何度もあと一歩まで追い詰めていた。
 部下からの情報を精査し、敵と同質である自らの体質を調べ上げて戦いに臨む彼は、正しく組織力をもって敵に当たる珍しいタイプのボスと言えるだろう。
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